2011年01月31日
御存知の通り、鎌倉政権より続いてきた武家政権は江戸時代まで続いたわけですが、幕末の黒船来航を発端とした騒動は、これより数えて15年程度の期間を経て、トップに天皇を戴いた立憲君主制政権として再出発を図ることになりました。保元・平治の乱を世の変わり目(貴族政治から武家政治へ)とするならば、およそ700年ほども武士による統治の時代が続いた訳です。
ここで、あれ?と思って振り返ってみると、保元の乱(1159)より30年ほどの期間で以って鎌倉幕府の成立を迎えています(1192 源頼朝の征夷大将軍任官)。また、織田信長の稲葉山城攻略とか一度目の上洛の時期を以って戦国時代が終結に向って動き出した、と見れば、これも約30年程度で戦乱の終結を見ています(ちなみに応仁の乱そのものは10年程度)。
時代は下って、太平洋戦争終結。総力戦の言葉通り、戦後の国内の荒廃は多分、ひどかったんだろうなあ、と想像するしかありませんが、早くもその10年後には「もはや戦後ではない」などと言う言葉も出たりするような状況になったようです。
もちろんこうした事柄は単純比較できることではありませんし、時代も状況も違います。でも、日本という国の回復力というか、変わり身の早さという視点で見ると、なんかすごいよねえ、と思わずにはおれません。その程度で変わっちゃうんだあ、という。
何でこんなことを思うのかというと、「バブル崩壊以降のグダグダって長すぎないか?」と思ったから。
バブル崩壊後5年程も経過した平成8年あたりから平成10年頃にかけてという時期は、なんか一時「なんか回復してきたかも?」という匂いはありました。これは車を売っていても感じたことです。でも、それでも「仄かに香る梅の匂い」といった程度でしたけど。
でも長続きした感じはありませんでしたね。
確か小渕君が「株上がれー」と両手に株を握り締めてカメラの前で笑っていたのもこの頃でしょう。何とか券(なんでしたっけ?)をばら撒いて借金だけは膨らんで。韓国にIMFが介入したのもこの近辺でしたか。多分。
生損相乗り(双方が、お互いの業種を兼業できるようになった)が始まったのもこの頃です。この頃が急激に外資系の金融機関が台頭し始めた時期なのでしょう。言葉を変えれば国内の金融機関の体力が底を突き始めたといってもいいかもしれません。不良債権の先送りに限界が生じた、という事もあるのでしょう。
で、日本以外の国々のバブル、主にアメリカの債券市場や中国の余波を受けて、「何か暖かい風が他所から吹いているなあ」という感じがあって、勢い余って「イザナギ景気を超える長期成長」などという大本営発表なんかもしてみたり。すごく嘘くさかったけど。これが更に5年後の平成15~17年ごろの事でしょうか。
で、後にリーマンショック(平成20年)を受けて奥歯ガタガタ、という展開を迎える訳です。時は既に平成23年を迎えるんですけどねえ。何となく忘れかかっている感じはするんですけど余震もありそうな気もするし。それが日本発にならなければいいんですけど。
こうしてみると、何度か回復のチャンスはあったような気はするんですけどね。ただ惜しいことに、そのチャンスを無為に見過ごしてきているような気がします。
Posted at 2011/01/31 12:05:46 | |
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2011年01月30日
先日耳にした話ですが、どこまで確かな話なのかは確認してませんが「某ホンダ車はオイルエレメントが各車共用となっている」やに聞きました。だからホンダに関してはオイルエレメントの交換部品在庫として1種類だけ確保してあれば良い、ということになります。
これは良いなあ。楽だし。
オイルエレメントというと、空き缶を半分に切ったような筒状の部品を思い起こす訳ですが、それを見慣れていた目でベンツのオイル交換風景を見て感心したのは、オイルエレメントとして供給されている部品は中の紙製の濾紙部分だけであったことです。日本車用のパーツによくある外側の筒は無いんですね。エンジンのオイルエレメント収納部のふたを開けて、そこにフィルターを放り込むだけ。「ああ、これはゴミを減らす為なんだろうなあ」と直感的にその理由が理解できました。
近頃は日本車(トヨタ車)も供給部分が中味の濾紙だけになったようです。
でも、ベンツ式にしようとするとエンジンのフィルターが設置されている部分まで設計変更しなければなりません。もっとも私の見たベンツはW202でしたから、遅くとも既に彼のメーカーでは、昭和の終わり頃にはそうした思考で以ってエンジンを設計していたことになります。
日本車としては、設計変更はエレメント部分だけで済ませたかったのでしょう。「エレメント本体の筒から古い濾紙を外し、改めて新しい濾紙を入れなおして」またエンジンにセットしなおす方式のようです。つまりエレメントの本体カバーは使い回し。
極力自分のところは何にもしないで、人にやらせる、という底意が見え隠れしているというのは穿った見方になるんでしょうかね?
そうした小ネタはさておき、部品供給について考えてみました。先日の輸入車の部品金額の事がずっと頭に引っ掛かっていたからです。
クルマを輸入して売るだけなら、これはわりあい簡単なんだろうなとは思っています。売りっぱなしでよければね。某ヒュンダイとか、某サターンとかどうしてんだろ?さあ逃げろって感じなんですかね?
ただ、継続的に売ろうと思うのならば、それなりの在庫部品を確保しておくのは必須でしょう。定期交換部品は言うに及ばず、実際に道路を走っていれば「ええ?」と予想もつかなかった所が壊れるものです。もっとも自然損耗ならまだしも、どこかに突っ込んで壊してきた、なんて事もあります。
すると、某Zガンダムでは3機あったガンダムマークⅡの内、3号機のみを残して1,2号機はストック部品用に解体される、なんて描写もあったように、まともに維持しようと思ったらあれだけではすまないでしょう。
実際パーツ供給を商売にしようと考えると、その在庫品の種類の多さに頭がクラクラしてしまいます。何が売れるか判らないし、マイナーチェンジもあるし、改良品だってある。どちらかというと、そういうマイナーや改良の時期などは営業の方がよく知っていそうなモンなんですが、実際の部品発注業務はメカニックが行っていることが多く、余計にその辺の信頼性が低下しているのでしょう。
その辺、メーカーが適合の可否資料をきちんと整理してくれてあればいいのですが、どこまで信用したらいいのものやら。
となると勢い補給部品の値付けは高めにならざるをえないのも分からない話ではありません。
多分どこかでこの話は書いていたと思います。再録になりますが、トヨタ共販に業者登録(つまり仕切り金額で販売してくれる契約)をしようとすると、まず最初に言われるのが「とりあえず100万円分の部品を買ってくれ」だそうです。
そこまで言うからには恐らく次に来るのは「継続的な最低購入金額を毎月いくら」とか、「支払いに関しては保証金をあらかじめ入れさせて、毎月の購入部品代はそこから差し引いていく」とかね。それ位は言うでしょう。
そこまでして共販の業者リストに名前を載せるのも馬鹿馬鹿しいので、先日トヨペットに「アンタのところの仕切り金額は幾ら?」と聞いたことがありましたが、「業者さんは一律1割の値引だけ」と言われちゃいましたね。そんなんならネットで仕入れたほうが安いって。
トヨタの場合でこれですから、外車の場合は更に大変なんだろうな、と想像します。数が少ないことに加えて、目に見える部分(骨格部分とかの信頼性はさておき)での信頼性は、比べればやはり低いと言わざるを得ない(どうでもいいところが壊れる、という言い方もある)ですしね。
日本車は多くの場合、生産終了車の部品の金型の保管を下請け企業に一任していることが多いようです。つまり「注文があったらアンタのところで作ってね」、という事ではあるのですが、でも何時注文が入るか分からない上に、保管料を別枠でくれるわけでもないようですし、それなりにメンテナンスだって欲しいシロモノな訳です。
で、注文が入ったら「ジャスト・イン・タイム」で、即座に作って持ってきてね、と。多分こう来るだろうなあ、と。つまり部品のストックに掛かるコストを見てみぬ振りして済ませているんだろうな、とも思えるワケです。
外車だと、こうは行きませんからね。そもそも作っているのは向こうだし。ストックしておくしかない。
それでも、ちょっとした部品ともなるとわりあい簡単に「本国発注です」なんてことを言われてしまうんですが。前に言われたのは「鍵(キーシリンダーと鍵のセット)」がそうでしたね。私の乗っていたW202の鍵も、当時のものは既に生産中止になっているのでW203のものを代用品として供給しているらしいです。
小手先のワザ(と言ってしまうのは大変失礼ではありますが)で色々なバリエーションを作り続けるのは、もうそろそろ止まらないモノでしょうか。
お客様のニーズにお応えして決め細やかな商品群を構成するのはいいんですけど、その種類の多さに辟易し、選び出す事に一苦労し、結果的に「何を買ったらいいのか分からない」とソッポを向かれているってことは無いと言い切れます?
多分プリウスが売れたというのはハイブリッド車としての定番商品であり、車種選択に迷いがない(逆にその他のハイブリッド車は「その他大勢」でしかないとも言える)、という事も大きかった筈です。しかもそれがどこのトヨタでも買えた。そういうことだと思うんですが。
ヴィッツが何となくモデルチェンジしているクルマに成り下がったのも「もはや定番商品としての魅力もクソも何もない」とお客さんに見切られているからこそ、これだけ盛り上がらない(少なくとも熱気を感じない)モデルチェンジとなったんだと思うんですがね。
話はいつものようにずれちゃいましたが、もう少し、部品の種類は減らんもんかなあ、と。そう思いました、という話なんですが。
Posted at 2011/01/30 16:13:54 | |
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2011年01月28日
昨日、珍しくVWのジェッタに乗りました。乗ったといってもお客さんの駐車場から鈑金屋さんへの回送というだけですけど。
でも、初TSiですしね。
で、乗ってみた感想。うーん。普通だなあ。
お客さんはプログレからの乗り換えです。どうですか?と話を向けるとニコニコ笑いながら「いいよお」と仰っていました。うん。良いと思うよなあ、プログレからなら。
個人的にプログレが悪いと思っているわけではないのですが、それでもやはりトヨタ車としての癖は強く感じました。アクセルとか、ハンドルの切込みに対する応答性とか。
プログレという車は当時、野口さんというプログレの開発主査が静岡トヨペットの営業研修にいらしていたくらい、トヨタとしては気持ちの入っていた車です。開発期間も異様に長く、当初FFで進めていたものを途中でFRに変更し、などという開発エピソードなんかも聞いたり。雑誌インタビューでは「プジョーのハンドリングとイタ車のインテリア」などというお話も披露されていました。エンジンの搭載位置も随分頑張って後ろに寄せていますしね。
でも、実際の営業面では失敗だったのでしょう。バリエーション車としてのブレビスはあったにせよ、後継車開発も無かったし。
もちろん、その後のFRの基本設計においてはベース車両としては生きていたのでしょうけど、今現在直6エンジンのラインナップ自体がない以上は、プログレの血脈は既に亡い、という事なんでしょうねえ。多分。
さて、ジェッタです。
アクセルの応答性も良く、ハンドルの応答性も不満はありませんでした。「余分なものは付いていないけど、ちゃんとしてるよ」というお客さんのご感想通りです。
お客さんの乗換えで唯一気になっていたのがボディ幅です。1785mmあるんですよねえ。大丈夫かいな?と思っていました。まあ、とりあえず秋から今までは無事に過ごされてきたわけですが。
道路を乗っている分には特にボディの大きさというものは感じませんでした。ただ、あれ?と思ったのが乗り降りする時。妙にサイドシルが遠いので、足を外に出す際に今までの感覚だと地面が遠いのです。今思い返しても、特に車に乗っている分には大きさをさほど感じませんでした。という事は。
そういえば、サクシード並みにドアポケットの幅が広かったっけなあ。
そういえば、それほどセンタートンネルの幅が広いという印象はなかったよなあ。
車幅が広くなると、往々にしてそれを居住空間の広さの拡大に使いたくなるものです。
「立派な車になった・広々とした車になった」これをオーナーに実感させるのに手っ取り早い方法としては、センタートンネル(センターコンソール、つまり真ん中の肘掛の幅)を広く取って助手席との間隔を広く取り、ドア内装の肘掛周りの部分を大きく抉り、そこの空間を広く取る、という手法が一般的です。
でもジェッタは、そういう意味での広々感はあまり感じませんでした。つまり運転感覚・乗車感覚の車幅としては、せいぜいが1750mm程度な感じです。それ以上に大柄なボディという感覚がしません。という事は、ボディ幅の拡大分は側面衝突要件確保の為に、殆どサイドシルとドアの厚み分に寸法を振り分けているんだろうなあ、と思いました。
だから、ドアポケットが大きい。だからサイドシルが遠い。
でも、大柄なボディということがあまり苦にならない。
ただ、何時の頃の事なんでしょうか。殆ど運転席の視界からボンネットが消えだしたのは。ジェッタも例に漏れず殆どボンネットが見えません。初めて乗る他人の車だと、余計に気になります。
日本車はバブル後半の丸くなってきたボディのころからボンネットが視界から消えだしました。
私の生まれて初めての所有車は170コロナでしたが、あの時にはきちんと視界にボンネットが入っていました。ところが、次の190コロナでは視界から消えていました。
あの頃はキッチリとマークⅡとコロナには装備の境界線が有って、例えばマークⅡはボンネットがガスショックで開くようになっているのが、コロナでは何にもなくってボンネットがクソ重かっただとかね。そんな中、コロナに無くってマークⅡにあったものの1つにフェンダーマスコットなるものがあったんです。
フェンダーポールは通称「ヘタクソ棒」と言われていたものですが、あれがあると助手席側の先端がどこにあるかがものすごくわかりやすい、という代物でした。出しっぱなしでは恥ずかしいので、電動ポール式などというものまであります。
もう1つ、「車の先端ココ」という補助視認部品としてフェンダーの先っちょに3角形のプラ部品を配置し、夜間には光って(当初はポジションランプからの導光式、後にはLEDの自光式)その存在をアピールしてしまうという、というものがありました。それがフェンダーマスコットなるもの。確か90のマークまで在った記憶はあるのですが、100あたりで姿を消したかな?あれけっこう好きだったんですけどねえ。
ただ、たまに見かけるエルグランドのボンネットマスコットは巨大すぎて、思わず吹き出してしまいます。お願いですから、もう少し控えめに出来ないものかと思います。
GGの黒インプ君もきちんとボンネットが見えます。もっとも私の場合、随分とシートを高めにセットするのですが。
黒インプ君はもう一つ小技があって、ボンネット中央部をうっすらとスプーンで抉ったように逆アールで窪み(というほどでもないけど)をつけています。実はこれ「ボンネットの先端はココ」というのが視覚的に分かりやすくする工夫なんですね。ボンネットの丸みと逆アールの窪みとの稜線を運転席から見せることで運転者に「ココまで」と言っている訳です。もっともエアスクープがデンと鎮座ましましているモデルではあまり意味はありませんが。
話を戻します。
近頃のお話では空力向上一本槍ですので、ボンネットを見せるような造形が消えたのも理解できない話ではありません。
ただね。
デカ過ぎる車幅に対する配慮というものがあまり感じられなくなってきてしまっているのは如何なものかと思います。せめて補助視認具を用意するなり、インプのボンネット造形なりのような配慮をするとかさあ。取って付けた様なボンネットマスコットも恥ずかしいけど、それだけの為にベンツを持っていたくもないしね。
そういうことを気にしてくれる、携帯電話で言えば「デカ文字モデル」みたいなさ。「かんたん携帯」までなると却っておもちゃっぽいだけなんで嫌なんですけど。その辺、もう少し気にして欲しいなあ、と。ジェッタに乗って改めてそう思いました。
そういえば昨日のPV。いきなり1200を越えていました。
あれ?昨日のブログのアップはそれほど早い時間でもなかったし、なんだったんだろう?もちろん、多数の方にお越しいただけるのはうれしい限りなんですけどね。
Posted at 2011/01/28 11:06:49 | |
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2011年01月27日
今日お借りしてきた車検予定の車の中に、500mlのサント○ード○イ24本入りケースと、金○の350mlがおなじく1ケース、最後部のトランクスペースに鎮座ましましておりました。ついでにお米も一袋。「あきた○まち」でした。
私宛の差し入れであれば「ありがとうございます」といってサッサと持っていくところですが、どうもそうでもないようです。少なくともこんなもの車検の車に積んで置く意味はありません。これを見てお客さんが一言。
「これ(車・荷物)、娘のだけどさあ。あの子、毎晩この大きい方のビールを2缶と小さいのを1缶ずつ飲んじゃうだよねえ。どう思う柴田さん?」
ちなみにこの娘、「バツイチ・シングルマザー」です。多分30ちょい手前位かな?ちなみに子供は3人(たぶん)。仕事は..........。「?」という感じ。多分無職ではないと思うんですけど、定職の会社員という感じでもない。そんな人。
で。
そういう前知識のある私にそんな事聞かれて、どんな答えを期待するというのでしょう。でもまあ、聞かれた事にはお応えするのが筋というものです。御期待に添えるか否かは定かではありませんが、こう応じておきました。
「そういえば、子供手当てに関する関連法案が、このまま行くと参議院を通過しそうにないって話は知ってる?そうなったら4月以降は子供手当をあてこんで、ビールなんか買ってる場合じゃあなくなるぜ?」
と、ご忠告申し上げておきました。
するとこのお母さん、何となくニヤついています。どうも私の想像は、さほど見当違いでもないようです。でもそれ以上の突っ込みはヤブヘビになりかねませんから威嚇射撃で十分以上の効果があったと判断し、その場は撤退です。
車検代が回収できなくなると困りますからね。
もちろん、こうした会話は「どの程度のお付き合いの深さかによって、どの程度突込みを入れてもいいかの探り合いをしつつ、でもお客さんと営業という立場を逸脱しない程度の言葉と内容のきつさでもなく」という非常に高度な心理戦が裏に展開されています。ここまで踏み込んでも大丈夫、と見切っているからこそそこまで言う、という事も有ったり無かったり。
確か「五輪書」にも「見切りは大事だ」なんてことが書いてありましたよね?
そういえば保険の方で、この子供手当ての支給を保険料の原資として当て込んだ「生命保険のセールストーク(終身保険の)」を一生懸命考えたりとか、「お子さんの将来の為に....」なんてチラシを作っているところがあったなあ。
仕事熱心なことは認めるけど「それってどうよ?」って事を完全に二の次に切り離せて考えられる点について、果たして尊敬(感心)していいものなのかどうかが近頃の悩み所です。
Posted at 2011/01/27 21:50:19 | |
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2011年01月24日
前回の記事の経過報告です。
本日午前中にAさんより電話が入りました。なんでも、損保ジャパンから電話があった、という事です。
普通、事前の断わりも無く、相手方の保険会社からこちらの事故の当事者本人に直接連絡がある、という事はありません。おかしいなあと思いつつ、とりあえずこちら側の保険会社に連絡を取ってみたところ。
あっさりと損保ジャパンがこちらの無過失を認めてきたとのことです。
それなら納得。相手の全面降伏であれば、既にこちらの保険会社の出番はありません。
ならば次のお話。どういう矛の収め方をするか、という一点です。
実は事故当日から昨日まで。Aさんは、相手方からお詫びの連絡があるかもしれない、という事で待っていたのだそうです。ところが何の音沙汰もない。
そもそも事故相手が接触の直後に、自らの過失を塗固しようとするかの様に「急ブレーキを踏んだから私は転倒した」と、ウソをついた。そのことがそもそもの、気持ちのモヤモヤの出発点でした。
「日本人としてそんなことではいけない。そもそも彼の将来のためにもよろしくない。だから、ここは是が非でもお灸を据えてあげなければならない急所だ。」
何度ともなくAさんから聞かされた言葉でした。
うーん。
100:0裁定が損保ジャパンからの説得でそうなったのか、事故相手のどういう気持ちの変化で承諾の言葉が出たのか、その経緯は知る由もありません。少なくとも「分かりました」の一言がない限りは主張を取り下げることはありえませんから、そういうところで決着はしたのでしょう。けど、結局支払は保険会社からです。
果たして、これが「これは、お灸を据えてあげないと彼の将来の為にもよろしくない」と考えたAさんの望む結果になったのだろうか?と思うと共に、本人からの謝罪の意思表示がない以上、保険で庇ってあげただけに終わってしまう可能性が十分以上にあるなあ、とちょっと悲しい気持ちにもなります。
ちなみに、今回の事故対応はバイク(原付)そのものに掛けた保険ではなく、親の自動車保険のファミリーバイク特約による対応のようです。
となると、ここで保険を使っても割引等級が下がる訳でもなく(ノーカウント事故なので)、ますます「彼の為のお灸」には成り得ないだろうなあ、と。
法的には賠償金の支払によって謝罪の意思表示とする、という事にはなっているのですが、気持ちの入らない(もしくは不貞腐れているだけの)表面的な謝罪行為に終わることを助けることになる(なってしまう)保険という立ち位置は如何なものか?とも思っています。
保険というものの、その基本的な立ち位置を改めて自分自身も意識しなおさないといけないようです。
Posted at 2011/01/24 19:35:24 | |
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