この記事は、
sengoku38の言葉について書いています。
「仙谷官房長官の名前でもあるし、
日本を取り囲む状況が戦国時代という意味もあるのではないか」
「本当の意味は自分の胸の中にとっておく」
(↑トラックバック元の人の記事から、孫引き)
・・・「日本を取り巻く状況が、さながら戦国時代」
・・・というより、まことに残念ながら、
日本を取り巻く「世界」の状況は、戦国時代より、なお、悪いのではないか?
と私は思っている。
「玉砕してみせる」、
「フェアに戦ってみせ、その上で、勝ってみせる」
↑コレらは、
日本だけの価値観ではない。
世界普遍の価値観である。
だが、現実として、現在の「大国」の連中は、この「世界普遍の価値観」を理解・体現できるほどの「勇者」ではない。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/20560593/
日本における戦国時代にも、
中国における戦国時代にも、様々な伝説があり、そこに様々な「勇者」がいた。
それらは、決して、「現実」を「絶対のモノ」とすることはなかったように思う。
言ってみれば、
「おおかたの"現実"というのは、"理想"の前に、ことごとく打ち砕かれる存在なのだ」
そんな気風に満ち溢れていること。
・・・まことに残念ながら、
現代の世界には、どうもそのような精神が全く感じられない。
「現実は現実であり、
現実として存在することは、おおかた正しく、
単に、その現実が、肯定・拡大されるだけのことだ」
そういう印象を受けているのは、たぶん、私だけではあるまい。
そして、この「(堕ちた)現実主義」は、どうやら、日本にも「感染」しつつあるのだが、
その「感染」の原因は、
こちらについては、皆目わからない。
ただ、
中華人民共和国における「(堕ちた)現実主義」の「主流化」については、
私なりに、思うところがある。
「あの装置、ああいう"育児制度"であれば、無理もない」というものだ。
この話は、また、いつか、したいと思う。
「装置」の話は後にするとして、
「哲学」的な話だが、
この「(堕ちた)現実主義」が、
「(マルクス主義の下地としての)唯物史観が去った?後の世界に、大々的に蔓延した」ということ。
唯物論の土壌からマルクス主義が生まれた歴史もあり、ヨーロッパ(イタリアなど)やアメリカの人々の多くや、日本の伝統的な人々のなかには、「唯物論 即イコール マルクス主義」あるいは「唯物論 = 社会主義」ととらえ、唯物論="資本主義陣営の敵"、であるかのような反応を示すことが少なからずある。しかし論理的に検討すれば、唯物論とマルクス主義・社会主義は必ずしも同一ではなく、「唯物論者かつ社会主義者」もいれば、「唯物論者かつ資本主義者」もいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E8%AB%96
というように、
何というか、「唯物論者かつ資本主義者」というような、こういう「人種???」が、アメリカにせよ、中華人民共和国にせよ、ロシアにせよ、すべて溢れかえっているような気がしているのだが。
そして、私は、正直、この世界観に、嫌悪感を持っている。
それはそうと、
少しだけそれと関連した話、
かつ、
このブログのメインテーマに関する話。
「世界最強のストリートファイターとは、日本の走り屋である」
何故に、
今もって、
このイメージが世界的に広がっているのか?
対して、
中華人民共和国の“飙车族”(←暴走族)・"隐飙族”(←走り屋に近い)が、
今もって、確固たる「評価・賛辞」を得ないのか?
それは、
「フェアに戦ってみせ、その上で、勝ってみせる」、
「玉砕してみせる」、
「現実は現実であり、
現実として存在することは、おおかた正しく、
単に、その現実が、肯定・拡大されるだけのことだ」
これらに関わっているのではないか、と私は思っている。
「フェアに戦ってみせ、その上で、勝ってみせる」
↑「出来る」のか?
「玉砕してみせる」
↑出来るのか? あるいは出来なくとも理解・共感出来るのか?
「現実は現実であり、
現実として存在することは、おおかた正しく、
単に、その現実が、肯定・拡大されるだけのことだ」
↑これを当然のこととはしていないか?これを否定する感性は残っているか?
ということ、コレに関わっているのではないかな?
と、最近、私は感じている。
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Posted at
2010/11/29 09:26:42