
「ラリーアート、業務を大幅に縮小」3月10日16時18分配信 レスポンス
10日、三菱自動車のモータースポーツ関連事業会社「ラリーアート」が2010年3月末日をもって業務を縮小すると発表した。
業務縮小に伴い、これまでラリーアートが実施していた、モータースポーツユーザー支援全般(参加支援、技術支援、ドライバーオブザイヤー表彰等)や、メンバーズクラブ(RMC)、オンラインショップ、ドライバーズレッスン等の主催イベント、モータースポーツ情報発信のメールマガジン、が廃止される。
なお、「ラリーアート」ブランドのパーツ、キャラクターグッズ等の商品販売は継続される。また、ラリーアートオンラインショップの注文は3月28日までで、4月1日から廃止される。
チューニングパーツやグッズの販売は継続される。
ラリーアートは1984年4月の設立、現在までモータースポーツ関連の諸活動を行ってきたが、業務縮小に関して、一昨年来の経済状況の変化に伴った経営環境の悪化によるものとしている。
出典
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100310-00000018-rps-bus_all
昨日の、
上記ラリーアートの話については、様々な人が書いていらして、意見も多数は「惜しい」また、どちらかといえば少数意見が「廃止で当然」。
少しだけ時間が経って、このブログのスタンスを決めることが出来ました。
「ラリーアートをラリーアートでなくして、“再起動”は出来るのか?
大丈夫か?
“再起動”時の計画はあった上での、業務廃止か?」と、問いかけさせて頂きたい。
しかし、直情として、三菱自工の経営陣の方々は、大変な「資産カット」をやってしまったのではないか?と。
たしかに、ラリーアートの実情として、
「ラリーアートには、車両製作の実働部隊がもういなくなっている」という話を聞いていたのも、たしかなこと。
でも、ラリーアートは、「三菱の競技専門集団」としてのネームバリューを、競技に常時携わることで、構築してきた。
それは「暖簾(ノレン)」である。
(現行会計基準の、「合併時超過収益力としての、“のれん”ではない。その語源となった、「継続的な活動実績による名声」という、本来の意味。)
ラリーアートを、
「競技専門集団」ではなく、「部品屋さん」にすることは、
「暖簾の廃止」であり、「保有資産の焼却処分」にあたるといえる。
で、ラリーアートは
“the spirit of competition”、
「競技魂」「競うことの魂」を合言葉としてきたわけだけれども、
それは完全に消滅することとなる。
控えめに言っても、
今後のラリーアートは、
現在進行形ではなく、
「過去の栄光にすがった活動」に終始することとなる。
名実共に。
こうした話は、
「モータースポーツなんて
もともと
貴族の道楽からはじまったんだ。
それを
どうまちがったか
こんな極東の島国がだなァ・・・
まあ、
そんなことはどうでもいい
とにかく
お金がかかるのよ!
わかるゥ?!
お金!」(『SS』第4巻P108、109より引用)
(↑『SS』において、このセリフの発言主は、「遊びじゃねーけどよ」と、つぶやいているところは少し留意すべきか)
という指摘・考え方も踏まえた上でのこと。
その上で、問いたいところであります。
ノウハウの再建は、できるのか?
“再起動”時の計画も構想した上での、業務廃止か?
と。
ラリーアートの競技活動廃止に関して、「三菱族」の一人としては、誠に残念。
これを絶望を以って受け止めざるを得ない。
しかしながら、
「さて、」以下に登場する「私」の感性では、それとは真逆の捉え方をしている。
「むしろ好都合である」と。
「さて、」以下に、時々登場する「私」の感性は、まったく違う考え方をしていることだろう。
●関連文献など
『SS』第4巻 東本昌平 小学館 BIG COMICS
●注-ラリーアートの関係各位の方々へ
上記雄叫び、あんまり気にしないで下さい。
ショックが大きすぎて、錯乱しているだけですから。
それだけ、ファンな客層でした。
上記雄叫びは、主に三菱自工の意思決定陣に向けたものですから。
店舗などで会っても、上記感情で見ているわけではないですから。
半ば暴言で、すみません。
ラリーアート内部の方々、又、直接の関係各位の方々については、ブログ主の私情としては、心配しております。私が心配してどうこうなるものでもありませんが、どうか、災い転じて福となりますように。
また、これからも、どうか、よろしくお願いします。
(基本的に、このブログの私≠現実の私なのですが、コトがコトだけに。一応。)
(あと、「さて、」以下は、現実の話とは何の関係もありません。)
さて、
(以下は、あくまでフィクションの領域ですので、現在のブログ主との思想・考え方と完全な一致をするものではありません。以下で用いられる、不適切な表現、違法性、暴力の描写、暴言などについては、一切の責を負いかねます)
ビリビリッ!!!
2010年3月のある日。
コルトのリヤハッチ下部に貼られた、
the spirit of competitionというロゴ入りの、
黒いテールゲートガーニッシュを、
俺は剥がした。
2010年、マツダスピードなどと同じく、
ラリーアートも競技集団ではなくなった。
三菱車も、
「走り」の世界において、完全にストリートの世界に解き放たれた。
このことによって、三菱車もまた、
メーカーのみの特権であった「競技」、
国際自動車連盟と名乗る、ヨーロッパ思想による封建体制の拘束から開放され、
われわれ個人暴走主や、
遠征を企む暴走集団の手に委ねられた。
ビリビリと黒いテープを剥がした日から、どのぐらい経ったろう?
10年以上だろうか?
さあ、
我々中年男よ、
再び暴走族を結成し、
遠征しよう。
最強のマシンと、
どこ国のどの警察組織よりも強い、世界最強の暴力を携えて、攻めてゆこう。
ドイツ・アウトバーンに、
アメリカ・ハイウェイに、
そして、
中国国家高速公路網に。
そう、
こうした暴走の過程を経て、
日本車は、走りにおいて本当の価値を得たのである。
そう、
こうした暴走の過程を経て、
法を踏み超え、
社会的常識を踏み越え、
「走り」が生命以上の尊い価値を得、
「走り」の象徴として君臨する日本車という躯体は、
まさに、人々の努力と技術、走り屋たちの覚悟、情熱、魂によって、
「神がかった道具」となっていったのである。
日本車の乗って走りを追求しようというならば、
できるならば走り屋、
少なくとも暴走族、
何かを踏み越えて、本気で走る意思と覚悟のある者。
日本に生まれし者以外で、日本車に乗ろうするなら、
こうした、
「走りに対する覚悟」が必要なのである。
日本車は、
日本人以外の乗り手に、
「走りの魂」を要求する、
まさに「走りの使徒」なのである。
言葉を代えていうならば、
日本車とは、
できるならば走り屋、
少なくとも暴走族、
何かを踏み越えて、本気で走る意思と覚悟のある者、
こうした者たちだけが乗ることを許される、
特権的な存在、それが日本車なのであり、日本の工業技術であるのだ。
馬鹿どもにもわかる、平易な言葉で言おう。
アメリカ人は、アメ車に乗れ。
中国人は、中国車に乗れ。
アメ車の性能が、どんなに劣っていようと、アメリカ人はアメ車に乗るべきなのだ。
中国車の性能が、どんなに劣っていようと、中国人は中国車に乗るべきなのだ。
劣った性能を、甘んじて受け入れ、
その上で、それを何とか繕おうと、痩せ我慢すること。
痩せ我慢するのが嫌なら、おまえたちの国の企業を、自分たちの力で改革するしかない。
それが、自分の国のモンを愛するってことなんじゃないのか。
そして、
それが出来る上で、
何かを踏み越えて、本気で走る意思と覚悟のある者、
もし、乗り手が日本人でないのなら、
こうした者たちだけが乗ることを許されるのが、日本車だ。
特権的な存在、それが日本車なのだ。
日本の政府や企業を脅して(「リコール」なんて制度、そもそも有名無実なのに、注)、
安易に日本車の品質と保証を得ようとするな。
できるならば走り屋、
少なくとも暴走族、
何かを踏み越えて、本気で走る意思と覚悟のある者。
日本人でないのなら、
こうした、走る者たち以外に、日本車には乗ってもらいたいとは思っていない。
日本の、
昔の走り屋魂を持つ者としては。
●注-中国車やインド車はほとんどリコールが無い。リコールのない中国車は毎年1000万台以上生産されているが、全く問題にもならない。