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猛走峠のブログ一覧

2009年11月13日 イイね!

ジェイソン林道と「教育」、そしてバックファイア(環八)

ジェイソン林道と「教育」、そしてバックファイア(環八)画像は極めて特殊な鋸。
この武器は、かなり猟奇的な印象を与える逸品です。
たぶん、用途は、森林に踏み入るためだとは思いますが。

私、ブログ主の近況についていえば、
昨日、13日の金曜日、
鋸山林道に出かけました。
ノコギリ山だけに、ジェイソンが出てきて、ぶっ殺されました。
だから、このブログを書くのが遅れました。
つまらない冗談です。
ってゆーか、ぶっ殺されたらどうやってブログ書くってんですかね?
ただ、走りを志す以上、
事故死した場合、死亡報告が速やかにされる体制は、つくっておきたいと思います。
鋸山林道については、崩れているようで、たぶん、現在も閉鎖中だと思います。
林道のことについては、もう少し後に、書いていくことになると思います。
また、「私」と「彼」の自己中な時間感覚もまた次回以降。
それと細かい誤記の訂正。
昨日のタイトルの(環状)は、間違い。(環八)です。
あと、ひょっとするとこの画像、また後々再登場するかもしれません。


さて、

べシャ!
ミニ四駆はものの見事にぶっつぶされた。

1996年頃から数えて、さらに何年か前の話。

ミニ四駆が大好きだった。
最初のうちは、組み上げて、走らせることそのものが大好きだった。
あまり車が来ないときを見計らって、住宅街の道路でも、よく走らせていた。
しかし、程なくして、
僕は「教育」されるハメになってしまった。

「オラオラー。とっとと道あけやがれー。道あけねーとー轢いちゃうぞー」
そう言わんばかりの爆音を轟かせて、
昼の住宅街の道に一台の黒いクルマがやってきた。
悪いことにそのとき、ミニ四駆は、その車の方に向かって走っていってしまった。
さらに良くないことに、車にビビった僕は、反射的に道の端に避けてしまった。
つまり、ミニ四駆の回収に手が回らなかった。
でも、
そのとき、道の端に向かっていったミニ四駆は、
道の傾きによって向きを変え、
カドをコツンと縁石に当てた拍子に、
こちら側へと向かってきた。
ミニ四駆は、後ろから来る車から逃げる形で、僕の方向に向かってきた。

僕が、道の真ん中に出れば、そのミニ四駆は回収できる位置にくるようだった。
でも、あっという間に、車は近づいてきた。
近づいてきたところで、その車はアクセルを吹かした。
グン!
と加速してミニ四駆に一気に追いつく。
「最後の狙い」を定めたのか、
「微調整」をすると、
右前輪で一気にミニ四駆を潰し込んだ。

べシャ!
ミニ四駆はものの見事にぶっつぶれた。

同時にその車のドライバーがこっちを向く。
僕は凍りついた。
グラサンをかけていた。
笑っているのか、
怒っているのか、
どっちかわからなかった。
ベロを出していた。
左手の中指を立てていた。

ひと仕事終えた合図なのか、
排気管から
バッ!
一瞬、火を吹く。
直後、
咆えると同時に黒い車が加速する。
口笛のような音が一瞬。
さらに加速。
弓なりの道の影に消えていってしまった。

ミニ四駆はものの見事にぶっつぶされた。
僕は「教育」されるハメになってしまった。
Posted at 2009/11/14 03:41:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月12日 イイね!

ある少年の脳内における対TGV戦線・死闘編(環状)

ある少年の脳内における対TGV戦線・死闘編(環状)今日も出だしはブログ主自身。ブログ主の「私」や、登場人物のGT-Rの「彼」がもつ、非論理的・自己中心的な時間感覚について。
「昨日」「今日」「明日」。深夜・未明の時間帯に「今日」といって、それに対する認識といったら、普通は二パターンしか考えられないだろう。昼間からさっきまで一続きであるか、日付変更後について言っているのか。
しかし、私たちが未明に「今日」と言うとき、「昨日」とも「明日」とも違う。奇妙なことに、「今日」という日を生きる人間は、「自分自身」と「対戦相手」「ギャラリー」など、走りに関わる者しかいない。
つまり、関係の無い、その他の車は、「昨日の車」「明日の車」なのである。


さて、
確かに、
新幹線とモーター、
私が最高速テツであったこと、
これらは、「第二段階の武器」に直結している。

闘争心にも相当直結している。
最高速テツであったとき、TGVのことが疎ましく感じられた。
TGVが速度記録を更新した映像は世界各国で報道され、
機関車の側面と中間車の屋上には、フランス国旗色の帯が塗装されていた。
報道機関がどのアングルから撮影しても必ずフランスを意識するように配慮されていたのだ。
このことが、日本の最高速テツの少年の闘争心を逆撫でしていたのである。
ただ、言い換えれば、
このとき、
1996年頃には既に、
自覚は無かったにせよ、
高高速を志す心と、闘争心が既に私の心に宿っていたのは間違いない。

しかし、私がそういう心境に至るのに、
私が最高速テツだった1996年頃より、
まださらに、もう少しだけ昔に遡らねばならない。
それこそがたぶん、
俺の魂の奥にある、
少年期からずっとずっと、
魂が乗り続けてきた一本のレールなのであると思う。

「高高速モーター」との「再会」は、
俺の魂に、
NOSシステム以上の衝撃を与えるものであって、
それは、
俺の魂の奥にある、
少年期からずっとずっと、
魂が乗り続けてきた一本のレールを、
俺の魂にはっきりと刻み込む、
いや、はっきりと自覚させるものだった。

あえていうなら、
NOSシステムによる衝撃が、
外部からの脳髄に対する「強い身体的衝撃」であったとするならば、
高高速モーターとの「再会」は、
「外部現象と深層精神(魂)とが極度にシンクロした状態」
であった。

さっきから「再会」「再会」と言っているのだから、
当然、「最初の出会い」について思い起こさねば、あまり意味はないだろう。
俺のメンタル面でも、
「奴」との機械的技術面でも。


1996年頃から数えて、さらに何年か前の話。


べシャ!
ミニ四駆はものの見事にぶっつぶされた。

ミニ四駆が大好きだった。
最初のうちは、組み上げて、走らせることそのものが大好きだった。
あまり車が来ないときを見計らって、住宅街の道路でも、よく走らせていた。
しかし、程なくして、
僕は「教育」されるハメになってしまった。

「オラオラー。とっとと道あけやがれー。道あけねーとー轢いちゃうぞー」
そう言わんばかりのエンジン音を轟かせて、
昼の住宅街の道に一台の黒いクルマがやってきた。
Posted at 2009/11/12 22:44:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月11日 イイね!

神聖なるひととき、最高速テツ、福音(環八)

神聖なるひととき、最高速テツ、福音(環八)まずはブログ主自身が語る。
この11/11のブログをアップしたのは、11/12に日付が変わった後のことである。
本来、こうした時間帯にアップするのが、この「走りの世界」には合っている気がする。
たしかに、コミック版『湾岸ミッドナイト』には、26:20とかそういう表記が見られる。
こうした未明の時間帯を特別視するのは、ストリートの世界では当然な気がする。
だが、ブログ主の「私」や、登場人物のGT-Rの「彼」も未明の時間帯を特別視するのだけれども、『湾岸ミッドナイト』の感覚とはかなり違っている。もっと非論理的・自己中心的な感覚である。



さて、
・・・テツだった。
かつて俺はテツだった。

たしか、
中学生くらいのときだったと思う。
そのとき、友達にもテツが何人かいた。
もちろん、
話は合ったし、鉄道のことを話していて、面白かった。
面白かったわけだけれど、
でも、何か違う。
心の中では違う。
明らかに違う。

鉄道好きの多くは、
鉄道の安定感、秩序性、活動性、駅弁グルメ、風土にマッチした雰囲気などなど・・・。
鉄道好きの多くが対象としているのは、主として、
何か「ほのぼの」「のびのび」とした感じであるように思えた。

どうやら、そこに、
自分の魂との間に、差異を、違和感を感じていたようだった。
そんなことだから、
次第に、
同じ趣味の友達、
(少なくとも周りからはそう思われていたようだが、)
と気が合わなくなっていったようだった。

テツだった頃、
中学の頃、
いや、もっと前から、
何故か、
速く走るものばかりしか見ていなかった。

テツだった頃も、
何故かトバすこと、
トバしてることにしか興味がなかった。

とにかく、
トバすことばかり考えていた。
当時、日本の中で最も早く走る乗り物は、鉄道だった。

日本の鉄道が、
そこに至るまでには、
先人たちの、
人生を懸け、
命を賭けた奮闘努力の歴史があったのである。

当時の私は、トバすことばかり考えていた。
そんな私に、トバすことにかかる、奮闘努力の歴史は、脳髄に多大な共感を与えていたのである。

・・・テツだった。
かつて私はテツだった。
「最高速テツ」だった。

しかし、当時から、
わが国の鉄道は、「世界一の最高速」を前面に押し出した「戦い」「闘い」と、
「闘いの魂」「戦いの魂の強調」といった、
速さを通した「世界一を賭けた闘い」という、
頂を目指す精神を失いつつあった。
日本の鉄道から、「闘いの魂」が消えつつあったことが、
まだ、十代前半期の少年にもありありと伝わっていたのである。

しかしながら、
新幹線や電車のモーターが立てる加速音は、
そのときもまだ、私の心に響いていた。

正確には、
「まだ、響いていた」
という、
「過去の歴史の余韻」
ばかりではなく、
「これから何か起こる」
という、
未来を期待させる「福音」(ふくいん)の如きものであったように思う。

その「福音」は、
テツになる前から知っているものだった。
そういえば、テツになる前から、私は速さを追及していた。
モーターが立てる回転音とそれがもたらす速さを、幼い頃から、私は知っていた。

しかもそれは、
その「福音」は、
確かに、「福音」であったのだ。
このように言うと、キリスト教の「福音派」の方々から苦情が寄せられるかも知れない。
しかし、「福音」という以外に、適切な言葉が思い浮かばない。
それに、モーターが発する、高高速を目指そうとする音波は、トバすことばかり考えていた当時の私にとって、
また、私の人生観にとって、
「福音」
それ以外のものではなかった。
たぶん、私にとっての「福音」と、
キリスト教徒の人々がいうところの「福音」は、
たぶん、全く同じ意味だと思う。

「信仰対象」が違っているだけで、
たぶん、「福音」という言葉が意味するところに、
一ミリのズレもないと思う。

いま、上手く言葉にすることはできないが、
とにかく、
モーターが生み出す速さこそが「第二段階の武器」となるのである。

もしもこれからの闘いが、
この「第二段階の武器」を前面に押し出した闘いになる、
というのなら、
それこそまさに、「神殺しの儀式」が始まることになるかもしれない。
だが、どう考えても「奴」は「使徒」にすぎないと思う。
Posted at 2009/11/12 01:12:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月10日 イイね!

ネオバ07・2005、悪い兆候は逆に自らの武器であったりする(環八)

ネオバ07・2005、悪い兆候は逆に自らの武器であったりする(環八)ネオバについては、残念ながら、新品での評価ではない。
ただでさえ、前作の「07」であるのに加え、
製造年は、2005年であった。
だから、相当、ゴムが硬化した状態でのレビューであることをお許し願いたい。
いずれ、予算が潤沢化した暁には、ネオバの新品をレビューしたいところではある。


さて、
最速記録の構築のためには、ブレーキングという要素が必要不可欠だった。
それは、わが国、鉄道界での「東海道における最速にかける戦い」の歴史においても同じことだった。

200km/hオーバーの速域から減速する。
鉄道の車輪の粘着力は極めて低い。
このことが鉄道の高高速走行の理論値を444km/hに頭打ちにしていたが、
実際論としてこのことは、鉄道の高高速を有利にしていた。
だが、ブレーキングにおいては極めて不利だった。
車輪の粘着力を、ブレーキングにおける場面で評するなら、それは氷の上を夏用タイヤで走行するに等しいものだといわれている。
それほどの低μな世界なのである。

もちろん、今では、電磁回生ブレーキの類が発達しているし、摩擦ブレーキにしても、車のものとは比べ物にならないほどの、高度なABSが装備されている。
しかし、かつては、新幹線運転士には、超人級のブレーキング技術が要求されたといわれている。

特に、「一分でも速く」という実験的な「記録樹立運転」のときは勿論そうであるし、究極のブレーキング自体は、営業運転時でも要求されるものだった。
車輪をロックさせない、ギリギリの範囲でブレーキハンドルを締め付けていく。
耐熱性の特殊材によって組成されたブレーキは初期製動力の立ち上がりは遅い。
200km/h超の回転力によってローターが熱せられていく、
車両底部では、ディスクローターがオレンジになり、ついには電球色になって輝きを放つ。
そうなったとき、
ローター摩擦面の温度が1,000℃以上に上昇したとき、
この種のブレーキは最大限に効き始め、
車輪から回転力を奪っていく。
こうしたブレーキングによって、カーブが要求する安全・確実な速度まで落とす、
これを確実に、速く行うようにしていったわけである。
しかも、当然のことながら、鉄道では、速さが求められるなかでも、急制動は原則として禁止されている。
特に旅客列車では、「乗り心地の良さ」も追求されたわけであるから、こうしたブレーキングを行うことが出来る、超人的な技術が要求されていたのだ。

それは、我々、「走り屋の世界」でも、似たり寄ったりで、
「速さを求める」ためには、
最終的にはブレーキングで「タイムを詰める」ということなのであって、
つまり、「究極のブレーキング」ができるようにならなければ、
「速さ」は求めることができない状況が、なお続いていた。

だが、どうだろう?
カーブを、全力加速状態で抜けることが出来るようになったのなら、どうだ?
そうした「トレーニング」、ひいては、レーサー含めた走りを生業とする者、あるいは志す者全てが不要となってしまうではないか。

当時の未熟な俺は、そう感じたのだった。

故に、2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
走り屋を志していた、当時の私にも。

また、2009年の東京モーターショーのコンセプトカーの技術も、
さらにこの兆候に拍車を掛けるものであるように感じもしていた。

しかし、それらは、誤解だった。
まったくもって誤解だった。

速さを、
特に、闘争行為としての速さを求める場合、
全力加速状態でカーブを駆け抜けることが、
大変に好都合な場面が存在した。

それが、環八。
もっと具体的にいうところ、この先の井荻JCT・練馬トンネルなのだ。

つまり、「振り子」は、俺にとっての「武器」だったのであって、
決して、俺を消滅させるものではなかったのである。

ただ、この「武器」が、100%有効に作用するとは思っていない。
今回は、「敵」・「相手」がいるため、
ラインにブロックをかけてくる可能性もあるからだ。
だからといって、
「第一段階の武器」がブロックによって100%効果を発揮できなかったとしても、
その時点でこちらが負けるということにはならない。

「振り子」を、100%活用することができなかったとしても、
その後の立ち上がり性能が全く異なる。

むしろ、
ストリートファイターとしての、この先のことを考えると、
「第一段階のの武器」をフルに見せつけながら、こちらの速さを誇示することは得策ではないかもしれない。
「奴」が「奴ら」の「使徒」であった場合に、こちらの機械的戦闘能力が露呈することになるかもしれないし、もしそうなら、その点を強調して「報告」して欲しくない。

それに、
できれば、
奴のドライバーの、ブレーキング技術とブロッキング技術を見てやりたい気もしているのだ。

当然、
こちらには、「第二段階の武器」が存在するわけである。
Posted at 2009/11/10 23:23:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月09日 イイね!

走り屋放逐の兆候について(環八)

走り屋放逐の兆候について(環八)まずはネオバの第一印象をば。
静か。
スポーツタイヤでありながら、静か。
「路面に喰らいつく」とか「路面にかじりつく」
というより、
「路面に吸い付く」というカンジ。
今まで使ったスポーツタイヤの中で、
もっとも静かで、
それでいてかなり食いつきの強いタイヤであると思う。


さて、
2009年当時の自分の感性に、この鉄道会社の商行為の方法は、「危険行為そのもの」と映っていたのであった。

自分の感性のどの部分か?

それは走り屋としての感性だろう。

「速さ」を、
特に、300km/hの世界を、
ドライバーとして意のままにコントロールできるようになるためには、
それ相応の「キャリア」が必要なのである。

新米運転士を「その世界」の操者とすることは危険行為である、
そう感じたのだ。
だが、実のところ、結論としては、たぶん、「危険行為」には該当しない。

たぶん。

もちろん、「危険行為だ!」という感性も、
全て外れているというわけではないだろう。

本来、「運転士のトレーニング」は、
新米は、オフピーク時の各停で指導を受けながら運転していたり、
田舎の本数の少ない路線に配属されたりしているようではある。
経験・技能と正確性が向上してくるに従って、
過密ダイヤの時間帯や最速電車・特急電車などに配属される。
これが常道であるし、
こうした技術的常道を無視し、
その技術的な穴を、「気合」と「日勤教育」で補完しようとした結果として、
たしかに、日本の鉄道会社は、この数年前に大事故を起こしていた。

だが、この「大事故」での「技術的穴」・ここでいうところの「技術」の内訳は、
カーブに対する経験値・限界値
もっといえば、
「ブレーキング」なのである。

2007年に登場の、N700系はどうだったろうか?

それまで255km/hの制限がかかっていた、
半径2,500mのカーブ区間(60か所)を、
270km/hで走行できるようになり、
東海道新幹線の約3分の2以上の区間で270km/hで走行できるようになったのだ。

つまり、東海道新幹線の高速運転区間のほとんどのカーブを、ほぼ全力で走行できるようになったのである。

これは、ブレーキングにまつわる、
膨大な経験値の必要性を不要と化しつつあった、
そういう兆候ともいえたわけである。


「ブレーキングは走り屋のお家芸である」
そう思っていた。

日本一の走り屋を目指して、必死であった当時の俺は、
この「兆候」を、自分たちの存在が、
もはや無意味なものになると感じて、衝撃を受けたものだった。

だから、

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
もちろん鉄道界の人間には。

2007年のN700系の登場は、相当にインパクトがあった。
走り屋を志していた、私にも。
Posted at 2009/11/09 23:52:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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