
「男として生まれたからには
勝負しない人生なんて
死んでいるのと同じなんだ・・・」(by大宮智史)
しげの秀一『頭文字D』34巻 2007年 講談社
今朝、ブログ主は夢をみたのだが、
それはこのブログで語られている環八のR伝説と、凄く関係の深い夢であったのだけれど、
この「夢」の話はまた明日。
そんなことより、本日、このブログに対する初の「重大苦情」が。
(ようやくこのブログも影響力が出てきたか♪←突っ込みどころ:「不謹慎な!っんなわけないでしょ!っバカっタレがっ!」)
まあ・・・、こういう具合に、自分で言うのも何ですが、
ホンっト、毒の強いブログだこと。
フグ料理のような魅力は・・・出ているだろうか?出てないだろう。
(突っ込みどころ:「冗談言うな!アレは毒を取り除いてあんだよ!」)
(蛇足:フグの毒ってアレ、「死んだ!」と思っても生き返ることがあるんでしたっけ?!)
そこで、ブログの「チューニング?」「バランスとり?」をすることに。
とりあえず、「毒」の部分については、マイナス効果を発生させる部分を消す「チューニング」を繰り返しつつ、ブログの熟成を行うとして、
結果として、最終的には「円熟のパッケージング」が出来上がれば、
そして、ブログ主自身のカーライフとドライビング技術が、滑らかで、完成度の高いものへと昇華出来れば、万々歳である。
しかし、
今更ながら新たな発見!
このみんカラの機能は、過去のブログ内容の書き換えが容易なんですね。
(きっと多いんだな。「インチキた~くさん書きよるの~ぉ!オラそんなこと言ってねーべー!!」とか。)
言いたいのはそういうことではなく、
時間が経って後から巧妙に扮装することが可能だということ。
と・・・いうことは・・・、たぶん、数年後には、「走り」や「多摩湖道」の内容は、多くが書き換わっている!
それこそブログ主は、多摩湖道→奥多摩→群馬と純粋進化した、「走り屋の中の走り屋」だ!
というように、
巧妙に美化・扮装が為される可能性が高いのである。
(いつまで加筆可能なんだろう?)
・・・ブログ主の最近の生活は、とんでもなく慌しく、「仕事を複数抱えた状態」に近いものがあるため(残念ながら、専業の走り屋ではない)、そういう熟成・美化・脚色・改ざん!をする余裕はあまり無いので、無理だとは思うが。
さて、
(これ以下は、完全なるフィクションであり、登場する人物・団体などは、実在のものとは一切の関係を持ちません。)
子供は、私の母に預けて、日本に置いて行くとして、
では、あの別荘に妻を連れて行くか・・・?
まったく・・・、あの別荘の目的も随分変わってしまった。
もともとは、純粋に別荘だった。
森の中の別荘だった。
だが、あれは「基地」に目的が変わった。
「人形」となった妻については、腕を組んだり車椅子に載せたりして、連れてゆけるとのこと。ただ、マシンと一緒に、我々も、少しばかり時間を掛けて船でゆくことも、選択肢のうちではある。
そうこうして、
ようやく、私は、男の中の男になるための、イニシエーションに、
自らの心に刻まれた劣等感を克服するためのイニシエーションに、
今更ながら、挑むことが出来るのである。
それが達成されたとき、僕たちが「奴ら」を倒すことが出来たとき、僕は君の父さんを確実に越えることが出来るのである。
しかし、もう、際限なく大きな代償を負っていた。
自分が男の中の男となった時、
最高にかっこいい男になったとき、
眠り姫は目を覚ます。
残念ながらこれは、ファンタジーの中だけで成立する話である。
現実にはそう上手くいかない。
現実は、悲惨だ。
いま、妻の容姿は、日本人形そのものだ。
生きた人形だ。
茶色だった髪は、完全に黒に入れ替わり、
紫外線に殆んど当たらない、肌は透明感を増し、ニキビ一つ無い。
実年齢の30代には到底見えないし、また、実際の20歳前後は脂肪がつきやすいため、これほど細々しいラインはあまりないだろう。
家で車椅子に座るその姿は、いままでのどの日本人形でも、確実にこれに追いつかない。
しかし、
そのグレーの瞳が、
彼女が父から継承していたグレー色の瞳が私を見つめることは、もうない。
意思表示不能の状態に陥り、ヒトとしての高度な機能・・・つまり言語を失っている。
幸いだったのは、トイレというものを忘れていなかったこと。
箸の使い方も忘れてしまったから、食事については・・・、犬である。
自分が男の中の男となった時、最高にかっこいい男になったとき、
この女を抱くことは出来ない。
年齢的に、露出の高い過激なドレスアップが最も似合う時期だし、実際、以前はそういう格好が凄く似合っていた。今は、恐らく、着物が最高に似合う容姿であるけれども、そういう色っぽいシュチュエーションは俺たちの間にはもう来ない。
こうなってみてわかったのが、とかく男女の関係は、「ヒトとしての醜さ」を多少包含したところにあること。
今の妻は、さしずめ「ヒトの美しい容姿をした、イヌ?」であろうし・・・、
でも・・・それは・・・、
美しい。
半端じゃなく美しい。
しかし、気持ち悪い。
半端じゃなく気持ち悪い!
男の中には、
人形を相手に行為に及ぶことが出来る人間が、相当数いるという。
単に、
美しさを言えばアレも相当つくり込まれていると言われているが、
人形としての美しさは、
「生きた人形」となった私の妻には、遠く及ばない。
しかし、人間としての要素を失い、
ひたすら人の形をした者の「美」に、
その純粋な「美」に、「性」が介在する余地がない。
こんなことだから・・・、
当たり前ながら・・・、
私は40代にして、早くも妻との性関係を完全に失った。
「こんな廃人意味ねーよ!」
そう言い出す奴の気持ちも・・・、俺にはわかる。