2011年08月07日
えー、日銀についてです。
財務省のお猿さんまで話を広げると、そのほかの死刑執行命令にサインしないサボタージュ大臣とか、あまりにも仕事ができなくって解任させられたと思っていたらひょんなところでいつの間にやら復活している人とか、一週間くらいしか記憶容量の無い人とかさ。まあ、話が終わんなくなるので。
まだまだ円高気配が濃厚な近頃の情勢です。
もし仮に。
日本製品に他を圧倒するクオリティと、それが一目でわかるだけの差別化が図られ、既にそれが確立されているのであれば、ぶっちゃけ1ドルが50円になろうがなんだろうが恐れるものは何もありません。「ほら恵んでやるぞ、欲しけりゃあ買ってみろ」で良い訳です。それでも製品は売れていくでしょう。
ある意味、1ドル360円時代や250円時代などはそういう時代だったといえるのかもしれません。そこまで開きがあったとしても、やはり向こうの製品が欲しかった時代だったし、それだけの開きもあったのでしょう。多分。
ところが。現実にはそこまでの差別化はなされておらず開きも無く。大体において無批判に「外国製品マンセー」な人が溢れている日本国内の情勢なわけです。たかが塩ビ製のキーホルダーとかの何処にそこまでの価値を見出せるのか私のような唐変木にはトンと理解できません。もちろん、そこの本気が詰まった製品もあるのは知ってますので、それには感服しますけど。
もちろん、いろんな思惑や結果の積み重ねが今の状況を生み出しているのは事実なわけですけど、それにしてもこんな状況下で果たして日本製品が競争力を維持出来るのけ?と感じぜずにはおれません。
もちろん、数ヶ月先までの為替予約によって外貨準備はなされているのでしょうけど、買う側の下々からすれば、おんなじ商品が日々値上がりしていくわけですからねえ。
まあ、イヤーモデル制とかで年々その製品がクオリティアップしていくのが非常にわかりやすく提示され、実際に実も伴っているのであれば信を置くに足る、ということにもなるのでしょうけど。でも日本製品って、モデルチェンジ下手だからねえ。
じゃあ、単純な解決策は何?と考えれば、一つは「もう日本円での決済は止めにして、ドルならドルの決済としてしまい、決算報告もドルで行う」というのがわかりやすいところかなあ。日本円換算である意味を何処まで見出すのか?というところになります。
円が高い。円安に誘導したい、ということは単純に100円なら100円の価値を150円なり200円の価値と同等にしてしまえ、ということですよね。経済に疎い人間からすれば、だったら「円」という通貨の供給量を増やせば良いんでねえの?と思っちゃうわけです。、価値の原資は変わらず、それを倍の紙幣で表現するということですからね。
既に日本史の世界では、江戸時代に寛政の改革だったかで似たようなことをしています。小判の改鋳ですね。小判の金含有量を減らして2枚の小判を3枚にしちゃうというやり方。もっともアレは通貨の流通量を増やす理由の出発点が違いすぎますけど。
中央銀行の市場調整方法の有力な手段として挙げられるのが、公定歩合というか政策金利の調整なんですけど。
既にずいぶん前からコレ。実質ゼロ金利政策を続けすぎていて、日銀の連中、まったく仕事をしていません。少なくとも私の印象からするとそう思えます。
下げてしまったら、適度な時期に元に戻していかないことには「調整幅」が作れる訳無いでしょう。ある程度の調整幅があるからこそ、市場金利を動かす意味もあるわけです。床に這いつくばってしまっているばかりでは、それ以上、下げようが無く、そこからは上げるしかありません。
なんなら、マイナス金利にでもして、銀行に預けておくと徐々に預金が減っていくようにでもするかい?とか思っちゃいます。そんなことすれば銀行預金なんかする奴が居なくなるだけでしょうけど。
もっとも、今時の普通預金金利は「0.02%」(静岡銀行の場合)という笑ってしまうような金利ですから、「預金してくれなくって結構です」と銀行に言われているようなもんですけどね。とあるコラムで「銀行にとって『お金を預かる』という行為は既に負債を抱え込むのと同じだ」という文章を目にしたことがあったけど。
そういえば通貨供給量を震災復興目的で増やす、というニュースはどうなったんですかね?結局倉庫に札束が積みあがっているだけなんでしょうか?
それでも貸し出すときは3.4%とか4.3%とかの金利を取っているわけですから、その仕入れ率の低さを思うと腹も立ちます。100万円を預かるために預金者には200円しか払っていないくせに、それを誰かに貸し出す際には34000円ってことですからね。利益率たけーなー。あんたら抜き過ぎってほんと思います。桁が違いすぎるもんなあ。だから銀行って嫌い。
んで話を戻すと、連日の円高ニュースに対して「重大な関心を持って注目している」って言うだけでしょう。所詮他人事だとしか思っていないんでしょうね。自分のお尻に火が点いてからでなければ何もする気は無いって言っているようなもんだなあ、と。
私は基本的に団体競技が苦手です。小学校のときは部活動が強制加入でしかもサッカー部しかなかったので、仕方なしにサッカー部に所属していましたが、嫌だったなあ。
何が嫌かって、個人競技であればミスはあくまで個人に帰すだけですから、私が悪かったのね、で終わる(もちろんチームの総合得点なんかもあるので、まったく関係なしという訳にはいかないのですが)わけですけど、団体競技となると、下手にでしゃばった動きなんかすると、他のみんなの足を引っ張ってしまうことも往々にしてあるわけです。まあ、逆に足を引っ張られることも往々にしてあったりもします。そうなっちゃったりするとね。どうしても萎縮してしまうわけです。
で、萎縮するとどうなるか。
ずるがしこいのは今も昔も変わりませんから、こういう場合、なるべく致命的なミスに関わらないようなポジションにいようとするわけです。ずるいですねえ。パスを受けたとしても、なるべくならあんまり長く持っていないでさっさと次の奴に回してしまう、ですとかね。もたもたしたせいで、私がボールをとられたら、私のせいになる。だから、ポジションはバックが多かったですね。それもパス回しを要求されるセンターでなく、左利きでもあったので左のバック。
で、こういう経験をしていると今の日銀の歯がゆい姿勢も納得できる部分があったりします。つまり、彼らの腹の中はおそらく
何かをして文句を言われるくらいなら、何もしないでじっとしていた方がお得
コレですね。
先日の市場介入もいわば予定調和でしょう。今このあたりで何かしらやっておかないと、いくらなんでも文句が出そうなので、とりあえずやっておいた。それだけ。
普通、素人考えでもああした介入は十分な根回しの上で、一人芝居にならぬようにやらなきゃ意味が無い様に思うんですけどね。
おそらく今後の市場介入があったにしてももう一回くらいポーズとして行う程度で、揚げ足を取られない程度に終わるんじゃあないのかな、と予想します。
まあ、サッカーで後ろ指刺されないようなプレーしかしてこなかった奴に言われたくもないでしょうけど、国債償還やデフォルトが怖くて公定歩合も満足にいじれず、日銀の独立性が云々といいながら、じゃあ日銀としてはこれからどうするの?というビジョンも出せず、中央銀行として政府に物申すことすら満足に出来ないし、するつもりも無いようにしか見えないのなら。
だったら辞めろよ、この給料泥棒
って言っちゃあいけないんですかね?
Posted at 2011/08/07 18:51:36 | |
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