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猛走峠のブログ一覧

2009年11月24日 イイね!

確認事項とホームスクール(環八)

確認事項とホームスクール(環八)ブログ主が、「英子先生」の家での灯篭運びは、現実のことです。
一方、R伝説の「彼」は、そもそも、現実の人ではありませんし、
また、「彼」が妻の「墓堀り」をすることに関しては、未遂だったのです。

夢と現実、物語と現実との区別は、明確につけておく必要性があります。
この点についての逸話に、明日分以降のブログで触れることになります。

ここから、再び環状のカテゴリーに話を戻すことになるが、「彼」が、高高速モーターに「再会」するときの200時間程のことを克明に記すことは、良くないと思われる。
「彼」は、その時間内に生じたことを恥じているのであるから、その部分を克明に記すことは、彼に対する冒涜という見方もできよう。
そのような冒涜は、ブログ主には出来ない。
なぜなら、ブログ主は、「彼」のことを相当リスペクトしているからであって、リスペクトしている人を貶めることは断じて出来ない。

あと、言い方を変えれば、「DV天国」などというものの、
彼は結局、DV行為を恥じており、
その行為を行ってしまい、家庭崩壊させているが故に、
彼も、彼の妻の父親もろとも「男として失格」という判断をしているわけである。

そりゃそうだろう。
家族に暴力を振るう男が、男として一流なはずない。
しかし、
(明治時代に多かったが)「俺りゃ神様だー!!」というのが口癖のタイプの男なのだから、神様になるための儀式に挑むことが、必然的に求められるのである。
彼は今のところ、もう少しグレードダウンした、「男の中の男」という言い回しをしているが。いずれにせよ、神様になるための儀式に挑むことが、必然的に求められるのである。

また、四面道でコーヒーを飲みつつ、待機する「彼」の回想は、以下の内容は、200時間よりも、随分後の時点に飛んでいる。もう、彼のGT-Rが四面道にいる時点よりも、いくらも前ではないと思う。

あと、以下で「さて、」と言ってることについて、今更ながら確認すると、
「さて、」以降は、現実ではないと考えて差し支えないです。
少なくとも、環八での逸話に関しては、現実ではないです。
それこそ、このエリアでの取り締まり活動の盛んさ・凄さと言ったらもう・・・。

さて、

私は、事務所の全権を、最も信頼の置ける部下に任せた。

子供たちは私の母に預けた。
とりあえず、そうしようと思っている。

遠征先の国がアメリカであるなら、この子供たちも連れて行って、家事手伝い人以外に、家庭教師の類を雇いつつ、ホームスクールにすると思う。

正直、私は、
アメリカや中国の傀儡である日本政府・国家権力が、学校教育を通じて、子供たちの日本人意識と誇りを解体する日本の現状を許せないと思っているし、どこの国に移住するのであれ、政府の歴史観等が子供に流入することが嫌いなのである。

一方、中国やイスラエル等は、都市住民に対しては、親と子供を引き離して、親の歴史観が子供に流入することを防止・禁止している。
アメリカの「保守層」は、政府の存在そのものが「絶対悪」「必要悪」であるため、子供に対してはホームスクール状態として、初等教育課程の通学はさせないのが一般的とされている。
日本の保守層は明治期の価値観をベースとしていたので、21世紀初頭までは学校教育に国家形成の基盤を見出していた。だから、学校に子供を通わせることに大賛成だったのだ。しかし、21世紀のグローバル化と歴史的な再検証も進んできて、明治期の感性というのは、相当にリベラルなものであったことがわかり、
私のように、保守層でも最も過激派とされる、国粋主義者としては、
子供を学校に通わせないようにするのが、理想的な姿であるとされている。

だから、私も、息子には立派な日本男児になって欲しいし、娘には素敵なやまとなでしこになって欲しい。だから、小中学校には行かせないようにするのが希望なのだが・・・。

あいにく、
日本にせよ、遠征先のドイツにせよ、
義務教育の「義務」を、刑罰つきの、親の「絶対服従義務」としていた。
だから、ホームスクール権の行使は、禁じられている。私としては疎ましいが、現代国家としては、致し方ないだろう。ホームスクール権の行使の類を、公然と認めていては、それこそ、経済は世界一なのに貧困や餓死も世界有数とかいう、アメリカのようなヘンテコレンな国ができ上がってしまうだろう。

だから、私の選択肢も、二者択一状態となるわけだ。
そうすると、一般論として、遠征地の「基地」に連れて行くのは、危険行為に該当するという意識が浮かんでくる。
勿論、その地が、アメリカではないから、
私は自分を、「走り屋」という技術的カテゴリーの中に留めておける。
遠征先がアメリカのハイウェイであったなら、私は暴走族を結成し、暴走族活動を行うことになっただろう。
環状族仕様のシビックをブン回して、私をヘッドにそうした活動をしていた時期もあったが、
だが、この度は幸い、走り屋としての活動であるため、「基地」に武装した襲撃部隊が襲ってくる可能性は殆んどない。ただ、自分の状況としては、毎日のように遺書を更新していく状態であることに変わりはないので、遠征地の「基地」に子供を連れて行くのは、タブーであろう。
だから、子供たちは日本の学校に通わせることが、必然的に選択されるのである。
Posted at 2009/11/25 22:13:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月22日 イイね!

灯篭運びと「医療モデル」(たぶん極悪人ではない犯罪者の視点から)(環八)

灯篭運びと「医療モデル」(たぶん極悪人ではない犯罪者の視点から)(環八)本日も、昨日に引き続き「英子先生」とお会いする。
昨日は鎌倉だったが、今日は埼玉県某市の英子先生の自宅へ、弟分を引き連れて二人で。

私の弟分は、「英子先生」の「弟子」である。その「習い事」を彼が集中的に特訓されるわけである。今日においての私役割は、「雑用係」である。「英子社長」の客ではない。そのため、灯篭運び等もせねばならない。(写真)。
とはいえ、弟子+αのあるべき姿としては、明け方から参上しなければならないのだろうが、着いたのは、AM9:30過ぎ。だから、実質「お客さん」と思われているかもしれない。

それにしても、「R伝説」の「彼」が、深夜の四面道で「奴」を待つ間、缶コーヒーを飲みながら思い出していることについて・・・、
「彼」が思い起こしている記憶のここから先、
「彼」と「彼の妻」に「いつも通りの朝」がやってきた最後の日、
井荻トンネルで運転席の妻から、離婚を切り出されて、それを無視したまま、このランエボは彼の事務所に着くわけだけれども・・・、

そこから先、ここから先の200時間余りの間に、「彼」と「高高速モーター」の再会が生ずるわけだけれども、それを詳細に書くことは、極めて問題が大きい。

ブログ主の頭の中には、「こういう人物(彼)なら、こういうふうに振舞うんだろうな~」という、確固たる「彼」の「振舞い方」が、存在しているのだけれど、それを明々白々に記述すると、あまりにバイオレンスの要素が強調されるため、残念ながらそれを避けざるを得ません。
さしずめ、「彼」自身の自己防衛本能から、この200時間については、ぼやけたように思い出す癖があるとでもしておきましょうか。まあ、実のところ、「彼」は、「死体遺棄」を計画し、それを遂行しかけたことの方を、暴力行為以上に恥じていることからもわかるように、そういう「ゴマカシ」を凄く嫌う癖があるのですが。しかも、残念ながら、彼が「恥じた計画・未遂」が高高速モーターとの「再会」の「引き金」であったのだから、なおタチが悪い。



さて、

夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかる。

「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。

無論、法はそうした遺棄行為を禁じている。しかし、相互扶助義務というものも、こうした局面においては相当程度空文化している。

一方で、私と妻との関係においては、刑法が空文化していた。少なくとも、私の究極的な意思決定の中に刑法が介入する程度は、通常人に比べて相当に低い。
対外的には勿論、空文化することなどありえないわけで、殺人行為が成立しそれが発覚していたなら、俺は殺人罪に問われていたろうし、妻の今の状態の発生原因だって、傷害罪の構成要件を充足している。ただ、首を絞めた傷痕はもう消えてしまって、今となっては、脳溢血などと区別が付かなくなってしまっている。そのため、単に私が刑事上の訴追を免れているだけだ。
だが、心肺停止状態が続いたことによる酸素不足で、脳は相当酷いダメージを受けていた。妻は廃人となってしまった。言い換えれば、私は妻を廃人にしてしまった。私は一生、この廃人と共に生きていかねばならない。

「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。
昔、
私と丁度同じ歳の俳優だったか、
重度の進行性の病気を抱えた歌姫を妻にした者がいた。
こういうケースでは、妻が意思表示不能の状態に・・・、廃人に陥って生き続けたパターンにおいて、夫の「愛」の在否が表出してしまう。通常、「愛」が問題となる局面は、実のところ、極端に少ない。特に、あまり感情論を重視しない我々、男にとってはなおのことだ。

彼は、どうしただろう?
いまとなっては、もうわからない。
わからないし、わかる必要性がない。
自分の問題となったから。
彼らの人生のありようを実験データーのようなものとして、注目する必要性が、どこにも無くなったからだ。

夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかるのだ。

愛がなければ、こう言って棄妻するだろう。
「こんな廃人意味ねーよ!」
現実には、こっちが多数派だ。
ごく少数、夫は妻を愛玩し続ける。

私と丁度同じ歳の俳優は、進んで、その可能性を選び取ったのだから、私と同じ年頃の男たちは、皆、彼の度胸に驚嘆かつ、彼らに、実験結果を楽しみに待つが如き、興味深い視線を向けていた。

一方、私は、自らの手で、妻を廃人化してしまった。
傍若無人な男は、刑事訴追の可能性が希薄化した時点で、喜んで棄妻するだろう。
しかし、私の魂がそれを許さなかった。国家権力ではなく、たぶん一般用語で言うところの「神」が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑していた。
私が持つ愛が、
私に対する神からの刑罰の媒介物、
つまり「手錠」となってしまった。

いつも通りの朝がやってきた最後の日、
環八の井荻トンネルに入ったとき、妻から離婚を切り出された。
そのあと、妻の言葉を黙殺したまま、私の事務所に到着したが、その日の夜には、妻の署名がしてある離婚届を提示され、私は書名を求められた。

このあと、200時間くらいに渡って起こったことを、私の頭の中でも、思い出すことそれ自体が有害だろう。

しかし、この後の200時間くらいの中で、この高高速モーター搭載型のGT-Rと、思いがけない「出会い」をした。

しかし、その出会いの「動機」は、極めて不純なものだった。
触媒の取っ払われた、改造マフラー搭載型の、ハイパワーターボ車で、バリバリと存在感を誇示することが、極めて不都合だったから。
しかも、私は彼女を捨てようとした。
私の頭の中には民法770条の如きものはなかった。というより、離婚による姻族関係の終了に関する規定は、完全に頭の中で空文化していたし、それに伴って、刑法199条の如きものも、頭の中で完全に空文化していた。・・・しているはずだった。

つまり、私は妻をぶっ殺すほど愛していたのだ。
正々堂々と捕まって、その上で、「ぶっ殺すほど愛していた」と言えばいいのに、
私は妻の肉体を捨てようとした。
高高速モーターとの「再会」のきっかけとなった「動機」は、本当に不純で保身に満ちた、下劣なものだった。
妻の肉体を捨てるために、存在感を誇示しない動力機関を連れてきた。
それが、「再会」のきっかけだった。

しかし、妻は、息を吹き返した。
私が妻を捨てることは、なかった。
捨てることにならなくて、本当によかった。
その点は・・・、よかった。

そして、その後、自分が、愛のある夫だったと、
数少ない、「愛のある夫」の一員であったと、自覚することができた・・・
自覚するハメになった。
はっきり言って、それは、単に私の殺害技術が未熟であったことによる結果に過ぎないし、
見方を変えれば、国家権力ではなく、
神が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑することになったに他ならない。
際限なく大きな代償を負ったことの裏返しと、それによる自己満足でしかない。

刑罰のあり方を「医療モデル」などというが、まさに・・・医療だ・・・苦痛だ。
「治る為に治療を受ける」という、目標に向かう自己満足感、加えて、大きな肉体的・精神的苦痛・・・。
Posted at 2009/11/23 16:45:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月21日 イイね!

いざ鎌倉+(普通なら)「今日、妻と離婚します」(環八)

いざ鎌倉+(普通なら)「今日、妻と離婚します」(環八)本日、用事あって鎌倉へ行ってきた。
「英子先生」と自動車以外の用件で、ちょっとした清掃作業をすることになっていた。
AM8:00に家を出て、
東名川崎インターから入り、
(東名高速)
横浜町田インター
(保土ヶ谷バイパス)
(横浜横須賀道路)
朝比奈インターで出る、という経路を選択したが、
いざ、東名川崎インターから合流すると、
「!」
本線がぎっしり。
なんでも、朝、厚木で乗用車2台が横転して、
[事故渋滞+交通集中による渋滞]が40km。
30分以上だろうか?
東名川崎→横浜青葉。
耐えかねて、横浜青葉で降りる。
一般道を使って、保土ヶ谷バイパスに入るも、ココもかなり渋滞。
朝比奈の出口もかなり渋滞。
10:00にみんなで集合→作業開始のはずが、
到着時刻は11:30過ぎ。
[疲れたー+かなり遅れたー+やべーなー]
と思っていると、
「コンコン!」
窓を叩く人。
「英子先生」が只今到着。
「あっ!おはよーございまーす、師匠」
何やら、用事をこなしていたようなので、着くタイミングは一緒だった。

それにしても、「平日ではなく休みの日だけ」「高速無料化」というのは、同義的な面から見て、少し考えものであるし、加えて、「休日にしかプライベートがない」という、「常にラッシュアワー生活をしなければならない」僕ら日本人、特に関東人の惨めさを思い知ってしまう。(むしろ平日の方がいいのでは?)

まあ、そういう社会哲学的な面は置いとくとしても、第二東名が必要なのは、沼津より東京寄りの方だったのでは・・・?
という疑問も。


さて、

青梅街道をトロトロ走る、通勤用のランエボの中には重い空気が漂っていた。
四面道交差点を左折して環八に入ると、朝でも、流れは幾分よくなる。そのとき、堰を切り裂くように妻が切り出す。

「・・・、もう、私の実家に置いてあるエボⅨ(ナイン)2台、引き上げて欲しいんだ」

理解していない。
やっぱり理解していない。
あれはエボⅨではない。
同様に私のことも理解していないのだ。

「邪魔ってことか?でも、あのガレージ、むしろあと2台分あっただろ?」

少し、はぐらかしたが、妻はバックミラーに映った私を睨みつけた。
彼女から出る次の言葉を私はもう、わかりきっていた。
残念ながら、それがわからなくなるほど酔っちゃいない。

「そういうことじゃない。」

言い出す、時期的なタイミングとしては極めて合理的だろう。

まず、私は運転中に危害を加えることはない。

次に、「私の実家」とは言うものの、この時点であれは、「私の家」と言うのが適切だった。
彼女の父さんが死んで、しばらくバタバタとしていたが、
半年ほど前に、遺品の整理が済んで遺産分割の協議書が完成した。
五ヶ月前に現金預金や有価証券等の資産配分が終わった。彼は、博打にめっぽう強かったので、多額の預金を持っていた。
四ヶ月前に所得税の準確定申告が済んだ。
つい先日、法務局への登記を済ませて、権利関係の承継が全て終わった。
彼女の兄弟姉妹はみな関東や大阪に出ていたけれど、それらの家庭の中で、彼女の父さんと濃厚な関係にあったのはうちだけだった。
だから、彼が住んでいた屋敷と所有する賃貸物件、貸し出している農地など、向こうのものは全て彼女のものとなることが、協議書で決定されていた。

この時点で、ようやく「落ち着いた」という感じがあった。

しかしそのとき、彼女が、子供たちを、向こうの小学校に入れる手続きをしていたことを、私は察知していた。このとき実は、彼女一人でも、二人の子供を育てることが可能なだけの資本家になっていたのだった。末の娘であるはずの彼女が、「手っ取り早い現金類」ではなく、「キャッシュインをするための資産」を選択したことは、要注意だったのだ。
言い換えれば、彼女は、私とは別の生活基盤を確保しようとしていたのだ。

一説には、「秋田女は、ロマンチックな顔立ちで美しいが、極めて、現実的で、下賤である」とも言われる。私は、彼女が下賤であるとは思わない。母親として、生活を軸として考えるのは最もだろう。
しかし、それが、私との関係を終了させて行われるということが、我慢ならない。

気づいた時点で、彼女をブチのめしていれば、ひょっとすると事態は変わっただろうか?

いや、ないだろう。

それは絶対にしなかっただろう。
このような重大局面での私は、妙に冷静だったりする。

妻に対して暴力を振るうのは、もっと下らない問題が起こったときだった。
それに、今まで、彼女の顔をブン殴ったことは、一度も無かった。
このときの問題に対して暴力を噴出させるとするなら、顔をぶん殴ることが適切だった。
だから、それは、私の暴力の趣向からすると、ありえない。

私なら、どうしただろう?
首を絞めただろう。でも、まだ、それをやるには時期尚早だった。
最終通告を受けてから、それは行使される必要性があった。

彼女の父さんなら、どうしただろう?
頭をぶっ叩いたんだ。
そして、たぶん、
いや、刑事司法機関が介入していなかっただけで、
彼女の母親は、その三ヵ月後に、脳出血で亡くなっている。
たぶん、この推察は正しい。
なにせ当時から、これにいくばくかの「共感」を以って推察したのだから。

私も彼も、男として、「失格」なのだ。
男として失格だから、それに「合格」しようとして、男の中の男としての自信を得るための「イニシエーション」に挑もうとして、勇猛果敢になろうとする。
結果としてその姿が、周りからは男らしく見える、
「彼は男の中の男だ」
と誤解する。
家族でも誤解する。
私の妻は、自分の父親と、自分の夫の双方に対して、誤解をしていたのだ。

いずれにせよ、
彼女の「今日の状態」は変わっていないと思う。
彼女の母親と「似た」運命を、辿ることは必然だったのだ。

四面道交差点を左折して、環八に入って流れがよくなって、
「もう・・・、終わりにして欲しい。」と言った。
井荻トンネルに入って車内が轟音に包まれたとき、私の妻はその言葉を口にした。
「離婚・・・してほしい」
トンネルの騒音の中でも、
私はその言葉を、はっきりと聞き取ることができていた。
Posted at 2009/11/22 07:47:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月20日 イイね!

man of man

man of man昨日のブログで、ワインに関しては、ブログ主にとって「関係ない」と言い切ってみたが、ただ、スパークリングに関しては、将来の私のカリスマ性を強調するのに不可欠な道具であろう。
「ル・マン方式」は、「男らしさ」「男の中の男」という要素を強調したスタイルである。
だから、スタート方法も、マシンに乗り込むところからである。
同様に、表彰台は、観客席を見下ろす位置にある。あの形式でのシャンパン・ファイトは、締めくくりに、眼下の観客に、
「そ~ら~、愚民ども~。シャンパンだー」
と言いながら、
眼下の観客に向けて、シャンパンの雨を降らすのである。

眼下の数千の愚民ども(観客)は、神々しい勝者の手から撒かれた、シャンパンの飛沫を口に入れようと、皆、口をあけて上を向いている。

口々に私の名を様づけで叫びながら、餌を求める池のコイの如く、各々、私の爪の垢が微量に配合されたシャンパンの雫を求めて、精一杯口を開けるのだ。
彼らの頭上に虹が現れたとき、私のカリスマ性も極大化するのである。

それはそうと、以下の「R伝説」も「男の中の男」「ル・マン」をメインとした話なのだが、「男の中の男」、自らをそう思っている男、それを目指している男の家庭生活は、現代においては即、崩壊するのが普通である。
彼にとって、
高高速モーターとの「出会い」は喜劇的なものだったが、
高高速モーターとの「再会」は、極めて悲劇的なものだった。


さて、
いつも通りの朝がやってきた最後の日、
青梅街道をトロトロ走る、通勤用のランエボの中には重い空気が漂っていた。


彼女の人生において、母親は比較的早くに亡くなっていたせいか、父親に対する精神の依存度・父性の絶対性は、「洗脳的」に本能に刷り込まれていたらしい。だから、私を見たとき、「自分の父親よりもさらに男らしい男がいる」と思ったらしく、究極の魅力を私に感じたらしいのだった。

しかし、それは、東京での家庭生活において、大きな齟齬を来たしていった。
特に、私が、家庭内外で、
特に家庭内でえばり散らす様は、
私が彼女を全く愛していないと思ったらしかった。

しかし、それは、違う。
ぜんぜん違う。
これが、「愛し方」「接し方」なのだ。
私も、お前の父さんも。

私は構わず、リヤシートで赤ワインを飲み続けた。

まだ、
彼女の父さんが、
長年の過度の飲酒が祟って、
心筋梗塞で急逝する前のことを思い出し続けていた。

彼女の実家・・・はっきりいえば彼女の父さんとは、尋常ではないくらい仲がよかった。だから、彼女の実家のガレージには、フロントマスクがエボⅨのものに交換された、エボⅦとエボⅧMRを一台ずつの計2台、置かせてもらっていた。

これらのスペックの詳細をいえば、エボⅦはフロント駆動をカットし、後輪駆動とされていた。ドリフト仕様というわけである。
一方、エボⅧMRの方は、NOSシステムを搭載していた。この車のNOSシステムは、以前保有していたGT-Rから移植したものだ。

東京の方では、
今、通勤用に新しい型のランエボに乗っている。

が、その前、たしか結婚より前だったか、そのときはGT-Rに入門してみたりもした。
「諸先輩方」から呪文を習い、
プシィー 俺のGT―Rは
プシィー 最強のGT―Rだ
プシィー だからして
プシィー 負けることなんて
プシィー ありえねぇんだよ
プシィー!
と、数え切れない程唱えたものだった。
しかし、NOSシステムを導入して、
その暴発的な加速によって脳髄がずれたとき、
呪文は一瞬にして消し飛んでいた。

ここで一気に高高速ステージへの道が開け、最速の道を爆進していたのだが、
NOSシステムの過剰使用によって、RB26エンジンはついにブローし、完全にオシャカになった。
そう、RB26エンジンがオシャカになって、高高速ステージから降りざるを得なくなっていたとき、速度によって狭まった視野が少し広がっていたとき、妻と出会い、結婚した。

そこから、彼女の実家・・・
彼女のお母さんは既に死んでいたから、
彼女の父さん、
「チェイサー」であった彼女の父さんと人間関係が構築されるまで、
相当な「努力」を要したが、しかし多くの期間は掛からなかった。
必要な期間は、一冬だった。

彼は、「チェイサー」「狩人」だった。
だから、あまり慣れないよそ者と仲良くすることを嫌っていた。

彼は「猟師」でもあったし、
触媒を取っ払った、黒いチェイサーを、「ブン回し用」として、ガレージの手前にポジショニングさせていた。

彼のチェイサーが立てる爆音は極めて魅力的だった。
そして、雪煙を豪快に蹴立てるスノードリフトには迫力があった。
このドリフトは普通のものとは違っていた。
「削れるもの」が正反対であり、これほど、迫力と気迫があるドリフトは、東京にはなかった。

それには、ロシア製のスタッド付きタイヤが関係していた。

このとき、私が彼のチェイサーを追走するために用いていたCT系のエボも、彼のチェイサー同様にクラシックカーの仲間入りをしていたが、走りのスペックにおいて彼のチェイサーより上であるはずだった。
しかし、当初私は、彼のドリフトに追走することが出来なかったので、原因を考えていた。
必死に考えた結果、彼との違いは、タイヤにあるかも、と思うようになった。
私は、スタッドレスタイヤを履いていた。
ひょっとすると、これではだめなのではないか?
だから、彼と同じ、ロシア製のスタッド付きタイヤを使用し、ドリフトを試みた。

その読みは当たっていた。
タイヤから生えた鋲が、氷をかき割り、アスファルトを砕いていく。
ロシア製のスタッド付きタイヤの効能は凄かった。
これを使いこなすと、アスファルトが露出した部分が、まるで、某アニメの
「溝落とし」
のような効能まで発揮するのだった。

タイヤを削るのではなく、根雪を氷を舗装を削る。
これが、究極の雪国ドリフトであることを悟った。

ロシア製のスタッド付きタイヤの使い方をマスターしたことで、
ようやく、彼のチェイサーに追走し、
その懐に、ベタベタに喰らいつき続けることに成功した。

彼のチェイサーに追走し、その懐に、ベタベタに喰らいつき続けることができるようになってとき、人間関係もこれと同様のものとなった。

それだけではなかった。
このときはまだ自覚していなかったが、自分の車両制御能力についても格段に向上していた。具体的には、NOSシステムによる加速でも、もうバランスを崩さなくなっていた。GT-Rで高高速域そのものを追い求めていたとき、何でずっと身につかなかったのだろう。あのときは、毎回、怖かった。死の恐怖と闘い続けた加速だった。この後は、全く危なげなく、強烈な加速を引き出すことが出来るようになっていた。
そして、ここの地元の誰よりも、雪道を速く、上手く走ることが出来るようになっていた。
加えて、ロシア製のスタッド付きタイヤを使いこなし、彼のように豪快にドリフトできるようになっていた。ここの地域の基準において、男の中の男となった。

しかし、そんな私の自己満足感とは裏腹に、彼女の父さんが死んで、家庭内の関係はギクシャクし出した。
私は、天蓋が外れたかのように、
いや、
彼の分を吸収したかの如くに、傲慢な人間になっていった。

それこそが、「男の中の男」であり、
妻にとって「夫が男の中の男」=「この以上の幸せはない」と、
私は信じて疑わなかった。

しかし、実際には違ったのである。
妻は、彼女の故郷の「男の中の男」、
そういう価値観が描き出すキャラクターが、
つまり、
その象徴となった「私」が、
成長した彼女「個人」としては「大嫌い」だったのである。
多くの時間を費やしている、東京での生活の中で、それはなおさらだった。
言葉で言われる必要なく、もうこのときには、それがもうありありと伝わりきっていた。
Posted at 2009/11/21 07:05:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月19日 イイね!

ホジョレヌーボー解禁日+酔拳の破綻(環八)

ホジョレヌーボー解禁日+酔拳の破綻(環八)かつて、私は、ワインが大好きだった。

今日はホジョレヌーボー解禁日である。
巷では、人々は、グラスを天高く掲げ、顔を赤らめ、美味そうに酔っぱらっている。
こういう話は、今「禁酒中」である「今の私」には、関係ない。
しかし、「彼」には、
いま語られている「R伝説」の「彼」には、関係大有りだと思う。
「彼」が、ミニ四駆を踏み潰されなければ、「ヤバいモーター」に出会っていなかったことと同様、ワインに堕ちていた状態による「悲劇」がなければ、
その「悲劇」による「普通の幸せからの脱落」がなければ、
「彼」が高高速モーターと「再会」することはなかったのではなかろうか。
「彼」の高高速モーターとの「再会」は、実に悲劇的なものだった。


さて、
(以下は、完全にフィクションですので、実在の人物・団体などとは一切の関係を有するものではありません。)

だいたい、俺を含めて、その人生を左右する程に重要なもの、
しかもその重要なものがとてつもないポテンシャルを持っていた場合には、
「理解不能」になるのだ。
ひとことでいえば、「意味不明」だ。
「意味不明」・・・そう感じるものに、本能的に刺激を感じるものだし、それが、魂の内部と、意外とシンクロしていたりする。
まさに、高高速モーターに対する私のインプレッションは、子供のときも、大人になってからも、「意味不明」だった。とはいえ、私はこの種の高高速モーターが「好き」だった。
「好き」+「魂内部とのシンクロ」だった。

「意味不明な速さ」。モーターは・・・、それで、「意味不明」でいい・・・。
それが家庭人としての生活でも、「魂内部とのシンクロ」+「好き」であるならば問題はない。
しかし、「魂内部とのシンクロ」+「嫌い」というのならばどうであろう?
それは家庭の不幸以外の何者でもないのではなかろうか。

妻は・・・、
彼女は私のことを「理解出来ない!」と叫んだ。私は妻から理解されることはなかったし、妻が今後、私を理解出来る可能性は極端に低下してしまった。
しかし、私が、妻から理解されていて、
かつ、ずっとささやかな幸せが、普通に家庭生活が続いていたなら、
理解不能な、
「意味がわからない」と感じるほどの高高速モーターとは出会ってはいない。
だから、結局のところ不幸な境遇に陥ったこと、妻をあのような状態にしたことに対して、何の後悔もしていない。


まだ、ほんの数年も経っていないというのに、遠い昔のように思われる・・・。

かつて俺はワインが大好きだったが、今は禁酒状態下にある。
走りと生活のために、好物を絶たざるを得なかったのである。
だから、そんな巷の状況は、今の俺には関係ない。
巷の奴らが、美味そうに、ヘラヘラ笑いながら酔っぱらっている様子は、以前の俺の姿そのものだ。
そんな以前の俺のような姿を見ると、ブッ殺してやりたくなる。
だから、そういう様子を見ない方がいい。

こうなった直接の引き金は・・・いつもの通りの朝だった。
思えば、この日が、いつも通りの朝がやってきた最後の日だったか。
たしか、次の日から大型連休が始まるとかいう、そういう日だった。

いつも通りに、仕事場に行く時間になると妻を呼びつけて、言った。

「送れっ!運っ転っんしろっ!」

妻が、ワインレッドメタリックのランエボの運転席に座り、私はリヤシートに座り込んだ。
リヤシートセンター部のアームレストを引っ張り出す。
カップホルダーにカップを立てた。
左手に持ったブルゴーニュスタイルの瓶のコルクを抜く。
私はいつもの通り、
カップに赤ワインを注ぎ込み、仕事場までの移動の時間、
体内に、
仕事の効率が最大になり、
かつ、
私の機嫌が最高になるくらいのアルコールと、ポリフェノールを補給する。

「酔拳(すいけん)」。

朝っぱらから酒を飲むことは日本には珍しかったため、他の奴らはそう呼んでいたが、あれほど事理弁識能力を欠いているものではなかった。
むしろ、あれくらい酔っていた方が、事理弁識能力を失ったくらいの「ただのアル中」の方が、つまり「本物の酔拳」でなかったならば、少し別の様相があったかもしれない。
だがそれは、それこそ何の価値もない結果を導き出した可能性の方が大きいだろう。

この日、妻の運転は荒れていた。
ワインの液面に、波乱が生じていた。
バックミラーにわずかに映った顔からでも、もう厭だ・・・、という様子がありありと見て取れた。

妻は、いわゆる「秋田出身の女」で、「それらしい顔かたち」をしていた。
対して私は、東京の人間で、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」、「闘争心(・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識)」を持った私は、
彼女の父親の性格のうちの「オトコギ」と「傲慢さ」を極大化させたような人間だったのだ。
つまり、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」を持った私は、
彼女の故郷の価値観が理想とする「男らしい男」そのものだったのである。
それは、彼女が洗脳的に持っていたと思われるアイデンティティから言えば、彼女は私の妻になる以外になかったのである。

勿論、私はこの妻を心底愛しているし、それが今更になって明らかになっているし、当時から、この妻の外見に関しても何の不満もなかった。

むしろ、好みのど真ん中というか、二十歳頃には、異性の好みはほぼ定まっていて、それは妻のような容姿の女で、そういう女子を見ると、
まさに、
自らが「亭主関白」になってエバリ散らしたい、
そういう気がして、うずうずしていたものだった。

2000年代になると、「草食系男子」というのがもてはやされており、俺のような趣向(性癖の一種らしいが)の「男気強調野郎」は毛嫌いされていた。しかし当時の俺は、そんな世間の需要に背を向け、自分が男の中の男になること、自分の「理想のナルシスト像」に、自分自身を近づけるために必死であった。そのために、走り屋を志していたり、峠を攻めたりすることに必死であった。

そんな中、俺の前に現れた彼女は、「自分の父親と凄く似た性格」で、そして「父親よりも男らしい性格」だとして、
俺を、
とても慕ってくれた。
もちろん、彼女を愛していたわけだし、プロポーズした・・・、正確に言えば「結婚を命じた」のは俺の方だった。

彼女の実家とも、尋常ではないくらい仲がよかった。

もともと、彼女の実家がある秋田県は、
「DV王国」・・・男の立場から言えば「DV天国」と言われる場所であった。

一つ目、プロポーズの決まり文句といえば、「オマエは俺の妻になれー!!」であった。

二つ目、「北限の海女」といわれる女性たちが活躍していたのはこの辺であったといわれており、何故そうなったのかといえば、かつて、常に酔った漁師の父親が、「伊勢湾とかー、九州とかー、瀬戸内海とかーではー、海に潜って貝とか採るのは、女の仕事なんだからー、ココでもそーゆーのは、女の仕事っしょー」そう言って、娘を寒風吹きすさぶ日本海に飛び込ませたからだ、といわれている。

三つ目、ここの祭りは極めて独特だった。
祭りの日、とーちゃんたちはニヤニヤしながらどこかへ集結するのだった。そして、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、自宅へと襲い掛かるのである。
「悪い子はいねーがーっ!!」
と叫び狂いながら。

このうち、一つ目と三つ目は経験していた。

特に、三つ目は何度も何度も。
彼女のお父さんとはすぐに気が合い、私は毎年のように、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、「悪い子はいねーがーっ!!」と叫び狂っていたのである。
そうして子供たちが、えーんえーんと泣く姿の、楽しいこと楽しいこと。

二つ目は・・・まだだったな。
娘は、私の目・口・耳と、妻の額・まゆ・鼻を継承した顔立ちで、両親の双方の特徴である白い肌を極端化させたような、透き通るような白さを持った奴なので、チアノーゼになって海から上がってくる姿は見物だろう。
そろそろ、飛び込ませてみるかな?

彼女の実家とは、尋常ではないくらい仲がよかったので、ガレージにはエボⅦとエボⅧMRを一台ずつの計2台、置かせてもらっていた。フロントマスクは双方ともに、エボⅨのものに交換されていたので、外観はエボⅨと言って差し支えなかった。
この2台の役目は、私が雪道をぶっ飛ばすためのものだった。そのため、双方とも、ロシア製のスタッド付きタイヤを装着していた。

今まで、2台ほど、CT系のエボをオシャカにしながら「雪道ぶっ飛ばし練習」をしていたため、ここの地元の誰よりも、雪道を速く、上手く走ることが出来るようになっていた。
ここで、雪の中を速く走ることが出来るということは、男の中の男であった。

いずれ息子にもやらせよう。
奴は、私に似た迫力のある眉毛が、吊り上っている、迫力のある顔なので、たぶん、空中で車の向きを変えられるようになるはずだ。

そういうことだから、この地域の男たちから、私はリスペクトされていた。
ターボの音と、改造マフラーの爆音が雪原に響き渡ると、皆、私に敬意を表す姿勢をとって挨拶していた。
特に、彼女の父さんは、そんな私を誇りに思ってくれていたし、
私の妻が私を慕っていた本能的な理由は、
私が、
彼女が育った地域の価値観においての、
「男の中の男」、
そうである気配を私が持っていたからだったし、
事実そうなのであろうし、
彼女もそう言っていた。

でも、
彼女の父さんが、
長年の過度の飲酒が祟って、心筋梗塞で急死した一昨年前から、家庭内の関係もギクシャクし出したのだった。
Posted at 2009/11/19 23:07:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

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