
今日は現帝の御誕生日でありました。
とはいえ、
EXILEのように歌やダンスを奉納するわけでも、
奉祝ドリ・・が出来るわけでもない。
(あまりにも問題となりそうなので、表記しない。ドリドリ系の方々、皇居周辺道路で行うのは、おそらく、大問題となりますのでおやめ下さい。間違っても「奉納ドリフトで~す♪」なんて言わないで下さい。まあ、万一のことを考えてこのブログをアップする時刻を遅らせました)
君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで うごきなく 常盤かきはに かぎりもあらじ
君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき 御世の栄を ほぎたてまつる
お祝いの言葉に代えさせて頂きます。
さて、
甲州街道と現帝の御誕生日ということとは、実は関連する話です。
それは、甲州街道・国道20号が皇居前から発している、という地理的関係以外からでもあります。
しかしながら、
現帝のお誕生日だというのに、「暗い話」とか「非常事態に関する話」をするのは何とも不敬であると思いますので、「明治期の甲州街道の位置づけ」の話はまた、後日にしようと思います。「覚悟」に関係する「極めて暗い話」ですので。
「予告」的に触れておきますと、「現帝の御誕生日」の話と「甲州街道」とが、わが国の歴史と、近代の世界史、国家権力の観点(非常事態)からいうと、密接に関連しています。
さて、
同じく甲州街道でも、少しだけ別の視点の話として、
2007年4月1日から日野バイパスが国道20号となり、日野バイパスに並行して走る甲州街道が国道20号から東京都道256号八王子国立線へ移管された。
つまり、新たに開通した日野バイパスが、「国道20号としての甲州街道」の「現道」なのであり、「これまでの甲州街道」は「甲州街道」ではなくなっている。
あくまで、「国道20号=甲州街道」という括りにおいては。
では、このブログのスタンスでは、どうだろうか?
と、私は12/21のブログに書きました。
どうでしょうね?
まあ、わかる人にはわかると思いますが。
「国道20号=甲州街道」というのは、「現在の行政機関」の認定ですよね。
それこそ、
行政機関ってのは、変わるモンです。
今さら書くことでもないですけど、
今年は政権交代しましたし、
将来は、国家権力のトップが「征夷大将軍」で、「政府」が「幕府」と呼ばれる時代が、また来るかもしれません。
(仮に来るとしても、鎌倉幕府と江戸幕府が全然違うように、江戸時代の幕府とは、ずい分違う形だと思うけど。
むしろ大統領制や道州制に近い、とか。
「将軍」ではなくて「大統領」と呼ぶかもしれないけども、日本史に当てはめて考えると、やっぱり「征夷大将軍」だろう。
少なくとも、映画やアニメの製作者が思い描いている姿とは、絶対に違う。
将軍職が世襲制ではないだろうし、鎖国もないと思う。
ってゆーか、江戸幕府とか将軍に対する我々のイメージからして、全然間違っているようだ・・・汗。実際の将軍・徳川慶喜は、ナポレオンのような格好をしていた、とか。
とはいえ、現帝の御代(みよ)には、そういう「権力の変動」は起きない。
ひとまず安心させて頂いていいと思う。
次の御代にも、
たぶんその次の御代にも起きない。
起きるとすれば、さらにその次くらい?)
天皇が不変であったのとは対照的に、国家権力・・・行政機関ってのは、変わるモンです。
では、
本ブログの立場はどうなのか?
行政機関と同じなのか?
まあ、そういうふうに「誤解」する方もいるでしょうから、
少し・・・わかる例として逸話を、書きますか。
太古の昔、甲州街道の乗り物はイノシシであった。
弥生時代くらいに、大陸方面から馬が持ち込まれた。
だが、甲州街道においては、しばらくの間、イノシシが主流の時代が続いた。
なぜなら、海岸沿いの平地を主体とする東海道と異なり、
甲州街道は峠道、しかも九十九折(つづらおり)のカーブを主体としていたからだ。
九十九折のカーブにおいて、馬は道なりに走ることしかできない。道なりにしか走れないことは、ヒルクライムの局面ではあまり問題とはならない。
しかしダウンヒルにおいては、状況は一変する。
イノシシの場合、九十九折のカーブをショートカットすることが出来る。
一段下の部分に、飛び降りることが出来るのである。
このラインは「空中の回廊」と呼ばれ、九十九折を主体とした街道では、より短時間で走り抜けるための「伝説的なライン」であった。
この「空中の回廊」を使いこなせる者はリスペクトされた。
ともかく英雄視され、中には、「峠の神」として祭神になった者もいた。
そういうことだから、
「空中の回廊」を使えるようになることを目指し、
イノシシの背に跨り、日々走りの技術の上達に励んだ連中がいた。
こうした連中は後に「走り屋」と呼ばれるようになった。
こうした文章を読んでもまだ、ブログ主は「甲州街道=国道20号」というスタンスだと、そうお思いの方はどれ程いらっしゃいますかね?
つまり、このブログのスタンス、特に、走りの魂に対するスタンスは、「永遠不変のもの」という位置づけであります。
しかし、「乗り物」という「有形力」を生じさせる「道具」は、刻々と変わっていくものだろう。あたかも、「国家権力」の如く・・・。
そういう認識です。
だからして「甲州街道」の扱いはどうか?
という問いかけに対しては、「現道の国道20号については、もちろんそうであるし、国道20号から除籍された「旧道」についても、もちろん「甲州街道」として扱う。
むしろ、こうした「旧道」の方が「走りのスポット」であったりするから、それは当然だとも言える。
ってゆーか、「新道が出来て、それで国道が移ったから旧道は甲州街道ではない!」などと言ってしまった日には、
笹子峠なんか扱えないし、
塩尻峠がバイパス化で国道から外れたりしたら、
「アレは甲州街道じゃありませーん」ということになってしまい、本ブログでカテゴリー分けしている意味が殆んど失われてしまうだろう。