
←『世界の終わりと夜明け前』の表紙。
詳しくは、
『世界の終わりと夜明け前』浅野いにお
小学館2008年 ビッグスピリッツコミックススペシャル
をお読みになると、わかります。
わたしには、今日、どうしても叫びたいことがある。
4/4日曜日、どうしても叫びたいことがある。
それが自らの無知が故であり、それをさらけ出すこととなるにしても、叫びたい。
日曜に「検切れ」になる、ってのは、頂けない。
役所仕事に関わる話だから、月~金の間に検切れが生じるようにして欲しいな・・・と。
だって日曜じゃ、整備工場だって休みのところが多いんですぜ。
(ディーラーとかショールーム系は日曜もやっているけれど、そういう店は・・・少し、高い)
「検切れギリギリまで乗りたい」って感情が、
「わがまま」
とカ
「セコい」
とか
「危険」
とかに属する性質のものかもしれない、ってことは、自覚しているし、
ひょっとすると、制度改正が既に為されているのを、不勉強なだけかもしれない。
でも、
今日、
叫びたかった。
さて、
先日付けのブログで『世界の終わりと夜明け前』の漫画を紹介したけれども、
どうしてだろう???
なんで浅野先生は、このブログでの「私」と世界観が近いのだろうか?
だから、
走り屋とか、
峠族とか、
爆走族とか、
環状族とか、
あるいはそうとうコアな暴走族か、
そういった経歴があったのだろうか?
あるいはまた、
ずーーーっと、そういう、「クルマやバイクを使った走りの世界・しかもストリート」にいるのだろうか・・・???
と見ているのだけれども、
もしも、クルマやバイクの走りとはまーーーったく無縁の人だったなら、
それこそ、
凄いと、思う。
この浅野先生の世界観って、
普通なら、峠を走ることによって構築されていく世界観だから。
(でも、ひょっとするとそうでないかも。
峠族だと、都市と電車に疎くなる。私のように。
それと反比例して、「族」「賊」「共同危険行為」「共謀共同正犯」「交通警察」「保安官」「政府」とかいう、
「集団での有形力行使」の描写が多くなると思うけれど、それが見られない)
それにしてもそれにしても、
世界観が近すぎる・・・汗。
具体例は以下に。
手始めに、
(P59)「・・・昔ちょっとだけ付き合ってた子の名前を検索したりしてみると出てきたのはその子が書いた育児日記(ブログ)だった」
↑へー。こういう再会方法ってのも最近体験したなー。これまでは、人名検索っていえば、「土屋圭市」とか、「稲田大二郎」とか、「永田和彦」とか、ばっかだったー。
ま、私の場合は異性ではなく、同性の同級生でしたが。
本ブログ https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17206651/
「この村の高速道路の高架橋、見てるとあたし体がゾワゾワするんだよね」(by大沢さん『世界の終わりと夜明け前』)
「クルマの世界に置いて、線形改良の形として、高速道路が出来る。
そうでなければ、峠を越えられる技のある者にしか、山の向こう側へは行けない。
そういう世の中となる」(本ブログ https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17298818/
そして、
「未熟な状態」で山の向こうに越えていった「結果」か?
「大沢さん」は、「中島氏」の「全国ツアー」の犠牲となるらしい。(『世界の終わりと夜明け前』)
「高速道路が出来る前、あるいは自動車街道が整備される前は、
自らのクルマを遠くへ、というのは、選ばれた乗り手にだけ許された行為だったのではないか」(本ブログ https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17298818/
「男にとっての峠、女にとっての峠、というのはニュアンスが相当違う。
女にとっての峠・・・そこで連想されるのは、『野麦峠』とか、とにかく苦しいイメージが強いのである。
対して、
男にとっての峠・・・ここでは、「峠のキング」とか「峠最速伝説」とか、相当にプラスのイメージが思い起こされる。
こういう言い方をすると、男女差別だ、とかいう話をする人がいるが、そうではない。
逆のパターンもある。
海で泳ぐ、特に立ち泳ぎ系。
女がこれをしていると、豊漁のイメージがある。
対して、男がこれをしていると、・・・船の沈没。
本ブログ https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17130199/
『世界の終わりと夜明け前』の中間部。
大沢さんと思われる人、全身ずぶ濡れになって立ち尽くす。
水泳部の女子が(←2000年当時は「レーザーレーサー」も未出で、『ウォーターボーイズ』も未出だったので、男子は殆んどいなかったみたいだ)真夏のプールサイドでこの様態ならば微笑ましいにしても、
この雨の中、山里の神社の前に立ち尽くしている。しかも痣だらけだ。
↑幽霊だ。
そして、「人生という船が沈没している状態?」の男性と彷徨う。幽霊×2名だな。
↑この状態の人々を、生きている幽霊、と私は呼んでいる。
私は、幸運にも、現実の峠道で幽霊を見たことはないし、この種の、幽霊化した漂流者、生きている幽霊にお会いしたこともない。
おかげさまで。会ったら、大変だろう。恐怖で凍りつくだろう。
しかし、夢の中では、けっこうしょっちゅう幽霊をみている。
「その日の晩、僕はこんな夢を見た。
僕は夢中で高速道路で立ち漕ぎをしていた。
気づくと僕は自転車ごと・・・(by杉崎くん)」『世界の終わりと夜明け前』
↑「高速道路に自転車!?」
冗談だろ!?
それは私の霊夢だ。
やけに青白い顔をした、自転車の集団。(本ブログ https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17335034/
でも、
ちょっとだけ「温度差」はあったり。
まず、
「軸」として描かれている青少年は、
1980年生まれと書いてある浅野先生からすると、すこし下の世代を描いているようにも見えるけれども、
このカンジの服装の傾向からみるに、私よりももう少しだけ下の年代だと思う。
2005年くらいで18歳になっている辺りの年代だろうか。
一方、「成人」として描かれるキャラクターは、皆、私より少し上に年代がズレている感があり、いまいち感情移入できない。
それも手伝ってか、性描写が目に付くけれど、場面のシリアスさも手伝って、全然エロくない。
(あ、いや、人によっては好み違うから、「軽くエロ漫画っしょ、これ~♪」とか言う方もいるかもしれません・・・汗)
それに、
「なぁ。来週、俺ら二人で渋谷行かねぇ?」
「・・・別にいいけど、なんで?」
「バッカ、お前ギャルをナンパしにいくんだよ!!男をあげる旅に出ようぜ!!」(by本田くん)
と・・・。
↑『族車マガジン』読者なら、最強の暴走族として関東制覇とか、志して欲しいものです。
それとなにより、
男にとっての峠・・・ここでは、「峠のキング」とか「峠最速伝説」とか、相当にプラスのイメージが思い起こされる。
という類の、
「峠のキング」「峠最速伝説」といったような観念の話が為されることはない。
皆、「峠を忌避する」傾向にある。
で、それこそが、根底的には「246」に関係のある話。
「246」はそもそも「峠を忌避する道」なのである。
あと、
とある「霊感」について。
それは・・・GT-Rが、
GT-Rの廃車体が呼んでいた!
ということ。
とはいうものの、
今日の「表紙画像」をみればわかるように・・・、
「ただ表紙に引かれただけじゃねーかー!!それ、表紙買いだろー」
という指摘を受けないこともない。
ええ。
そうですとも。
表紙買いですとも。
表紙に惹かれて、中身なんて見ずに買いましたよ。
ええ。
わたしはこういう、ご立派な表紙に弱いんですとも。