
かつて、私は、ワインが大好きだった。
今日はホジョレヌーボー解禁日である。
巷では、人々は、グラスを天高く掲げ、顔を赤らめ、美味そうに酔っぱらっている。
こういう話は、今「禁酒中」である「今の私」には、関係ない。
しかし、「彼」には、
いま語られている「R伝説」の「彼」には、関係大有りだと思う。
「彼」が、ミニ四駆を踏み潰されなければ、「ヤバいモーター」に出会っていなかったことと同様、ワインに堕ちていた状態による「悲劇」がなければ、
その「悲劇」による「普通の幸せからの脱落」がなければ、
「彼」が高高速モーターと「再会」することはなかったのではなかろうか。
「彼」の高高速モーターとの「再会」は、実に悲劇的なものだった。
さて、
(以下は、完全にフィクションですので、実在の人物・団体などとは一切の関係を有するものではありません。)
だいたい、俺を含めて、その人生を左右する程に重要なもの、
しかもその重要なものがとてつもないポテンシャルを持っていた場合には、
「理解不能」になるのだ。
ひとことでいえば、「意味不明」だ。
「意味不明」・・・そう感じるものに、本能的に刺激を感じるものだし、それが、魂の内部と、意外とシンクロしていたりする。
まさに、高高速モーターに対する私のインプレッションは、子供のときも、大人になってからも、「意味不明」だった。とはいえ、私はこの種の高高速モーターが「好き」だった。
「好き」+「魂内部とのシンクロ」だった。
「意味不明な速さ」。モーターは・・・、それで、「意味不明」でいい・・・。
それが家庭人としての生活でも、「魂内部とのシンクロ」+「好き」であるならば問題はない。
しかし、「魂内部とのシンクロ」+「嫌い」というのならばどうであろう?
それは家庭の不幸以外の何者でもないのではなかろうか。
妻は・・・、
彼女は私のことを「理解出来ない!」と叫んだ。私は妻から理解されることはなかったし、妻が今後、私を理解出来る可能性は極端に低下してしまった。
しかし、私が、妻から理解されていて、
かつ、ずっとささやかな幸せが、普通に家庭生活が続いていたなら、
理解不能な、
「意味がわからない」と感じるほどの高高速モーターとは出会ってはいない。
だから、結局のところ不幸な境遇に陥ったこと、妻をあのような状態にしたことに対して、何の後悔もしていない。
まだ、ほんの数年も経っていないというのに、遠い昔のように思われる・・・。
かつて俺はワインが大好きだったが、今は禁酒状態下にある。
走りと生活のために、好物を絶たざるを得なかったのである。
だから、そんな巷の状況は、今の俺には関係ない。
巷の奴らが、美味そうに、ヘラヘラ笑いながら酔っぱらっている様子は、以前の俺の姿そのものだ。
そんな以前の俺のような姿を見ると、ブッ殺してやりたくなる。
だから、そういう様子を見ない方がいい。
こうなった直接の引き金は・・・いつもの通りの朝だった。
思えば、この日が、いつも通りの朝がやってきた最後の日だったか。
たしか、次の日から大型連休が始まるとかいう、そういう日だった。
いつも通りに、仕事場に行く時間になると妻を呼びつけて、言った。
「送れっ!運っ転っんしろっ!」
妻が、ワインレッドメタリックのランエボの運転席に座り、私はリヤシートに座り込んだ。
リヤシートセンター部のアームレストを引っ張り出す。
カップホルダーにカップを立てた。
左手に持ったブルゴーニュスタイルの瓶のコルクを抜く。
私はいつもの通り、
カップに赤ワインを注ぎ込み、仕事場までの移動の時間、
体内に、
仕事の効率が最大になり、
かつ、
私の機嫌が最高になるくらいのアルコールと、ポリフェノールを補給する。
「酔拳(すいけん)」。
朝っぱらから酒を飲むことは日本には珍しかったため、他の奴らはそう呼んでいたが、あれほど事理弁識能力を欠いているものではなかった。
むしろ、あれくらい酔っていた方が、事理弁識能力を失ったくらいの「ただのアル中」の方が、つまり「本物の酔拳」でなかったならば、少し別の様相があったかもしれない。
だがそれは、それこそ何の価値もない結果を導き出した可能性の方が大きいだろう。
この日、妻の運転は荒れていた。
ワインの液面に、波乱が生じていた。
バックミラーにわずかに映った顔からでも、もう厭だ・・・、という様子がありありと見て取れた。
妻は、いわゆる「秋田出身の女」で、「それらしい顔かたち」をしていた。
対して私は、東京の人間で、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」、「闘争心(・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識)」を持った私は、
彼女の父親の性格のうちの「オトコギ」と「傲慢さ」を極大化させたような人間だったのだ。
つまり、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」を持った私は、
彼女の故郷の価値観が理想とする「男らしい男」そのものだったのである。
それは、彼女が洗脳的に持っていたと思われるアイデンティティから言えば、彼女は私の妻になる以外になかったのである。
勿論、私はこの妻を心底愛しているし、それが今更になって明らかになっているし、当時から、この妻の外見に関しても何の不満もなかった。
むしろ、好みのど真ん中というか、二十歳頃には、異性の好みはほぼ定まっていて、それは妻のような容姿の女で、そういう女子を見ると、
まさに、
自らが「亭主関白」になってエバリ散らしたい、
そういう気がして、うずうずしていたものだった。
2000年代になると、「草食系男子」というのがもてはやされており、俺のような趣向(性癖の一種らしいが)の「男気強調野郎」は毛嫌いされていた。しかし当時の俺は、そんな世間の需要に背を向け、自分が男の中の男になること、自分の「理想のナルシスト像」に、自分自身を近づけるために必死であった。そのために、走り屋を志していたり、峠を攻めたりすることに必死であった。
そんな中、俺の前に現れた彼女は、「自分の父親と凄く似た性格」で、そして「父親よりも男らしい性格」だとして、
俺を、
とても慕ってくれた。
もちろん、彼女を愛していたわけだし、プロポーズした・・・、正確に言えば「結婚を命じた」のは俺の方だった。
彼女の実家とも、尋常ではないくらい仲がよかった。
もともと、彼女の実家がある秋田県は、
「DV王国」・・・男の立場から言えば「DV天国」と言われる場所であった。
一つ目、プロポーズの決まり文句といえば、「オマエは俺の妻になれー!!」であった。
二つ目、「北限の海女」といわれる女性たちが活躍していたのはこの辺であったといわれており、何故そうなったのかといえば、かつて、常に酔った漁師の父親が、「伊勢湾とかー、九州とかー、瀬戸内海とかーではー、海に潜って貝とか採るのは、女の仕事なんだからー、ココでもそーゆーのは、女の仕事っしょー」そう言って、娘を寒風吹きすさぶ日本海に飛び込ませたからだ、といわれている。
三つ目、ここの祭りは極めて独特だった。
祭りの日、とーちゃんたちはニヤニヤしながらどこかへ集結するのだった。そして、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、自宅へと襲い掛かるのである。
「悪い子はいねーがーっ!!」
と叫び狂いながら。
このうち、一つ目と三つ目は経験していた。
特に、三つ目は何度も何度も。
彼女のお父さんとはすぐに気が合い、私は毎年のように、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、「悪い子はいねーがーっ!!」と叫び狂っていたのである。
そうして子供たちが、えーんえーんと泣く姿の、楽しいこと楽しいこと。
二つ目は・・・まだだったな。
娘は、私の目・口・耳と、妻の額・まゆ・鼻を継承した顔立ちで、両親の双方の特徴である白い肌を極端化させたような、透き通るような白さを持った奴なので、チアノーゼになって海から上がってくる姿は見物だろう。
そろそろ、飛び込ませてみるかな?
彼女の実家とは、尋常ではないくらい仲がよかったので、ガレージにはエボⅦとエボⅧMRを一台ずつの計2台、置かせてもらっていた。フロントマスクは双方ともに、エボⅨのものに交換されていたので、外観はエボⅨと言って差し支えなかった。
この2台の役目は、私が雪道をぶっ飛ばすためのものだった。そのため、双方とも、ロシア製のスタッド付きタイヤを装着していた。
今まで、2台ほど、CT系のエボをオシャカにしながら「雪道ぶっ飛ばし練習」をしていたため、ここの地元の誰よりも、雪道を速く、上手く走ることが出来るようになっていた。
ここで、雪の中を速く走ることが出来るということは、男の中の男であった。
いずれ息子にもやらせよう。
奴は、私に似た迫力のある眉毛が、吊り上っている、迫力のある顔なので、たぶん、空中で車の向きを変えられるようになるはずだ。
そういうことだから、この地域の男たちから、私はリスペクトされていた。
ターボの音と、改造マフラーの爆音が雪原に響き渡ると、皆、私に敬意を表す姿勢をとって挨拶していた。
特に、彼女の父さんは、そんな私を誇りに思ってくれていたし、
私の妻が私を慕っていた本能的な理由は、
私が、
彼女が育った地域の価値観においての、
「男の中の男」、
そうである気配を私が持っていたからだったし、
事実そうなのであろうし、
彼女もそう言っていた。
でも、
彼女の父さんが、
長年の過度の飲酒が祟って、心筋梗塞で急死した一昨年前から、家庭内の関係もギクシャクし出したのだった。