• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

猛走峠のブログ一覧

2010年09月24日 イイね!

「歯痛」「季節の変わり目?」に関連して。

「歯痛」「季節の変わり目?」に関連して。この記事は、涼しくなってきましたね・・♪について書いています。

・・・ダイレクトに文章入力をしたところ・・・、「BackSpace」に手が触れて、ブラウザが戻り・・・、もう一度同じ入力ページに戻したところ、
画面から入力データが消えていた・・・。
色々操作を試みるも、自動バックアップやら、ワープロソフトみたいな入力記憶機能は、ないみたいで・・・。

・・・まあ、体調が悪いときは、こんなもんで。

・・・書き直し。今度はワープロソフトを使って。

えーと、
体調が悪かったのは、
歯が痛い、ということ。
急に寒くなり、
それに伴い、
私の場合は、歯痛、
だった。
薬を服用して休息し、
さすがに今は、収まってきている。
操作ミスする程度のイカレ方は私にも、
それと、PC・ネットにもみられるが。

きっと車両の方も、今週は調子がわるくなるだろう。
・ ・・私の家の機械類は、「日本的」というような、動作確実性があんまりないと思うのだけれども・・・。
ヒトの体調が悪いときは、全て、レスポンス低下する、
みたいな。

コレは付け加えた話。

で、以下の話が、
さっきからの話で、

https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/17704213/
において、
「今、4月17日、午前四時現在、
東京多摩地区であるが、
現に降雪し、
現に積雪している、
しかも吹雪いている、
という事実を、ここに記録しておきたい。

無論、
この気象現象は、拙者の人生の中において始めての現象であり、
少なくとも、前年の2009年までは、東京の気候区が四月に降雪したという事実は、
小生の記憶において、存在しない。
4月中旬に降雪するということが、
この日このときのみであるのか、
それとも今後続いてゆくのか、
それは不明である。

また、
論理的な話として、

「暦が地球の実態とズレてきている」
という話なら、問題はなかろう。
暦は、365日ペースで固定されているのだけれども、
実際の「冬の時期」は、数百年の間に、後ろへとズレているという場合。
これも、
今年は、二月のバンクーバオリンピックをやっている期間、バンクーバーは雪不足であった。パラリンピックが開幕した三月頃に、雪が充分な量となっていた。
これなら、問題はない。

問題となるのは、こちらの方だろう。
地球の気候の方が、変化している。
これについては、世間で騒がれている。

あと、
核実験による、「ちょっとした核の冬」であるという説。
「さて、」以下の私が、
こういう立場で、アメリカや中国やロシアをボロクソに言っているが、
実のところ、
核実験実弾炸裂のオンパレード時代は1960~80年代までであり、
それこそ、
東京オリンピック期間中に中華人民共和国は核実験を実施・核武装宣言といったような年代のことなのであり、
今さら、
「核の炸裂で異常気象が~」という話は現実的ではない。
(花粉症が急性放射能中毒???という説は、一定の論理性はあるが)
(↑後に、「核の炸裂で異常気象が」の可能性についても、肯定した)

あと、
一部で、既にメディアでも報道されている話として、
「気象兵器は既に完成されている」という。
報道を額面通りに受け取ることは、不適切だが、
ひときわ報道がトロい日本の報道機関でさえ、
そんな説を、チラホラ言い始めているのだから、
ひょっとすると、
とっくの昔に完成されており、
その「実験」、
あるいは、
「完全なる恭順」を徹底化させるため、
日本政府に対して気象兵器を用いた軍事恫喝や軍事力行使が、
最近は常に行われているのかもしれない、
ということは、あり得る。
別にトンデモな話をしたいわけじゃなくて、
北京オリンピックでは、中国政府は気象操作作戦を実行したことは公然と認めているし、
つい数日前も青海で震災があったことも踏まえると、
現実的な話として、ひょっとすると、
米中間で、気象兵器を用いた大規模な戦闘が暗に起こっているのかもしれない、
という話。

また、
この、東京の急速な冷却と積雪が、
一昨日から生じている、
アイスランドでの大規模な噴火と因果関係があるのか?
という疑問文も、付記しておく。

ともかく、
この気象現象が、
今までの経験値からは大きく逸脱している、
ということを強調しておく。
これは、プライベートの記録であるし、
走り屋として、
というモノサシからも、言える話である。
故に、
あらゆる可能性を勘繰る様を、
記した」

と、こんなふうに語っているが、
このカテゴリーは、
4月17日に、
こんな形でスタートした。

4月以降、日本の天気は、はっきり言って、
異常ともいえるもので、
本当にこれが、
「天気」・・・「天の気分」
であれば問題ないのだが、
「ヒトの業」であるのなら・・・、
それはもはや、
我々の想像力の域までも超えてはいまいか?

特に、
「核兵器も一切禁止、それが国是」
と言っている日本人、
そして、日本政府からすれば、
「天気がヒトの業」
「天災は人災で、戦争」
だなんてことは、
もはや、
「想像力の範囲外」
になってはいまいか?

こんなことだから、
私は最近、

「我々の想像力は、きちんと現実を突き抜けているか?」
「現実は、私の妄想の内側にあるだろうか?」

という思いが頭の中を巡っているのだが・・・。
あ・・・またしても歯痛が再発したか???

ちなみに今日の画像は、
工事中の「城山ダム」。
Posted at 2010/09/24 05:05:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 相模 | 日記
2010年05月15日 イイね!

変遷

変遷この記事は、旧甲州街道2について書いています。

←郷土資料館「吉野宿ふじや」の内部。縁側を左手に見て、床の間の方を撮ったアングルだと、「この旅館イイ雰囲気ですねー」というカンジですが、詳しくは後述しますが、ココは郷土資料館です。残念ながら、現役の旅館ではありません。
神奈川県相模原市緑区吉野214
042-687-5022
10:00~16:00
年末年始と月曜日休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が振替休館)
入館料無料。駐車場もあります。上野原・甲府・諏訪方面左手側。

まず、
今日の「時事ネタ」的な話としては、「乗鞍スカイライン」が今日開通したということです。なにやら「雪の壁」がまだある模様で。時間が出来たら、今年は、「雪の壁」の中を走ってみたいな、という思いも。(一般車進入禁止でしたっけ???)


さて、

「甲州街道の変遷」として、
中長期的に、甲州街道には北から南へ、だんだんとルートが移動していく傾向があるらしい、(https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16695861/)


大垂水の本線は廃れている。
大垂水峠にあったドライブインも今は廃れている。
代わって、国道412号(三ヶ木までは413号)の方が今は栄えていると思う。
それは無理もない。
国道412号は相模湖で20号と合流しているのだから。
恐らく現在は、例えば一般道で甲府に向かおうとする車とかでは、
20号のまま(大垂水本線)で走る車よりも、
412・413号(津久井湖経由)を通る車の方が多いのではなかろうか?

という話、
この「変遷」は、確かにあるだろう、と私は思っています。
この吉野宿ふじやを出て東に少し行くと、
「相模湖駅前」の交差点があり、
東京方面に向かう車の多くは、そこを右折してゆきます。

そういう「変遷、甲州街道の変遷」に関する話で、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16912789/ にて、

甲州街道は江戸城に直結する唯一の街道であった。
これは将軍家に非常事態が起こった場合には、江戸を脱出するための要路と位置づけられていたといわれる。
こうした「脱出路」としての役割は、明治期になっても踏襲される。
「西欧列強諸国が攻めてきて、強大な軍事力によって東京を陥落される」という「最悪のシナリオ」をも、明治期の首脳部は常に考えていたということである。それを裏付ける史料はテレビでいくらでも報道されている。もちろん、「東京が陥落した際、皇室が脱出する道」というシナリオは、本気で考えていたわけではないだろう。

と書いたが、
ええ。たぶん、本気で考えていたわけではないでしょう。
「帝都東京制圧されたら日本はジ・エンド」
それが本音でしょう。
そのため甲州街道も吉野宿も、
明治3年の、明治天皇の行幸の後は、だんだんと衰退していったとのことです。

特に、明治以降は鉄道が建設され、
しかもそのときに設けられた最寄の駅は「藤野」。
吉野宿からはすこし距離がある。コレが決定的だった、と。
「駅」の所在地は重要らしく、中央自動車道に乗れば東京圏の市街地などすぐの、このような場所でさえ、「過疎化・高齢化」が進んでいるとのこと。なるほど、それは「若者のクルマ離れ」というのも手伝っているのかもしれません。
でも、今はクルマ・トラックがひっきりなしに通りますので、コンビニもあり、街道として「復活」してはいますね。
でも・・・そのせいで、
目の前の国道20号を、トラックが通るたびに木造の建物がガタガタ・・・。
うーーーむ、景色はいいのですが、沿道の住環境は良くないんですな 汗。

それと、
この郷土資料館となっている「ふじや」は、
残念ながら、江戸から10番目の宿場・旧吉野宿「本陣」の遺構ではありません。
明治29年に火事(「吉野大火」)になり、吉野宿はほとんど焼失しました。
そのため、「ふじや」は、確かにかつての旅館の屋号ではありますが、旅館として今尚現役ではないですし、旅館建築でもありません。
現在の建物は、火事の翌年明治30年に建てられたのですが、
それは、「養蚕農家」という形での再スタートをきることになったのです。
勿論、「養蚕」、生糸の生産・輸出が、明治時代の日本の基幹産業だったから。
(そのため、1階に立派な座敷があり、2階が蚕の部屋であったようです)

なるほど。
ここは「経済の変化」を凄く受けやすい場所なんですな。
(↑経済の変化を受けにくい場所ってドコやねんーーーー!という突っ込みの余地がないことはない)
Posted at 2010/05/15 23:50:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 相模 | 日記
2010年05月14日 イイね!

川からの高さ

川からの高さこの記事は、ヤビツ峠について書いています。

←吉野宿ふじやの縁側から相模湖を眺める。

今日のブログの「スポット」もココです。連日ですが。はやいところこの場所関連の記事を書き終えて、この「相模」のカテゴリーも、少し別の「場所」に移動しましょう笑。

この吉野宿ふじやは、街道側からはあんまりわからないんですが、庭側、縁側からは相模湖を望むことができます。
「一面の!」というよりは、ココは少し引っ込んでるので、落ち着いた湖面の雰囲気を除き見ることが出来る、ってカンジでしょうか。

で、
このカテゴリーで、

「甲州街道」は、伝統的に、少し特殊な形状なのです。
その「特殊形状」が故に、つづら折れの箇所が発生しやすい。
「この旧吉野宿近辺が、江戸時代と変わっていない」というのが、
実は、
「特殊」なのです。
「一般的な形」ならば、「江戸時代の道はダム(相模湖)の底!今の道はダムが出来てからの道なのよーん」
なはず。
そう。
この旧吉野宿近辺で、
相模湖を、
ダムのベースとなったV字谷を見下ろすように街道が通っている、
しかもそのルートがずーーーーっと続いている、
このことが「特殊」なのです。

こんなふうに書きました。
それはその通りで、

「甲州街道」は、かなり多くの区間が、河岸段丘の上を通っているのです。
この「傾向」は、中央本線でも、中央自動車道でも持っているのです。
特に、諏訪・松本方面に走っていると、左手が広い谷で、それを見下ろす形で走っていることが多いです。
今でこそ、こういう街道形状は普通でしょうよ。
しかし、昔、こういう街道形状では、水の調達に苦労してしまいます。
そのため、
昔の山間の集落は、「谷津集落」と言って、川とあまり高さの違わないところにあることが多かったのです。
故に、一般的な街道は、「谷底」や「川に沿って」設けられることが多かったということです。
こういう「一般的な形状」を持っているのが、「宮が瀬レイクライン」の「裏ヤビツ」です。
(このブログの「宮が瀬」のカテゴリーにも少し出てきました。)

しかし、「甲州街道」は、そうはなっていません。
谷川を見下ろすように、河岸段丘の上を走っているのです。
そのため、未だに、「他の通りと高さが合わない」「県道と高さを合わせなければならない」という「都合」が発生します。
要は、慢性的に、「つづら折れ」の形状が発生しやすいのです。

でも、水については、少し苦労していたかもしれませんね。
沢の水を引いてくるしかないように思います。
まあ、ボーリング工法(上総掘り)普及以降は川水面よりも下まで掘り抜くことが可能になったと思われるので、問題にはならなかったでしょうけれども。
とはいえ、川までは、汲みに行くのは不可能なんじゃないかな?と。
少なくとも、日本では、それはしない、
水が調達できない場所では集落はつくらない、
というのが基本だったかな、と。
そういう意味で「ユーザの苦労」がもっとも大きかったのが、「まいまいず井戸」かな?と思います。(「まいまいず井戸」は「463」のカテゴリーで書いたと思います)

それにしても、渓谷の谷底、川に沿ったルートにならなかった、
ということは、この相模川は、相当な暴れ川だったからかもしれません。

あと、
「甲州街道四十四次」のカテゴリー、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16685330/
にて、

「甲州街道の変遷」として、
中長期的に、甲州街道には北から南へ、だんだんとルートが移動していく傾向があるらしい、と語ったこと、


https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16695861/
で、

大垂水の本線は廃れている。
大垂水峠にあったドライブインも今は廃れている。

代わって、国道412号(三ヶ木までは413号)の方が今は栄えていると思う。
それは無理もない。
国道412号は相模湖で20号と合流しているのだから。
恐らく現在は、例えば一般道で甲府に向かおうとする車とかでは、
20号のまま(大垂水本線)で走る車よりも、
412・413号(津久井湖経由)を通る車の方が多いのではなかろうか?

という話を含めて、
吉野宿ふじやから、あと一回、お伝えしようと思います 笑。
Posted at 2010/05/14 00:06:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 相模 | 日記
2010年05月13日 イイね!

小仏峠・高尾山・大垂水峠

小仏峠・高尾山・大垂水峠この記事は、高尾山について書いています。

←吉野宿ふじや内部。左手が縁側。相模湖に面している。

この「相模」のカテゴリーでも、
「甲州街道」とか、
「相模湖」とか、
「大垂水峠」、「小仏峠」、
とかいう地名がフツーに出てくるんですが、
関東・東京圏に馴染みのない方々は、あまりピンと来ないと思うのです。

しかし、「高尾山」という名称と映像は、ゴールデンウィークの観光地を報道したテレビでも頻繁に、映像が出ていました。
(高尾山は、東京都心から電車で約1時間で行くことができる交通アクセスの良さや、ケーブルカーなどを使って気軽に登山できることから、老若男女問わず登山者数が多い。年間の登山者数は約260万人を超え、富士山やエベレストを遥かに越えて、世界一の登山者数を誇る(注1)、
ので当然といえば当然ですね)


このブログの「今のスポット」は、国道20号(甲州街道)沿道の、吉野宿ふじやなのですが、国道20号をココから東、東京・八王子方面に行きますと、
「大垂水峠」になります。
「大垂水峠」は、漫画『オーバーレブ!』でも舞台となって出てくる旨、このブログでも紹介しております。
その「大垂水峠」は、
かの有名な「高尾山」の「一部分」ともいえます。

ひとことでいえば、
「高尾山」山体の南側を通るのが、大垂水峠。
「高尾山」山体の北側を通っていたのが、小仏峠。
そういう位置関係になるんです。

そういう位置関係の「いきさつ」は以下に引用します。

小仏峠(こぼとけとうげ)は東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区(旧相模湖町)の間にある峠。
高尾山の北側の山麓を貫き、旧甲州街道のルートに指定されている。
江戸時代には旧甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、小仏関が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更された。これによって小仏峠を通る通行者は激減した。一方、地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、直線的なルートが望まれる中央自動車道とJR中央本線は、小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた。(注2)

大垂水峠(おおたるみとうげ)は東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある峠。
高尾山の南側の山麓を貫く。
現在の国道20号(甲州街道)のルートに指定され、片側1車線の自動車通行可能な峠である。
1869年(明治2年)の太政官布告により小仏峠の小仏関所は廃止され、甲州街道は自動車が通れる道路規格であることが望まれたため、1888年(明治21年)に小仏峠を通るルートから、現在の大垂水峠を越える道へ路線変更された。現在の峠は、数度の変遷を経て国道20号に指定されている。(注3)


つまり要約すると、
「高尾山」山体の南側を通るのが、大垂水峠。
「高尾山」山体の北側を通っていたのが、小仏峠。
そういう位置関係になるんです。

で、
もっともっと根源的な話をしますと、
「街道」(登山道ではない)は、
山の頂上を通すわけにはいかない、
相対的に山の低い部分を通さざるを得ない、
それが「峠道」。
こうした部分が、「峠」と呼ばれるのです。
(一部、 どうしても山の高い部分、尾根・コルを通した「尾根道」もありますが、おおかたは、相対的に低い部分、通しやすいルートが採用されています)
「街道」の「目的」は、「走り抜けること」なので当然です。
一方、「登山」は山の頂を目指して登ることですので、「登山道」は山の頂で「行き止まり」になるのが「基本」です。
とまあ、このブログは「高尾山登ろうぜー」という主旨ではないので、
「高尾山」は、位置関係をざっくり説明するためだけに出しました。
はい。
こんな、初歩的過ぎる話をするブロガーの方は、たぶん他にはいないと思うので。


(注1)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B0%BE%E5%B1%B1
(2010年5月13日閲覧)
高尾山の豆知識 登山客は世界一 - 高尾山総合インフォメーション(2009年7月12日閲覧)

(注2)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BB%8F%E5%B3%A0 
(2010年05月13日閲覧)

(注3)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9E%82%E6%B0%B4%E5%B3%A0 (2010年05月13日閲覧)


さて、

「火スペ!」の「警察24時」系の話の続き。
この番組「見せ場」(カーチェイス)。
対象車は、マークⅡ ????。
社外品マフラー装着スタイル。
「神奈川県警機動捜査隊」が、かねてより追っていたようである。
しかし・・・外見が・・・いかにも、ドリフト族系・・・汗。
警察車両は、主に、スカイライン250GT??? であるようだ。

で、
「仲間???」(セルシオ???)が、「妨害作戦」に駆けつけてくる???
ほどの壮絶なカーチェイスが繰り広げられる。
一度は取り逃がしているだけあって、
警察側もカーチェイスに勝って取り押さえないと、済まないようである。

しかし、
私はこの画面を、全く別の「邪念」をもって観ていた。

「ドリフトしてくれっ。豪快な交差点ドリフト♪」
しかし期待していた「それ」は起こらず、
暴走族風???の三十代男性???が取り押さえられる。

それにしても、警察官の「キムタクのドラマ」風のしゃべり方は、どういうことだろう???
「ぶっちゃけー、精算機(破壊窃盗)、やってるー?」
って・・・汗。

それと・・・、

あのカーチェイス、
よく考えてみたら、
追っかけてるパトカーの方は、いわゆる「刑事さん」なんですよねー。
交機じゃないみたいだし・・・。
市街地カーチェイスって・・・。どうしてもカーチェイスの後に確保するってんなら、
「宮が瀬にドリフト走行しにきたところを、壮絶なカーチェイスの後、確保」とかいうふうには、出来なかったもんでしょうかねぇ。
「対向車線走行中の被疑車両を発見→そのままカーチェイスになったので仕方なかった!!」ってことなんでしょうが・・・。
でもなあ・・・、
あの番組・・・、
「驚愕!凶悪犯罪者は逃がさない!!驚異の目線!!」
という謳い文句で紹介されてますけど・・・、
一視聴者の感想としては、
「コレ・・・さんざん追跡調査やってたんじゃないのー?」というものもいくつか・・・汗。
それにしても、あの「市街地カーチェイス」で他を巻き込んだ重大事故が起こらなくてよかったですな。
Posted at 2010/05/13 19:32:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 相模 | 日記
2010年05月11日 イイね!

用語の差異

用語の差異この記事は、ニコイチについて書いています。

←吉野宿ふじやに展示されている模型。
この模型にある、吉野宿の路地が、現在の国道20号(甲州街道)と全く同じ、という話をしてきたのです。
違うところは、
江戸時代までの街道は、この宿場を抜けるとつづら折れになって一段下がっていますが、
現在の国道20号は、高架を用いて向こう側までそのままブチ通してあります。
こういう「変化」「進化」を「線形改良」と呼ぶのです、という話をしてきました。

それと、
「甲州街道」は、伝統的に、少し特殊な形状なのです。
その「特殊形状」が故に、つづら折れの箇所が発生しやすい。
「この旧吉野宿近辺が、江戸時代と変わっていない」というのが、
実は、
「特殊」なのです。
「一般的な形」ならば、「江戸時代の道はダム(相模湖)の底!今の道はダムが出来てからの道なのよーん」
なはず。
そう。
この旧吉野宿近辺で、
相模湖を、
ダムのベースとなったV字谷を見下ろすように街道が通っている、
しかもそのルートがずーーーーっと続いている、
このことが「特殊」なのです。
それについては、また次回以降のこのカテゴリーにて。


あと、

日記的な話ですが、
先ほど、
「火スペ!」の「警察24時」系の話がやっていました。
コレで、テレビ番組表の時点で、
「ニコイチ車」という、ある種業界用語が出ていました。

「ニコイチ」・・・複数の個体から1つの個体を制作することであり、主に以下のことを指す。 機械・器具の修理に際し、複数の不良個体から部品を組み合わせ、一つの個体にすること。

「えーーー、ニコイチってダメなのーーーー????
いや、
んなはずナイじゃないか!
ニコイチ車乗ってると捕まっちゃうんかーーーー???」

「こりゃー観るしかないなー」
と思い、観ました。
すると、
「ニコイチ」・・・盗難車や別の車のナンバーをつけた車。

↑「えーーーーーーーーー!定義が違ってるしーーーーーーー」

機械用語の「ニコイチ」と、
警察用語の「ニコイチ」では、
けっこう意味が異なるようです。
この番組の「見せ場」(カーチェイス)の感想もまた、後日。
Posted at 2010/05/11 23:58:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 相模 | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

本日の復旧作業はここまで… 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2012/02/04 19:31:14
今日の測定結果@静岡 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2012/02/04 19:27:31
群馬県測定教育施設線量マップ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2012/02/04 19:24:25

愛車一覧

三菱 その他 三菱 その他
Ob's stürmt oder schneit, Ob die Sonne uns l ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation