
最近みんカラをやっていて思うのが、
「広告の部分が、キーワードやブログテーマと関係しているのではないか?」
ということ。
例えば、
このページの広告で多いのは、「オートウェイ」さん(激安タイヤ屋さん)。
それと最近、よく出てくるのが、画像の、
「尾瀬植林ボランティア」(東京電力)。
もし、「キーワード」とかで広告を決めているんだとすれば・・・、
コレはたぶん・・・、
森とか、霧とか、山とか、神秘性とか、神業とか、神気とか・・・、
主として、「峠」関連の話からだと思うんですよ。
それが、(「さて、」以下が相当暴走している状態において、)
「信号守るのが峠族、信号守らないのが暴走族」
「新春初日の出暴走」
「爆音が山一面に轟いた」
「今年一番の朝日が、暴走族風の三十代男性たちを照らした」
とか、こういう語が並べられていたとしても、
キーワードキャッチロボットからすれば、
「ああ、自然保護とか、山とか、そういうテーマのブログかな?」とか思っちゃったりするかもしれません。
でも、
それって、正しい捉え方でしょうかね?
特に、
「さて、」以下が、
「自然環境の保護が大切です!
とりあえず、地球に優しいこと、
例えばゴミ拾いとか、植林とか、
それらを、いますぐやりましょう!」
って、
「さて、」以下では、そういうことが言いたいんでしょうかね?
さて、
(以下は、あくまでフィクションの領域ですので、現在のブログ主との思想・考え方と完全な一致をするものではありません。以下で用いられる、不適切な表現、違法性、暴力の描写、暴言などについては、一切の責を負いかねます)
今日は、「さて、」以下でも少しだけ落ち着いて話しを始めよう。
一つ。
「キーワードキャッチロボットの如き勘違い」を、日本の環境保護活動家の方々には、絶対にして欲しくない。
このブログでさえ、「さて、」以下が暴走している局面では、
ここで中心となっているのは、
まだ理性が残っている状態では「走り」。
もっと白熱して、理性が失われている状態では「暴力」だったり。
決して、「自然」が中心に据えられているわけではない。
これと同じで、勘違いしたらヤバいもの。
昨日のブログに登場の、「シーシェパード」。
この団体は・・・、
みずからを、
生態系と生物種の保全を名目とした団体のひとつと言い、
「世界の海洋における野生生物の棲息環境破壊と虐殺の終焉」と謳い、
自分たちを、
環境破壊を止めさせるために暴れまわる「海賊」だと位置づけ、
昔ながらの伝統的な「海賊旗」を模した旗を掲げ、
ときには自分たちを「海賊」と称し、
その船を、
「Neptune's Navy (海神の海軍)」と呼ぶ。
で・・・、結果的には、
また捕鯨船などに対する妨害活動の際に、環境中への放出禁止が指定された薬物の投擲やワイヤーの海洋投棄、さらに衝突によって油を垂れ流して沈没したアディ・ギル号を鯨の生息する南極海に放置する等、数々の環境破壊を行っている、
というもの。
ここに、「共感する人々」が、
反捕鯨思想などを持つ人々が、「捕鯨活動禁止の手段として共感している」と、
日本の相当多くの数の人が誤解をしているのではないか・・・。
という思いが、
私はしている。
もちろん、あの団体が掲げた「建前」に共感した人は、ヨーロッパに多くいるとは思う。
しかし、
シーシェパードが「共感」、反捕鯨国の有力者から「協賛」を得ているその本源的理由は、
「海賊」
であるから。
しかも、伝統的な「海賊旗」を掲げ、
年々新しい装備を入れ「進化(エボリューション)」していく、
「海賊としての姿」、
「純然たる暴力性」
(ソマリア沖海賊などは、金品目的というのが前面に出ているため、「純然たる暴力」というのが第一に出てこない。)
に「共感」しているのであって、
「思想に基づいた環境保護」ではない。
そして、これは「思想」ではない。
「暴力」は、思想ではない。
日本には勘違いしている方々が多いようだけれど、
暴力は、思想的には中立である。
暴力は、思想を越えて、人々に「共感」を与える。
そう、丁度、音楽とかと同じように。
それは、はっきり言える。
だから、アレに共感する人々の「魂の根源」は、
丁度、
このブログの、「さて、」以下での「私」「俺」が、「暴走した状態」とよく似ている。
(ってゆーか「海神の海軍」って何だよーー。
もはやキリスト教じゃねーし。
「キリスト教神学が・・・」とか言ってるコメンテーターは、明らかに勘違いしている。)
なので、私が、このことを通して、まず、伝えたいことは、「勘違いしないで」と。
エコ活動≠日本国憲法の前文が仮設する世界観 なのだと。
特に、
日本国憲法前文が仮設する世界観をお持ちの方々にこそ、
これだけは、わかって欲しい。
暴力は、思想ではない。
暴力と思想信条は、無関係である。
それと、
「シーシェパード⇒国連海軍」の可能性については、
ワトソン提督(←この言い方、しゃくだが、便宜上。)が、
例えば、
災害時輸送など、国連活動に協賛する旨を表明したら、それは要注意である。
この「⇒」を、明確に意識している。
事実、
国連海軍の座は空位であり、
また、
シーシェパードも、
IWCからはテロリスト扱いされているが、国連からの非難決議は出ていない。
(対して、ソマリア沖の海賊などは、国連から正式に海賊扱いされている。)
(国連自体、我々日本人からすると、トンデモな状態で、日本などに対して未だ「敵国条項」などが残存したままなのであり、「そういう連中」であるから、正直、今後何を考え、やらかすか、わかったモンじゃない)
そして、ここからは、
このブログの感性にも、相当共感できる人に向けて。
もっと言うなら、「国連活動に協賛」とか言わなくても、
ワトソンが、ニミッツ提督とか、東郷提督とか、ネルソン提督とか言い出した時点で、相当ヤバい。
あいつらは、
「伝統主義」の中に生きている。
「海賊」という「伝統主義」の中に生きている。
「さて、」以下で語られる「私」とか「俺」とかが、
「峠族」「走り屋」「(ときには)暴走族」という、
ずーーーっと続く「伝統?」の中の価値観を持っているのと、同じ。
だから、ヘンな言い方だし、
この字づら、凄く嫌だけれども、
あの、
ワトソンと、「さて、」以下の「俺」の感性は、相当、近い。
何度も言うが、「感性の近い者にしかわからない感覚がある」。
それをわかった上で、出した結論。
アレは、徹底的に組織解体しなければ、将来、ヤバい。
アレは、「海賊」という、強烈な「伝統」を背負っている。
日本の海警・検察組織には、
それを踏まえた上で、
後で言う、
「保安官の如く卑劣にして・度を越えた積極的な警察権の行使」
をするところまで腹を括って(実際にやるか否かは全くの別問題として「覚悟」「決意」の話として)、
全力であの組織を叩き潰してもらいたいと思っている。
(そうでないと、あの種の組織に、将来、支配交代されるような気がしてならない。
「共感」しているが故に、怖い。
この怖さが事実無根ではなく、現に国連海軍の地位は空位であるからこそ、すごく怖い。)
以下は、日本だけの問題じゃないと思うけれども、
警察力が「全力を出して貶める」「全力を出してぶっ潰す」べきは、
基本的には組織。
このへんのことが、
特に日本では、
西部劇とか、保安官制度とかみたいな歴史がないから、
イマイチ真剣味がなくて、
治安維持とか、警戒強化とか言うと、
すぐ、
「手荷物検査が大切だ」とか、
「個人個人の活動を制限せよ」とか、
個人取り締まりって話になる。
(刑法学自体が、「法人の犯罪執行能力を認めていない」って話を含めて。
ちなみに、私見として、「法人の犯罪執行能力はある」と思う。
法人の犯罪執行能力の例:「海賊」という「伝統」)
それは、やっぱり、
日本では、
西部劇とか、保安官制度とかみたいな歴史がないからだと思う。
かつて、保安官は、「交代」があり得た。
「最強のギャング団」が保安官なのだから、
保安官が「最強のギャング団」でなくなった時点で、
だいたい、保安官事務所が襲撃され、
「実力によって」
保安官組織そのものが「交代」した。
日本でいえば、そう、最有力の暴力団が資金力と軍事力を拡張していって、
警察・検察を越えるってコトだろうか?
日本ではそれはトンデモな話だが、世界史的にはそれは常識だし、「力の世界」ってのは、そんなモンだろう。
だから、かつて保安官たちは、「奴らを武装解除せねば」と言って、ギャングのアジトに乗り込んでいき、これらを徹底的に殲滅することで、
「唯一の執行力」を確保していった。
「武装組織」に対して、手を抜いていた保安官組織がどうなったか?
個人相手の「集金活動」「みかじめ活動」に集中していた保安官組織がどうなったか?
それらは、
ある日、保安官事務所が襲撃され、「実力によって」保安官組織そのものが「交代」した。
この「ある日」が、
「X-Day」と呼ばれ、
「体制がひっくり返る日」として一般名称化した。
だが、こういう「X-Day」が、西部劇の時代以降も、そうそう現れるものではなかった。
でも、「事実上の警察組織」が無力化されるような事態は、
様々な国の様々な場所で起こった。
「税務警察」は、
国家権力以外が税の如きものを徴収することを排除するために、
国家権力以外で税の如きものを徴収する集団がいれば、
こういう集団を徹底的にぶっ潰すために警察権を行使する。
しかし、世界各国で、「税務警察権」が無力化されたケースが多いのは有名だ。
「事実上の警察組織」が無力化されるような事態は、
近年の日本でだって、
いっくらだって起こっている。
そう、
「ヒトを、意に反する苦役に従事させる」とか、
「ヒトを、調達してきて、右から左に転がす」とか、
そういう権利を持っているのは、国家権力だけだ。
「ヒトを、意に反する苦役に従事させる」とか、
「ヒトを、調達してきて、右から左に転がす」とか、
もしも国家権力以外の組織が、
そんなことを行っていようものなら、
国家権力の継続そのものが危険だ。
だから、
そういう組織は、法によって存在そのものが禁じられ、警察力によって弾圧・解体されるというのが、現代社会の普通の姿なのだ。
そういう組織は、国家権力が、「労働警察権を行使」すると称して、
そういうことを企む組織そのものを「犯罪者」として、弾圧・処罰・組織解体していき、
「ヒトを、意に反する苦役に従事させる」とか、
「ヒトを、調達してきて、右から左に転がす」とか、
そういう権利を国家権力以外からは剥奪していくのが、現代社会ってものだ。
そういう組織は、先手を打って早いところぶっ潰しておかなければ、
いずれ、「法」そのものが、
「そういう組織の持つ触手」によって「改められ」、
公然と存在していい組織へと、
地位向上してしまう。
「日本の労働警察」にあたる組織が無力化され、
「非合法集団」が「合法化されてしまった」ケースは有名だ。
たぶん、あの、「かつては非合法であった集団」が、
もうすぐ、
国家権力機関のヒトを扱う分野に、なり代わるのではなかろうか?
丁度、
「規模の大きい海賊」や、
「規模の大きい暴力団」が、
「法廷闘争も可能」であることの延長線上であり、
「法」そのものを「改正」する「力」をもっている。
こうなるともう、警察力は、お手上げだ。
突き詰めていえば、
「組織」ってものは、
そういう力を持っている。
「組織」と「力」の世界では、
非合法集団が合法集団になる、
ギャングが保安官になる、
今までの保安官が新しいギャングに倒されて新たに保安官になる、
海賊が海軍になる、
こういう話が、ざらだ。
「組織」ってものは、要注意だ。
そんな「一般論」は、もう、いい。
そろそろ、「走り」そのものに関係する話を、しようか。
そう、今度は、
「youtubeによる“走り”の取り締まり」ってのにしよう。