2017年08月25日
いくら性能の良い電気自動車が出来たところで動力源がなければただのゴミです。一体充電する為の電力はどのように調達するつもりなのか、という前提条件が全く抜け落ちています。所詮、電気自動車は原発由来の電力が充電用として潤沢に使える事が前提の機械です。これは日本でも海外でも同じ話です。だから電気自動車としては原発以外の動力源たるエネルギー源の調達方法として水素というルートも視野に入れている訳です。
例えば今現在、日本国内で流通している台数程度ならばまだ電力事情も耐えきれていますが、これ以上増やしてどうやって賄おうとするつもりなのか教えて欲しいもんです。経費削減のためと称して東京電力では「でんこちゃん」までリストラされてしまい、原発の夜間余剰発電分をアテにしたオール家電住宅って、そういえば昔ありましたよねえ?っていう位ですしね。問題は蓄電池の性能の話だけではないです。
思えば平成18年頃は原発にとっては無風時代でした。チェルノブイリ原発事故は私が高3の頃の話ですから、思い起こせば遠い昔の記憶になったもんです。ちなみに今の私は47歳ですからねえ。
という訳で、当時は電力会社主導で出力調整の利かない原発の夜間余剰電力を売り捌こうとオール電化住宅の宣伝が華やかかりし頃の時代です。
当時の私は損保会社の代理店研修生でしたので、火災保険分野のオール電化割引の有無はわりかしホットな話題でした。これをあてにして他社に比べて有利な保険料の火災保険を売り込もうという話もあった訳です。まあ、あんまり成果は無かったけど。
そんな話はさておき、日産リーフもそんな時代の空気の中で開発・発売された訳です。原発の夜間発電分力を売るため安く設定された深夜電力を使えば「まあ、お得」という話です。時は平成22年12月(発表自体は平成21年8月)のことでした。
だが、しかし。最悪のタイミングで悲劇は起こりました。そう、東日本大震災です。ここで一気に反原発の声が大きくなり、同時に全国の原発が営業運転停止に追い込まれた訳です。ここであてにしていた「夜間の電気料金は安い」という大前提が崩れる事になります。
まあ、原発を追い込むのはさておき実際には営業運転をしていないというだけで鎮めるにも大量のエネルギーが費やされる訳ですから、そんなくらいなら発電させておけば良いんじゃない?って思うんですが、何というか潔癖症過ぎる傾向が近頃は強いようで、無菌状態じゃないと気が済まないというか、見つけたゴキブリは根絶やしにしないと落ち着けないという気分に近いような気がしますが、そんなこんなで日本の電力事情は逼迫し、石油・石炭・ガスとありとあらゆる火力電力水力発電を総動員し、挙げ句のはてにはクリーンエネルギーの名の下に日本中の空き地という空き地にソーラーパネルを増殖させるという奇妙な光景を現出させるに至った訳です。
ま、そんな話はともかく電気・電気という目先の小綺麗そうな話や、「欧州では...」みたいな話に惑わされるのは程々にしておいてもらいたいもんです。
Posted at 2017/08/25 13:20:51 | |
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2017年08月16日
ブラックだホワイトだの議論に加えて残業時間にも非常に厳しい目を向けられるようになってきました。
おそらくそういうことに目を向けられらた制度だとは思いますが自動車営業職に早番・遅番制が導入されたと聞いた時には何かの冗談かと思ったものです。でも、同時に時代も変わったもんだとも感じました。もっとも、そんな制度が導入された時にはとっくの昔に新車セールスは辞めてしまっていましたが。
当時は連日夜10時に締めの夕礼が行われるのが常の、今ならブラックの称号まっしぐら(まあ今じゃなくてもそうだろうけど)な時代でしたが、それはそれとして個人としては営業所全体の数字云々は全く別世界の出来事で、自分が売れていない時はどうしようもない程苦痛にまみれた時間を過ごしていました。
でも反対に個人の実績が良く、ワリと高ペースで売れている月や新しい商談の種に事欠かない時は周りの空気が重かろうが暗かろうが知った事ではなく、とてもノビノビとした時間を過ごしていました。そういうときは正直楽しかったですね。
まあ大概、売れていない、これという商談のネタも無い時はお客さんの所に行くのも嫌になるくらいで、邪魔の入らない所で昼も夜も寝ているのが常だしたが、新しい商談のネタに事欠かない時は真反対に、いくら夜遅くになろうが休日だろうがお構いなしで仕事をしていて全く苦になりませんでした。逆に楽しいくらい。
まあ体力の低下は年齢とともにお構いなしにやってくるので、あまりにハイになった後はグッタリ疲れるのも分かっちゃあいるんですが、やってる方としては楽しいからあまり苦にならないんですね。
そういう時間を過ごした事のある人間としては、一律な労働時間・残業規制はナンセンスに思えます。
体や頭の拘束時間を売る労働形態もある一方で、行動範囲や拘束時間とはあまり関わりなく労働成果を売る労働形態だってある事も事実だと思うのです。かわいそうに思うのが、一方が他方に足を引っ張られる現実です。
ぶっちゃけ拘束時間を売る側からすれば集団の中で一人、能力があっても好き勝手な出退勤の時間や仕事ぶりをする人間は目に余る存在でしょうし、逆に労働成果を売っている人をとにかく集団行動の中に拘束しようとするのは無理がある様に思います。
トヨペットという新車ディーラーはマージンと基本給の二本立ての給与形態を謳ってはいましたが基本はやはり労働時間・拘束時間の会社でした。
一方アリコジャパンという生命保険会社の各営業オフィスは完全に労働成果を求められる雇用形態で、事前連絡さえしてあれば直行・直帰も自由、土日祝日はオフィスは閉まっており、基本給は10万円でしたが獲得契約の大きさよって加算されるマージンは青天井という給与形態でした。同時期にアリコで働いていた人の中には1ヶ月200万円を超える給与だった人もいました。そういう雇用形態を望む人にとってはそれで良いと思うんですよね。ただし2ヶ月間新規契約が無いと否応なしに首になるんですが。
そういう目で見ると、自殺者を出すまでに至った電通の新人に求めた無期限労働時間は一体何をさせたかったのか、何を求めていたのか理解に苦しみます。
まあ「嫌なら辞めろ」と雇い主から言えない、労働者から「自発的に『辞めます』と言わなければ解雇できない・されない」制度も正直どうかとも思うのですが、もっとその辺、自由な雇用形態を選べる環境を考えていく事も必要なんじゃないのかなと思います。
私個人の好み的には高給を望んで独立したわけではありません。ただ、行動や時間の自由は欲しいと思います。拘束され、強制されるのが性に合わないんでしょうねえ。
Posted at 2017/08/16 13:56:11 | |
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