
本日の画像と本文とは、殆んど関係がありません。あるとすれば「甲州街道」という単語とくらい。
私には、「ツボにハマる」癖がある。
ある一定の条件が脳に伝わると、反射的作用を起こす癖である。
「発作」とまではいかないが、「それの弱いもの」だ。こういう傾向は、一~二割くらいの人が持っているようだから、別に「病気」とか「個性的」とかそういう大袈裟なものではない。その「一定条件」も比較的狭い。
まあ、この日の事例で言うなら、「笑いが止まらなくなる」ということ。
なあんだ。そんなことか。
「ツボにハマった」というやつかー。
大袈裟な書き出しだな。
そう、この時点までの事例・自意識では、上記は「余りに大袈裟な言い回し」である。
そう、「ツボにはハマったー」という、それ。
ちなみに、この日、このときの事例では、
「しょっちゅう見ている光景」の中に不意に「笑いのツボ」が隠れていた。
「ぼんくら」(←店の名前)
コレが私の「笑いのツボ」を刺激した。
私の、笑いのツボは案外狭い。
傍からみれば「何が面白いの?」と・・・汗。
それはそうと・・・、
「神がかった人」は「ツボにハマると超人的な技術を発揮する」。
それを「天性のあるヒト、略して天才」とでもいうのだろうか。
大抵のヒトは、その逆。
死んだり、大怪我したりする。
私もそのうちのひとり。
「凡人」だ。(「ぼんくら」であるかどうかは別として)
それは「笑うこと」でさえも。
「ツボにハマる」と、笑うこと一つとっても、ひどいケースでは、「笑い死に」(呼吸困難になったり、食べ物飲み物が詰まったり)する。
それが「ツボ」の恐ろしさだ。
実は、私にも「ツボ」な道路が存在する。
「ツボ」を無自覚にそこに行ってしまうのは、この数時間後のことである。
「実は、私にもツボな道路が存在する」
こういう場所・方角は「鬼門(キモン)」と一般的に言われている。
私にも「鬼門」があった。
今の私のまま・・・死亡事故等を起こすとしたら・・・、
あの路線、あるいはああいうペースの道だろう。
あの路線、あるいはあの路線と瓜二つのペースの道は、要注意だ。
そこが私にとっての「鬼門」であることを無自覚に、そこに行ってしまうのは、この数時間後のことである。
さて、
昨日までで「名古屋ばしり」なるものが出てきているので、私の心境における甲州街道ももう終わりで、語り尽くしているのではないか?、
そう思われた方々も多いかもしれません。
確かに、
私の感性の中で、甲州街道を西へ向かったその終着点は名古屋で、そこに至る直前には「名古屋ばしり」による「痛烈なお出迎え」という印象が強いし、そこが甲州街道を走りつづけたゴール地点だと思うのだけれど、
私としては、記すべきことがまだまだ残っている。
忘れないうちに「補足」しておきたいのですが、「中津川以西」「名古屋ばしり」と書きましたが、
「この辺一体は岐阜県である」、
ということは補足しておきたいと思います。
当ブログの構造として、「さて、」以下で掲げられる数値類はあまり信憑性がないと考えて下さって差し支えありませんので、
さしずめ「名古屋ばしりにショック受けすぎて、地理感覚が麻痺してたヤツが書いたことだな」とでもお考え下さい。
(ちなみにこの文を書いている前の日、TVで「名古屋市で歩道に車が突っ込んでそのまま走行して~」というニュースを目にしましたが、「名古屋ばしり」との因果関係は不明です。なんか睡眠障害っぽいカンジの事故ですが、何とも言えません。)
また、「最も適切な表現」としては、「瑞浪以西」とする方が良いであろうということ、
も注記しておきます。(地元ドライバーの方の正確な情報に感謝致します)
それはそうと、
「甲州街道」の項目の「総量」からみるに、ようやく、もうすぐ半分に至ろうか、というぐらい。
「甲州街道」の項目の「総量(総数)」も、実は、決めている。
慧眼なる読者の方々は、「甲州街道」の項目の「総量(総数)」がいくつになるのか、もうお分かりかと思われます。
あと、「甲州街道の変遷」として、
中長期的に、甲州街道には北から南へ、だんだんとルートが移動していく傾向があるらしい、ということ。
この話は、また次回以降。
Posted at 2010/01/27 06:04:07 | |
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甲州街道四十四次 | 日記