
このブログは、4月7日以降に書かれたものです。
本日語られる塩尻峠からは、諏訪湖と諏訪の街が見下ろせます。
絶景なので、機会があれば是非、行って、途中のお店に寄り道して、ゆっくりと景色を堪能したいところですが、今の私は、走ることで精一杯です。
それはそうと、諏訪といえば・・・「御柱」。
幸運にも、TV中継、観ました。
私が観たのは、二本目が、下るところ。
でも、
二本目の丸太、
何―――か、細め。
それだからか・・・、
斧でロープを、ブツっと切るも、丸太が、落ちない・・・。
たぶん、崖に突き出した根元側の太さ・重さが足りなかったからか、結局、最後のもう2~3押しは人力で。
で、
ずるずると滑り落ちる。
かなり安定して滑り落ちる。
御柱に最後まで跨っていれば、後々の時代まで「勇者」として語られるという。
ずるずる落ちる御柱。
ゆっくり、ずるずる。
ガクンと止まるっ。
「定位置」まで落ちきった。
少し細いからか?
相対的に、けっこう、大人しく落ちた。
先頭に跨っていたハチマキおじさんは???
いた!
VTRが繰返される。
んんん???
この人・・・、最後まで、跨ってる???
あの人って・・・「勇者???」
きっと、「勇者」なのです。
後世まで語り継がれるのです。
うーーーーーむ、でも、このVTRは、頂けないなぁーーーー。
落ちるところは、早送りに、すべきです。
「勇者様」のために。
いやいや、でもでも、
あの、「桁外れの度胸」は、それだけで、「勇者」です。
ええ。
文句ありません。
「流鏑馬(やぶさめ)とかは、技術が必要でカッコイイけど、
跨るのに必要なのは桁外れの度胸のみっしょー」
とか、
そーいう無礼なことを、
チラっとでも考えるのは、
私の先天的な血統が、後天的な東京の感性に、冒されているからに違いありません。
そうそう、
実は私の「血統」のうちのひとつは、この辺だったりする。
この辺の生まれの人って、何十体に一体かは、瞳が、青いんですよ。
ええ。
日本人なのに。
たぶん、東北地方の人が、グレーの目の方が結構多いのと、同じ。
でも、そういう系統の人は、要注意です。
白内障とかになりやすい。私の家の人は、そういう傾向です。
私の目の色は、薄茶で、一見すると、平均的な日本人です。
が、どーも、色が、薄い。
もうすぐ白内障に、なるのだろうか???
さて、
甲州街道について続きを語ってゆこう。
大垂水本線、
笹子峠、
と語ってきた。
笹子を過ぎて西へ行くと、
今まで釜無川に沿って緩やかな線形が続いていたが、立場川にかかる瀬沢大橋を渡った先に、立場川の河岸段丘を登るためのヘアピンカーブが現れる。その先は鬱蒼とした森と急な登り勾配が続き、しばらく進むと富士見町市街地に至る。今まで人里離れた少々物寂しい沿道風景であったため、しばしの活気を得ることが出来るが、富士見峠交差点を過ぎると再び鬱蒼とした木々が沿道を覆う富士見峠に差し掛かる。この峠は富士川水系と天竜川水系との分水嶺でもある。峠と言っても笹子峠、大垂水峠のように険しいものではないが、冬期は凍結に注意する必要がある。
そうすると次は、必然的に「塩尻峠」。
塩尻峠を越えて塩尻市に入りると岡谷側と比較して緩やかな下り坂が続き、塩尻IC前を通過したのち片側2車線道路となり、高出交差点で国道19号・国道153号に合流して終点となる。
だが、
甲州街道の話をここまで読んでくると、
もう、わかるだろう。
そう。
「峠」というものは、「なくなっていくもの」なのだ。
「線形改良」によって、
「ルート変更する」
「トンネルをブチ通す」などの方法によって、街道本線から外していくのである。
塩尻峠にも、そうした計画がある。
岡谷塩嶺病院付近に残る急カーブをバイパスする道路の計画が進められている。
とはいえ、
現状としては、「その中間」みたいな段階にある。
塩尻峠を越える道路は、勾配の比較的きつい岡谷側の整備が遅れていたが、近年改良工事により登坂車線が頂上まで整備されスムーズな通行が確保されるようになった。
つまり、
上りとなっている区間には、
登坂車線が、
塩尻側の登り、
岡谷側の登り、
の双方に整備されている。
このため、塩尻峠は、実にハイペースな流れとなっている。
登りに登坂車線が整備されていることで、
遅い車は、皆、左側の登坂車線へとよけてしまう。
その結果、
右側の走行車線には速い車ばかりが集まり、
100キロオーバーの速さで峠を駆け上ってゆく。
ひとことでいえば、
「ほぼすべてのドライバーが、走り屋になる峠」
といえる。
昔のイチコクならば、1300CCのNA車ごときは、登坂車線によけていなくては、
200キロオーバーのハイパワーターボにどつかれてしまうが、
塩尻峠は、そこまででは、ない。
しかし、
スカイラインやレガシィ、レクサスなど、登坂が得意な車両は、130キロ程度で登ってゆく。
また、下りのペースも早い。
トラックなどの編隊がなければ、
110~120くらいで駆け下りるのが、ごく普通である。
また、カーブの程度も、
注意深く振ってゆけば、
ノーマルの脚でもその程度の速度で下ることが可能なものとなっている。
ただ、
この峠のペース、構造で思い出さざるを得ないのが、
「下り最速伝説の虚偽性」。
平成元年くらい、
走り屋全盛期では、
登りを全力で攻めていることが多く、
下りも攻めるということは、
そもそも、
「マナー違反」
である、
とのご指摘。
しかも、
「下り最速伝説」でもてはやされる軽量車たちのブレーキの容量は、
「150キロくらいからの本気のブレーキングに対しては、2、3発で終わりだろう」、と。
これについて、
私自身が、実験した結果、
2、3発ではなく、
5、6発だという結果だったが、
結論としては、
「その通り」で、
「下り最速伝説」は、
「主に漫画の世界」、
走り屋全盛期よりも後になって、
文芸作品の影響を受けて興隆してきたものであろう、
というご指摘が正しいかもしれない、
という結論に至りました。
それと、
今思っている、
正直な反省・・・汗。
「そうそう。
塩尻峠とか、イチコク(国道1号箱根峠)とかみたいに、
登坂車線があって、
GT-Rとか、スープラとか、
バァーーーーッとフルパワーで、
タービンの音キュィィィィィィンって響かせて、
全っ力ぅで駆け上がれる場所が、
走り屋にとっての、峠!
アンタがメインテーマで扱ってる、
つづら折れだの、
ヘアピンだの、
なーんてのは、
ハイキングとかの道!
それは、普通の、ドライブ!
クルマの性能100%出してナンボの、走り屋の峠じゃ、ありませーーーーーん」
と、いうようなご指摘を、受けそうで、最近、何とも心苦しい。
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甲州街道四十四次 | 日記
Posted at
2010/04/15 21:52:12