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2011年04月18日 イイね!

「身の丈」ということを思う

「身の丈」ということを思う今、ボチボチとアメリカ陸軍のサバイバル教本を読んでいます。こういう本を読んでいて思うのが、「やっぱ、こういうものを作らせたらアメリカ軍ってのは良い物作ってくるなあ」という事です。何から入って、どういうことを目指せばいいのかが非常に明確に指示されています。
まだ始めの方しか読んでいませんが、それでも「サバイバルとは、気持ちのありようを平常に保ち、ストレスに囚われることなく、上手くこれを利用し、健康で清潔な日常生活を送る為には何に留意すべきかを第一にするべきである」といった主張を十分に感じることができます。



1日最低一回は歯を磨け

下着は可能な限り毎日換えろ

靴は適切な中敷を使用して、きちんと馴らしておくべき

足は毎日マッサージをして靴ズレなどができていないかを確認し、天花粉をはたいて清潔にする

頭髪は常に清潔にしておくためにも、散髪をするなり櫛を入れるなりの手入れを欠かすな

爪は長く延ばしたままにしない

衣服の洗濯ができないのなら、日中2時間ほど日に当てるようにしてエアークリーニングを施すこと


などなど。まるで幼稚園児に対する日常の躾けの様でもありますが、こうしたことが細々と指示されています。この本を読んで初めて「天花粉」なんて言葉を目にしましたが、ベビーパウダーの事のようです。要は皮膚を清潔に保つ為に何をしておいたら良いか、ということなんですけどね。これを読んでいたら思わずベビーパウダーが欲しくなってしまいました。


この本を読んでいて思うのは、どんな人が読んでも一定の理解に達することができるようにするためには、という事にとても心を砕いているなあという事です。一般常識を期待していないとってもいいかもしれません。
例えば、話は飛びますが、iPhone。私は持っていないので実際の所は怪しいのですが、あれって、人というものの行動パターンをよく読んでいるなあ、と思うわけです。だから説明書がついていないんだろうなあ、と。翻ってアンドロイドAUはどうかというと、やはりその辺が甘いような気がするわけです。どうしても「このくらいは知ってますよね」的な無意識の期待が透けて見える。


日本の道具は一様に、使う人の練度を要求するきらいがあります。それでも日本人は手先の器用さを以ってして使いこなしてしまうワケですが。例えば剣術にしても道具そのものは簡単ですが、素人と玄人では技量に天地ほどの開きがあるので、たかが棒振りとはいえ素人が勝ちを拾うのにはかなりの無理がある。

じゃあ向こうの人ならどうするか。

竹刀をからりと交える以前に飛び道具で何とかしてしまおうとするわけです。相手が近づく前に撃ち殺してしまう。またその鉄砲にしても、操作ミスが無い様に、確実に発砲できるような工夫を随所に盛り込んでくる。


もちろんある程度の馴れは必要だとしても、でもモノに習熟することに期待するよりは、モノを人間に合わせるというか、人間にとって優しいモノを作ろうとする習性といったらいいか。





こんなことを思うに至ったのは、


日本に原発などというものは過ぎた物なのでは?

と、ふと考えてしまったからです。



向こうならば常に目に入るところに貼り付けられている注意書きや安全手順。
福島には非常時のマニュアルすら存在しなかった、とはどこかで目にした記事ですが、上記の事を思うに付け、さもありなんと妙に納得してしまうのは私だけでしょうか。


判っている筈

考えてある筈

やれる筈


こうした思い込みや他人任せ、一言で言ってしまえば「甘い所」となってしまうんですが、これはもう、根本からして、日本人の風習からして手に負えない規模のシステムだった、ということなのかなあ、と。
もし再び原子力に手を染めることがあるならば、根本の「人を信用していない」思想から入るしかないんじゃあないか?とかね。

ボランティアにしたって、システムとして全体がシステマティックに動いているというよりは、あくまで個人の感想ですけど、個別の活動の方が先行している感すらあります。
事故の状況報告にしたって個別に発表してしまって統制が取れていないのも、「理解してもらう」という発想ではなく「逐一情報は出しているんだから、そっちで理解してよ」という意識があるように見えて仕方ありません。



今回のタイトルは「身の丈」としました。

その「身の丈」を思うにあたり、1つは手を付けないという選択肢もあるでしょう。つまりそれは原発を廃棄していくという方向かもしれません。

もう1つには、身の丈を知り・思いを寄せるつつ、自らを過信することの無い原発を含めたエネルギー政策を真摯に見つめなおす、という事もあるのかなあ、と。自分に火の粉が飛ばないように姑息な事を考える連中は排除して、ですけどね。




「電気が無くてやっていけるものか」とは、電気事業者関連の脅しの常套句です。

でも、ちょっと待て。たかが30年前の生活レベルに戻すだけの事です。洗濯機や冷蔵庫位はあったかもしれないが、電子レンジもウチには無かったし、エアコンも無かった位だよなあ。たしか10歳くらいの時といえば。親父の乗っていたサニーにもエアコンが無かったくらいだし。

というわけで、過ぎた贅沢は身を滅ぼすくらいに考えていた方がいいのかなあ、とも思ったりもします。






Posted at 2011/04/18 12:53:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年04月17日 イイね!

Z4

とあるお客さんに18になるお子さんがいらっしゃいます。今年の7月で18になるという事で、本人は免許を取る気満々で、ついでに今からどのクルマがいいか物色中なんだそうです。

そんな話は昨年末からあったのですが、最近の御執心はZ4なんだとか。









はあ、Z4。













Z4ってなんだったっけ?














うーん。..............おお、あれか。BMWのオープンか。





でもちょっと待て。ハタチにもならん小僧がZ4だと?












正直「冗談も大概にせえよ」とは思いつつ、口には出しませんが、表情には出ていたかもしれません。





で、お父さん。「いや俺は、せめてZ3くらいにしておいたほうがいいと思うんだけど.........

















同じです






もちろん、これも口には出せませんが。
















これは私的なクルマ感です。

オープンカーは贅沢なクルマです。
大概2人しか乗れず、その2人にとってすら大して広くもない居住スペースの車です。その上トランクスペースは狭く、夏は太陽が照りつけ、冬は寒く。雨が降ったら仕方がありません。傘を差さなくてはなりません(幌を閉めるということ)。人間というものは、かほど左様に自然環境には弱い生き物なワケです。つまり快適なクルマとは到底言えません。

今時の車は全てモノコックボディですから、フレームのある昔ならともかく、はっきり言って屋根を切り飛ばしただけのなんちゃってオープンカーは最悪の車でしかありません。
昔あったサイノスやセリカのオープンモデルなどは、後からそういう風に加工したモデルだったと記憶しています。1台1台持ち込み車検のクルマじゃあなかったかな。で、たしかオープンモデルになると150キロほども重くなってきたように思います。つまりそれ位補強を施さないとまともなクルマにはならなかったということです。もっともそれでも大したクルマだったという記憶はありませんが。

つまりそういう意味でも良い車とは言えません。

ただし、オープンカーにはクローズドボディでは得られない気持ちよさがあるのも事実です。屋根のない開放感はサンルーフ如きでは得られようがありません。また元がクーペモデルを基本にしますから、オープンにしたときのスタイルの良さもまた格別です。そういう意味において別世界を味あわせてくれる車です。
前述したように、なんちゃってオープンでは車の性能劣化はいかんともしがたいものがあるのですが、専用ボディで設計されたオープンカーなら、運動性能とスタイルが非常に危ういレベルで並立させられる可能性があります。ただ、その数が狙えるとは到底思えないゾーンに、そこまでの力が振り向けられるのか?という点が非常に微妙なところなワケです。

そういう色んな要素が非常に上手く噛み合った稀有なクルマが初代ロードスターでした。

実用性は無い。でもカッコと座った時の気持ちよさは超一級品。で、動き出すと、そこからが運命の分かれ道となるんですが。


こんなクルマを日常の足にするためには根性と愛情が必須です。
「こんなクルマに乗ってきて」と、周りの人に言われる可能性は高く、冠婚葬祭に向くクルマではありえません。まあ、まだ黒系の色ならともかく私の場合は黄色ですからね。つまりどこに乗っていってもいいクルマとは言い難い訳です。

また、この高温多湿で、しかも四季の季節変化のあるお国柄では非常に困ることがあります。つまり、クルマというものは基本的に雨や湿気に弱いものだからです。特に室内。
もちろん折りたたみ式の屋根はあるものの、これは所謂コウモリ傘でしかありませんから、恒久的な装備ではありません。ダメになってきたら張り替えていくことを前提とした装備です。そういう奥ゆかしくも大らかなものなんですね、幌って。
それを思うと、電動ハードトップ(リトラクタブルハードトップ)とは、オープンカーが日常で生きていくための進化系といえるのかもしれません。人に優しいオープンカーと言ったらいいのか、敷居が低いオープンカーといったらいいのか。

こういうクルマを所有するにあたって、一般的な解決策は2台所有することです。フォーマルとラフといったらいいか、オンとオフといったらいいのか。
これはクルマの維持費というお金の面でもそうですけど、同時にいつも2台置いておけるスペースを確保していられるということでもあります。

でもこれは中々現実的に厳しいことかと思います。私自身もいい加減、ナンバーを切ろう(一時抹消という意味)かな、と思うくらい。




それほどまでに贅沢なオープンカーなんですが、果たしてそれを「親のすねかじり」がやっていいものなのか?とも思うわけです。別に全否定するつもりはありませんし、夢想するのは勝手なんですけどね。
それでも、まともにクルマも動かせんガキがそういうところから入ろうとするのはどうも不健全に感じてしまう私です。しかも「Z4かよ」とね。いくら中古で本体は安く買ってこようが、修理代は新車の金額に比例した御代となりますしね。






せめてロードスターにしといたら?それもRHTの。色んな意味で後悔せずに済むと思うけどなあ。


後戻りが効かない博打は避けた方が上策ってもんだと思うんだけど。









閑話休題。




まあ、クルマもある意味骨董に近いものなのかもしれません。

素人さんが手を出すのは勝手だけど、騙した・騙されたはあくまでも自己責任で「騙された方が悪い」みたいなね。相手の無知に付け込むつもりはありませんが、クルマに関して多少の目端が利くところから、そこで利ざやが取れているということだってあるわけだし。
また、世評やテレビなどで「良い、良い」といわれ、ビックリするような値がついたとしても、それは誰の為の評価なのか?とはいつも気になる所です。

もちろん売却する分には高い値が付いたほうが良いのはもちろんですけど、「金額が高い」事に対して良い悪いなのか、自分にとって良い物と判断できるから良い品物で、必要のない、過ぎたものだから評価が低い、となるのか。あまりその評価基準を外に求めすぎる世情は薄っぺらいなあ、とか。


また一方で「クルマの評価基準とはこういうもの」とお節介にもなってしまっている自分を横で見て、年を喰ったなあ、とか。そんなところで権威付けとか先輩面をしなくってもいいじゃないか、という事も思ったり。言われる当人にとっては余計なお世話でしかないですからねえ。
所詮他人事で、それが商売だし、人が欲しがるものを持ってきてこそオマンマが食えるという一面も否定できなかったりもするし。




なんか最近は爺臭い考え方ができるようになってきたなあ。
Posted at 2011/04/17 16:38:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年04月17日 イイね!

ちょっとオーディオ環境を変えてみようかな、とか

ちょっとオーディオ環境を変えてみようかな、とか私が普段過ごしている事務所内のオーディオ機器は、画像にもあるとおりBOSEのウェーブミュージックシステムのみです。他には、強いて言えばパソコンのiTune内にある音楽データをパソコンのスピーカーを通して聞くくらいでしょうか。別にこれで不満があるわけでもないのですが、しばらくこのままで過ごしてきましたので、せっかくの機会ですから、気がついたときにちょっと変化をつけてみるのもいいかなあ、と。


自己紹介欄もあるとおり、今現在は殆ど稼動していませんが、自宅の2階にはもう一通りのオーディオシステムが眠っています。
ソースはCDのみの、ハードは最後のSONY製CDプレーヤー(ESシリースとしてのCDプレーヤーとして)CDP-XA55ES。これ以降は全てSACD兼用なんですよねえ。

アンプは今は亡きクリスオーディオのプリとパワーです(一時チャンネルディバイダーなるものを入れて...なる無謀なことも考えましたが、まあそれはそれで、もういいやという事で止めました)。
アンプキットとして発売されていた手作りアンプの曰く付きの製品。残念ながら、そろそろ買っておこうかと思い立った時には「時既に遅し」で、創業者の桝谷さんは鬼籍の方となられていましたが、なんとか中古品を手に入れることが出来ました。
思い返すとアンプって新品を買ったことないんですよねえ。そういえば。

スピーカーは既にメーカーとしては無いも同然となってしまったダイアトーン DS-1000です。気持ち的には2000番とかHSとかその後の物も考えますが、まあそれはそれでキリもないので、シリーズ最初の心意気を買うことにしました。
もっとも未だにパイオニアのバーチカルツインの名機として名高い「S-1000 twin」には後ろ髪を引かれっ放しですが、これはまたこれで縁があればまた出会う時もあるでしょう、ということで今は気持ちを封印しています。実は先日見つけてしまったのですが、まだ売れずにあそこにあるのかなあ?




お客さんの中にはタンノイのウエストミンスターと思しきスピーカーをお持ちの方とかもあったり、御自宅にオーディオルームを完備されている方とかもいらしていて、色々なウンチクを拝聴します。
曰く「スピーカーで8割が決まる」だの「いやいや、プリアンプで8割ですよ」とか。中にはDAコンバーター単体で云々かんぬんとか。

結局情報の8割を視覚に頼る人間だからこそ、比較すれば鈍い解像度しかない聴覚に関してあれこれ言ってみた所で誰もその違いがはっきり判別できるわけではない、というところに堂々巡りの魑魅魍魎が跋扈する隙間があるわけなんです。個人的にはそう割り切っています。

大体が、ここであれこれ言ってる人間である私自身が実際の演奏であるコンサートホールに殆ど行った事が無い訳ですから、生演奏の再現性に関してどうのこうの言えるわけがありません。つまりは根拠が脆弱な以上、せいぜいが「こんな気がするなあ」という程度以上ではありえ無い訳です。

あーあ言っちゃった。

もう1つ言っちゃうと、ソコソコのオーディオシステムが揃えられる人となると、それなりに歳経た方々であることも珍しくありませんから、そうなると聴覚がどの程度?ということもあったりしますしね。
まあ、私のように絶対音感すら定かでない人間に言われたくないと言われれば引き下がる外ないのですが。


そんな私からしたら、音源はiPodで十分です。もちろんCDであればそれに越したことはありませんが、アナログレコードでなくってはダメだ、という人には「宗旨が違うから」以上に言う言葉はありません。





変えようと思っているのは、せっかくあるアナログ機器をもう少し活用するようにしたいね、という程度です。基本的にはデジタル音源でありさえすれば、大本がCDである以上、そこまでは横一線であると考えています。この時点で違うとすれば、そこから更に1歩手前の「録音段階」の品質の差でしょう。おそらく。
平成の頭頃のCDは何気に音量が小さめですが、これはCDの規格云々という事ではなく、技術レベルがその程度に留まっていた、ということのようです。平成10年前後を境に録音できる音量そのものが劇的に改善されているようで、この時期以降のアルバムではおしなべてダイナミックレンジが上がっているように感じます。




小難しい理論や数字の話になると追いついていけないのはいつもの事ですが、オーディオ機器とは基本、レベルを揃えることに尽きるのかな、とは思っています。何か一点だけを引き上げても結局その前後がボトルネックになりがちです。

前述の「スピーカー8割」にしたところで、よく聞く音量や部屋の大きさからした最適口径(容量=箱の大きさ)はあるはず、と思っています。箱はなくても、よく動く振動版がこれに変わることも出来るでしょう。
その辺のバランスが良く取れているのがBOSEのシリーズだと思えば納得のしようもあるものです(上限を決めて、その中での最適解を出すことに全神経を注ぐという商品構成)。

アンプに関しても、所詮普段聞ける音量がせいぜいが2~3ワット以下ですから、大きな出力を扱うのに長けた素子や回路を使うだけ無駄と思えます。



クルマのオーディオでJBLとかマッキントッシュを使うものがありますし、メーカー純正でそうした仕様のものもあります。でも、実際にそういうクルマを何度か納めさせて貰って思うのは、所詮見掛け倒しだな、と。元々が車の車内そのものがオーディオ空間として最悪に近いですしね。
やはりああしたメーカーさんの製品は「大広間(の様な整った空間)で大音量を奏でる」のを主戦場とした製品が主ですから、場違いな所に借り出された所で、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまうものです。正直「なんだこりゃ?」ってのが大半でしたしね。




そんなことを考えていると「部屋を大きくしないと意味がない」とか、「そもそもがウェーブラジオで十分なんじゃね?」とか思っちゃったりとか。これもまた堂々巡りだなあ。
Posted at 2011/04/17 14:01:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年04月14日 イイね!

就労形態・様式の無駄を思う

サラリーマンだった頃。

いつも通勤時間を無駄に思いつつ、でも片道20キロ以上の通勤距離を飽きもせず(飽きてはいましたが)毎日通勤し続けていました。
中には、どうあってもいつもの通勤路を変更することなく、ずーっと同じ通勤経路を死守するかのごとく通い続ける猛者もいましたが、私は飽きっぽい性格のためか、常に「もっと良い道はないものか?」と、延々と違う道を模索し続ける人でしたので、絶えず通勤経路を変える奴でした。



そんな、より良い通勤経路を模索し続けた日々の果てに辿り着いた事実は


「結局、信号機の可能な限り少ない経路を行く方が早い」


「雨の日はヘタクソ運転手による送迎渋滞に気をつけろ」


「土日だったら、ちょこまかといつもの道を行くよりは、大通りを男らしく一直線に駆け抜けたほうが早い」



の3点ですかねえ。



ただね。
やはり理不尽に思うのは、「この大渋滞の方向がチョコットでも逆になれば、随分楽になるのになあ」と。つまり東方向に行く奴は、もう少し勤め先が西にずれていれば。南方向に行く奴の家なり職場なりがもいう少し近づけば、どんなにかこのクソ忌々しい渋滞が少なくなるだろうに、というね。


で、やっとの思いで営業所について、いつもの苦虫を噛み潰したかのような顔をした所長に顔を合わせ、くだらなくてクソ長い朝のミーティングという禊を終えるとやっとこさ開放されるわけです。

でも却ってやる気を削ぐ為だけに営業所に毎朝通うくらいなら。いっその事家からそのままお客さんの家に向かった方がナンボかというより、はるかにマシな表情で以って外回りが出来たろうに、という事も何回思ったことか。
まあ、営業所に来てくれるお客さんしかアテがない、じゃあ昼間何やってるの?としか思えない連中はともかくとして。私のように、殆ど営業所には居着かないような営業は通勤ってなんなんだろうとね。
正直、携帯電話を持つようになるとますます営業所の意味は薄くなっていきました。直接電話を掛けたほうがお客さんとしてもストレスが減りますし、こちらも意向が掴みやすいし。



平成10年ごろ、セールス用に個別の営業システムが導入されました。当時PAL(ぱる)と呼ばれていたものです。当時セールス一人分で30万とも50万ともいわれた投資でした。
本来ならば、それに見合う効果を期待されてしかるべきだった筈ですが、未だに何のために導入されたのか理解できません。

人員が整理できたわけでもなく。

事務が効率化したわけでもなく。

それどころか、ただ単にやることが増え、やらされることも増え。尚且つ、おためごかしというか、言うなれば上役どもに「見せるための仕事」が増えただけの事でした。

まあ早い話、仕事の贅肉が増えただけといってもいいでしょう。


もちろん、正確なデータの記入がなされていれば、それはそれなりにデータの活用法はあったはずです。サービス入庫データや代替情報は逐次、各お客様情報として自動反映してきていましたから、これに加えて日々の活動記録の入力が信頼に足るものであったならば、「歩きが少ない」「入庫率(リピート層)が悪い」「紹介が多い」「成約率が高い」といった各数字の根拠も追跡できる道理です。
ですが、暇人集団である上層部の御眼鏡に適う為にはそれなりの行動実績でなければ御立腹の一因となってしまうわけです。となれば下っ端共としては勢い、データ改ざんに走るしかありません。

まあ、結局今までの実績数字は、実態からすれば僥倖の上に更に僥倖が重なっただけの「綱渡りの実績でしかなかった」という事なんですけどねえ。もっと言えば時代がよかったというか、時代の手の平の上で躍らせてもらえただけと言ってもいいかもしれません。
セールス(メーカーも)の基礎体力が目に見えて落ちている」のを黙って見ているしかなかっただけなのか、それとも状況に踊らされるのに忙しすぎて、全く状況把握ができていなかったのか。


まあ、どっちでもいいですけど。なんか読み返してみると、とてもクルマ屋の事務所内だけで繰り広げられていた光景に思えないんですが。




こういうのを笑うのは楽なんですけど、身の回りに無いですか?こういう状況。

私的には、こうした無限ループが馬鹿馬鹿しくなってサッサと身を引いてきた側ですからこう見えるのですが、こういう

前年同条件を繰り返すためだけに費やされる燃費の悪さ

って、決してその他の企業でも少なくない光景だと思うんですけどねえ。ここまで通信インフラが整い、パソコンの情報処理速度も侮れないレベルとなってきた現状を見ると、「さあ、みんな一緒になって頑張りましょう」的な集合オフィスってどこまで必要なのかな?とは疑問に思うところです。
工場における消費エネルギーは「あーでもない、こーでもない」と言われていると思うのですが、人間の事務品質における生産向上って意外とというか、設備投資額のワリには大きくないような気はしています。それよりも頭数(雇用人数)の維持が先にあるような気が。

もういっその事「ここまでの人数は要りませんから」と言っちゃうとどれだけ楽になるか、とね。

そうした動きに付いて来れない人は、それなりの単純労働者になって貰う方が本人にとっても、さらには周囲の人間にとっても幸せになるような気がするんだけどね。色々批判されやすい言葉だとは思うけど。

でも単純に「お年季が長いので.....」はもう通用する時代じゃあないと思うんだけどな。



果たしてどこがボトルネックで、それは結局誰の面子を潰さない為の物に成り果てているのか、という事は真剣に考えてみる価値はあると思うんですよね。

それがひいては電気の節約とかいう部分にも繋がると思うんだけどな。



もちろん効率一辺倒マンセーとまで言い切るつもりもないんですけど。
Posted at 2011/04/14 19:51:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年04月13日 イイね!

疑心暗鬼の悪循環

「浜松祭り開催中止」の現況を昨日聞いてきました。

どうも当時、関係者間で「開催か否か」のお話をしたのはしたらしいのですが。
あまり深い考えもないままに「まあ、やめてもいいんじゃない?」的な会議の内容であった事がそのまま談話として誰かさんの口から出てしまった事もあって、誰も責任を取りたくない、引くに引けない状況になってしまった、というのが主な経緯のようです。

どうもその会議の議事録すら「ありません」「出せません」の一点張りのようで、出席者のだれもがその後の予想や影響を深く考えた形跡が無いようなんですね。

で、ふたを開けてみたらエライ騒ぎになってしまったもんだから、誰も恐れをなして責任を取りたくもないし、中止しますという声明文を出したっきり誰も表に出てこない。
でも、止めますということだけは発表しちゃった以上、一部有志による自主開催の黙認も出来ず、「類する行為をしたところ(町)には来年ペナルティを課す」なんて戒厳令も出ているようです。悪循環ですね。

一部地域では「ガンバレ東北」の凧を作ってそれだけを揚げる動きも見せているようですが、そこで問題なのは「一切町名を出さない」というところで、仮に天竜川河川敷なりに場所を移したとしても町名の無い法被なんか誰も持っていないでしょうし、バスもないぜ?とか。どうせみんな飲むわけですし。あの格好で、あの雰囲気で凧を揚げるのがいいんでしょうし。


よく浜松の事を「やらまいか」の心意気でとか言いますし、たしかに方言として「やらまいか」という言い回しは存在します。

けど、この件に関しては「やらまいか」じゃあなく「やめまいか」だよなあ。




今回の市長選挙にしたって「誰かがやるんじゃあないの?」という雰囲気というかさ。自分でやろうとするのは「止めまいか」だよなあ。で、誰もが息を潜めて出方を伺っていたら、みんな同じ事を思っていて。


でも、民主主義においては「反対の自粛」は賛成という理屈なんですよね。あーあ。



Posted at 2011/04/13 11:16:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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何シテル?   01/14 11:39
どノーマル車が好きなので、派手なカッコにしたりとか、ボディへのお絵かきはしません。中味もそのままです。仕事が暇な時はクルマを磨こうかなあと思ったりもしますが、大...
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