
まず、昨日オイル交換とスパークプラグ交換をしたショップについて、誤解が無いように記しておこう。
ここは、東京都某市で、Y氏が経営する、三菱車のチューニングパーツに特化した、新進気鋭のショップである。Y氏はチューナーとしてカリスマ的な人気を誇っているらしく、ランエボのコアなユーザーで、この店の存在を知らない者はいないかもしれない。
一方、「英子先生」のショップは埼玉県H市にあり、以前では過激なチューンに、現在では落ち着いて、板金方面において、30年以上に渡る歴史と、その美しい仕上がりの仕事ぶりに定評のあるショップだ。
師曰く、「昔はねー、うちには、そっち系のクルマが多くてねー」とのことで、
埼玉県H市在住で、走りを志していた、あるいは志す者達で、彼女の名と、このファクトリーの存在を知らない者はいないことであろう。
さて、
宮ヶ瀬湖(みやがせこ)は東丹沢にある宮ヶ瀬ダム建設によってできたダム湖である。神奈川県愛甲郡愛川町、同郡清川村、相模原市の3市町村にまたがる大きな人造湖だ。
宮ヶ瀬ダムは中津川をせき止め2000年12月に完成したのだが、宮ヶ瀬湖自体は宮ヶ瀬ダム完成前の試験湛水によって1998年にできていた、とされる。
宮ヶ瀬湖は、その水を、生活用水、農業用水、工業用水などとして、主に神奈川県に供給するためにつくられた。上水道は横浜市・川崎市・横須賀市等神奈川県全体の2/3の地域、県人口の実に90%に供給している重要性の高い人造湖である。
完成が2000年とあって、最も新しい湖である。
私にあてはめていえば、ちょうど、10年ほど前のことだから、「自身の走りのミス」によって、左腕が「障害者状態」となっていたときのことだ。
多摩湖が、近代の中で最も古い人造湖であるのに対して、
宮が瀬は、最も新しい人造湖なのである。
掲載した画像をよく見ると、緑の山腹を白くズバっと横切って続いている筋が見えるだろう。湖岸に造られた周回道路だ。(解像度は大丈夫だろうか?)
これが、湖面から一定の高さを維持して周回していることもよくわかるだろう。
つまり、ここのコースもおおむね、「人造湖の特徴」が出ており、おおむね、勾配が存在しないといってよい。
そういうことだから、宮が瀬湖を対象材料としてみると、いままでの自分の軌跡が、多摩湖道が、よく見えるようになる。言い換えれば、「走り屋としての私」の「多摩湖道でついた癖」「技術的思考・傾向整理」の「媒介物」として、このエリアが最適なのである。
したがって、宮が瀬エリアの走りも、中心部である、湖を周回する道路については、「運動場のトラック的特徴」、「サーキット的特長」、「環状高速的特徴」を、当然に示すのである。
ただ、ここの宮が瀬エリアについていえば、「伝説のステージ」ではなく、「現在形の有名ステージ」であるため、それこそ、現在、宮が瀬をホームコースとしている方々がいうところの技術的話の方が、ステージにベストマッチした技術論であろう。
しかし、この宮が瀬を全く知らない人々にとっては、「(自称)走り屋の視点での宮が瀬の案内」になるであろうし、
それよりもなによりも、「走り屋としての私」の「多摩湖道でついた癖」「技術的思考・傾向整理」の「媒介物」として、このエリアは最適だ。
昨日のブログでは、私の技術論から、「数の世界」にして「速さを求めるステージ」の周回道路が中心、周辺の「美の世界」「ドリフトの美を求めるステージ」を周辺として話していった。
確かにそれは技術的なアプローチなのだけれど、主観的かつ自己中心的なことを好む私の性格の悪い部分が過剰に出ており、むしろ正確でない。
宮が瀬エリアで、「中心」だの「周辺」だのを語るなら、それこそ「宮が瀬湖」を「中心」と据えて、この「周回路」にアクセスするための道を「周辺」とする。
これが一番素直であろう。
一番理科的で、理法にかなった捉え方である気がする。
無論、走り屋の集団、走り屋個人に目を転じると、個々のグループ、個々のマシン、個々人それぞれの、「走りの魂」が中心なのであるのはいうまでもない。
宮が瀬湖へとアプローチするルートは、「ざっくり言って5個だ」というのが適切だろう。
多分、地図を見ればそう感じるのが、おおかたの反応だろうし、それでいいと思う。
ただ、走り屋の感性と、「分布」を考えると、もう少し細かく分かれるのだけれど。
「今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。」
そう考えている私が、自分の技術を「周辺」からチェックしながら、宮が瀬湖に、「速さ」を求めにアプローチするには、「美」の世界を感じながらアプローチしてゆくのが適切だろう。
ここでいう美は、決して、美人画のような、落ち着いた静的美ではない。
フィギュア・・・、動的で、しかも、散華の可能性を多分に含んだ危険な美なのだ。
ドリフトだ。
このエリアに集うドリフト族の攻め方は半端なかったという。
極限の美を求めて、ガードレールぎりぎりまでを、その走行ラインとしていた。
この動的な美の限界を求める行為に宿る魂は、峠という場所と結びつき、時として信仰と評するのが適切な、崇高なる領域まで高められるのである。
Posted at 2009/10/13 05:51:34 | |
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宮ヶ瀬 | 日記