
「ギリシア人意識」。
歴史上の人物で、「最も強いギリシア人意識」を持っていたのは誰だろう?
ソクラテス?
プラトン?
アリストテレス?
彼らは学者である。
もちろん、学者って職業の人々は、相当強い闘争心をもっているわけだけれども、
「最も強いギリシア人意識」といったとき、もっと闘争的な、別の人物の名が挙がると思う。
アレキサンダー大王。
彼は、マケドニアの王であって、ギリシアからは外れた場所の出身である。
しかし、彼の、「闘争心と密接に結びついたギリシア人意識」は、同時代のギリシア人の誰よりも強かったのだ。
中心が実は周辺だったり、周辺こそが実は中心だったりする。
とあるGT―Rが、この四面道の合流路の片隅で「獲物」を・・・、「奴」を狙っている、
このGT―Rのドライバーは、アレキサンダー大王に似ている。
何が似ている?
その「闘争心」と自意識が、アレキサンダー大王のものと酷似しているのだ。
それはまた明日にでも語ろう。
「奴」はこの「オールクリア」になる時間帯を狙ってくる。
この時間帯に、この先のトンネルへと入って、「世界一の加速」を披露しようというわけだ。
しかし、それはさせない。
俺のGT―Rがさせない。
奴のそれが「世界一」ではないことを、
俺が、
俺様のGT―Rが、
教えてやる必要性があるのだ。
しかし、このGT-Rのファイターには、アレキサンダー大王と明らかに似ていない「現状」があった。
それこそが、不本意だった。
もちろん、こうした「教え込んでやる立場」「思い知らせてやる立場」であることを、
誇りに思ってはいる。
だが、彼らは、アレキサンダー王の如く、「遠征」することを「美学」としているのだ。
俺は、「多摩湖道の走り屋」として、「走り屋意識」を確立した。
次いで、奥多摩エリアを活動拠点として、「青梅街道の走り屋」として「進化」した。
そして、自分の活動範囲を群馬エリアに拡大させることで、
「首都圏一の走り屋」=「日本一の走り屋」となってきたのだ。
しかし何故だ?
これから「奴ら」に思い知らせてやろうと、「奴らの牙城」への「侵略計画」を錬っていたというのに。
いや、「私」・「我々」が、「神の座に君臨し続けている、奴ら」を追い落とし、
そして「我々」がとって代ろうという、
「神殺しの儀式」と「神々の争い」、そして「神の交代」という歴史の場面が、
これから幕を開ける。
我々が、私が、その戦端を開く。
そういうシナリオだった。
しかしいま、
なぜ、「奴」が襲ってきた?
まさか、「奴」は先制攻撃を仕掛けてきたのか?
ひょっとして「奴」は、「奴ら」の「使徒」なのか?
そんなことは今はどうでもいい。
ともあれ、おかげさまで俺は、自らの美学に反する「防衛戦」をしなければならないハメになったのだ。
「奴」が、
この「オールクリア」になる時間帯を狙って、
高井戸方面から環八を北上してくるのは、いたるところで噂になっていた。
この時間帯に、この先の井荻トンネルへと入って、「世界一の加速」を披露しようというわけだ。
しかし、それはさせない。
俺のGT―Rがさせない。
奴のそれが「世界一」ではないことを、
俺が、
俺様のGT―Rが、
教えてやる必要性があるのだ。
ここまで書くと、この「R伝説」の時代がいつであるのか、絞り込まれてくるだろう。
環八の四面道交差点が立体化された後で、井荻トンネルが出来た後の時代である。
Posted at 2009/11/02 23:48:00 | |
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環八(環状) | 日記