2011年09月17日
早々と結論から行きましょう。
私的には
致し方の無い書類と書式である
というスタンスです。
義捐金配分の時も「公平性」に鑑みて、っていう話が随分聞かれて、何時になったら配分されるのか?という話がありました。どのみち、こうした請求に関しては必ず不平不満が出てきます。「あの人が幾らで、この人は幾ら。じゃあ、私の被害はこの人よりも酷いんだから、もっと貰ってもいいはず」っていう不満。
でも私の感想では多分、当時の義捐金に関しては公平性よりも迅速さが問われる性格だった筈と思っています。
ちょっと話は違いますけど、地震保険の支払いに関して感謝された事が多かったという体験談を保険会社の担当部門の人間から聞きました。何故か?
地震保険は、現地調査の鑑定(1時間程度)の結果、その場で幾ら払えます、ということがその場で明示できるので、支払いがとにかく早いのです。修理見積もりを取って云々ではなく、全損・半損・一部損の何れに該当する被害状況か?ということだけです。つまり当座の軍資金として直ぐに手にできた。
これはこれでよかったと思うのです。
ところが地震から半年も過ぎると、だんだんに落ち着きも出てきます。そうしたタイミングで今回の損害賠償請求書類。もちろん迅速性が要求されないわけではありませんが、今回の比重は公平性です。ここで不平不満が出ないようにするにはどうしたら良いのか?
報道内容をチラ見しただけでしかありませんが、おそらくこれ、自動車事故による損害賠償請求のやり方を参考にしたかと思うほどに酷似していた感があります。
漏れが無いように。
請求しすぎにならないように。
不平不満が出ないように。
根拠を求められた際にはきちんとその理由が明示できるように。
つまり、かかった経費の実費を明示してもらい。
慰謝料算定に関する算定根拠も明示してもらう。
こうするしかないじゃあない、と思えます。
こんなの読んでいられないとか、何とかかんとか。じゃあ、一律幾らで良いですか?とくれば絶対不満は出てくる。あっちの方が妥結条件が良いじゃあないかとか、隣までは賠償金がこれなのにうちはこれしか呉れないとか。
私からすると、どこかで聴いたことのある台詞とオーバーラップするのです。
曰く「こんなに細かい文字でびっしりと書いてある保険約款など見てはいられない」
曰く「とにかく保険はよくわからない。重要な事ほど細かい文字で書いてある」
曰く「もっと判りやすく簡単に。しかも安い保険料にして欲しい」
.........等々。
平成10年ごろまでは各社、保険料がどの保険会社でも同じ料金(保険ではない「共済」などは除く)でした。無用な競争を排除し、保険に入っていない人を極力減らし、極端な高額保険料を政策的に実質、無くす事により全体の利益を考える、という方針だったからです。
実際私が初めて自動車保険に加入した時、一般車両保険を加えた1年間の保険料は21万円程度であったと思います。
ちなみに先日ブログに登場した香川から買ってきたマークⅡブリットですが。まともに全年齢の一般車両保険付きで試算した所、月々の保険料が6万円ほどと出て来て目が点になりました。実質「うちからは入らないでね」と言われている様なもんです。
もっとも、私の取り扱い保険会社の料率は比較的まだ低い方なので、それこそお高い給料の社員さんが揃っている某東京○上○動さんとか、○井○友さんとかさ。一足先にさっさと料率を上げてきた某外資系損保とか。あそこよりはまだマシなはずなんですけどね。
話を元に戻します。
全体での保険料の高低の差を緩く、なるべく保険の契約内容も簡素化(保険の仕組みの簡素化)し、それでもある程度は保険対応が可能なようにする(保険請求方式の簡素化)としようとすれば。
どうしたって「明らかに事故をしてきていない人たち」により金銭面での負担を求め、しかも全体的に保険料を嵩上げしておくしか方法はありません。
この回答の一つが自賠責保険です。対人事故のみの請求で、怪我は一律120万円まで。死亡時3000万円の高度後遺障害の場合は4500万円までの支払い。もちろん細かい規定はあるにせよ、大まかにはここまでの内容でしかない保険です。
だからこそ、一応講習や試験はあるにしても、ほぼ誰でも自賠責保険は扱える程度のものに収まっているとも言えます。
乱暴な言い方にもなりますが、「保険料負担の公平性」と「支払い内容の拡大」を、お客さんのニーズに鑑みて忠実に応え続けた結果が今の複雑な料率体系と複雑な約款、支払い基準などなどを生み出してきた、とも言えるはずです。だって昔は「タリフ」と呼ばれる料金表をぱらぱらとめくって保険料計算をしていただけなんですから。
今は保険料計算が複雑になりすぎたため、おそらく保険会社本部には原本になる料率表が今でも存在しているでしょうけど、現物にはお目にかかったことはありません。もうパソコンで計算してください、というのが暗黙の了解になっています。
こういう事を思うとね。やっぱ、東電の請求書類。ああせざるを得ないだろうなあ、と。
それが嫌なら一律払いでもいいですか?になっちゃうと思うんです。もしくは地震保険のようにABCの3区分とか5区分とか。せいぜいがこの辺りでしょう。
また被害者からすれば、そうした被害額算定も東電でするべきだ位の事を言い出すのかもしれませんが、仮に東電の社員が来て算定するにしたって書面と同じことをヒアリングするだけだと思うんですよね。
で、後から領収書を1枚忘れただの、言い忘れた事があるから訂正させろだのとやってればキリがない。行けば行ったで「こんなに何時間も人の家に居座りやがって」ぐらいの文句の一つも出てくるでしょうし、「まだ聞くの?」とかさ。となると、けっきょく郵送で、個人個人で十分精査してもらって、というやり方が一番双方にとってストレスや諍いが無い方法だと思うんですよね。結局の所は。
「請求書が60ページにもなってる」という報道も耳にしましたが、あれって10人分の分量でしょ?ページ数だけ大げさに言うのも如何な物かと思うんですけどね。
もしなるべく簡素化するのであれば、例えばiPadみたいなものの中に請求書類を入れてしまって、1つ終わったら次のページに行き、また一つ終わったら次の項目に行く、という計算ソフトを作ってしまうのがよかったんじゃあないかな、と。
で、これで全部です、という確定操作をすると損害賠償請求書類がプリントアウトされてくる、みたいなアプリケーション。これなら分量に圧倒される事はないですからね。領収書もその場でスキャニングしてiPadに取り込んじゃうとかさ。名刺リーダーみたいな機能を付加して。
そういうインフォメーションの部分でストレスを無くす努力は東電の側にもあってしかるべきだったとは思います。たしかにナマの書類ってのはそれだけを見させられても拒絶反応しか出ないのも理解できない事ではありません。ただ、正確性・公平性を期すのならば、あれしかやり様が無いのも事実だと思うんです。
テレビの紹介のされ方を見ると「東電のやり方は酷くて陰険だ」という印象を持つのが当然であるかのように誘導されがちです。まあ、今は東電を叩いておいた方が視聴者サイドからすれば歓迎されがちでしょうから、テレビ局に対する好印象を勝ち得たいなら格好の標的であるのは間違いの無い所でしょう。
でも「何でもかんでも被害者はマグロ状態で、すべてがオートマチックにお膳立てされてしかるべき」的な雰囲気も見え隠れするので、そこまで要求するのも如何なものかとは思います。
浅いなあ、という感じ。
「ほらこんな大量のページ数で、こんなにいっぱい書類をそろえてくださいって。判りにくくて、全部の書類が揃う訳でもなし、普通の人には出来ないですよねえ」って。
それで飯喰ってるプロならばそれだけで終わりにするんじゃあなくって、もっとこうした方が良いんじゃあないですか?っていう提案までしてこそ、これからに繋がるところも出てくるんじゃあないかと思うんですがね。
Posted at 2011/09/17 11:22:05 | |
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