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猛走峠のブログ一覧

2011年04月23日 イイね!

ほとんど関係のない話をずーーーーーーーーーっとしているセンセイ

この記事は、昆布とわかめの買占め来るぞーについて書いています。


本来は、「するに値しない話」なのだが・・・。

中村仁信氏のしている話は、本来「関係のない話」なはずなのだが。


中村仁信氏が言ってるのは、
「放射線は危険ではない!」

と言ってるのだが・・・、
コレ・この考え方自体に疑問があるのだが、
それは置いとくとしても、
氏は、素人目にみても、関係のない話をしている。


実際のところは、
「放射性物質という粒!」

要するに、

放射性ヨウ素が甲状腺に蓄積する⇒甲状腺を痛める
放射性セシウム・ストロンチウムが骨に蓄積する⇒骨を痛める
プルトニウムが肺に蓄積する⇒肺を痛める


これが実際論。
素人目に見ても。

「放射線を浴びる」
というのは、ハッキリ言って、「関係ない話」。

なので、
トラバ元の人は、
「中村仁信さんは人の良さそうな、悪いことを企んでる顔じゃない、ただ、判明してきた事実を伝えたいってのが伝わってくるのがまた、ね・・・」と言っているが、
ハッキリ言って、
「今は殆ど関係のない話」
を、
ひたすらひたすらしていることでしかない。

で、もっと言わせてもらうと、
本来の計測ポイントは、

放射性ヨウ素がどのくらいあるのか?
放射性セシウムがどのくらいあるのか?
放射線ストロンチウムがどのくらいあるのか?
プルトニウムがどのくらいあるのか?

という話なのだが、
それをどれもこれも、
本来は、ぜーーーーーーーーーーーんぶ計測しなきゃいけない。

それでしか本来の数値測定としての意味はない。
しかし、そんなことは到底不可能。

だから、
放射性ヨウ素、セシウム、ストロンチウムなど、

こいつらが、すべて「放射線を出す」という「習性」を利用して、
(ガイガーカウンターで、)
そこにある存在を「レッテルづけ」してやるしかない。


だが、これこそが核物質をめぐることの「本質」ではなかろうか?

それこそ、「放射線を浴びた⇒死亡」は、もはや、「物凄いレベル」。

「児童を避難させなければ」
というのは、
本来は、
「そこ(例えば校庭)には、
放射性セシウムがどのくらいあるのか?
放射線ストロンチウムがどのくらいあるのか?
プルトニウムが・・・」
という、
これが本質。

しかし如何せん、
こいつらは、粒で、気流・水流でしょっちゅう動くので、
粒そのものの測定は極めて困難。
だから、ガイガーカウンター数値で、レッテル付けしてやるしかない。
「線量管理」という形で、一括してやるしかない。


そういうこと。

放射性ヨウ素が甲状腺に蓄積する⇒甲状腺を痛める
放射性セシウム・ストロンチウムが骨に蓄積する⇒骨を痛める
プルトニウムが肺に蓄積する⇒肺を痛める

コレ!!

だから、
「俺が峠を走るのが嫌いになって・・・」
とか、
「ああ、俺も車両もこんなに被爆しちまったよ」
ってのも、
本来はこう↓いうこと。

放射性ヨウ素が、
放射性セシウムが、
放射線ストロンチウムが、
プルトニウムが、
タイヤに付着しちまった、
ローター内部に入り込んだ、
タイヤハウスに付着した、
サスの付け根に引っかかった、
エアコンの吸入口に入っちまった、
座席に着いた、
ダッシュボードに、
フロアマットに・・・、
俺の身体に付着して、
呼吸から中に入って・・・


こうした粒をぜ―――――んぶ計測することは不可能なので、
「線量計(ガイガーカウンター)」を用いて計測するしかない。

そこで数値化されたものが、
「ああ、俺も車両もこんなに被爆しちまったよ」
という数値。

だから、この数値はあくまで二次的なもの。
要するに、原発事故の件において、
中村仁信氏が言ってるのは、まさに「空論」!!
素人目にみても。
ホントに「放射線」っていうなら、

防護服着て、
厳重なマスクもして、
そう・・・「宇宙服」に近いような状態になって、
それで「中の人体にどれだけ光線が当たったか」みたいな。


こんな話は、今は、殆ど無意味と言っていい。

要するに、
言っておくべきことは、

中村仁信氏のしている話は、本来「関係のない話」!!

・・・しかし、私のブログも、あのくらい、本質論から見てトンチンカンな話しているだろうか?(ずーーーーーーーーーーーっと?)
その点、こわいな。

この記事に関しては、
http://www.dailymotion.com/video/xi9vo1_yyyyyyyyyy_news
に動画が出てます。
要するに、私が言いたいのは、↑その映像の時間のほぼ全てが無駄なのではないか、という話。

トラバ元の人は、
「中村仁信さんは人の良さそうな、悪いことを企んでる顔じゃない、ただ、判明してきた事実を伝えたいってのが伝わってくるのがまた、ね・・・」と言っているが、
私に言わせてみれば、
「中村仁信氏は、関係ない話で電波と時間を占拠している者」
としか言いようがない。


・・・ああ。
ひとつ訊きたい。

「女性の母乳から放射性ヨウ素」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110421/trd11042107040001-n1.htm

↑これについても、「同じこと」を言う気なのか。

(そもそも、度量衡が、
「シーベルト」、「ベクレル」で違ってるし)
Posted at 2011/04/23 10:37:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路地(2011年4月) | 日記
2011年04月23日 イイね!

「犠牲論」

この記事は、原発作業被ばく線量 「救命時は無制限」検討していたについて書いています。

※この記事は、「救命時」、それ以外、という話をしているわけではありません。
あくまで、「考え方」の話なので、そうした具体的場面設定・技術論としてはあいまいなものです。



4月19日の記事において、
私は、武田教授が唱える、福島(など)除染作戦に対して、疑義を呈しておりました。

https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22124974/

「「大規模な除染作戦」とそれに対する一抹の疑念」
(チェルノブイリ事故においても、
「福島市、郡山市などを中心に、大規模に除洗」のような作業が行われているらしく、
(↓4号炉の破片に直接触れた人も含まれている上での平均値かもしれないが)
推定平均線量165ミリシーベルトを受けた、という事例を引き合いに出しながら、
福島での大規模な除染作戦も、やはり被爆を伴うのではないか?
それでいいのか? と。)


しかし、
今、武田教授が、3.11以降、「自分の意見ではない」としきりに言っていたことを思い出しました。

要するに(武田教授の唱えるね除染作戦は)、
「これは、ICRP・国際放射線防護委員会の勧告文書の考え方に従ってるな?」と。
(武田氏は「(政府は、)福島エリアの子供を被爆させる気だ!」と言って糾弾していたので、当然といえば当然の流れで、
「どうせ政府は、多くの日本人を被爆させる気なんだから、どうせ被爆するなら、“有意義な被爆”にすべきだ!」
「無駄な被爆はするな!」
という具合に、論旨変更したように思われる)


「これは、ICRP・国際放射線防護委員会の勧告文書(3月21日付)の考え方に従ってるな?」

というのは、

トラバ元の人が、
「国際放射線防護委員会(ICRP)勧告で「情報を知らされた志願者による救命活動」は線量制限なし」
というこの文言。

実際に、この文章を見てみた。
http://www.scj.go.jp/ja/info/jishin/pdf/t-110405-3j.pdf#page=1

この部分は、(かなり辛辣だが、)要するに、「犠牲」について書いてある。


その部分をありのままに抜き出すと、こう↓。

「委員会は、さらに、説明を受け承諾したボランティアによって行われる救命活動に対しては、救命に携わる者のリスクを上回る便益がある場合には、線量を制限しないことをこれまでの勧告から変更することなしに用いることを勧告します」


要するに、これは「犠牲論」というやつだ。
非常に不愉快な文言なのだが、リスクを上回る便益がある場合には、線量を制限しない、
リスク(犠牲)<便益 (←「犠牲をはらう時というのは、こういう時だ」ということ)

なので、
「今すぐこれをやれば福島は復活する」というのも、
被爆(犠牲)<福島の復活!! ということだから、「早くやれ!!」という、ICRPの考え方に従ったもの、だと思う。


http://www.youtube.com/watch?v=BdPtdzEtk2g
「今すぐこれをやれば福島は復活する」
(インカムをつけた武田教授の顔がアップになりすぎていて、画面的にアレですが・・・汗)





リスク(犠牲)<便益 (←「犠牲をはらう時というのは、こういう時だ」)
「被爆(犠牲)<福島の復活!!」⇒「早くやれ!!」
という、の考え方に立つなら、また逆の結論も当然ながら出てくる。


「無駄な被爆はするな!!」
「不要な被爆は避けよ!!」
と。

すると、こう↓なる。

「雄々しく放射線に立ち向かう」というのが立派なことだろうか?
 なにか戦前を思わせる.放射線が人体に害があるというのは国民的コンセンサスなのに、なぜ急変して「我が身を放射線に曝すのが格好いい」となり、「ついでに子供も被ばくさせてしまえ」という自爆主義は許されるのだろうか?
http://takedanet.com/2011/04/post_faf5.html
「大人は子供たちを被ばくさせたがっている・・・」

そう・・・「便益」も皆無なのに、
「ついでに子供も被ばくさせてしまえ」というのは、
「たんなる自爆(←子供には拒否権も避難力もないので、これは傷害行為・未必の故意の方が正確)」なのだ。

リスク(犠牲)<便益  ←「犠牲をはらう時というのは、こういう時だ」

とか、こういう言い回しは、私は嫌いで、
「児童は保護せねば!!!」とひたすら書くのが良いのだが、それじゃなかなか本質が伝わらないので、仕方なく、嫌な言い回しを使う。

リスク(犠牲)<便益  ←「犠牲をはらう時というのは、こういう時だ」
⇒「ついでに子供も被ばくさせてしまえ」というのは恐ろしくゲスな考え方だ。

おそらく、「なにか戦前を思わせる」と言うなら、
「(子供は給食を拒否できないのに放射性物質を使うということに比べれば、)
特攻隊の方が、数百倍マシである」

「意味ある犠牲」と考えてみると。
Posted at 2011/04/23 00:55:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路地(2011年4月) | 日記
2011年04月22日 イイね!

「現在活動一時休止中、のサーキット族の男性(←青山繁晴)」ついに、福島第一エリアに突入。

この記事は、枝野氏、南相馬市を防護服で5分間車外視察…住民「こんなに遅く来て帰るのは早い」--痛いニュース--について書いています。

前回の記事とは、話題は少しだけ変わって、
今回の記事の大半は青山繁晴氏のブログからの引用です。

特に、トラバ元の人が紹介する(大々的に報道されましたが)、「枝野官房長官の防護装備状態」(←大丈夫大丈夫♪を繰り返してるのに、枝野長官あの装備は、絵的に問題が・・・「大丈夫大丈夫♪」と言いつつ、「あの防護状態」では、ホント、「歩く風評被害製造機」と言われても・・・)とは対極的な姿勢です。
「避難を指示されている地域であっても、放射線量が蓄積すればまったく別問題ですが、しばらくのあいだ居たからといって倒れるような線量ではないことを知っていたからです。
 それに、その地域の住人で、牛に水をやったり忘れ物を取りに帰ったりで、避難地域に入っているかたがたが、防護服は着ていないらしいことも聞いていたから、自分だけ安全を固めていくことはしたくなかった。
 放射線量を計るための線量計は、身につけるけど、防護服もマスクも何もしないことをいったん決めていました。
 防護服を着ない代わりに、訪問が終わったあとに、スクリーニング(被曝調査)を受け、その調査で仮に何も出なくても、身体を洗ってから帰京するつもりでした(by青山繁晴)」と。
(とはいっても、副島さん(←トラバ元の人の記事にも、「(枝野長官よ、)この人を見習え」って出てきてますが・・・汗)には劣りますが・・・汗)


それよりも何よりも、
あまりにも「みんカラ」と関係があるような内容なので、引用しておきます。
(武田教授のページみたいに「引用自由」とは書いてないみたいなので、少し躊躇いますが、
あまりに「みんカラ」に通ずる記事だったもので・・・青山さん、みんカラにはいないとは思うが、どうなのだろう?)
http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/491d41a6271a5e2b705b5c4c189fb190

↓ 引用

今夜9時からの放送で、ある程度は、出てくるかも?しれません  (すこし書き足しました)
2011年04月18日 15時36分26秒 | Weblog▼もう4日前になるけれど、4月15日金曜に、福島原子力災害の現地に入ってきました。

 事前に関係当局と協議し、諒解を得たうえで、ひとりで独研(独立総合研究所)の社有車を運転し、山越えで、まず政府が「屋内退避、自主避難」としてきた30キロ圏内に入り、やがて「避難指示」となっている20キロ圏内の入り口で警察官による検問所に着き、通過の許可を得たうえで、中に入り、人が消えた村や街で車から降りて歩き、取り残された犬や猫としばしの時間を過ごし、運転に戻って、やがて福島第一原発の正門に到達。

 そこで、作業員のかたたちの話を聴き、また正門を背にして、放射線量を含めてあたりの様子を調べ、これまで平時の原発調査で見慣れた、高い排気筒をこれまでとは違った気持ちで見上げました。


▼福島第一原発から、20キロ圏内に入ったひとは実際はある程度、いらっしゃる。
 まず住民のかたがたが、たいせつな用件や、あるいはどうしても必要な忘れ物を取りに行くために、検問所で警察官と話しあったうえで、入られている。
 ただし、ごくごく少数の住民です。

 それからジャーナリストのひとびとも何人か、入っている。どのようにして入ったのか、それをぼくが直接に聞いたジャーナリストはひとりもいないから、詳しくは知らない。
 仄聞(そくぶん)した限りでは、検問所で警察官を「説得」するようにして入ったということでした。

 ぼくはジャーナリストでは、ありませぬ。
 テレビ番組でも講演会でも「ジャーナリスト」や「評論家」として(勝手に)紹介されることが珍しくないけれど、それは現在のぼくの職業ではありません。

 共同通信の記者を20年近く、務めていたあいだはジャーナリズムのただ中で日々、仕事をしていました。
 しかしペルー事件をきっかけに45歳で共同通信記者を辞めるとき、「以下、余生なり」と心に決めると同時に、ただ一度しかない命の残りは、実務家として生きると、おのれなりに決しました。
 そこで、シンクタンクの三菱総合研究所に入り、国家安全保障などの実務に携わりはじめ、たとえば原子力施設のテロ・サボタージュによる巨大なリスクと対抗するための実務も開始しました。
 1998年、平成10年のことです。

 そして三菱総研で4年3か月を働くうち、日本には、旧財閥や証券会社、銀行といったところの紐(ひも)の付かない、自由にして公正な実務に徹するシンクタンクが必要だと痛感し、日本で初めての独立系シンクタンクとして独立総合研究所(独研)を、資金ゼロの状態からかろうじて、少数の仲間とともに創立しました。
 この独研も、日本社会の思い込みで「青山さんの事務所」と呼ばれることが日常茶飯事だけれど、ぼくはジャーナリストでも評論家でも、タレントでもないので、個人事務所は持っておりませぬ。
 独研は、いかなる補助金も受けないために、また癒着をつくらないために、自立した株式会社組織のシンクタンクです。
 既得権益の側から、潰そうとする画策は水面下では苛烈そのものです。
 また、それを知って知らずか匿名のひとびとによる、現実とかけ離れた中傷誹謗、嫌がらせも激しく、それから何よりおカネがなく、この4月に創立からもう10年目に入りましたが、よくぞここまで生き延びてきたと、正直、こころの底から思います。
 なぜ生き延びているのか。
 社員たちの志と努力に加えて、ごくごくささやかであっても天命がある、果たすべき使命が、かすかにでもあるからではないか、それしか思い当たりません。

 その小さな天命のひとつが、日本国に、自主エネルギー、すなわちアメリカを中心とした先の大戦の勝者が握る国際メジャー石油資本などに支配されない、独立国としての自前エネルギーを確立することです。
 自前のエネルギーが無かったために、負ける戦争までせざるを得ず、自国民だけで300万人を失ったのですから。
 その敗戦を真正面から超克するためにも、自主エネルギーを確保することこそ、祖国を甦らせる正道だと、今も変わらず考えます。

 その一環として、日本でかろうじて自主、自前に近いエネルギーといえる原子力(※ウランを輸入せねばならないけれども、石油や天然ガスと比べてずっと国際メジャー資本やアメリカの支配力が弱い)をめぐっては、独研の代表取締役社長・兼・首席研究員であるぼくは、内閣府の原子力委員会の原子力防護専門部会で専門委員を務めています。
 また経産大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会で「核セキュリティWG(ワーキンググループ)」の専門委員を務めています。

 かつては政府も電力会社も「原発にはリスクがない」という間違った、ウソの前提に立っていました。
「いや、リスクが厳然と存在する。特にテロやサボタージュによって冷却を止められれば、原子炉が安全に自動停止してもメルトダウンに至ることがあり得る」と12年前の1999年、平成11年から問題提起しました。
 まだ三菱総研の研究員だった時代です。

 意外にも、政府内部でも電力会社内部でも、ごく少数ながら関心を持ってくれる良心的なひとがいました。
 アメリカで9.11同時多発テロが起きる2年前のことです。
 テロへの問題意識も社会に薄く、耳を傾けるひとが、どんなに少なくても存在することに、ぼくは日本社会に希望を感じました。それは今も変わりません。

 とはいえ、大多数からは無視される情況でもあり、命を削ってでも訴えることを、まったくの非力ながらも続けているうちに、たとえば2006年、平成18年に原子力委員会にテロ・サボタージュによるリスクを専門的に扱う「原子力防護専門部会」が新設され、その初代の専門委員のひとりとなりました。
 これは自民党政権の時代ですね。
 しかし民主党政権になっても、この専門部会は続いていて、ぼくの立場も変わっていません。
 政党色とは関係なく、国家と国民を原子力へのテロ・リスクから護る実務だからです。
 ぼくが記者を辞めるとき(共同通信を辞めると言うより、記者という職業を辞める意識でした)、実務家を志したのには、そういうこともありました。
 政党や権力の思惑に左右されない、時代を貫いていくフェアな仕事が必要です。

 一方で、このように初めて原子力防護専門部会は設置されても、たとえば冷却システムの問題をいくら提起し続けても、具体的にはほとんど改善されず、そしてついにテロリストより先に大津波が、その弱点を突いてしまいました。
 おのれが非力であることにも、重大な責任があります。

 原子力専門部会が設置されたということは、「防護せねばならないほど巨大なリスクが原子力発電には実在する」ということを、やっと初めて日本政府が認めたことであり、それは、たいせつな一歩だったのです。
 ところが、ぼくの民間人としての非力も含めて、それを生かし切れず、「冷却が失われた場合」に備える有効な改善を実現できないまま、もう一度申しますが、テロリストや北朝鮮の工作員の代わりに、あるいはその前に、3.11の大地震と大津波の襲来による「冷却喪失」を迎えてしまいました。
 自然災害への防災は、ぼくの分野ではありませんが、そんなことで責任は免れません。
 生涯にわたって背負い続けねばならない十字架であり、命が続く限りの責務が生まれました。


▼その原子力委員会・原子力防護専門部会の専門委員として、また独研の社長・兼・首席研究員という実務家として、福島原子力災害の現地には、発生の当初から、胸の内では強く強く「入りたい」と願いました。
 胸を焼くように、内心では、願ってきました。

 しかし、ぼくは技術者ではなく、現地で作業はできません。
 その作業の邪魔になるような現地入りだけは、厳に慎まねばなりません。
 政治家(政治屋)でもジャーナリストでも評論家でもないのだから、よけいに、現地入りについておのれを律さねばなりません。

 そのうえで、先週4月13日水曜の朝に「もしも青山さんが、職務のために入られるのでしたら、今週内しかないかもしれません。新たな規制強化も、場合によっては考えていますから」という話が、ぼくの信頼する良心派の政府当局者から、ありました。
 その情報が政府当局者から積極的に寄せられたのではありません。
 迷惑をかけずに、いずれは現地入りすることを、ぼくが模索している意思を伝え、それに対する当局者のフェアな答えのなかに、その情報もありました。

 そこで週内に現地入りする考えを決め、関係先への連絡と協議を具体的に始めました。
 原子力委員会の専門委員の立場を振りかざすのではなく、検問所をはじめ現地で任務に当たる警察官に余計な仕事を増やすのではなく、発電所の構内で戦う東電と関連会社、東芝、日立の名も無き社員・労働者に迷惑をかけるのではなく、同時に、国民が知るべき「避難を強いられた土地」の実際を、現地で掴む。
 そのための協議です。
 ちいさな志を理解してくれるひとも、関係者のなかに、何人もいました。ありのままに申して、嬉しかった。


▼そして、政府当局者と電話で話した4月13日の夕刻になり、「水曜アンカー」(関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」の水曜版)の生放送が始まるまえ、顔合わせのとき、「今週中に福島第一原発の正門を目指します」と伝えました。

 無事に入ることができたら、水曜アンカーという機会でも、視聴者・国民に内容を伝えたいと思ったからです。
 テレビ界では、福島第一原発の正門から40キロ圏内に入って取材しないという申し合わせになっているそうですが、ぼくはテレビ局の一員ではなく、芸能事務所などにも一切、属していませんから、そのような縛り、自主規制は関係ありません。
 ただ、関テレの報道部には事前にお話ししておくのが、仁義でもあると考えました。

 すると、取材経験の豊富な、信頼するディレクターのひとりが、にこにこと「青山さんは特別な、凄い防護服を持っていますもんね。だから行くんでしょう」と言ったので、驚きました。
 ジョークかと思ったけど、まったく本気で言っていたから、ぼくは不思議に思い、「防護服なんて何も持っていないよ。それはどこから出てきた話?」と聞き、そして「防護服は着ません。このままで行きます」と言いました。

 ほんとうに、そのつもりでした。
 避難を指示されている地域であっても、放射線量が蓄積すればまったく別問題ですが、しばらくのあいだ居たからといって倒れるような線量ではないことを知っていたからです。
 それに、その地域の住人で、牛に水をやったり忘れ物を取りに帰ったりで、避難地域に入っているかたがたが、防護服は着ていないらしいことも聞いていたから、自分だけ安全を固めていくことはしたくなかった。
 放射線量を計るための線量計は、身につけるけど、防護服もマスクも何もしないことをいったん決めていました。
 防護服を着ない代わりに、訪問が終わったあとに、スクリーニング(被曝調査)を受け、その調査で仮に何も出なくても、身体を洗ってから帰京するつもりでした。
 これは自己防衛ではなく、環境や、ぼくに接する人に、少しでも余計な放射性物質をもたらすことをしないためです。


▼しかし、関係当局などと協議しているとき、「最低限の防護服を着ていただくのが条件です」という話になりました。
 そこで、この点だけは考えを変えたうえで、準備を急ぎました。


▼そして現地入りの日程を探りましたが、先週内で、終日、時間をとれる日がまったくありません。
 やむを得ず、4月15日金曜日を選びました。

 この日は、午後1時半に東京・四谷で、経済人と会う予定がありました。
 独研が完全会員制で配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の法人会員として信頼するひとだから、予定変更などはお願いしたくなかった。
 そのあと午後3時半に、独研の本社で、出版人から「会って話をしたい」ということで入れた面会の約束があり、午後4時からは、CS放送の「日本文化チャンネル桜」の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」の収録が予定されていました。

 となると、夜が明けて、あたりが見えるようになる段階ですでに現地にいて、そして午前の遅くない段階で現地を出発せねばなりません。
 帰路の最後に直面するだろう都内の交通渋滞も含めて、どんな障害があっても極めてスムーズに移動、つまり車を運転して帰ってこなければなりません。

 現地の道路には激しい陥没も確実にあるだろうし、現地の検問所などに、「事前協議で諒解がある」という連絡が、ほんとうに入っているかどうか、スムーズに通過できるかどうか分からない。
 しかし、「ほんとうにできるか」とは、考えませんでした。

 どうしても無理と分かれば、アポイントメントをドタキャンしないことを優先し、どれほど無念でも途中で引き返す。
 それであれば、とりあえずは決行できます。


▼現地入りの前に、ほんとうは1回でも充分に眠りたかった。
 腸閉塞での入院から3月19日の土曜に退院してから、一度も、満足に眠ったことがない。
 869年の貞観津波以来の大震災と、福島原子力災害のさなかだから、それはやむを得ません。
 しかし現実問題として、体力が3分の1ほどしか、まだ戻っていないから、一度だけでもゆっくり眠ってから行きたかった。

 実際には、それはまるで無理な相談でした。
 4月15日金曜日の、午前2時40分、一睡もしないまま、独研の社有車(と言っても実際は法人リースの車だから、リース会社のものですね)を運転し、都内を出発しました。
 ひとりです。
 イラク戦争の戦地に入ったときをはじめ、リスクや危険の可能性があるときには、独研の社員も家族も、誰も同道させません。
 それが、ぼくなりの原則です。

 ふだんは、ほとんどの場合、独研の秘書か研究員が常に同行しているけれども、リスクのある地域にはひとりで行きます。
 友だちや、社外の、つまりぼくが社長としての責任を持っている範囲の外での同志というべきひととは、そういうところに行くことは将来、あり得るかもしれない。
 しかし、今のところは、それもしたことがありませぬ。

 節電のために真っ暗に近い首都高速を走っているとき、ウインドガラスの正面に亡くなったかたと、いまだに行方の分からない、3万人とも考えられるひとびとの魂の重みがどっと、のしかかるのを感じました。

 そうか、原子力災害によって生活を狂わされたひとびとだけではなく、すべての震災犠牲者が待つ土地に行くのだと、天から教えられたように感じました。
 2001年9月11日の同時多発テロのあと、ニューヨークのセントラル・パークから、アルカーイダの乗っ取った飛行機2機がツインタワービルを破壊した、その現場に向かうために、長い時間を歩いているとき、わっと、のし掛かってきた犠牲者の魂と同じ気配を感じました。

 それが、「生涯でもっとも長い半日」の始まりでした。


▼現地で何を見たか、福島第一原発の正門で作業員のかたがたと何を話したか。
 それは、できるだけ詳しく、ぼくの撮影した動画とともに4月20日の午後4時48分からの「水曜アンカー」で伝えたいと願っています。
 ただし、これはぼくの番組ではなく、ぼくは、いつも申すように、ただの一参加(出演)者に過ぎませんから、勝手はできません。どこまで伝えられるかは、まだ分かりません。

 また、同じ日のRKB毎日放送の「スタミナラジオ」でも、時間の許す限りは話したいと考えています。
 さらに、前述したように、現地入り当日の帰京後の「チャンネル桜」の収録でも、これは井上ディレクターの質問に答える形で、ある程度すでに詳しく話しました。
 いずれ放送されますし、誰でもご覧になれるユー・チューブにもアップされます。

 ただ、チャンネル桜の収録になったとき、凄まじい疲労がどっと押し寄せて、みなさんから頂いた質問を読んでいるうちに、眠りこけて、はっと目を覚まして、また読むうちに、またまた眠り込むという有様。
 ほんらいの体力の3分の1では、この日、もう限界をはるかに超えていました。
 実は、収録を中止し、次回にしようかという話も、井上さんたちと何度もしました。
 しかし、身体が潰れてもドタキャンをできるだけしない原則を、どうにか貫いて、3回分の収録を終えました。
 実際は、4回分でした。1回分に、情報源のひとりから「話してもいいです」という確認を取っていない情報が最後にちらりと含まれたことに気づき、その収録分は捨ててくださいと、井上さんたちにお願いしたからです。
 だからもう、収録は3回分ともぼろぼろ。
 聞き苦しかったり、伝え切れていないところはどうぞ、赦してください。

 それから、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の会員には、もっとも詳しく記録をまとめているところです。
 遅くとも、明日の午後までには、会員に配信できると思います。
 このレポートには、写真も添えます。


▼それから、今夜4月18日月曜の夜9時から放送されるテレビ朝日系列「TVタックル」でも、きのう土曜日の収録では、かなりお話ししましたから、放送されるかもしれません。
 ただし、今夜のタックルは生放送の部分はなく、収録を編集したものですから、どこまで実際に放送されるのかは、まったく分かりません。
 過去には、収録での発言がほとんど放送されないことが複数回あり、誇張でなく95%カットされたこともありましたから、今夜も分かりません。
 いつも申すように、それはテレビ局の正当な編集権です。


▼この個人ブログではとりあえず、もっとも印象の強かったことを、象徴的に挙げておきます。

・特に、20キロ圏内から原発の正門までは、生活感がそのまま残る村と街に、人だけが居なくて、そんな恐ろしい光景は、亡骸が転がり、肉片が民家の壁の跡にこびりついていたイラクの戦地にもなく、桜がみごとに咲き乱れているのが、ほんとうに悲しかった。
 ここを「戻れない村」、「戻れない街」にしてはならない、そのためには懸命に寄与しようと、こころ深く、あらためて意を決しました。

・正門と、その付近で話した作業員はみな、素晴らしく落ち着いていて、目の光りも強く、話しぶりも確信があって、感動しました。
 わたしたちの祖国は、宰相や大臣や、官僚機構の首脳陣や、電力会社の首脳陣には頼むに値しない、私心のひとびとも多いけれども、現場、最前線で戦う国民は、気持ちが澄みわたるほどに私心なく、頼もしいこと、それが希望です。

・ぼくが胸のすこし下に付けていた線量計の計測値は、夜明けから午前11時まえごろまでの積算で、23マイクロシーベルトでした。
 数値としては、やはり大きくない。
 ただし、専門家の端くれとして『確実に放射性物質が漏れ続けている』ということを、むしろ強く実感しました。
 漏洩を1日でも早く、ではなく、1分でも早く止めて、あの静まりかえった村や街に、ふたたび明るい声が響くように、みなで、国家と国民全体で戦いたいと考えました。
 エネルギーや原子力に対する姿勢や考え方がどれほど違っていても、「あの地が、かけがえのない古里であったり、たいせつな生活や仕事の場であるひとびとに、やがて、戻ってもらう」、この目標については、一緒に連帯して戦いたいと、考えました。


▼その線量を確認したうえで、身に付けていた防護服やマスクなどを正しく処分して、ときおり、あえて大気に晒していた顔と、そこから放射性物質が及んだかもしれない髪の毛を、よく洗い、社有車の内と外も洗浄し、そのほかにも環境や、ぼくに接するひとに、いかなる意味でも余計な放射性物質が加わらないための措置をすべて徹底的に済ませたうえで、帰京しました。

 福島第一原発の正門に通じる道は、高速道路が通行停止になったままです。
 下の道には、いろんなルートがありますが、最短は、かなりシビアな山越えルートです。
 かつて山岳ラリーで練習した技術を、ひさしぶりに思い出しながら、全身で走りました。
 サーキットに復帰していることも含め(…といっても、去年の秋からまったくサーキットには行けませんが)、趣味のつもりで再開したことでも、思いがけず、仕事に本質的に役立つことがあるなぁと、それも思いました。


▼ひとつ、蛇足なことを申すのを赦してください。
 20キロ圏や30キロ圏の立ち入り禁止、ないしは立ち入り制限は、法に基づいて行われていますから、専門家としての知見があり、事前に関係当局に立ち入り目的を明らかにして諒解を得られるひと、それ以外は、どうぞ立ち入りを試みないでいただきたいと、ぼくからもお願いいたします。

 ぼくには何の権限もありませんから、これは個人的なお願いに過ぎません。
 ただ、この個人ブログの記述を、制限区域への立ち入りの参考とはなさらないでください。
 専門家のかたで、職務や責務のための立ち入りをお考えのかたは、どうぞ、関係当局によく相談なさってください。
 ただし、優れた専門家のかたであっても、そのときの情況や条件などによって、関係当局が諒解しないこともあり得ると思います。それは関係当局が判断することであって、ぼくが言うことでは、ほんらいはありませんが、この個人ブログに記したことを「入れる」という根拠には、どうぞ、しないで頂きたいと、伏して、こころからお願いします。
『ON THE ROAD 青山繁晴の道すがらエッセイ』
(以上、引用)




それにしても、

「節電のために真っ暗に近い首都高速を走っているとき、ウインドガラスの正面に亡くなったかたと、いまだに行方の分からない、3万人とも考えられるひとびとの魂の重みがどっと、のしかかるのを感じました」

そう・・・首都高は今、真っ暗に近いんですよね・・・。アレで大丈夫かなと、少し心配ですが、
ウインドガラスの正面に亡くなったかたと、いまだに行方の分からない、3万人とも考えられるひとびとの魂の重みがどっと、のしかかる、
んですか・・・。
ひょっとして・・・クルマが金縛りに遭ってる状態の症状 とかって出ません?
私は夢の中でしか、クルマの金縛り状態には遭ったことありませんが・・・、とか言ってる場合ではない。

(事態は極めて深刻で、それがずーーーーっと続いているので、)
この記事にも、みんカラとしても、少し気になる項目を、調べて欲しかった、と思うところは、ある。
(上記記事にもある通り、青山繁晴氏は、元ラリーストで、サーキット活動者でもあるため・・・)


それは、

「車両汚染状態」。

Posted at 2011/04/22 23:49:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路地(2011年4月) | 日記
2011年04月22日 イイね!

辛辣な話なのだが、文面はずいぶんとユルい話(←ようやく、このブログの世界を取り戻してきたのか??←震災からの精神的回復は近い???)

この記事は、神オイルなのか?ただの増粘か?について書いています。


トラバ元の人が、
「東京で浄水場から放射性物質が検出されたときには『大人の体内ではフィルター効果が働き母乳にはほとんど影響しない』とテレビで言ってましたが、すばらしい御用学者だったんでしょうね」
「(枝野官房長官の件↓)
国民に向けては
『直ちに健康に影響は無い』
と言い続けながら、
現場では担当者に
『ここは0.5マイクロシーベルト』(お得意の胸部X線検査の200分の1?w)
と報告を受けていながら、
原発事故にも対応するという最高級スペックのマスクをして、
5分間しか屋外で視察をしないようなのが
トップにいる政府の下で、
自分はどう生きるのか…
これが突きつけられているんだと思います」

こうした状況に関して、思うところ・言いたいことは山ほどある。
一般的な言い方としては、
「もはや日本は、本質的な国防機能を喪失している!」
ということになりましょう。
ただ、このブログの方向性として、極力、突拍子もないことを書かせてもらいたいと思います。
「たぶん、日本の支配者は、日本にはいないのではなかろうか?
日本を支配する者は、日本の外にいるのではなかろうか?」と。

常々、私はそう感じている。

そりゃそうで、
このブログでは、
「中国高速公路網」とかいうカテゴリーがあって、根源的・究極的目的として、大陸世界の制覇・統一を目指していたりする。

すると、究極的には(↓アホな、突拍子もない話ばかりだが)、
中国皇帝や律令体制が復活したり、
帝政ロシアを復活させたり、
ローマ皇帝・ローマ法体制も復活させて(ロミジュリの時代の再燃じゃあるまいし、)バチカンと対立したり・・・。
いずれにしても、ある種、「傀儡」としての「皇帝」が置かれる、ということになるわけで、
では、公路網をどこの領土からも独立した存在として支配し、
さらに、それらの傀儡を統べる者たちは・・・、
総帥や総長は、一体どこにいるのか?
ローマ?
モスクワ?
北京?
いずれでもない。
総帥や総長は、
フォークストンや福岡にいるに決まっている。
これは当たり前のことだ。

大陸の商慣習、歴史、法域、交通様態、左ハンドル右側通行、対向車は左手側に来る・・・、

そんな場所に本拠を置いていては、いずれその大地に飲み込まれてしまう。
だから必然的に、「遠征対象域」の「外」に本拠を構える必要性がある。


「おそらく、日本の支配者は、日本にはいないのではなかろうか?
日本を支配する者は、日本の外にいるのではなかろうか?」

極力、突拍子もないことを書かせてもらいたいと思います、とか言ってる割に、
実のところそれは、このブログをしつこく書いてる私の視点からすれば、ごく当たり前の話。




と・・・「左ハンドル右側通行、対向車は左手側に来る・・・」とか書いていたら、
↓こんな動画を発見。



http://www.youtube.com/watch?v=4zEdn7ZJWJo


松本零士氏の発案の作品であるらしい、
『銀河鉄道物語』のエンディングテーマの場面らしいが、
すれ違い方式はこれ、どうみても大陸式(=右側通行、対向車は左手側に来る)。
(日英式ではない。この分別は自動車業界も鉄道業界も普遍であるらしい?のだが)
(この場面にも、「物理的描写おかしいし」「ねじれの位置の関係の列車が、どうしてああいう過ぎ方になるわけ?」みたいな突っ込みどころとか、
「ゴマキが 母なる大地に~♪ とか歌ってるよー。(歌詞が)この記事と微妙に関係ありそうで、全然関係ないし」とか、いっぱいあるのだが 汗)

へぇ~「銀河鉄道」って、「日本国有鉄道方式の運行」じゃないんだな、と、

「松本ワールドの超々コアなファンの人」(←誰?キ●タクとか?違うな。あの人はたぶん『ワンピース』だな)でもあんまり考えないコトを考え出したな。

私ゃ 汗。
Posted at 2011/04/22 04:28:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路地(2011年4月) | 日記
2011年04月21日 イイね!

ここに私の魂は、「正義の戦争」の準備を始めている。

この記事は、あの一色さん(sengoku38)が震災地で不気味なアジア人と遭遇!について書いています。


民法162条
1.二十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得する。
2.十年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その占有の開始の時に、善意であり、かつ、過失がなかったときは、その所有権を取得する。

「時効とは、実に不道徳な制度である」
・・・たしか、ユスティニアヌス帝の言葉だったか?

そういう事例が、21世紀の日本で、また、発生しつつあるようだ。
トラバ元の人が紹介する事例。

『ココからココまで、ワタシの家だったのに、みんな壊れたよ!』と訴えたというのです。アジア人なのは間違いない。表情に悲壮感はなく、乗っていた車は多摩ナンバー。
みんなで『怪しすぎる』と話しました

「怪しすぎる」なんてもんじゃない。

「多摩ナンバー」。

クルマの「母港」は私と同じであるらしい。
・・・これに関して、私は思う。
「討伐隊を整えて、フルボッコにしに行ってやりたいな」
と。


また、もう一つ思うところがある。


「だが、この度は幸い、走り屋としての活動であるため、「基地」に武装した襲撃部隊が襲ってくる可能性は殆んどない。ただ、自分の状況としては、毎日のように遺書を更新していく状態であることに変わりはないので、遠征地の「基地」に子供を連れて行くのは、タブーであろう」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/15896411/


つまり、「多摩ナンバー」であることが意味すること。
上記「土地取得策謀者」の「基地」は東京多摩地区である可能性が高い。
殺ろう。
その「部隊」の存在が確認できたら、
私の近所にあるかもしれぬ、その「基地」を発見したら、殺ろう。

トラバ元の人が掲げた、このケースは、
実質上の戦争だ。
おそらく、既に私とは殺し合いの関係に、とっくのとうになっている。
原発が落ち着いて、そいつらを見つけ出したら、殺ろう。
「基地」を殺ろう。

それには、今から、「ステートメント」も入念に準備しておくことが大切だな。
殺人や放火など、あらゆる戦闘行為を正当化するだけの、「正義の戦争」のステートメントを準備しておかねば、な。


それにしても、
「これ(地震・津波のこと)は、強欲な日本人に対する天罰だ。被害に遭われた方には申し訳ない言い方ですがね、この際日本人は、津波を上手く利用して、強欲さを洗い流したらいいんですよ(by石原慎太郎)」

思うに、きっと、映像類も、まーーーーーったく見てないんだろうな。
↓この、黒―い、悪魔のような、黒い液体がドロドロドロ~っと全てを飲み込んでゆく。
↓コレが、「神罰・天罰・神の御業」に見えるのだろうか?
↓こんなの、「悪魔の仕業」にしか見えないのだが。私には。
http://www.youtube.com/watch?v=RM3HDODpieY&playnext=1&list=PL7D9CE16883B18E0E





そして、「三国人(←石原知事がかつて使った言葉)」による、日本の物権に対する強欲なる侵略。
それでもまだ、地震・津波は強欲な日本人に対する天罰だ、と思っているのだろうか?
(↑この際、いや・・・はなから、言ったの言わないのとか、野暮なことを書くつもりはない。どう思うか、どう感じるか、という、もはや根本的な話だ)

実のところを言えば、
私は、少々、知事を疑っている。
「いよいよ、知事も、地震兵器を使い・日本人入れ替え作戦を企てる(いわゆる)悪魔崇拝団体みたいな奴らに、取り込まれたか」と。
Posted at 2011/04/21 12:34:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 路地(2011年4月) | 日記

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「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
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