2011年03月23日
私自身は、新卒で静岡トヨペットの新車セールスとして社会人生活をスタートさせたので一般人としての「住民票」「印鑑証明」に対する感覚が分かりません。
何せ、クルマ業界というのは何かにつけて「公的証明書類」を要求する分野です。
軽自動車の登録には住民票。これはサービスセンター(公民館)とか区役所・市役所で。
白ナンバーの名義変更や新規登録には先ず車庫証明。これは警察署で。
誰がそのクルマを所有するのか?というところで印鑑証明や住民票を。
下取車の所有権解除(ディーラーの所有権留保登録の場合)には自動車税の滞納分が無い証明書。これは県税事務所で。
所有者の住所が変わっている場合には現在の印鑑証明書に加えて前住所の記載のある住民票。
もっと遡らないと記載のない住所である場合は改正原を。
住居表示の変わっている場合は市役所などの該当部署での住居表示変更の証明書を。
身体障害者に関わる自動車税・取得税の減免申請は、登録時に身体障害者手帳と運転免許証が必要になります。ただ、身障者手帳はともかく運転免許証を1日借りることが難しい場合もありますので、その場合は県税事務所に行って免許証を提示し、コピーをその場で採ってもらい「たしかにこれは原本と相違ございません」という証明のスタンプをポンポンと押して貰って代用する手続が必要です。
また本人運転でない場合の申請には、実際の運転手と手帳の保有者の住所が同じでなくてはならず、該当役所の福祉課あたりに行って「同一生計証明書」なるものを添付しなくてはなりません。
ざっと思いつくだけでもこれくらいの書類は日常的に必要になるわけです。
まあ、それはそれとして。
これらの書類は結局、陸運局の申請窓口で書類の受け付け担当に「はい、書類は一通りOK」という事で、ポンと受付印を貰う為だけに存在し、掻き集められます。ディーラーの所有権解除だけはちょっと違いますけど。
実際には違うところもあるかも分かりませんので、あくまでも個人的な解釈の範疇ではありますが。こうした公的書類の必要性というものは、
「お役所は基本的に、他のお役所が『認めた』という証拠書類しか信用しない」
という基本姿勢の為だけに存在している、と思っています。
つまり一般庶民の戯言なんぞ信用する気はないわけです。なんかしたかったら、先ず他の役所公認の書類の一つでも持ってきてから物を言いなさい、と。それが1つは運転免許証であり、住民票であり、印鑑証明であり。はたまた警察の事故証明とか。という事なんだろうなあ、と。
逆を言えば一般的な生活をしていく上では、そうした書類などとは、ほぼ関わりなく過ごしていくことが出来る、という事でもあります。実際、「アンタはやたらと印鑑証明・印鑑証明って言うなあ」と厭味半分に言われたことがあります。もちろん車をポコポコ替える人の為に止む無くしている事なんですが。
今時はやたらと個人情報が云々とうるさいのが当たり前になってきましたが、1つには住民基本台帳の閲覧が自由に出来たことに加え、コピーはダメだけど、書き写すのはOKというお役所の脇の甘さに問題があった筈なのを、何で俺たちのようなところにツケを回すの?とは思っています。通信教育の某社などは、こうしてダイレクトメールのあて先情報を収集していたらしいですしね。
もう1つの問題点は、何故かやたらと「他のお役所の為」のものを、紙ベースで一旦申請者に情報を受け渡してしまう、というシステムの不備をいつまで経っても改善しない点です。
どうせ他の役所の担当官への閲覧用ならば、私たちのような仲介役の目に触れる必要はないワケですから、データの受け渡し専用のUSBメモリーを使うようにするだとか。はたまた直接各お役所間でデータの受け渡しをしてもらえればいいだけの話です。そうすれば紙資源の節約にも繋がります。スマートフォンのセキュリティロック解除に、指でタッチパッドをなぞった軌跡を利用する、なんてのもありましたから、それを個人認証のサイン代わりに使うというのだってアリでしょう?
既に保険契約の認印とかサインの代わりに、そういうシステム(どうもiPadを使っているらしい)を使っているところもあります。徹底的に紙ベースの資料を残さない方式というわけです。私自身も紙ベースの保険契約資料はすべて廃棄しましたしね。
こうした「人に負担ばかりをさせて、自分自身は何もしない」マグロ状態な姿勢はええ加減にせいよ、と常々思われていることぐらい、いい加減察しろよ、と思うんですがね。まあ、それに気が付いていても気が付かないフリをし続けるのがお役所のお役所たる所以なのかもしれませんけど。
今日のお題も被災報道からふと思いついたことを書いている訳ですが、目に付いた記事は2つです。
1つは津波で流された車の廃車についての報道。
廃車をするならば、上記のように所有者の実印を押印し、それに印鑑証明を添付して。他の人に所有権がついている場合には.........、と延々に手続書類が必要となります。この為、行政側としても完全に水没した車であったとしても迂闊に処分は出来ず、1つところに集積しておいて所有者を確認し......、とか言ってました。馬鹿だなあ。
たしかにクルマについては財産権を保障されている物であることは間違いないのですが、クルマ屋からしたら、水没したクルマなんて全損に決まってます。まあ100歩譲ってパーツ取りを考えないこともありませんが、浸かった水が海水である以上これも考え難い。つまり財産もヘッタクレもありません。
車のフレームナンバーさえ確認できれば、登録データは追える筈です。被災車として確認できたクルマはそのままオートマチックに廃車登録してしまっても実際上問題が出てくるとは思えません。
そのようにして重量税還付の手続書類を速やかに送付していく方が、下手げにゴールデンウイーク前後に「自動車税払込通知書類」を送りつけられるよりは遥かに住民感情を逆撫でせずに済むのでは?と思うんですがね。余計なお節介かもしれませんが。
2つ目は、住民票の申請を、確認書類がなくても生年月日などで本人確認が取れれば速やかに出す、という対応をする、という記事を見たからです。相変らずだなあ、と。
私の入院期間中、入院先の看護婦さんが朝の早番の為に通勤途中、誰一人いない時間帯で、誰も迷惑にならないであろう場所で、一旦停止をしなかったという理由で青切符を切られたそうです。あの子、ものすごく怒っていたなあ。
恐らくは職務に忠実であったというだけであろうそのお巡りさんですが、もう少し気を利かせるとかさ。もう少しその本来の意味・役割を考えて見張るとかさ。
お巡りさんが好きな人はそうはいないと思いますが、
「だから、あなたは嫌われる」
というその理由に対して、もう少し頭を巡らして考えてみるという行為も、少しは必要なんじゃあないかな、とは思いますけどね。
Posted at 2011/03/23 12:21:55 | |
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2011年03月22日
入院前に、とあるお客さんから「今度車を買った娘がいてさあ、........」という御相談がありました。ありていに言えば、毎度毎度皆さんお悩みになる「子供が乗る車の保険料を何とか抑えられないものか」という事です。
考えうるパターンとしては
1 単純に新規保険として子供の保険をもう一本走らせる。
まあ、一番判りやすいパターンですね。せいぜい、セカンドカー割引を使って6等級から始まるところを7等級からのスタートとしてあれば多少救われてもいますが、まあ焼け石に水という言い方もあります。
2 親御さんの車と車両入替をし、子供の乗る車に親御さんの割引等級を適用する。で、車両入替で追い出された車(保険用語としては「掃きだされた車」といいます)を新規に加入させる。
子供の自動車保険加入は無事故割引も無く、運転経験からしても怪しい年齢で、しかもそれだけに保険の内容そのものはきちんと掛けたい、という3重苦になります。どうしても保険会社的には「できれば引き受けたくない」契約です。だから高いんですけど。
代理店としては、保険料自体は高くとも、その分手数料率が低いので、「おいしいか?」と聞かれれば「うーん、別に」という感じ。まあ、それはそれとして。
こういう場合、何がしかの負担軽減策を考えないと保険料がハンパではありません。つまり救済策としては「クルマを入れ替えてしまう」という方法があるわけです。もちろん一緒に年齢制限や本人・配偶者限定などの制限をかけてある場合は、それらも緩和しておきます。ついでに「最若年運転者」の年齢なんかを入れる欄もありますので、そこに子供の年齢を入れておくわけです。
3 この際、家中にあるクルマの契約を1本にまとめてしまい「ノンフリート多数割引」を適用させた上で、パターン2のような車両入替を実施(玉突きのようにして掃きだしてしまうことも可)する。
これが一番安いです。こうして一番安くなる組み合わせの割引等級とクルマのパターンを算出します。ノンフリート多数契約の場合は分割払いの金利手数料も掛からないので、今まで分割払いにいていた人は更にメリットがでてきます。ここまでやってあれば上出来の部類に入るでしょう。
で、結局こんなストーリーを書いて結論としては保険契約をいただいたわけですが。
一応保険代理店としては、本来、こうしたお話をきちんとした上で、「だから、こうなんです」とお話を進めなければいけないんですけど。
この話。保険代理店同士ならすぐに「ああ、そうだよね」とすぐに納得してもらえる話となるでしょう。でも、普段保険に関わったことのない一般の方々にご理解いただける自信は...........。
はっきり言って「ありません。」
じゃあ、どうしたか。
一生懸命、絵図を描いて。
このパターンだとこの金額、という想定される金額をすべて試算して。
そうした絵と数字でもって、「こういう理解をして欲しい」という着地点をあらかじめ設定して、そこから逆算した贅肉を削いだストーリーをあらかじめ用意して。
「まあ、細かいことはよく判らないけど、こういうふうにすれば、この筈だった保険料がここまで節約できるのね」という身も蓋もないけど、あっけらかんとしたストーリーとしてご提示したわけです。要はそこですしね。
でも保険会社的には「パンフレットと約款と、要するに会社の作った、会社の用意してある募集文書で以ってきちんとした御説明を申し上げる」なんてことを言うんですよねえ。じゃあ、お前がそれで説明してみろ、と思うんですが。
懇切丁寧な説明はたしかに大事ですし、それが一番良い事であるのは論を待ちません。ところが、相手にそれが伝わるのか?ということを考えるとそれは非常に疑問です。どうせ普段の会話からしたって半分も相手に伝わるかどうか?ということを思えばハナから「ここだけは理解して欲しい」というポイントだけでも、その7割程度でも伝える事ができれば「大成功の部類」です。
誤解を恐れずに言ってしまうと「上手く伝わらない可能性のある事柄」ならば却って「言わない方がまだマシ」とも言えます。都合の悪いことは言わない、というのとは違って。
さて、ここまで回りくどく言ってきたのは、もちろん予想されている方もあるでしょう。そう、例の野菜から検出された放射線の事です。それで出荷停止までしてしまった事。
すいぶんと回りくどいことをダラダラ、ダラダラと。「直ちに健康被害が出るわけではないけど」「それでも基準値を超えているので」「検出値としては低いんだけども」ect.......。
だったら言わない方が良くないか?
コントロールできていないなあ。情報も体制も。
どうせ「物資は足りている」と幾ら言ったところで買占めに走る大衆心理はどうしようもなく抑え切れなかったわけだし。
それに付け込んで便乗値上げをする業者すら少なからずあったし。
いくら「日本の事だから、そのうち何とかしてくるだろう」と予想はしていても株価は暴落し、円は暴騰しちゃったし。まあ、逆に今が買い時だとは思ったけど手持ち資金があんまりないのでどうしようもないんですけど。
募金、義援金という流行に乗って、かき集めた募金の一部をチャッカリ自分の懐に入れたっぽいところや、収束もしていないのに「余った分は外国に.....」なんて言ってみたりするところもあったり、名前は似ていても関係ない人を広告塔として担ぎ上げてみたり。
そういえば「要請が無かったので.......」とか何とか言って乾電池送ってなかった、なんて話もありましたっけ。
そういえば、システムが止まりっぱなしの銀行を、わざとやってるのか嫌がらせなのか知らんけど、義援金の受付口座に指定しているところもあったっけ。
ハイパーレスキューや自衛隊等の方々を始めとする関係者の方々の努力を無にしないためにも、被災地以外の方々は平静を取り戻し、日常に戻ることを第一とするべきです。なんかもう、へたな地震・原発情報は、報道しない方が却ってマシな気にすらなります。
Posted at 2011/03/22 16:40:32 | |
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2011年03月21日
会社によっては多少の違いはあるにせよ、基本的に火災保険に付随する地震保険は国の事業なので、多分保険会社自身は今回の大震災に関して静観している、というところが大部分だろうなあ、とは思っています。共済関係は知りませんけど。
地震保険は、火災保険を契約していることを条件としてプラスアルファで契約できる保障です。地震保険単独では加入できません。元となる火災保険の保険価格の50%~30%の範囲内で保険を設定します。
何で?と聞かれても困ります。上限は50%の金額までという事になっているのです。しかも支払金額は被災時の時価額が上限となります。そういう取り決めです。
でも、新築したばかりという事でもなければ、これでもいいのかな、多分。だって、火災保険自体は基本、建て直した時にかかる金額を想定して設定しますが、地震保険は時価額が上限です。いい頃合の家屋の場合はあんまり気張って保険を掛けても「掛けすぎだった」という事になりかねません。ちなみに私の家も30%までしか掛けていません。古いので。
通常の保険であれば、被災した場合「先ず見積もりを」、という話になります。
ところが地震保険の場合はちょっと勝手が違い、一軒一軒鑑定人が現地に赴き被害状況のチェックシートに被害状況を記入することからはじめます。で、そのチェックシートの合計点数で「全損・半壊・一部損」のどれに該当する被災かを判定する訳です。
その結果、それぞれ100%の支払なのか、50%なのか、5%なのかという区別をし、保険金の支払いとなります。実にオートマチックです。
ところが、保険会社の中には「地震保険の上乗せ補償」などというモノを独自に行っている会社もあります。保険会社の名指しはしませんが、多分それに関しては国のバックアップなしに行っているモノでしょうから、その会社だけは今回は青ざめていることでしょう。どの程度の被害状況になるか。しかも保険料の安い地域でしたから余計に。今回の場合。
以前書いたことがあるかも分かりませんけど、いい加減地震保険の地域別危険度判定は改めるべきです。
地震保険の料率は所謂「危ない地域」から「安全と思われる地域」まで4段階に区分されています。最高危険地域を4等地とし、順々に行って、もっとも安全と思われる地域を1等地と区分しています。で、この区分なんですが。
あいも変わらず東京・神奈川・静岡がトップランクの4等地に居座り続け、近年被災された上越地方は2等地のままであり、今回の常陸・奥羽も同じ区分にランクされています。阪神大震災の地域は3等地。何故か、東南海地震の懸念される愛知・三重は3等地です。
山陰山陽、九州・沖縄あたりは水災はあっても地震には余り縁がないような気はしますが、北海道にしたって十勝沖の地震はしばしばあることを思えば、いい加減この区分を改訂して、今まで妙に保険料負担の重かった地域の保険料を見直し、全体の地震保険加入率(50%弱)をあげることを考えてもいいんじゃあないでしょうかと、ずーっと思い周囲にも言ってるんですが。ねえ?
さて、これらは家屋の損害に関してです。この場は「みんカラ」である以上、クルマの保険における地震災害にも触れておかねば片手落ちになるでしょう。
被災時における保険対応の自分の車の修理は、自らの車両保険で行うのが基本です。で、この車両保険。パンフレットを見るとはっきり書いてあるのですが、「地震・噴火・津波」を起因とする車の損傷については免責事由とする、なんて書いてあると思います。
「免責」とは字の通り「(保険会社が支払わなくてはならない)責(任)を免ぜられる」という意味。簡単に言えば「保険会社が払ってくれない分」と思えば大方間違いありません。
つまり「地震についてはノーコメント。支払いません。噴火も、それに付随する津波も同様、天災だからしゃーナイやん」
という事です。
ところが、よーく細かい文字を追っていくと。多分これはディーラーとか整備工場程度に副業まがいでやっているような保険代理店(失礼な言い方で申し訳ないけど)では知りもしないでしょう。実際私もディーラー時代やアリコ時代に兼業でA○Uの代理店をやっていた時までは、全く知りもしない特約でした。
通称「地震特約」、正式名称(保険会社によって違う可能性はあります) 「地震・噴火・津波危険『車両損害』補償特約」なるものがあります。
これを付けとくと実は地震・噴火・津波でも車両保険が出るんですねえ。または「上記事由に随伴して生じた事故またはこれらに伴う秩序の混乱に基づいて生じた事故」、なんて文章もあります。
ただ、今回の地震由来による原発事故の放射能被害に関してはちょっと判りません。また調べておきます。放射能被害そのものに関しては車両保険の「お支払いできない事例」に明記されているんですよね。
ちなみにこの特約。もちろん単独では付けられません。基本的には「一般車両」保険を掛けた上に、更に上乗せで掛けられる内容のものです。「車対車+限定危険」などでは付けられません。
ザッとした内容ではありますが、御参考にしていただければ幸いです。
Posted at 2011/03/21 12:30:33 | |
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2011年03月20日
医者通いをしていると毎回頭にくるのはその待ち時間の長さです。でも多分、お医者さんの側としては、来る患者さん来る患者さんを捌いていくのに一生懸命で、待合室にどの位の数の患者さんが待機しているのかなんてのは見たこともないだろうなあ、と。もちろん、本日の予約患者のリストなんかは見てはいるんでしょうけど。
昔、浜松医大に通院していたことがあるのですが、あの時は頭にきたものです。朝の9時半の予約になっていたので、こちらとしては10分ほど前には待合室にいる訳です。で、そこから待てど暮らせど一向に名前を呼ばれない苦痛の時間が続く。
1時間が経ち。
2時間が経ち。
更にそこから30分ほども経ち。
いい加減こちらも我慢の限界を通り越し始めていますから、一度だけ窓口に向って「いい加減にしろ」と怒鳴ってしまったことがあります。「一体どういう了見で予約時間を組んでいるんだ!?」とね。
それだけ待っても診察時間は結局5分もかかった例はなく。そのくせ、いつ名前が呼ばれるのか分からないので待合場から離れるのは極力お控えください、なんて来る訳ですから。
尤もその時に「すみません」と言われたのはその時限りの事で、その次の時も相変わらず2時間以上は優に待たされました。
既にメインイベントの手術と入院は終わり、術後経過を見るだけのものとなってもいましたし、入院時に御担当頂いた先生は他院へ転勤されてしまってもいましたので「まあ、もういいや」と、それ以降の通院は自主辞退してしまったんですけどね。
そういえば、似たようなことがありました。
そう、クルマの整備工場です。結局似たような感覚なのかなあ。
例えば午前10時にこれこれ、こういう作業を依頼し、午前中には完了させてくれる予定であったとします。予定通りに行けば若干の余裕と行き返りの道程を考えても午後1時過ぎには納車できると思います、位の事はお客さんに言ってしまっている訳です。
で、実際に車を搬入して待っているんですが、いつまで経っても作業が始まらない。そのうち飛び込みのお客さんが来たりすると、そっちの作業には取り掛かるくせに、時間を予約して先ほどから待ちくたびれているこちらのクルマはそのまま。で、やっと作業に取り掛かったと思えば既に作業完了予定時間の10分前とかね。
で、仕方ないので時間延長のお詫びをお客さんに入れる私に対し、そこの社長が言う事には「メカニックを急かしても良い仕事は出来ない」とか何とか。
いいかげんにしろよ、と何度思ったことか。それでも随分我慢したんですが。
まあ、そういう所とは付き合いきれないので、とある出来事があって以降、仕事の依頼は一切打ち切りました。「カー○ン○ナ○ス~(仮名)」というところでしたけどね。「来る者拒まず、去るもの追わず」ってそこの社長自身が言ってましたからまあ良いのでしょう。これ以上お客さんも振り回すわけには行きませんし。
以降、出来るところは自分で作業をするように体制を切り替え、代わりの業者の手当ても済ませ。
思い返せばこの所為で自分の仕事上の足腰も強くもなりましたので、まあそれはそれで良かった事なんでしょう。
整備屋である以上、クルマの整備が出来ることは当たり前の範疇であって、同時にお客さんを気持ちよく送り出すという面での、心の整備ができているのか?というところに心が砕けられなければいけないんですけどね。
基本的にはお医者さんも整備工場も広い意味では接客業なんだろうな、と思っています。
ただ、お客さんが向こうからやって来るという状態が常態化すると、自分の都合というものがどうしても優先されるようになってしまったり、まあいいや、という慣れが出てきてしまったり。そういうときこそ、ふと振り返ってみる、という気持ちや時間が大切なんだろうな、とは思います。もちろんイケイケドンドンで脇目も振らずに突き進んでいくことも時には重要なんですけどね。
さて、それはそうとニュースで「静岡県から医師団を被災地に派遣する」なんて話を目にしました。
行くのが無駄とは思いません。私たちにも出来ることを、という気持ちの上での行動であることも重々判ります。
でも、基本的にお医者さんもクルマの整備士もそうだと思うんですけど、ああいう技術職の人達というのは「設備や材料・備品が整った場所に居てこそ本領を発揮できる」方々だと思うんですけどねえ。もちろんサバイバルな適性を持つ人もいるのでしょうけど、それよりも本拠地にデンと構えていてもらって、搬送されてきた患者に対して自分の陣地の中で全力を尽くしてもらう方が良いと思います。その分、現地の方々やレスキューの方々には応急処置と患者の搬送に専念してもらう。
余震だって続いている訳ですから、それこそ被災者が増えることにならないとも限りませんしね。原発の事もあるし。
だからこそ余計に原発から半径30キロとか50キロの地域の人とか、津波の被災地域の人を保護し、移送(強制疎開)するのが治安維持や情報の錯綜を防ぐ上でも最優先されるべきだと思うんですが。せっかく救援物資を集めたところで、適切なところに、適切な量を配置しなければ幾らあっても足りなくなるのは分かりきったことでしょうに。
最終目標は「出来うる限り速やかに日常を取り戻すこと」です。その為には被災地以外の方が浮き足立つようなことは慎むべきでしょう。
Posted at 2011/03/20 12:55:36 | |
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2011年03月19日
御無沙汰しております。
本日仮出所と申しますか、経過良好の為自宅静養へ移行ということで退院してまいりました。更新の無いながら、毎日懲りずにお越しいただきました方々には大変申し訳ありませんでした。
一応入院前にスマートフォン(IS03)に切り替え、入院中もニュースのチェックはしてはいたのですが。
何はともあれ被災者の皆様には「大変でした」としか言い様がありません。対岸からモノを言うのは非常に心苦しいのですが、起きてしまったことは仕方がありません。次の出来る事に頭を切り替えるしかないのでしょう。現実的には。
さて。情報の真偽のほどはともかく。
何とか原子力発電所の被害も一進一退ながらも小康状態を迎えているということなのでしょうか。
実際の事はなんとも言えませんが。
しかしながら、入院中に漏れ伝わっていることや入院前に見聞きしていたことに共通して感じられることがあります。
それは、どの情報もどの情報も伝えていることは「その場その場の対応」に終始しているだけに聞こえること。そして、そうした一連の動きの終着点として、詰まる所「何がしたいのか」が一向に見えないことです。そうした言葉も聞こえてきません。
地震が起きました。
↓
大規模な津波が発生しました。
↓
震源地近くの沿岸部に地震と津波による影響で大きな被害が出ました。
周辺地域にも津波が押し寄せました。
↓
震源地近くに位置する原子力発電所にも重大な被害が出ています。
↓
原子炉が制御不能になりかかっていて予断を許しません。
ここまでは、それこそ流れるようにサクサクと状況は進んでしまっていたと思います。そこで先ず自衛隊に災害出動要請をして現地に突っ込んだまではまあ良しとしましょう。
じゃあ、突っ込んでどうする?ここから先が全く見えてきていません。「人命救助」の掛け声は良いとして。助けた後、速やかに救助した人たちを素早く後方へ護送する。先ずは人を避難させる。このために機動力のある装備を完備した自衛隊が投入されているのではないですか?
また、デマや誤報を広めることのないように、どんな状況でもきちんと機能する通信機器を備え、情報をきちんと双方向へ伝達する。余計な口は利かせない。きちんと情報を整理する。このための組織が軍隊ではないんですか。
つまる所はきちんとした兵站線を構築するということです。人を搬出し、まだ残っている人に物資を届け、また搬出する。で、ともかく戦場から人を移動させることが先決です。そうでなくては満足な戦端は開けません。
義援金や寄付、援助物資が山のように集まっているような感があります。
もちろんそれらは被災地に速やかに送られるべきではあるのですが、速やかに被災された方々を後方へ移動できていさえすれば、必ずしも現地へ送るまでの事はありません。空き家の目立つ公団住宅は少なくないように聞いています。先ずは仮住まいとして収容できるだけ収容していくということはやっているんでしょうか?先ずはそこで保護してあげることを第一にすべきだと思うんですが。
被災された方々はもちろん着の身、着のままでしょう。次に困るのは食料です。生活の基本です。援助物資が足りない、というのはともかく、備蓄米ってどうしたんでしょう?先ずはあれを放出するべきなのではないですか?「お米が足りなくなるという事はない」ということをきちんとアナウンスして、ふんだんに流通させる。変なデマを流させない。信用させない。
先ず民間人を安全な場所まで護送し、同時に被害拡大に繋がる重要ポイントを一気に叩く。
何故かこうした順序がさっぱり見えてきません。なし崩しの対処に終始しているようにしか聞こえてきません。
「どうも被害の収まり具合がよろしくないようだから視察にいく」とかさ。
最終決定権のある人がフラフラ居所が定まらなくってどうするの?そういう人は、一箇所にじっと座って
次ぎから次へと「速やかな決断」をするべきでしょう?そういう役割分担なんだから。なんかあったら詰め腹の一つも切る覚悟でさ。それが最高責任者ってモンでしょう。
地位の高く(命令系統のより上位に位置しているという意味)、給料の多い人は責任の多寡に応じてそうなっている(これは国も企業も同様)ワケです。会社における主任や係長・課長なんてのもそう。偉くなったんじゃあなくって、それ相応に判断と責任が任せられるタマになってくれたはず、という期待値の給料であり肩書きな筈です。
「無能な上司」と後ろ指を指されるのがいやならば、自らが有能になるか、組織として有能でいられるための体制を作っていくか、もしくは有能な人に代行してもらい、自らは全権委任者としてその全責任は自らが背負う、という覚悟を決めるしかないでしょう。
余談ですけど浜松祭りが開催中止を決めたようです。
これから以降、今までよりも経済を盛り上げていく為には強制的にお金を回していくことの必要もある以上、あまり意気消沈ムードを煽るような施策は如何なものかとも思います。ここでも結局ヴィジョンが見えないんですよね。これから先どうして行くのか、どうするつもりなのか、という。康友君、人が良いだけじゃあやっていけないんだよねえ、ほんと。
Posted at 2011/03/19 17:24:05 | |
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