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猛走峠のブログ一覧

2009年10月29日 イイね!

ロングツーリングレポート+今後の宮が瀬(ヤビツ峠)

ロングツーリングレポート+今後の宮が瀬(ヤビツ峠)今日の出だしは、ロングツーリングレポートなので、一見すると、昨日の話からは関係ないように見える。
しかし、本質的には同じ話が始まる。
「体力」「耐力」「持久力」の話だ。
昨日が短距離走の話なら、今日のロングツーリングレポートは、「長距離走」の話である。
短距離か長距離かという違いだけで、本質的な違いはない。

東京⇔福岡のロングツーリングレポートを、そろそろ総まとめしていこう。
今月も、今日を含めてあと3日なのだから、3日間のうちに総まとめしていこう。

<往路> 東京→福岡
10月14日水曜日。
12:27 72333km 東京の自宅出発
中央高速八王子ICから甲府昭和IC。(\2400)
一般国道20号(甲州街道)を走行。
16:17 72521km 諏訪ICから
17:35 72646km 中津川IC。(\3400)
一般国道19号を走行。
20:00 72720km 名古屋[自宅から387km]
東名阪自動車道に入る。亀山ICまで。(\2050)
一般国道・名阪国道
西名阪道(\800)
阪神高速(\700)
23:00 72943km 神戸着[自宅から610km]

神戸で宿泊。

翌日 10月15日木曜日。
07:17 72944km 神戸出発
一般国道2号(山陽道)をずーっと走行。
尾道、広島、岩国を通過。
15:34 73290km 大竹ICから高速に乗る。[自宅から957km、神戸から347km]
18:50 73552km 博多駅東ICを出る。福岡着。[自宅から1219km、神戸から609km]


<復路> 福岡→東京
10月18日日曜日。
16:43 73591km 福岡発。博多駅東ICから入る。
17:59距離不明。美弥西ICを出る。(\3650)
少し休憩しつつ、一般国道2号を夜通し走り続ける。
日付も変わるが、自分にとっては、まだこの日が終わっていない。
03:00頃、明石西料金所?(\100)
神戸→大阪 阪神高速(\1200)
05:30 西名阪道に入る(\800)
名阪国道
東名阪自動車道。亀山ICから名古屋勝川IC。(\2050)
07:00頃74452km 名古屋着
[福岡から861km]

名古屋のビジネスホテルで睡眠をとる。

10月19日月曜日。14:00頃起床。
14:30 74452km 名古屋出発
岡崎から少しだけ東名に入る(\500)
一般国道1号(東海道)を沼津まで走行。
沼津から246を通って相模原方面に出てくる。
日付変わって10月20日火曜日。
01:35 74832km 帰宅。[名古屋から380km、福岡から1241km]

備忘録を兼ねて、データー・記録を羅列したが、これについての検討は、また明日に譲る。

あと、書いてみてつくづく思うが、このブログは基本的に、「本質的には」ずーっと「同じ話」をしているだけである。
それは、「走りの話」である。
まず、「走り」に関連することばかりだし、
「走り」以外のことがらも、所詮は「走り」から生じた思考に他ならない。
つまり、ずーっと「走り」の話しが、ひたすらひたすら語られているのだ。

それと、ヤビツ峠の話も、あと3日間のうちにまとめよう。
「ヤビツ峠」という「名目」で本当に長々と語ってきた。
宮が瀬エリアのうち、「中心」「周辺」という言い回しでは、ここは「周辺」だろう。
しかし、「周辺こそが中心だったりする」、まさにこのことだ。
だが、「中心」の「周回道路」を語らずして、宮が瀬エリアの話を終わらせるわけにはいかない。だから、来月からは、宮が瀬の「周回道路」の話をしようかとも思った。
が、「環状」というカテゴリーをせっかく設けたので、来月の初頭は、「環状」について語っていこうと思っている。
来月の中旬以降に、また、宮が瀬エリアに戻ってくるか、
あるいはまた、「環状」と「宮が瀬」を交互に語ってゆこうか、今考えている。
ともかく、来月中に宮が瀬エリアについて語り尽くしたいと思っている。

それと、明日と明後日の話を少しだけするなら、「シカ」だ。
「鹿」の方だ。
私の「弱点?」の「歯科」ではない。

ヤビツ峠もまた、関東近辺の峠道と同じように、シカが多い。
明日・明後日のブログは、シカが大好きという人は・・・見ない方がいいかも・・・。
Posted at 2009/10/29 20:24:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月28日 イイね!

短距離走的体力とラリースト的「修行」(ヤビツ峠)

短距離走的体力とラリースト的「修行」(ヤビツ峠)ここまで、長々と、ヤビツ峠における「他人の話」をしてきたが、いくらその他人をリスペクトしていようと、神様扱いしていようと、他人は他人で、経験談としてはあくまで他人の話に他ならない。

ここからは、「私とヤビツ峠」という視点で語っていこう。

「私」がヤビツ峠に対して持っている「姿勢」を語っておこう。
それは、「走り抜ける道」「反対側まで出来るだけ最短時間で走り抜ける道」という「姿勢」で臨んでいる。
実際のところ、こうした「姿勢」は、「単なるステージ荒らし」という指摘を受けないでもない。
しかし、自分には、これを「正当化」する「根拠」がないわけではない。

ラリーストの新井氏のことは、大概の走り好きの方はご存知であると思う。
群馬出身の新井氏が二十代の頃、群馬の林道は「荒れていた」とされている。
この「荒れていた」というのは、「現代でいうところの荒れていた」とは正反対の意味だ。
現代の場合、誰も林道を使わなかった結果として、草に覆われて通行不能の状態になることを指す。
対して、新井氏が二十代の頃の群馬のダート林道は、「過剰使用によって荒れていた」という状態だったとされている。
要は、様々な走り好きが、タイム計測を行って、アタックを毎日のように行った結果、道に深いワダチが出来てしまい、車でのアタックに支障をきたすようになってしまったということだ。
だから新井氏は、林道ではなく峠道、舗装路を走ることで技術を磨いていったとされている。
しかも、特定の「ホームコース」を走りこむのではなく、様々な峠に繰り出していった。
そうした過程で、初めてのコースの、初めてのカーブを一発で「見抜く」センスを養っていった、ということである。

自分も、ヤビツ峠に対する考えは、新井氏のトレーニング法になぞらえたものだ。
ただ、自分には、初めてのコースの、初めてのカーブを一発で「見抜く」までのセンスはまだ養われていないので、何度か走ることにはなるわけだが。

宮が瀬北原の交差点から、反対側の秦野市側まで、約30キロである。
60キロ平均で行けば、約30分で向こう側まで抜けられる計算だ。
しかし、ヤビツ峠のコース全体を見ると、「30分」という時間は、多くのドライバーにとって「机上の空論」に他ならない。
しかし、この「30分切り」という大台を目指して、ここを走る、それを目指す、という姿勢である。

かつての、勇猛果敢なストリートファイターたちは、ここを「全力で」走ったというので、「30分切りなど余裕」だったといわれている。
サーキットトライアルを志す人々に言わせるところ、
「峠でのアタックなんて、死への恐怖と如何に戦って、無謀な運転するかってことだから、あのヤビツ峠、アレを全力でいける奴ってのが、峠で速い奴ってことだよ!」

そういうことであるらしい。

実際のところ、ヤビツ峠は、すれ違いに苦労する箇所が多くあり、かつ、峠道としての通行量も相当にあるため、いつでも、停止・すれ違いを行える体制で走ることしか出来ない。

言い換えれば、いつでも停止・すれ違いを行えるような速域までしかもっていけない、ということなのだ。
上記「峠で速い奴」という人を除外するが。

自分についていえば、当然、「峠で速い奴」ではない。
ヤビツ峠での走りは、いつでも停止・すれ違いを行えるような速域までしかもっていけない。
ただここで、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」というのには、車によって、何より、人によって、個人差がある。
ある人は、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」が20km/hかもしれない。
ある人は、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」は40km/hだったり、
また別の人では「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」は80km/hかもしれないし、
「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」が、100km/hという人もいる。

つまり、この峠を「走り抜ける」ことにおいてのキーポイントは、
「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」なのであり、
ここでいうところの「技術」・「技術の向上」とは、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」を上げてゆくということを意味する。

とはいえ、この状態を維持して運転していくことは、とてつもなく体力を消耗する。
秦野側に出たら、すぐに折り返して宮が瀬北原に戻りたいところだが、残念ながら、体力上、それが出来ない。
秦野市側、ヤビツ峠に最も近いデイリーヤマザキに寄って休憩をとらざるを得ない。
「短距離走」における最大限に張り詰めた状態での、今の自分の体力・集中力は、一度に30kmがひとつの節目・限度なのかもしれない。

また、この「休憩」が曲者であり、ここで食事をとると、復路はペースダウンしてしまう。
かといって、コーヒーだけで戻ると、それこそ、不愉快なドライブとなって、極度の疲労・空腹を通り越して、不快な状態で帰宅するハメになる。
しかし、それも、走りのパフォーマンスのためには、致し方ないのかもしれない。
Posted at 2009/10/29 00:02:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月27日 イイね!

「悔い改めよ」+伝承・・・神技(しんぎ)と真偽(しんぎ)(ヤビツ峠)

「悔い改めよ」+伝承・・・神技(しんぎ)と真偽(しんぎ)(ヤビツ峠)
10月27日火曜日、夕刻現在。
台風も過ぎ去ってきたのか、天候は回復。先ごろまで、吹いていた強い風は、ようやく、おさまっている。
10月25日日曜日と10月26日月曜日の、自分の「カーライフ」は、かなり荒れた。

この二日間で、「悔い改めよ!」という内容の啓示を何度受けたことであろう。

10月25日日曜日、天候は比較的良かったと思う。
千葉の「中古パーツ店」に出かける。
減っているフロントタイヤをアドバン・ネオバに変えようという試みだったが、ホイールの歪みが酷く、「バランスとれません!!」とのことで、ネオバ購入を断念。
仕方なく、後輪を前に出し、減った+ホイールの歪んだ前輪は後輪に。
(FF車は、こういう「荒療治?」が出来るからいいねえ。←ただのゴマカシという説も)
「こんな・・・ホイール歪んで・・・。何か、思い当たることはありません?」
「・・・・・」(無言)
このとき、自分の脳裏には、09月30日と10月01日のブログの件が浮かんでいた。
しかも、この「歪んだ」ホイールが、ダメージを受けたあからさまな可能性は、実は、このときだけではない。同じホイールの位置で、これ以前にも「キャッツアイにヒット」をやって、タイヤを壊していた。
この日、自分の手間の割には、前後輪を入れ替えてもらった(+ちょっとした検査)だけ。
それと、「備忘録」このときの走行距離74,942km。
(帰りの東京方面は、渋滞が激しかった。全く、このエリアは以前もそうだった気がする。)

10月26日月曜日、天候は雨。
合間の時間に、某ショップへ行く。
ここで主人にエンジンオイル+オイルフィルターの交換を依頼するも・・・、
「雨の日に、オイル交換?」
さらに彼の口からは、「悔い改めよ!!」という趣旨の発言が続いた。

自分「日本の走り屋ならば、アドバン・ネオバを知っておかねばならない!ですよね?」
主人「はあー?? で、ネオバの08?」
自分「07ですよ。08の中古は出てない。」
主人「中古タイヤー?走る気、あるの?走る気あるなら、新品でしょ。そもそも、ノーマルの足にハイグリップタイヤなんて・・・(以下略)」


ともあれ、
前日から私にしきりに発信されたメッセージは全て、
「悔い改めよ」
という内容のものであった。



さて、
画像は良くないが、宮が瀬北原交差点。
「そして、そのシルビア使いは神となる」
いままで、こういう話をしてきた。
こうした話を、
「峠の走り屋」とか、
「シルビア」とか「チェイサー」とか、
「ドリフト」だの「ソリスト」だの、
という表現を用いて言うから、極めてウソ臭く感じるのであって、
現に、多くの山の神社の御神体は、
こうした、「混同」による効果の結果として現れた、
「B」という側が「祭神」とされているのだ。


「神技」が象徴化され、
「神技」が伝承され、
「混同」が生じ、
元来、「信者」であった者が、「神」となる。

これについて、「混同」という観念を捉えた。
さらに、「正当性」ないしは「正統性」をめぐる「橋渡し」問題として、
「神技」の「象徴化」を捉えてきた。「神前の舞いとしてのドリフト」や「極限のダンシングライン」の話だ。
では、最後に、残ったのは「神技」の「伝承」という観念だ。


「神技」を媒介として、「神性」の「伝承」が自然発生的に起こってゆく。
「伝承」とは、読んで字の通り「伝え承る」、
古くからの技術やしきたりを受継いで伝えて行くことなわけで、
当然、「伝える側」と「受継ぐ側」が存在し、この関係を言い換えると、「師弟」となる。

ここで、師弟間の情報の伝え方が、即ち「伝承形式」となるわけだが、
ここには、「完全相伝」と「一子相伝」の二つの種類が存在する。

ここに、少しばかりの問題点も考えられうる。

「伝承形式」が「一子相伝」である場合には、「継承」される者は一人に限られるわけだから、「信者が神になる」ということはないだろうし、信者が神となるということは、「神が死ぬ」という恐ろしいことを意味してしまう。
通常、どこまでいっても「信者は信者、神は神」である。

そもそも、「一子相伝」の具体例は「家元制」で、
特定の力量の継承候補者に情報の全てを伝授するが、そこに「家職」としての限定条件が加わる。
ここにおける「師弟」は、「親子」であり、伝承人数は一人のみ且つゼロ。
つまり、読んで字の如く、一人の子供に相い伝えることだ。


一方で、
「完全相伝」とは、技術やしきたり等の師匠が蓄積した情報の全てを、継承を望む弟子の中からそれに見合った力量の者に伝授する形式を言います。
当然のことだが、弟子全員に伝授されることもあれば、ほんの数人から一人、場合によっては無しということもありえる。
また、伝授された情報を、そのままの形で伝承することを強制されない。
そのため、少し違った形で技が伝承されたりするわけで、伝承そのものの裁量権も与えられる。つまり、全てを継承者に授け任せる形である。

伝承に関する関連サイト
http://www1.odn.ne.jp/~cas30550/chanoyu-j/densyou.html


では、われわれ走り屋の世界、
「山のカミ」の「神技」と、ソリストとしての走り屋が発する「神技」とは、どちらの伝承関係であろうか?

それは「完全相伝」の方である。
「伝統社会」の多くが、その技の伝承を「一子相伝」としているのに対し、
我々、走り屋の世界は、「完全伝承」的な世界なのである。

そのため、「信仰対象としての神技」は、「完全伝承」によって正統に、「継承」・「象徴化」される。
ここに、「ソリストB」を以って、「峠の神A」を表現するに充分な状況が現出した。
また、完全伝承であるから、伝承を受けた者は、「一人のソリスト」だけとは限らない。
それは、「チーム」であったりする場合も多い。
こうした、神として崇められた集団を、昔から、「族」と呼称して敬ってきたのである。
「家族」「民族」「部族」という「族」の字には、こうした意味が込められているのだ。

「完全伝承」と「象徴化」によって「神技」は「継承」され、
「神」と「信者」とは一体化し、
ここに、「混同」の効果が発生する。
即ち、「神」と「信者」という関係が、解消され、
「そして、そのシルビア使いは神となる」


いままで、こういう話をしてきた。

しかしながら、ドライビング技術の観点から、とんでもない突っ込みが入る余地があった。

「ソリスト? 極限の美? ガードレールぎりぎり?
冗談じゃない!
ドリフトの技術が高いか低いかってのは、進入速度!!寄せることじゃありません!」 
とか、
「舞の動線? 究極のダンシングラインを確保? そのために落ち葉拾い?
ドリフト走法に落ち葉拾いは不要ですよーだ!左右タイヤのグリップも滑る度合いも、違うこと前提に滑らすんだから。全部のタイヤ、違ったμの状態で滑らすんだから、落ち葉あろうが無かろうが、そのラインは使えるんですよーだ。ドリフト初級者でなければね!
ドリフト上級者に、落ち葉拾いは必要ない!!」
しかも極めつけは、ステージ要素からの突っ込みどころ、
「エンジンの? 回転数が? 上がり? 官能的な叫びを上げるぅ?
改造マフラーでぇ? 山一面にぃ? 排気音がぁ? こだまするだってぇ? え?
あそこはねー、近くに交番があるでしょー。ちょっとだけ市街地になってるとこ。
そんな排気音をガンガン立てて、その上ドリフトをガンガンやろうモンなら、あそこまで音がガンガン響いて!宮が瀬北原のとこ、パンダに閉鎖されて、臨検受けちゃいますー。違法改造云々って!
だからー、ヤビツ峠の宮が瀬側に、ドリフト族はいませんーっ!!」


私は狼狽した。
しかも、これが、「山岳信仰」の観点からみても、「神前の舞を奉納する者」という話を、実際には聞いたことがなかったからだ。

「実際の祭神」。
「むかしむかし、この街道で馬を走らせることは困難でしたが、彼の、神がかった、飛びぬけた乗馬センスは、この峠をアッという間に通過することを可能としたのでした」
とか、
「彼は、イノシシの背に乗り、いっときでこの峠を越えたのです。
彼が猪年生まれだったからか、そういう因果関係は今となってはよくわかりませんが、彼がイノシシを操る能力は、神がかっていて、彼がイノシシの背にムチをあてると、イノシシたちは走ることを最高の歓びとして、神明を賭して、彼のために走ったのであります」
峠にある神社の御神体・祭神について、調査してみると、こうしたケースばかりである。「木こり」とか「馬使い」「イノシシ使い」、後ろの二者は、「峠最速の神様」といって何ら差し支えない。

実際の祭神は、まさに「峠最速の神様」なのであり、
まさに、「速さの世界」「数の世界」の神様であるといってよいのだった。
「三峰神社奉納ドリフト」のような、走りにおける「美の世界」は、まだ、信仰と神の域、「神域」へは達していないのかもしれない。
「混同」の効果は発生していないのかもしれない。
Posted at 2009/11/25 20:15:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月26日 イイね!

混同(ヤビツ峠)

混同(ヤビツ峠)昨日は、千葉まで出かけた。かといって、レジャーに出かけたわけではなく、「中古パーツ店」に。
フロントに使っているタイヤが、もはやスリップサインにかかるほどに減っているため、これを新たなタイヤ(とはいえ中古。)に変えようという試み。
その中で「タイヤ品種」を選択するなら何にすべきか?

そりゃー、
「日本の走り屋ならば、アドバン・ネオバを知っておかねばならない!」
早速、ネットで在庫調べ。
すると、千葉の店に、適合サイズの在庫品があると判明。

善は急げ。
早速、その店に向かい、購入!組み付け!
と、なるはずが、「とある重大な不具合」によって、ネオバ購入・装着ならず。
ホイール・バランス調査と前後ローテーションで何とか凌ぐこととなってしまう。

それこそ、「私は、今まで気づかなかったことに気づかされてしまった」わけである。

この続きはまた明日。

さて、
「神技」が象徴化され、
「神技」が伝承され、
「混同」が生じ、
元来、「信者」であった者が、「神」となる。
これについて、
「混同」という観念を、詳しく考える必要性がある。


民法520条
「債権及び債務が同一人に帰属したときは、その債権は、消滅する」

混同とは、債権と債務が同一人に帰属し、存在意義を失うことをいう。
それは、自分が自分に対して請求をしたり、自分の財産から、自分の財産に対して弁済をしたりするということは、通常は無意味である。
そのため、わが国の民法は、債権(債務)の消滅原因として、「混同」というものを規定したのである。

ここでいうところの「混同」の意味は、
「公私混同」とはずいぶん違う。
「公私混同」の場合には、「たしかにAがあり、たしかにBがあるんだけれども、AとBを区別なく取り扱う」という意味である。
では、ここでいう「混同」は、「今となっては確かな形としてのAはない、確かな形としてのBはある、だから、Bを以ってAも扱ったものとする」、そういうことである。

「混同」の典型的な例は、「相続」である。
「相続」は知っての通り、親が亡き後、親の財産を子が引き継ぐことをいうが、
ここで、ひとりの親と、ひとりっ子の間に、生前、債権債務の関係、金銭のやり取りが、あったとすると、それは「相続」によって、「意味を為さないもの」となり、「混同」が生じ、そうした債権債務関係は消滅する。

また、結果的には、「私」と「数の神」との混同が生ずることを望んでいる、という旨の私の記述も、この意味である。
そもそも、「数の神」って何だ?
という疑問が呈されるのが一般的である。
つまり、「数の神」という「確かな形としてのA」はない、だから、「Aの象徴」として、「確かな形としてのB」をもってくるしかない。
だから、
結果的には、「私」と「数の神」との混同が生ずることを望んでいる、という旨の私の記述も、
この意味である。

では、ここに、「正当性」ないしは「正統性」をめぐる、ひとつの「問題」が発生する。
「本来のカミとして存在するA」と「確かな形で存在する・したB」との間を橋渡しする「なにか」である。
それは何か?
おそらくそれは「神技(しんぎ)」なのではないかといわれている。
「神技(しんぎ)」についていえば、よくよく、「誤認」がつきものである。
人間以外の動物の、人間よりも秀でた能力を、「神技だ!」と誤認するケースは多々ある。

例えば、「犬は人間より嗅覚が優れている」
では、「犬は嗅覚の神様なのか?」
それは、たぶん、違うと思う。
いや、おそらく、違う。

では、何を持って神技か、といえばやはりそこには、「信仰」という要素が介在する。
「落ち葉拾い」のような、「奉仕活動」は、最もわかりやすい。
しかも、これは、「奉納ドリフト」における「神前の舞」の「ダンシングライン」を「極限化」するためのものだから、なおわかりやすい。

ここで、「神技」を媒介として、「神性」の「伝承」が自然発生的に起こってゆくのである。
ここに、「混同」の効果が発生する。
即ち、「神」と「信者」という関係が、解消される。

ここで、「伝承」とは、読んで字の通り「伝え承る」、
古くからの技術やしきたりを受継いで伝えて行くことなわけで、
当然、「伝える側」と「受継ぐ側」が存在し、この関係を言い換えると、「師弟」となる。

ここで、師弟間の情報の伝え方が、即ち「伝承形式」となるわけだが、
ここには、「完全相伝」と「一子相伝」の二つの種類が存在する。

そこに、少しばかりの問題点も考えられうる。
この「伝承」と「正当性」の話は、また次回になろう。

ともあれ、
「神技」が象徴化され、
「神技」が伝承され、
「混同」が生じ、
元来、「信者」であった者が、「神」となる。

つまり、「そして、そのシルビア使いは神となる」。
Posted at 2009/10/26 03:10:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月25日 イイね!

そして、そのシルビア使いは神となる。(ヤビツ峠)

そして、そのシルビア使いは神となる。(ヤビツ峠)画像はまたも福岡で、「さーて、これから東京に帰るか」というタイミング。

さてはて、私にとって「歯」は弱点(?)のようで、疲れが溜まると歯が割れてしまう。
昨日もまた、カキっ!と歯が割れる。
やはり、ロングツーリングの歪みが私の身体に出ているのか?
それにしても、高速を使うか否かは別として、距離自体は、長距離トラックの人々は普通にこなしているわけだから、それに比べて自分の今のドライビング能力は、体力不足であることが伺える。

「歯が欠ける」で思い出したが、
自分は、「滑らす」ことも苦手としている。
いつの年だったか・・・。(思い出したらまたの機会に書きたいが)
純正のノーマルタイヤで、スノードライビング1時間程度をして帰宅したことがあった。
東京・埼玉の人間は、スノードライビングは大の苦手なので、必ずと言っていいほど、曲がれずに事故っているクルマが多々あったわけですが、
そのような中、ズルズルと、ドリフトさせるでもなく、ぎこちなく滑りながら、どうにか帰ってきたわけですが、その帰宅後、数日間、歯痛に苦しんだ覚えがある。

たぶん、今の能力で、「滑らすドライビング」、「ドリフト」に手を付けると、多分、歯は真っ先に壊れるとおもわれ・・・、とにかく、ドリフトに私が手をつけるまでに、まだやることが山ほどあるのは確かだ。

さてはて、そんな自分の弱点に気が付いてしまったわけだが、
私が気づいたことはそれだけではない。




わたしは、気づいてしまった。
我々、走り屋という種族が、何万年も前から続く、古い伝統に縛られた存在であることに。

わたしは、気づいてしまった。
多くの宗教家も気づいていないであろう、「峠の神様」の実際に。

たいていの峠道、伝統的な街道には、神を祭った「神社」がある。
この状況は、アミニズムを信仰の原型としてきた日本人は、何らの違和感も抱かない。

それでいい・・・。
これらの神社には、当然にして、「山のカミ」が「御神体」として祭られている・・・

そう思うだろう?
それが・・・、
厳密には・・・違う・・・のだ。

結果論としては、「間違い」では決してないのだが、
厳密には・・・違う・・・のだ。

恐らく、宗教家の多くも、この「実際」に気づいていない。

たいていの峠道、伝統的な街道には、神を祭った「神社」がある。
しかし、こうした社の御神体は、もともとの「山のカミ」ではない。

では、何か?
「山のカミ」を敬い、これを信仰してきた「信者」、
そのなかでも「伝説的な信者」なのだ。

これが、どういうことを意味するのか?

それはこういうことだ。

ドリフトをしていた走り屋が、いずれその山の信仰対象となり、
この走り屋が山の祭神となる。

とある峠道に、
「奉納ドリフト」を行っていた、シルビア使いのソリストがいたとしよう。
「奉納ドリフト」は詰まるところ「神前の舞」であるわけだから、
「極限の美」を追い求めることが要求される。
そのため、ガードレールぎりぎりまでを、
その「舞の動線」「ダンシングライン」として使わなければならないため、
「落ち葉拾い」が必然的に発生することとなり、
その道を掃き清める「信者としての奉仕活動」が発生する。
ここに、そのソリストは、「峠のカミの信者」となった。

ここまでは、通常の感性でも、理解可能な現象だろう。

しかし、ここからが肝心な部分だ。
掃き清められた道でソリストが行うドリフトには、ますます磨きがかかってゆく。
当然、飛距離も伸びて行き、スキール音が綺麗に響き渡るようになってゆく。
それと反比例して、クラッシュ率も次第に低くなってゆく。
つまり、刹那的な美を求める段階から脱して、極限かつ安定した、まさしく、優雅にして雄雄しき美を発するようになる。
そういう段階では、マシンのチューニングも進む。
エンジンの回転数は上がり、官能的な叫びを上げる。
マフラーは改造され、山一面に排気音がこだまする。
そして、マフラーエンドからはバックファイアが出て、
まさしく、「山のクルマ」が出来上がる。

こうしたクルマ、こうしたソリストに出会ったとき、我々は背筋を正さずにはおれない。
その圧倒的な気に、リスペクトの態度を表明せずにはおれない。
それは、我々が「走り屋」だからとか、そういうローカル・ルールではない。
もっといえば、人間以外、山々の動物たちの方が、こうしたソリストたちに畏敬の念を抱いている。
つまり、その峠において、そうしたソリストたちは、霊長類ヒト科の生き物として、神々しさを放っているのである。

さて、これが、
「昔々、クルマという機械がありました。
それは、多くの人間にとって、とても魅力的な機械でした。
あるときは、自転車の代わりとして、ちょっとした移動に使われ、
あるときは、驚くほどの速さで走り、
あるときは、この上なく美しく舞いました」
こういう「伝説」として語られるほどの未来になったとき、
このようなソリストたちは、間違いなく、この峠の「神」となる。
「祭神」として祭られるようになる。

つまり、こうしたソリストが神となったのだ。
こうしたシルビア使いが「神」となったのだ。

ここまで読んで、笑った読者が多いだろう。
以前なら、私も、笑った。

しかし、実は、峠にある神社の御神体の伝説を調べてみると、
「木こりの○○は、この山を心から敬愛し、~そのような彼を神として崇め」
とか、
「むかしむかし、この街道で馬を走らせることは困難でしたが、彼の、神がかった、飛びぬけた乗馬センスは、この峠をアッという間に通過することを可能としたのでした」
とか、
「彼は、イノシシの背に乗り、いっときでこの峠を越えたのです。
彼が猪年生まれだったからか、そういう因果関係は今となってはよくわかりませんが、彼がイノシシを操る能力は、神がかっていて、彼がイノシシの背にムチをあてると、イノシシたちは走ることを最高の歓びとして、神明を賭して、彼のために走ったのであります」

実際のところ、峠にある神社の御神体・祭神について、調査してみると、こうしたケースばかりである。「木こり」とか「馬使い」「イノシシ使い」はては、後ろの二者は、「峠最速の神様」といって何ら差し支えない。

つまり、もともとの「山のカミ」という存在がいて、そこに、「神の力」「神技」が宿っていた。
ただ、こうした漠然とした「神技」を、「象徴化」して、信仰対象を明確化してやる必要がある。人間は本能的にそれを望んでいるのだ。

「神技」が象徴化され、
「神技」が伝承され、
「混同」が生じ、
元来、「信者」であった者が、「神」となる。

これについて、
「混同」という観念を、詳しく考える必要性がある。
Posted at 2009/10/25 00:41:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記

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