
原子力事故
・・・いわゆる 原発事故 には、
■「リスク」 に加えて、
■「デインジャー」 という性質がもたせてある。
極めて多くの人間が、
その単純な事実をわかっていなくて、
珍妙な・・・ハッキリ言ってアフォな言説を披露しまくった。
しまいには、
「現実に目を向けれ!w
オマエラの皆様って自動車持ってるよな?
毎年の交通事故死亡者数を知っているのに免許持ってクルマ運転してんのかい?!w
・・・・」
という表現・考え方を披露する ド・アフォ まで、多量にあらわれた。
それに対して、
批判した言説も、これまたアフォなものだった。
交通事故で大量に死んだ、
サウジドリフトで大量に死んだ、
それで国家が分断されたりするのか――――――?
ありえんだろ――――!!
と 名言(迷言?)・珍言・カミングアウトの繰り返しだった。
21世紀最高の走り屋だ―――などとは、
とてもじゃないが、言えないレヴェルのものだった。
バカバカしい。
それはデインジャーです (`・ω・´)キリッ
リスクとは違います (`・ω・´)キリッ
と―――、
ひとことふたことで済むものを、
デインジャーという観念がわからなかったばかりにダラダラと。
井の中の蛙もいいところだ。
大海も知らなければ、
空の深さを知ることもない。
そんなレヴェルのものだった。
そもそも、
走り屋として扱ってきていたのは「リスク」なのだ。
どこまでいっても、
リスクはリスクでしかありえない。
しょせんは、リスクという性質でしかありえない。
未熟過ぎたのだ―――
走り屋としても―――
故に、
自分たちの「外側」の何たるかがわからないのだ―――
自分たちが何者で、
扱うことが、相当程度可能なものが何なのか、
存在位置は、どういうところなのか、
その外側には、どういう世界があるのか、
すべて――
わからなかっただけなのだ―――
全ては―――
デインジャーという概念・・・その一つを知らなかったこと―――
すなわち―――未熟すぎたこと―――に帰結するのだ。
だが―――いいわけがましいコトだが――――
それは、
全てのヒトに共通していることなのは間違いないだろう。
自分たちが何者で、
どこを、どのように動いているのか、
存在位置は、どういうところなのか、
その外側には、どういう世界があるのか
実は、全て、
わかっているつもりになっているだけで、
わかっていないではないか。
人類とは何者で、
太陽系が、どこを、どのように動いているのか、
銀河系の位置は、どういうところなのか、
宇宙の外側には、どういう世界があるのか
すべて↑、 宇宙の外側 を捉えないと、
デインジャー論をリスク論だけで考えたヤツラと、
同じことなのだ。
自分の知っている言葉で、
まったく異質のものを説明しようと試みただけに他ならない。
言えば言うほど、
考えれば考えるほど、
アフォな方向に向かっていくんだろうな。アフォな、常人なら。
悟りを開いた、超人でない限りは。
ま、俺を含めて、アフォな常人にはわからんことだ。
絶対に、わかりそうもないこと、なのだ。
だが、 絶対に、わかりそうもないこと だからといって、
わかる時が絶対に来ない、とも言い切れない。
少なくとも、
デインジャー論に関しては、
わかる時がきた。
2011年の初頭に、多く日本人が、事故とそれに伴う人為的制度として目撃・経験し、
2012年の中頃に、言語化・言語化によって、復習(・予習)・再発見し、
2012年末に、人々の滅亡思考を目の当たりにすることで、
理解した。
絶対に、わかりそうもないこと だからといって、
絶対に、わかる時が来ない、 とも言い切れないのだ。
ブログ一覧 |
アジアンハイウェーのどこかで | 日記
Posted at
2013/01/10 02:21:14