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猛走峠のブログ一覧

2010年01月14日 イイね!

高速は生きているか?

高速は生きているか?酷道→街道→高速。
こういう進化の図式を思い描いたとき、
「酷道」というのは、実は「後から出来た観念」であるということができる。

そういう話を、「峠籠り(やまごもり)系のヒト」として、マイペースで続けたいところだ。が、残念ながら、時期的に、昨年末からの流れ的に、明日以降のつながり的に、それと訪問者諸氏のため?にも、そうもいくまい。

久しぶりに「あしあと」見てみたのですが、日付が今日に変わってから、やたら多くの方々がおいでになったようで。

東京オートサロン。
明日開幕。

関連があるのでしょうか?
「コイツもオートサロンのこと書くのだろうか?」
そういう理解でよろしいのでしょうか?
でしたらば、触れなければなりません。
しかし、「禁句」かもしれませんが、あえて、明かさなくては、これ以下の話をする資格はないでしょう。
実のところ、ブログ主は、「クルマ好き」ではない。「走り屋」という「くくり」の中ではクルマのことは、「無知」の部類に入ることと思う。つまり、単なる「走り好き」。
そんなことだから、
モーターショーとかは、幼少期に何度か、両親に手を引っ張られて行っただけ。
そんなヤツの論評だから、クルマに関する話は、あまり気にしない方がいいかもしれません。

とはいえ、
東京オートサロン。
明日開幕。

様々な地域から、様々なチューナーやサプライヤーなどによって、デモカー類が搬入されてくるわけですが、
その中の一例として気になった、
某ドリフト師のブログを少し引用させて頂くに、

「新潟の田舎組はたぶん?雪に埋もれてるはず?」(09:34)
「何でも・・・・新潟は大雪で関越道が通行止めらしい????
たぶん?2階から出入りしてるはず????」(11:16)
「準備 オーケーです」(16:01)

と・・・師たちは、一体どういう移送方式だったのでしょうかね?
(参考サイト http://ameblo.jp/yf-okachan/page-1.html#main)
この論点は、少しだけ次回のブログに関連する予定。
(念のため注記しておきますと、ブログ主とこの師とは面識ありません)


さて、

「落ちたら死ぬ」、「禁断のルート」を通れるということは一種のステイタスであろう。
それこそが、古代、甲州街道沿線における「イニシエーション」として用いられていたとも言われている。このルートに対する「酷道指定」を英文字を用いて言い直すと、「R指定」となり、「R指定解除」のための「イニシエーション」というわけなのだが。

では「R指定解除の審査・イニシエーションをいつ行うか?」ということで意味合いが別れる。

「イノシシを乗りこなす技術が極度に上がってきたとき」
というのなら、「単に技術的なお話」であろう。

一方、「ある年齢のときにイニシエーションを行うべき。技術は関係ない」
という場合は、「蛮勇に直結するお話」であろう。

集落によって、どちらの基準を取るか様々だったようだが、いずれの集落も存在したといわれている。

私見だが、
戦争に強いのは前者の集落で、
おとこぎ等を誇りにしているのは後者の集落だという気がする。

また、人口学などに拠ると、
食料が充分に確保できる集落は前者の方法を採用し、
食料が充分に確保できない集落は「人減らし」も必要なので後者の方法を採用していた、
といわれている。
Posted at 2010/01/14 19:44:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年01月13日 イイね!

R指定

R指定酷道→街道→高速。
そういう進化の順番ということになる。

前回のブログにそう書いたし、大方のドライバーの視点からすると、これで何らの齟齬もない。

酷道→街道→高速
こういう進化の順序を辿ってゆくのが表街道、常道である。

しかし、我々はワインディングを好む。
走り屋は峠を好む。

そこには常道を用いる車はいないからである。
そこにドライビング技術が伴うからである。
常道には無い瞑想に近い「気」が存在するからである。

はっきり言って、走り屋とは、特に峠の走り屋とは、「懐古趣味」である。
高速化、高速道路化されたこのご時世に、「峠」を好むのである。
酷道→街道→高速
こういう「流れ」に逆行した選好を「懐古趣味」と言わずして何と言おう。
(若干の参考サイト http://blogs.yahoo.co.jp/glori0uskn1ght/40155700.html)


さて、

この種の逆行は「現代の走り屋」に限らない。
街道の進化は、「酷道を無くす」ということに尽きるのであるから、
古代より、「落ちたら死ぬ」というようなルートは忌避されているのが「常道」である。
だから古代から、「落ちたら死ぬ」「禁断のルート」は、それこそ「酷道指定」を受けて使用を控えられていたのである。
しかしながら、このルートが、最短距離コースで、この禁断のルートを駆け抜けると極めて短時間で山の向こうへと越えることが出来たとしたのならば、どうだろう?

このルートを通れるということは一種のステイタスであろう。
それこそが、古代、甲州街道沿線における「イニシエーション」として用いられていたとも言われているのだ。

このルートに対する「酷道指定」を英文字を用いて言い直すと、「R指定」であろう。
「R指定解除」のための「イニシエーション」なのである。
ポルノ作品だけがR指定の対象だというのは現代の感性であろう。
Posted at 2010/01/14 02:37:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年01月12日 イイね!

酷道→街道→高速

酷道→街道→高速前回のブログタイトルに「酷道」と用いて、すこし思った。
酷道(こくどう)とは一般国道のうち乗用車による通行が困難であるなど「国道」と呼ぶにはふさわしくない、文字通り「酷(ひど)い状態の国道」を揶揄した日本語の用語(略語)である。

この「酷道」の話に触れることによって、「街道」の話が先に進むのではなかろうか。

Wikipediaの記述を借りれば、酷道は、下記のような特徴を持つ国道のことを指す。

狭隘道路で大型自動車の通行または大型自動車同士のすれ違い(対面通行の場合)が困難、不可能な区間がある。更に狭い場合は軽自動車でさえ同様の状態になる。
ガードレールのない断崖など、通行が非常に危険な区間がある。
オフロードやけもの道の区間がある。
全線が開通していない、あるいは歴史的経緯により遊歩道または階段として整備されているなど車(自動車、原動機付自転車、軽車両)が一切通行できない区間がある。徒歩ですら通行が不能・困難な場合もある。
時間雨量が20ミリ程度以上に達すると全面通行止めとなってしまう区間がある。
土砂崩れや道路決壊などがあるにもかかわらず復旧されていない。
積雪地域の道路では、除雪作業が行われず冬期閉鎖される区間がある。

こういう道路かつ国道指定を受けている場所が「酷道」であり、
類義語として、
酷道と同じような特徴を持つ都道府県道・市町村道には酷道に類似・近似する意味の当て字が用いられ、
都道の場合は「兎道」(ウサギしか通れなさそうな道)または「吐道」(吐きたくなるような道)、
道道の場合は「獰道」(獰猛な道)、
府道の場合は「腐道」(腐った道)または「怖道」(怖い道)、
県道のことを「険道」(険しい道)、
市道(もしくは私道)の場合は「死道」(死亡事故に遭うリスクが高い道)、
村道の場合は「損道」(自動車が壊れる道)と表現される。


当然な話として、
「酷道」は「改善」されてゆくのが「歴史的な流れ」である。
最初は「酷道」であったものが、「街道」として使われ始めると、使いやすい形状・ルートへと変更されてゆくわけだ。

さて、
それであるが故に、大局的な視点で見た甲州街道のルートは、必然的に「酷道」とならざるを得ない。山岳地が多いためである。
それが「甲州街道」として大々的に使われ始めるようになると、使いやすい形状・ルートへと変更されてゆく。

古代的には獣道が、人間の通る道になっていったことが挙げられるし、
近世的には「街道指定」が為され宿場が整備されたことが挙げられる。
近代的には、道幅の拡幅、「つづら折れ(つづら折)」の道がトンネルなどの開通によって線形改善されること、
また、
現代的には、中央高速の開通を挙げることが出来る。
(こういう意味で、このブログでは「中央高速烈伝」は「甲州街道Ⅱ」というカテゴリーなのである)

だから、
酷道→街道→高速。
そういう進化の順番ということになる。
Posted at 2010/01/13 18:29:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2010年01月11日 イイね!

酷道20号

酷道20号ギリシア哲学において、
勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)である。

本当にそうか?

「大人しくなること≒大人になること」ということだという説もある。

一方では、
ツルのロープに括りつけてバンジージャンプさせたりすること、これで切れて死ねばさよーならー、無事なら大人の仲間入り。この種のイニシエーションは有名だ。

「大人しくなること≒大人になること」は、アリストテレスらに言わせれば「臆病」かもしれないし、あるいは「中庸状態」かもしれない。

対して、
バンジージャンプ系は、「蛮勇」の属性であろう。
とはいえ、
「場合によっては、技術があれば、見かけほど危険ではない」
というようなものも存在する。

「禁断の谷」「落ちれば命は無い危険な最短距離コース」をイノシシの背に乗って駆け抜けさせ、これができたら一人前の大人。

これについては、
イノシシを乗り手の意のままに操る技術、この技術が形成されていれば、見かけほどの危険行為ではないだろうし、
この技術が劣った者にとっては単なる危険行為で、それこそこのコースに挑むことは「蛮勇」そのものであろう。


さて、

それはそうと、「走りに関するイニシエーション」といえば、
甲州街道はそういう伝説の宝庫であったりする。
その所以は、甲州街道の線形によるところが大きい。
Posted at 2010/01/11 20:29:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2009年12月23日 イイね!

現帝の御誕生日(甲州街道)

現帝の御誕生日(甲州街道)今日は現帝の御誕生日でありました。
とはいえ、
EXILEのように歌やダンスを奉納するわけでも、
奉祝ドリ・・が出来るわけでもない。
(あまりにも問題となりそうなので、表記しない。ドリドリ系の方々、皇居周辺道路で行うのは、おそらく、大問題となりますのでおやめ下さい。間違っても「奉納ドリフトで~す♪」なんて言わないで下さい。まあ、万一のことを考えてこのブログをアップする時刻を遅らせました)

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで うごきなく 常盤かきはに かぎりもあらじ

君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき 御世の栄を ほぎたてまつる

お祝いの言葉に代えさせて頂きます。


さて、
甲州街道と現帝の御誕生日ということとは、実は関連する話です。
それは、甲州街道・国道20号が皇居前から発している、という地理的関係以外からでもあります。
しかしながら、
現帝のお誕生日だというのに、「暗い話」とか「非常事態に関する話」をするのは何とも不敬であると思いますので、「明治期の甲州街道の位置づけ」の話はまた、後日にしようと思います。「覚悟」に関係する「極めて暗い話」ですので。
「予告」的に触れておきますと、「現帝の御誕生日」の話と「甲州街道」とが、わが国の歴史と、近代の世界史、国家権力の観点(非常事態)からいうと、密接に関連しています。

さて、
同じく甲州街道でも、少しだけ別の視点の話として、

2007年4月1日から日野バイパスが国道20号となり、日野バイパスに並行して走る甲州街道が国道20号から東京都道256号八王子国立線へ移管された。
つまり、新たに開通した日野バイパスが、「国道20号としての甲州街道」の「現道」なのであり、「これまでの甲州街道」は「甲州街道」ではなくなっている。
あくまで、「国道20号=甲州街道」という括りにおいては。
では、このブログのスタンスでは、どうだろうか?

と、私は12/21のブログに書きました。

どうでしょうね?

まあ、わかる人にはわかると思いますが。

「国道20号=甲州街道」というのは、「現在の行政機関」の認定ですよね。

それこそ、
行政機関ってのは、変わるモンです。
今さら書くことでもないですけど、
今年は政権交代しましたし、
将来は、国家権力のトップが「征夷大将軍」で、「政府」が「幕府」と呼ばれる時代が、また来るかもしれません。
(仮に来るとしても、鎌倉幕府と江戸幕府が全然違うように、江戸時代の幕府とは、ずい分違う形だと思うけど。
むしろ大統領制や道州制に近い、とか。
「将軍」ではなくて「大統領」と呼ぶかもしれないけども、日本史に当てはめて考えると、やっぱり「征夷大将軍」だろう。
少なくとも、映画やアニメの製作者が思い描いている姿とは、絶対に違う。
将軍職が世襲制ではないだろうし、鎖国もないと思う。
ってゆーか、江戸幕府とか将軍に対する我々のイメージからして、全然間違っているようだ・・・汗。実際の将軍・徳川慶喜は、ナポレオンのような格好をしていた、とか。
とはいえ、現帝の御代(みよ)には、そういう「権力の変動」は起きない。
ひとまず安心させて頂いていいと思う。
次の御代にも、
たぶんその次の御代にも起きない。
起きるとすれば、さらにその次くらい?)

天皇が不変であったのとは対照的に、国家権力・・・行政機関ってのは、変わるモンです。

では、
本ブログの立場はどうなのか?
行政機関と同じなのか?

まあ、そういうふうに「誤解」する方もいるでしょうから、

少し・・・わかる例として逸話を、書きますか。

太古の昔、甲州街道の乗り物はイノシシであった。
弥生時代くらいに、大陸方面から馬が持ち込まれた。
だが、甲州街道においては、しばらくの間、イノシシが主流の時代が続いた。
なぜなら、海岸沿いの平地を主体とする東海道と異なり、
甲州街道は峠道、しかも九十九折(つづらおり)のカーブを主体としていたからだ。
九十九折のカーブにおいて、馬は道なりに走ることしかできない。道なりにしか走れないことは、ヒルクライムの局面ではあまり問題とはならない。
しかしダウンヒルにおいては、状況は一変する。
イノシシの場合、九十九折のカーブをショートカットすることが出来る。
一段下の部分に、飛び降りることが出来るのである。
このラインは「空中の回廊」と呼ばれ、九十九折を主体とした街道では、より短時間で走り抜けるための「伝説的なライン」であった。
この「空中の回廊」を使いこなせる者はリスペクトされた。
ともかく英雄視され、中には、「峠の神」として祭神になった者もいた。
そういうことだから、
「空中の回廊」を使えるようになることを目指し、
イノシシの背に跨り、日々走りの技術の上達に励んだ連中がいた。
こうした連中は後に「走り屋」と呼ばれるようになった。

こうした文章を読んでもまだ、ブログ主は「甲州街道=国道20号」というスタンスだと、そうお思いの方はどれ程いらっしゃいますかね?

つまり、このブログのスタンス、特に、走りの魂に対するスタンスは、「永遠不変のもの」という位置づけであります。

しかし、「乗り物」という「有形力」を生じさせる「道具」は、刻々と変わっていくものだろう。あたかも、「国家権力」の如く・・・。

そういう認識です。

だからして「甲州街道」の扱いはどうか?
という問いかけに対しては、「現道の国道20号については、もちろんそうであるし、国道20号から除籍された「旧道」についても、もちろん「甲州街道」として扱う。

むしろ、こうした「旧道」の方が「走りのスポット」であったりするから、それは当然だとも言える。
ってゆーか、「新道が出来て、それで国道が移ったから旧道は甲州街道ではない!」などと言ってしまった日には、
笹子峠なんか扱えないし、
塩尻峠がバイパス化で国道から外れたりしたら、
「アレは甲州街道じゃありませーん」ということになってしまい、本ブログでカテゴリー分けしている意味が殆んど失われてしまうだろう。

Posted at 2009/12/23 23:57:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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