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h.shibataのブログ一覧

2011年08月11日 イイね!

懐中電灯

懐中電灯懐中電灯が欲しいなあ、と思っています。もちろん今までも幾つかの製品は使ってみました。

小学校の時に、そろばん塾に行く際に使っていた大型の懐中電灯は明るかった記憶があります。多分電球そのものは当時一般的なハロゲン球だったでしょう。電池は単一電池か単2電池4本くらい飲み込んでいたような感じです。

という事は6Vかあ。

お次は確か中学校くらいの時だったと思います。例によってこういう変わった品物選びには兄貴が登場します。で、兄貴がやって来て言うには「コレがすごいんだ」と。

それがマグライト。

アルミボディのスリムな形態と、装備された電球は当時ものめずらしいクリプトン球。コレが明るいんだ、というわけです。しかも電球の予備が本体内に内蔵されているという親切設計を、さも自分で設計したかのごとく、というほどでもなかったかもしれませんが散々自慢されました。こういう幼少のみぎりに吹き込まれた自慢話はよく覚えているものです。
もっとも、その記憶が息を吹き返して実際に私がマグライトを買ったのは30も過ぎたおっさんになってからでしたが。


で、実は私がマグライトを買っていた頃、とある発明品が実用段階に来ていました。HIDランプですね。皆さんが大好きなキセノン、ディスチャージなどと呼ばれる放電型のライトです。
で、コレを装備した懐中電灯も開発されていました。私はその存在を知りませんでしたが。


でまた、さらに時代は下り、今度はHIDよりもさらに高輝度な光源が実用化され始めました。LEDです。



手始めに私が買ったLEDの懐中電灯はスーパーファイヤという名前のものです。中国製なのでそれほど高いわけでもなく(それでもかつての懐中電灯の感覚でいくと高いのですが)、割と明るいので、まあこれでいいか、と思って今でも使っています。

で、コレを私用と嫁さん用に一本づつ。

でもねえ。
判っちゃあいたんですけど、このスーパーファイヤ。オリジナルというか元ネタの製品があるんですよねえ。で、どうもその製品が気になって気になって仕方が無い。
それがアメリカ製の懐中電灯です。またしても軍隊および警察用途の正規納入品でもあるSUREFIREという会社で作られている製品。


当時も調べてはあったんですが、コレがまた高いんですよねえ。写真のブツで国内定価が3万3千円也ですからね。電池はカメラ用なんかによくあるリチウム電池の3Vを2本使います。

ちょっと、今日改めて思い出すことがあってこのSUREFIREを調べていたんですが、いろいろ見て回るうちにアメリカで売られている定価らしき金額を発見いたしました。

なんと189ドルだそうです。

え?ちょっと待って。さすがに円高過ぎるこのご時勢ですからまあ、一応1ドル85円で計算したとしても1万6千円少々じゃあないの。さっきの定価はいつのレートだった頃の価格なんだ?

まあ、買うなら今かもしれない、とも思うわけですけど。ずーっと探していたら、この価格なら、と思うお店も見つけました。


電池も純正品を売ってますけど、向こう定価で22.5ドルって書いてあります。しかも12個入りで。やっぱり国内価格ってサギみたいなもんだなあ、と思うのは私だけなんでしょうかね。
勿論、本国からの仕切り価格も何も無い状態だと、せっかく一個売ったら最低いくら位は欲しい、というお店の事情もわからなくもないんですけど。



まあ、現実問題からすると今の為替レートがおかしい状態であって、実情からすると本来は1ドル200円くらいが本当のところなんじゃあないの?という気はしてるんですがね。


さて、どうしようかなあ。SUREFIRE。今度こそ本物に行こうかな。
Posted at 2011/08/11 12:23:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月08日 イイね!

ペーペー時代に私が教えて貰いたかった事 

足跡を辿らせて頂いている中で、上司と部下のコミュニケーションについて触れている文章を目にしました。その中で「上役の人は精神論をぶっているが...」という箇所があり、ああ、どこも同じなんだなあ、と。



今回も結論から行きましょうか。私がペーペー時代に教えて貰いたかった事。でも決して教えてくれなかったこと。それは。


新車営業のソフト面の話や精神論は散々聞かされても来ているし、正直これ以上はどうでもいいので

「どうやって仕事を進めたら良いのか」というハード面を教えてくれ


と切に願っていました。でも結論からすると誰も教えてくれなかったし、誰も教えられなかった、というのが本当のところです。



まあ、厳密に言ったらサワリの部分を教えてくれた恩人とも言うべき人は居ました。まあ、ここで実名を出しても差し障りがあるとも思えませんので書いちゃうと江間所長。あの人には今でも感謝しています。

あの方は激情家でもありましたので、怒鳴られたこともずいぶんとありましたけどね。

でも、ご一緒させていただいて半年ほどで他の営業所へ転勤されてしまったので、出来ればもう少し鍛えていただきたかった。そういう稀有な経験をさせていただいた恩人でした。何とかかんとか成果もボツボツと出始めていたときだったのにねえ。「柴田、俺は多分今年いっぱいで転勤になる」と告げられたときには、正直つらかったです。「所長。出来ればもう1年くらいは教えていただきたかったです。」って言いましたもん。

まあそうしたお涙ちょうだい的なお話はともかく。

何度かこのブログでも書いているとおり、新車営業というのは配属された営業所のある「場所」と、配属された(もしくは転属した)時期・タイミングが、後の命運の大半を決する、といっても過言ではありません。
もちろん、本人の努力を全否定するわけではありませんし、上記の条件が揃っていたとしても「いくら売れている時代であったとしても、それでも売れている奴と売れない奴との差は厳然としてあった」事は否定しようの無い事実です。


ただ「それでも.....」なんですけどね。



これは学校の先生なんかでもそうだと思うんですけど、知識があることと、それを伝授する技能や理解させる能力というものは必ずしも一致するものではないと思うんですね。個人的には。
こういう話を書くと思い出すのはノーベル賞をとった湯川博士のことです。湯川博士の講義は、学生にとっては評判が悪かったようです。今時ならばマイクを使った講義もあるでしょうけど、小声でぼそぼそしゃべるので「何を言ってるのか聞こえなかった」とか何とか。


話を新車営業に戻すと、売れた営業さんというのは、たいがい何かしら売れる理由をもっている人が多いです。強力な業販先を持っているとか、元々が来店客の多い営業所であるとか、メーカー傘下の子会社が近隣にあるとか。あるいは長年営業をしてきた人が退職もしくは栄転して業務課長になったりとか。たまたまそういう時期に転用になったとか、配属されてきたとかすると、まあ黙っていてもいつの間にか数字がついちゃっていたりするとかね。
でも、その人の努力で数字が伸びたわけではないので、結果としては営業所全体の数字は変わっていないんですけどね。

で、そうした恵まれた環境や時代に知ってか知らずか後押しされた人ほど、そうした売れる循環を自分で作り出すことに気を配る必要も無かっただけに「気持ちが足らん」だの「目標数字に対する責任はどうなっている」だのと、売り手側の気持ちをまくし立てることに終始してしまう結果となっているわけです。まあ、それしか知らないというわけですね。


ところが私のように日陰ばかり歩いている人間からすると、そういう状況の人間に教えるべきは精神論や礼儀作法、購買心理の7段階とかの座学云々はどうでもよくって、まず注文書を書く場にまずは多く立たせることだと思うんですよね。数字を付けるだけではなく、その場に立ち合わせる。もしくはそいつに作らせる。

次にやらせるべきは、仕事のサイクルをきっちり作らせること。
「気持ちをこめて飛び込み訪問200件行って来い」だけではダメです。どうせ成果がすぐ出てくるわけでもないですし、断り文句ばかり毎日聞かされ続けるようではすぐに気が滅入ってきます。
最初のいわゆる「初回訪問」は誰にでも出来ます。この地区の担当になりました、位の文句なら誰にでも言えます。ところが2回目以降の話題はありません。そこでどんな話をし、どういう回り方をするのか。どういう開拓をするのか。どうやって開拓できたのか。
私が当時知りたかった事はそこなんですが、誰一人としてそこに触れた人は居ませんでした。「とにかく行って来い」それ一辺倒だったなあ。



営業成績が良かった イコール 仕事に対する引き出しの中身がいっぱいある


という図式が必ずしも当てはまるという訳ではありませんから、「成績が良いと出世が早い」と錯覚するのも考え物なのかなあ、とか何とか。その「成績の良さの中身」ということを十分に吟味しなおす必要はあるんでしょうねえ。数字の分析といってもいいのかもしれません。
ただコレを馬鹿正直にやってしまうと、実情が白日の下に晒されてしまうという事にもなりかねませんから、それはそれで歓迎されない原因にもなるのかもしれません。自身の成功体験は美しいままにしておきたい、というのもこれまた人情ですからねえ。


Posted at 2011/08/08 10:31:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月07日 イイね!

仕事する気が無いのならさっさと辞めろ

えー、日銀についてです。
財務省のお猿さんまで話を広げると、そのほかの死刑執行命令にサインしないサボタージュ大臣とか、あまりにも仕事ができなくって解任させられたと思っていたらひょんなところでいつの間にやら復活している人とか、一週間くらいしか記憶容量の無い人とかさ。まあ、話が終わんなくなるので。



まだまだ円高気配が濃厚な近頃の情勢です。

もし仮に。
日本製品に他を圧倒するクオリティと、それが一目でわかるだけの差別化が図られ、既にそれが確立されているのであれば、ぶっちゃけ1ドルが50円になろうがなんだろうが恐れるものは何もありません。「ほら恵んでやるぞ、欲しけりゃあ買ってみろ」で良い訳です。それでも製品は売れていくでしょう。
ある意味、1ドル360円時代や250円時代などはそういう時代だったといえるのかもしれません。そこまで開きがあったとしても、やはり向こうの製品が欲しかった時代だったし、それだけの開きもあったのでしょう。多分。

ところが。現実にはそこまでの差別化はなされておらず開きも無く。大体において無批判に「外国製品マンセー」な人が溢れている日本国内の情勢なわけです。たかが塩ビ製のキーホルダーとかの何処にそこまでの価値を見出せるのか私のような唐変木にはトンと理解できません。もちろん、そこの本気が詰まった製品もあるのは知ってますので、それには感服しますけど。


もちろん、いろんな思惑や結果の積み重ねが今の状況を生み出しているのは事実なわけですけど、それにしてもこんな状況下で果たして日本製品が競争力を維持出来るのけ?と感じぜずにはおれません。
もちろん、数ヶ月先までの為替予約によって外貨準備はなされているのでしょうけど、買う側の下々からすれば、おんなじ商品が日々値上がりしていくわけですからねえ。

まあ、イヤーモデル制とかで年々その製品がクオリティアップしていくのが非常にわかりやすく提示され、実際に実も伴っているのであれば信を置くに足る、ということにもなるのでしょうけど。でも日本製品って、モデルチェンジ下手だからねえ。


じゃあ、単純な解決策は何?と考えれば、一つは「もう日本円での決済は止めにして、ドルならドルの決済としてしまい、決算報告もドルで行う」というのがわかりやすいところかなあ。日本円換算である意味を何処まで見出すのか?というところになります。


円が高い。円安に誘導したい、ということは単純に100円なら100円の価値を150円なり200円の価値と同等にしてしまえ、ということですよね。経済に疎い人間からすれば、だったら「円」という通貨の供給量を増やせば良いんでねえの?と思っちゃうわけです。、価値の原資は変わらず、それを倍の紙幣で表現するということですからね。
既に日本史の世界では、江戸時代に寛政の改革だったかで似たようなことをしています。小判の改鋳ですね。小判の金含有量を減らして2枚の小判を3枚にしちゃうというやり方。もっともアレは通貨の流通量を増やす理由の出発点が違いすぎますけど。


中央銀行の市場調整方法の有力な手段として挙げられるのが、公定歩合というか政策金利の調整なんですけど。
既にずいぶん前からコレ。実質ゼロ金利政策を続けすぎていて、日銀の連中、まったく仕事をしていません。少なくとも私の印象からするとそう思えます。

下げてしまったら、適度な時期に元に戻していかないことには「調整幅」が作れる訳無いでしょう。ある程度の調整幅があるからこそ、市場金利を動かす意味もあるわけです。床に這いつくばってしまっているばかりでは、それ以上、下げようが無く、そこからは上げるしかありません。
なんなら、マイナス金利にでもして、銀行に預けておくと徐々に預金が減っていくようにでもするかい?とか思っちゃいます。そんなことすれば銀行預金なんかする奴が居なくなるだけでしょうけど。

もっとも、今時の普通預金金利は「0.02%」(静岡銀行の場合)という笑ってしまうような金利ですから、「預金してくれなくって結構です」と銀行に言われているようなもんですけどね。とあるコラムで「銀行にとって『お金を預かる』という行為は既に負債を抱え込むのと同じだ」という文章を目にしたことがあったけど。
そういえば通貨供給量を震災復興目的で増やす、というニュースはどうなったんですかね?結局倉庫に札束が積みあがっているだけなんでしょうか?

それでも貸し出すときは3.4%とか4.3%とかの金利を取っているわけですから、その仕入れ率の低さを思うと腹も立ちます。100万円を預かるために預金者には200円しか払っていないくせに、それを誰かに貸し出す際には34000円ってことですからね。利益率たけーなー。あんたら抜き過ぎってほんと思います。桁が違いすぎるもんなあ。だから銀行って嫌い。




んで話を戻すと、連日の円高ニュースに対して「重大な関心を持って注目している」って言うだけでしょう。所詮他人事だとしか思っていないんでしょうね。自分のお尻に火が点いてからでなければ何もする気は無いって言っているようなもんだなあ、と。






私は基本的に団体競技が苦手です。小学校のときは部活動が強制加入でしかもサッカー部しかなかったので、仕方なしにサッカー部に所属していましたが、嫌だったなあ。
何が嫌かって、個人競技であればミスはあくまで個人に帰すだけですから、私が悪かったのね、で終わる(もちろんチームの総合得点なんかもあるので、まったく関係なしという訳にはいかないのですが)わけですけど、団体競技となると、下手にでしゃばった動きなんかすると、他のみんなの足を引っ張ってしまうことも往々にしてあるわけです。まあ、逆に足を引っ張られることも往々にしてあったりもします。そうなっちゃったりするとね。どうしても萎縮してしまうわけです。

で、萎縮するとどうなるか。

ずるがしこいのは今も昔も変わりませんから、こういう場合、なるべく致命的なミスに関わらないようなポジションにいようとするわけです。ずるいですねえ。パスを受けたとしても、なるべくならあんまり長く持っていないでさっさと次の奴に回してしまう、ですとかね。もたもたしたせいで、私がボールをとられたら、私のせいになる。だから、ポジションはバックが多かったですね。それもパス回しを要求されるセンターでなく、左利きでもあったので左のバック。

で、こういう経験をしていると今の日銀の歯がゆい姿勢も納得できる部分があったりします。つまり、彼らの腹の中はおそらく

何かをして文句を言われるくらいなら、何もしないでじっとしていた方がお得


コレですね。


先日の市場介入もいわば予定調和でしょう。今このあたりで何かしらやっておかないと、いくらなんでも文句が出そうなので、とりあえずやっておいた。それだけ。


普通、素人考えでもああした介入は十分な根回しの上で、一人芝居にならぬようにやらなきゃ意味が無い様に思うんですけどね。
おそらく今後の市場介入があったにしてももう一回くらいポーズとして行う程度で、揚げ足を取られない程度に終わるんじゃあないのかな、と予想します。


まあ、サッカーで後ろ指刺されないようなプレーしかしてこなかった奴に言われたくもないでしょうけど、国債償還やデフォルトが怖くて公定歩合も満足にいじれず、日銀の独立性が云々といいながら、じゃあ日銀としてはこれからどうするの?というビジョンも出せず、中央銀行として政府に物申すことすら満足に出来ないし、するつもりも無いようにしか見えないのなら。


だったら辞めろよ、この給料泥棒



って言っちゃあいけないんですかね?
Posted at 2011/08/07 18:51:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月04日 イイね!

それぞれの視点

基本的に、公平な視点などはありえないという話です、なんですが。

いくら公平な視点がありえないことだとはしても、あからさまに一方的な視点の肩を持つのもいかがなものかとは思います。まあ、最近はテレビもろくすっぽ見ないのでなんですけど、フジや日テレあたりで見られるらしい「韓国寄り」の画面構成や現政権与党に妙に優しい報道姿勢に関する印象です。



たとえば、台風に関する気象情報。アレって間違いなく地域的には東京視点報道ですよね。
日本接近、という段階で沖縄近隣の模様を放送するのはともかくとして。そこを過ぎるとわりあいありがちなのが、既に通過点扱いに格下げ扱いになる台風直近の沿岸部情報です。しかも大概がいつもの定点映像。静岡近辺で言うと用宗海岸とかさ。

私的には浜松・浜名湖沿岸部在住なので、今切口とか舞阪漁港・遠州灘海岸・潮見坂近辺とか、その辺の映像の方が良いんだけどね。
でも、悲しいかな県庁所在地にそうした報道機関の本社が集中する傾向にある(FM静岡・現K-MIX本社は浜松だけど)ので静岡市近辺のわかりやすい海岸端ということで用宗海岸なんでしょうねえ。

で、話を戻して台風報道。

やはり東京視点なんで、紀伊半島沖合いとか、遠州灘・駿河湾近海とかその辺で上陸、という時点の報道はヒートアップするんですよねえ。でも台風って過ぎちゃうとドピーカンになっちゃうので「神奈川・東京に接近中」なんて言ってる頃には浜松的には「どうでもいい感」満載で「ええ?まだ台風報道やってるの?」って思っちゃって。
でも、やはり東京のピークが過ぎると台風情報も過ぎ去った過去になってしまうんですよねえ。もう「どうでもいいや」みたいな。明らかに露出度数が減る。茨城以北の地方的には、これからだってのにね。あからさまに東京在住の人間にとっての視野ですよね。イコール東京に集中しているTVのキー局の人間にとっての、という視点。




「みんカラ」の世界ってのは、「みんカラ+」には業者側の言いたいことがぎっしり入っているのかもしれませんが、基本個人のブログの集合体でしょうから、やはりユーザー視点の記事が主体を成しているのだろうと思います。それはそれで参考にもなり、拝見もさせてもらってはいます。
ただ、業者として、販売の側にあった(今もある)人間として、わりあいそうした側からの発信が少ないような感じは受けます。
それは商売上、「書く」という行為で自身の意見をまとめるということをほとんど日常的にしていない人が大勢を占めるからでしょうし、考えてもいないような感じも受けます。もしくはそれを発表しようとする好意もほとんど目にしない印象で。まあ、私が発掘しようとするのをサボっているだけなのかも知れませんが。

そういう状況が大勢ならば、私のようなへんてこりんな視点からの文章も、ちょこっとの面白味や意味も出てくるのかもしれません。




基本的に人は目先の状況に振り回されるものです。
たとえば報道の現場からすれば、私の想像するに、それは視聴率が取れるのか?ということであったり、予算の範囲内で製作可能な番組なのか、であったりなんでしょう、たぶん。で、そうしたことが彼らにとっての身近な正義にもなる。
社内の上下関係や製作会社との力関係。スタッフと出演者の間にある微妙な力関係の錯綜も、それはそれで関係者たちにとっての正義であり切実な事情であり、正解であるわけです。


以前「機械としての効率と日常の運転感覚に適うシステム」という2つの要素は両立しないのか?といった感じの内容を書いたことがありました。そのとき頂いたコメントの中に、私の受け取ったニュアンスでは「CVTは、アレはアレで全体の中の一要素としてみた場合、効率は良いのだ」的なものがあったと記憶しています。当時は、そうした意識はありませんでしたから、「ほう。CVTには、そうした一側面があるもんなのか」と感心したわけですが。
でもまあ、それはそれとしても、やはりあまり運転感覚のよろしくない機械であることもこれまた現実だよなあ、と。ずいぶんと違和感は少なくはなりましたけどね。昔のことを思えば。
CVTは一方で、非現実的な燃費数字を叩き出すための必須デバイスにもなっているようですから、それはそれで現実のユーザーが目にする実燃費とはますます乖離していくことも少なくないようです。
ちなみにフィットハイブリッドもひとつの選択肢かな、と以前書いてしまいましたが、小耳に挟んだところで言うと、あれ、実燃費は16km/ℓ程度なんて話も聞きますからね。燃費を計ろうかと思えば、そのときは慎重に運転しますから20kmなんて数字も出るのでしょうけど、少々ラフな走り方にでもなれば、そのへんが現実なのかもしれません。






ちょっと話は変わりますが、先日下書きとして保存したまま、そのままになってしまった記事がありました。いろんなことを含んだ内容でもあったのでまとまりきらなかったということもあるんですが、今回のお話にも通じることです。タイトルは「多数決の限界」。
結論をかいつまんでしまうと「多数決って本当に万能な意思決定過程と言えるのか?」と言う事で「時にはそのシステムに疑問を持つことも必要なんじゃあないの?」という内容です。理論はともかく、そのシステムの運用課程に齟齬があるようでは、どっかの新幹線になりまねませんからね。
まあ、同様にどっかのアイドルのように多数決のフライングスタートを公然と認めるようでは結果もくそもあったもんではないと思いますが。


で、こうした多数決システムの渦中にあって、特に近視点な人などは、それ以外の世界に気がつかないし、「それ以外の視点も存在しうる」という可能性にすら気がつかないことも往々にしてあるだろうなあ、と。
「嫌なら見なきゃいい」と言ってのける人もありましたが、既に「誰にもソコまで気にされてもいないかも?」という自身の「裸の大様」化の可能性には気がつかないんでしょうねえ。


今日目にした記事で「TV番組のネット上での有料配信」という記事を目にもしました。
「これを見ようかな」といってお金を払うレンタルビデオ屋さんですら一本100円を回収するのがやっとというご時勢に、そんな商売がどこまで通用すると本気で思っているんでしょうかね?「TV放映というシステム」の夏の時代はもはや過ぎ去っているかと思うのですが、原発と同じで、それで飯を食っている連中は、やはり尚もしがみつこうと必死になるのもわからなくはありませんが。
でも、彼らの拠り所としているのであろう視聴率という数字も、「テレビを視聴していそうな層」の質(早い話宣伝効果という、スポンサーにとっての「実」につながるのか否か)を考えると、数字そのものの質感といったらいいんでしょうか、実態把握になっているのか?ということを真剣に問い直す時期なんじゃあないのかなあ?まあ、怖くって手がつけられない、ということもあるでしょうけど。



やはり「世界の中心に自分しか居ない」様にしか見えないという世間の狭さは拙いと思うんですけどね。
Posted at 2011/08/04 09:31:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月02日 イイね!

人それぞれの車選び

クルマ選びにおいて予算というか、手持ちの現金なのか頭に思い描いている支払い計画による購入可能な金額なのかはともかく、そうしたお金に関わるエトセトラは常について回る問題です。

私が新人セールスとして先輩セールスにいつも薫陶をされたことは、究極的にはこの一点です。すなわち

クルマを気に入ってもらうこと。お金の問題がクリアーされていること。この2点のどちらが欠けても絶対に車を買うという最終結論には至らない。

このうち「クルマが気に入る・気に入らない」に関しては、割合時間が解決するというか、お付き合いが長くなるとクルマそのものの選択に関してはある意味どうでもいい部分も出てきちゃったりして、結局は「柴田さんの扱っている車の中だとどれになるの?」という、ある意味セールスにお任せコースというか、なんだかそこまで言って貰っていいのかなあ?的な展開もあったりもします。

つまり積極的にお客さんサイドの「これ」という選択でもない限りは、まあ、何とかなっちゃう例も無きにしも非ずだったり。
もっとも幾らお任せコースだとしても、さすがに良心という物が私にもありますので、「レガシイGTのような車が欲しい」というお客さんにカルディナGT-fourとかGT-Tを売りつけたりするような外道な事はできませんでしたが。



でも、片やどうしようもない問題が、やはり金銭面の問題です。


やはりお客さんが思い描く金銭感覚は、所詮私が払っていくわけではありませんから最終的にはお客さん自身に解決してもらう外ありません。それを残価設定型ローンとかローンの残り金額を次のクルマのローンと合わせて新たに組みなおす、という外道なやり方で夢を見させてしまうのは如何なものかと思っています。


ただ、往々にしてお金の工面がつかないにしても「車を買い替える」という情熱だけがきちんと消化できずにくすぶってしまう例はわりかしあることです。
そういう時などは当初予想もしていなかった「アレ」をいつの間にやら買ってしまっていた、何てこともありますのでご注意いただきたいものです。結局購買意欲だけは満たしたにせよ、なんだかへんてこりんな物とローンだけは残った、という事態はちょっとねえ。まあ、ひょうたんから駒ということもまったく無いわけではないんですけどね。


でも、意外に多いんですけどね、このパターン。



私のここ最近の車の選定は予算最優先です。30万なら30万。50万なら50万と最初に予算枠を決めてしまう。
どうせ、といってしまうのは気が引けますけど、それでも「ああ、これはダメだ」と仮に思ったとしても、損したところでその30万円なら30万円までです。百万単位の大博打をすることを思えば、査定価格にしたってそれ以上落ちようの無いところでの勝負ですからねえ。



ただ、安く買うためにはというところもあって、人の選択肢の中にはいらなそうな所でおいしそうな車種を選定指定していくという天邪鬼な、でもとても楽しい車種選択課程を潜り抜けたクルマに乗るのは、やはりとても楽しいです。
ちっとばかし何かあっても「ああ、またか。今度は何だ?」ってなもんですからねえ。もっとも、車を複数台確保し、どの車も常にセカンドカー状態だからこそできる芸当でもあるんですけど。

みんカラを見ていると意外にもというか、実は私が爺になっただけでもあるんですが、結構年若の方が多いのですね。そこでついつい心配してしまうのですが、私のような馬鹿な話を目にしていると、知識だけが肥えてしまって、最初っから突っ走ってしまった車種選択をされることもあるのだろうなあ、と。もちろん何をとったところでそれも人生経験のひとつと割り切れればいいのでしょうけども。




確か自動車評論家の福野さんの文章で「時にはポンコツの気分で」と題されたものがあったかと思うのですが、私の気分としてはそれでしょうかね。
100万のゲンナマを握り締めていたとしても、実際のクルマ購入費用には良くってその半分。もしくは1/3に止めておいて、その分タイヤやバッテリーなどの生ものの消耗品原資として十分な余裕を持ってその車との共同生活に臨む。
仮に何かあったとしても十分な現金は手元に残ってますからね。で、それは心の余裕にもつながるわけです。


ちょっと最近周囲でのクルマの動きが盛んになってきているので、ついついそうした体験談が耳に入ることも多いのですが、心躍らされるお買い物だからこそ、ひとつ深呼吸をしておいて、たわいもないセールスさんの提示してくるサービスに惑わされることなく、もう一呼吸置く。「ええい、ままよ」ではなくってね。


今はディーラーも台数の刈り込みに躍起になっているようですから、お話しを聞く限りでは売り込みも相当なレベルになっているようです。私からすると「よくやるよなあ」というくらいに。
でも、まあそれはそれで彼らの都合でしかありませんから、お付き合いは適当に、ていう位が丁度良いのでしょうけどね。

まあ皆さん人が良いので、ついつい口車に乗ってしまったり、「セールスさんが非常にがんばってくれているので悪いかなあ」とか思っちゃった、という話を聞くんですけどね。まあ、そう思って貰うのも仕事のうちなんですけどね。経験者からすると。





Posted at 2011/08/02 21:23:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「[整備] #タフト ダイハツ・タフト オーディオレス車への純正ナビ取付 https://minkara.carview.co.jp/userid/603944/car/3542135/7641092/note.aspx
何シテル?   01/14 11:39
どノーマル車が好きなので、派手なカッコにしたりとか、ボディへのお絵かきはしません。中味もそのままです。仕事が暇な時はクルマを磨こうかなあと思ったりもしますが、大...
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