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猛走峠のブログ一覧

2009年12月22日 イイね!

エアクリとディスティネーション(一応、甲州街道)

エアクリとディスティネーション(一応、甲州街道)



「私はまだまだ、「モデル失格」です。
でも、どんなに行き詰っても、決して立ち止まらず、前に進み続けると思います。
それが、幸せになるための一歩なのだと信じているから」(by押切もえ)
 
 押切もえ『モデル失格』 p183  2009年 小学館101新書




まずは昨日、富士山が綺麗だった月曜日の備忘録。
昨日ようやく、車両のことで某ショップに行くことが出来た。用事が始まる前に急いで。

車両のうちでも、シグマスピードのエアクリーナーについて。

今年の汚れ♪今年のうちーに♪

本当は、年内にエアクリーナーを交換したいところだが、
年末のブログ主のスケジュールと睨めっこするに、年明けになってしまいそうなカンジである。
不本意だ。
かなり手入れしないでいるエアクリーナーを、そのままにして年越しするというのは・・・。

だが、ブログ主の「エアクリ!今年の汚れ♪今年のうちーに♪」という発想は、
現在のブログ主の「使い方」からすると不適切極まりないかもしれない。

それこそ、
「エンジンオイルとか(エアクリとか)こだわってちょくちょく交換するのなら、まずは、エンジン始動直後にいきなり踏み込むの、やめなさい。それがエンジンをいたわるってことです」。
こういう内容の「悔い改めよ」という指摘を、
実のところ「複数の人物」から、
複数の場所で受けている。

・・・ごもっともです。

発進後、安全が確保されていればすぐに踏み込むのは、ブログ主の「悪癖」で、
何ゆえがブログ主は、「踏み込んであげなければ今跨っているこのイノシシに申し訳ない」という、妙な勘違いを、本能的にしているらしい。
この種の本能的な誤解は治すのが難しいワケだが・・・このイノシシを壊さないうちに直した方がいいですな。

こんなことだから、今の私は「走り屋失格」なのである。

わかる人はわかると思うが・・・、私は故・D師のファンではない。
勘違いされると困るから、改めて言っておくが、私は故・D師のファンではない!

また、D師の大ファンを自称するOモデルのように、

私はまだまだ、「走り屋失格」です。

などと言い続けるつもりはさらさらない。
私に言わせるに、「失格」という状態は、
そこから脱さなくてはならない状態であって、脱するために努力すべき段階であって、いつまでも継続していてよい状態ではない。

宣言しておこう。

いずれ私は、
イノシシを的確にスペックアップさせることができるようになり、
跨ったイノシシに絶妙なムチを入れ、
九十九折の峠道を「空中の回廊」を使いこなし、
誰よりも短時間で走り抜けることのできる、
リスペクトされるほどの走り屋になりたい。

何ゆえに、「クルマ」を「イノシシ」と言い換えているかは、次回のブログにおいて明らかとなる。


いずれ私は、
イノシシを的確にスペックアップさせることができるようになり・・・、

書いていて、エアクリ絡みで、自分の中で引っかかることがあるのに気づいたが・・・
その引っかかり(自分の中での矛盾)については、
今書くと余計な問題を起こすかもしれないから・・・書かない。
Posted at 2009/12/23 07:12:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2009年12月21日 イイね!

富嶽+甲州日野バイパス(石田大橋近辺)

富嶽+甲州日野バイパス(石田大橋近辺)この日は実に富士山が綺麗に見える日であった。

忘れないうちに書いておこう。
忘れるところだった。忘れないでよかった。
(実のところ忘れていて、別の記事を少しの時間、掲載してしまったのだが、思い出したので、書き換える)

多摩川。
多摩川に架かる石田大橋の上から西の方を見ると、富士山がとても綺麗に見えた。
雪化粧していた。
気温が低く、晴れていた。
そういう日だった。
石田大橋と日野バイパス、甲州街道については「さて、」以下でも書く。

12/18(金)のブログ内容のことも、少し思い出した。
残念ながら「行方不明」となっていた右京氏に同行していた方々は、19日午後0時40分ごろ、6合目付近でご遺体となって発見されたとのことである。

「片山氏らが遭難したのはどのあたりだろう?」
そんな思いも頭に浮かんだ。
(御殿場登山道というから、西側の山体だろうか?こちら側に見えているのは、山体東側だろうから見えていないと思う)
また、本来はそこから見えた富士山の写真を掲載するべきなのだろうが、撮影する状況になかったため、石田大橋の画像でこれに代える。
残念。


さて、
この甲州街道日野バイパスを更に西に行くと、大垂水峠がある。
だが、今日のブログでは、峠区間ではなく、この日野バイパス自体について書いていきたい。
実のところ、日野バイパスには2つの路線がある。

一つは、
東京都国立市谷保の国道20号国立府中IC入口交差点から、日野市を横断して八王子市高倉町の国道20号高倉町西交差点に至る路線(日野バイパス本線)である。2007年3月24日に両側4車線として全線開通した道路。

もう一つは、
川辺堀之内から西平山に至る路線であり、仮称で「日野バイパス延伸部」と呼ばれる。こちらは、豊田駅付近に片側1車線暫定開通区間があるほかは、大部分が未開通である。圏央道へのアクセス道路として整備中であり、全線開通は当分先とみられる。

この日に通行して、「富士山が~」と言っているのは、
「一つ目」の「日野バイパス本線」である。
「石田大橋」と言っていることからも、それがわかるだろう。(この地域の方は)

この日野バイパスについては、「甲州街道」というカテゴリーにおいては、「重大な変更」が生じている箇所である。
2007年4月1日から日野バイパスが国道20号となり、日野バイパスに並行して走る甲州街道が国道20号から東京都道256号八王子国立線へ移管された。
つまり、新たに開通した日野バイパスが、「国道20号としての甲州街道」の「現道」なのであり、「これまでの甲州街道」は「甲州街道」ではなくなっているのだ。

あくまで、「国道20号=甲州街道」という括りにおいては。

では、このブログのスタンスでは、どうだろうか?
それは次回以降の「甲州街道」のカテゴリーのブログにて触れたいと思う。

また、「甲州日野バイパス」というのは、「警視庁道路交通ラジオ」(1620KHZ)の言い方なのだが、この周波数帯についても言いたいことがある。
それについてもまた次回以降の「甲州街道」のカテゴリーにて。

Posted at 2009/12/23 04:46:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2009年12月18日 イイね!

富士山+始点終点(大垂水)

富士山+始点終点(大垂水)この日は片山右京氏らが富士山で遭難したニュースが、何度も何度も流れていた。
片山氏と同行していた人々が生存しているといいのだが、金曜日の時点では、状況から言って絶望的だろうと思われている。
「二名死亡」と通報があったとか報道されていたくらいだから・・・。

正直、年明けには、「富士山」と銘打って、富士山関係の道路(五合目までだが)について書こうとも考えていたが、その気が失せる。
富士山については無期延期。




さて、
甲州街道について。

ここでもまた片山氏の名が出てくる。
つくづく彼の知名度には驚く。
「奴が大垂水を走っていたのは有名な話~」
こういう情報を複数のところで聞いたことがあるが、それについてこのブログで書くには、片山氏は有名になりすぎてしまった感がある。
自動車での走りを志す人間にのみわかる、そういうくらいの知名度の場所・人について扱うことが、このブログにはお似合いである気がする。

甲州街道は東京側と長野側、それぞれの終点近くに有名な走りのスポットが存在している。
そのうち、東京側の代表格は「大垂水峠」である。
長野側については「塩尻峠」であるが、それについて触れるのはまた後々。

それと、「甲州街道」こそ、神がかった走りの「烈伝」に相応しいのであるけれども、
そういうスタンスと記述は、ひとまず置いておこう。
走りのスタンスのみから、淡々と記述していく。
Posted at 2009/12/19 23:39:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2009年11月23日 イイね!

甲州街道四十四次

甲州街道四十四次 甲州街道は江戸を起点とする五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一つで、他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという。
しかし約120年後、幕府の直轄地である甲府に甲州金の金座が置かれ、貨幣の鋳造が行われるようになると、街道は経済上、軍事上、重要な交通路となる。
この街道の道程は江戸日本橋から武蔵国(東京都)相模国(神奈川県)甲斐国(山梨県)信濃国(長野県)を通り、下諏訪で中山道に合流する44次、約56里(約219km)であった。
参考サイト
https://gnl.cplaza.ne.jp/walking/info0005.html


この街道のレゾンデートル(存在理由)は、
江戸時代以降、常に「国家の非常事態」という「想定」と密接に結びついたものであった。
現実論として、「その想定」が、「その想定に従って甲州街道が使用された」という事実はなかったが、いずれにせよ、近世以降のわが国の歴史の意識下において、「非常事態との密接な結びつき」を持っていた。

しかしながら一方で、
「究極の技」「最速の技」を我が物とする、
そして、
それを我が物とした者は、控え目に言うケースでは、「一人前になるイニシエーションを突破した」
また、より、
現実論的な言い方として、「峠最速の神業をマスターした」ということになる。
国家の非常事態にせよ、
峠最速の神業にせよ、
こうした、「究極の世界」と密接に結びついた街道なのである。
(ひょっとすると、「やおよろずの神」という日本神話と関係があるのもしれない)

だが、「究極の世界」と密接に結びつくことは、
実のところ、「街道の形状」に起因しているところが大きい。

先に、
「他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという」
との文言が出てきた。
言い換えるところこれは、
「線形改良が為されていない」ということであり、
「九十九曲がり」のような街道形状であったということ。

当然、時代を経るに従って、線形改良が徐々に進み、
場合によってはルート変更も発生した。
そして、そのような「変化」は、現代に至るまで、尚、続いている。

具体例を挙げれば、
笹子峠は、新笹子隧道(ずいどう)の完成によって、国道20号は、峠そのものを通らなくなった。
また、小仏峠は、大垂水峠へと抜本的なルート変更が行われた。
さらに、この大垂水峠のルートは現在廃れつつあり、国道413号線経由の「相模湖ルート」がメインになりつつある。この変化は、今日、今現在、「現在進行形」で起こっている変化である。

このような、
「進化」と「変化」、
「普遍性」と「不変性」、
そうした意味で「究極性」を持った歴史ある街道として、「甲州街道」を挙げることが出来る。

さあ、今日から語ってゆこう。
甲州街道四十四次。
Posted at 2010/02/23 22:07:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記

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何シテル?   09/26 04:50
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