
この記事は、
【立場】野菜の規制値を緩め炉【頭の煮えた要求】について書いています。
最近、「設立準拠法主義」に関する問題がよくいわれている。
つまり、
「会社法枠組みがより規制的でない法域で会社を設立しがちとなるなどの実務上の弊害も指摘されている」
浜田道代『キーワードで読む会社法』p233有斐閣2005年
という話なのだが、
こういう考え方をする人・団体に対して、言いたいこと。
中国の会社法が「企業の社会的責任」の明文を持っている、ということをご存じだろうか?
日本の会社法は、「企業の社会的責任」などということは明文規定していない。
要するに、日本の会社法の方が、中国の会社法よりも、うるさいこと言ってないのだ。
つまるところ、
中国は「法律が甘い」のではなく、「法律は厳しい。単に法律が守られていない」というだけである。
しかも、
「中国と法律」の話を言い出すなら、
世界的に、
議会が可決したのが法律
が「常識」であるが、
じゃあ、中国の法律改正は全人代が開かれる年に1回しか改正されない、
ということになる。
つまり、「省令」のようなものが「法律」になってしまっているのだ。
もはや、形の上だけとっても、法治国家体制ではないのだ。
↑
こんな文面を準備していた。
しかし・・・今となっては何とも、悔しい思いでいっぱいである。
「省令」のようなものが「法律」のようになってしまっている。
旧来の法律を押しのける。
「命令」のようなものが「法律」のようになってしまっている。
旧来の法律を押しのける。
これは他ならぬ日本において発生した現象である。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22210583/
4月13日の記事と関係する話ですが、
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/page:2
「こら、武田邦彦(たけだくにひこ)。あなたは、大変優れた、長年の気合の入った、反原発の学者なのだ。それが、あなたの仲間である国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量なら、健康に問題ない、大丈夫(とまでは言わないのか?) と言っているのに、あなたが、「1ミリシーベルト年間総量以上は、危険、危険。長年、この基準を私たちたちは守ってきた」と、頑張るものだから、日本国民が、困るのだ。
福島の現地の 避難民(避難者)たちが、地獄の苦しみを味わっているのだぞ」
副島隆彦の学問道場 今日のぼやき (アルルの男・ヒロシ(中田安彦) 2011年4月13日筆)
↑
「国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量なら、健康に問題ない、大丈夫(とまでは言わないのか?)と言っているのに」
↑
そう。「とまでは言わない」ですね。
まあ・・・まず、
「考え方」として、「政府は自国民を、被曝から守る義務がある」と考えて、「1年1ミリ」なわけで、
「1年1ミリ以下にしない」というのは、
「政府が(義務をしないで)国民を被曝させる」というふうに考えるのが、
「防護論」というものでしょうな。
それと、「法律を破る」ということについて、
このブログの観点では、かなり考えているんですよねー。
「法を破る場合」。
その場合は、当たり前の話ですが、「着地点」をはじめから考えておかねばならない。
「恒久的な法を決めておく」のか、「また今までの法に戻す」のか。
勿論、「法を破る場合」には、「最高レベルの論理性」&「自然法論に基づいた何か」がなければならない。
さもないと、とんでもない「カオス(混沌)」が襲う。
と、これはこのブログの観点
それと、もう一つ。刑法論でよく言われてる話。
「違法性阻却事由」・「緊急避難」。
要するに、
「法律なんか守ってる状態なら、とんでもない状態になったり、場合によっては死んじまう!!だから法律破る!! それでもOK!」
という話、「緊急は法を持たない」とかいう法格言。
それこそ、この話は、刑法学でも 何百年ですか? そのくらい議論しまくって、
「法を破ることによって守られる利益が、侵される者の損害を越えない」
とかいう考え方になってますね。
http://www.scj.go.jp/ja/info/jishin/pdf/t-110405-3j.pdf#page=1
「説明を受け承諾したボランティアによって行われる救命活動に対しては、救命に携わる者のリスクを上回る便益がある場合には、線量を制限しないことをこれまでの勧告から変更することなしに用いることを勧告します」
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/22162480/
とかいう、ICRP勧告にも、こういう考え方、反映されてるようで、何ともねえ。
でも、
「緊急は法を持たない」とかいう法格言とか、
「法を破ることによって守られる利益が、侵される者の損害を越えない」
とかいう考え方は、あくまで個人の話で、政府には妥当しないと思うのですが、「ICRPの説く犠牲論」では、「そういう考え方」に基づいてますね。
ああ・・・、それはそうと、
http://www.snsi.jp/tops/kouhou/page:2
「こら、武田邦彦(たけだくにひこ)。あなたは、大変優れた、長年の気合の入った、反原発の学者なのだ。それが、あなたの仲間である国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量なら、健康に問題ない、大丈夫(とまでは言わないのか?) と言っているのに、あなたが、「1ミリシーベルト年間総量以上は、危険、危険。長年、この基準を私たちたちは守ってきた」と、頑張るものだから、日本国民が、困るのだ。
福島の現地の 避難民(避難者)たちが、地獄の苦しみを味わっているのだぞ」
副島隆彦の学問道場 今日のぼやき (アルルの男・ヒロシ(中田安彦) 2011年4月13日筆)
↑
これ、単純に、日本の行政の、「避難民(避難者)政策」が「皆無」なだけですから。
実は、この考え方、
考えて書いてる当人は気づいておられるかどうかわからないけれど、
↓
「日本の政府は無策で、避難民・被災者救済が皆無に近い。日本の行政は「避難」そのものを考えていない。だから、避難民(避難者)たちが、地獄の苦しみを味わうことになっている。しかし、日本の政府は無策で、避難民・被災者救済が皆無に近いことは、それはそれで仕方なくて、どうしようもない。
なので、避難させないようにした方がいい。避難民・被災者救済が無いのは仕方ないし、今後も避難政策の整備は要らないので、原発の放射性物質になら、被曝させるようにした方がいい。100ミリシーベルト年間総量なら、健康に問題ない、大丈夫なのだから」
↑
実はこういう意味になっている。
とはいえ、
今はもはや、武田教授は「避難論者」ではないのだが。
むしろ(もう何か月も前から)、福島については、
「(被曝していいから、)汚染地帯の 粉 を片付けろ!!
(粉をのかして被曝線量を下げろ!!)」
という趣旨の発言なのだが。
とはいっても・・・昨日のトップブロガー(武田教授)の記事はヤバかった・・・(汗)。
↓
↓
http://takedanet.com/2011/06/110609_56af.html
「科学者の日記110609 日本を二つに分けたらどうか?」
日本も、
1) 誠実で、お金は2の次、愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本、
2) ウソをつき、お金が全て、誰も信用出来ないという日本、政府が無いようなものだから考え方によっては気軽、
の2つに別れたようだ。
東電、保安院、菅政権、東大教授、放射線医師などは中国式の国を尊敬しているようなので、中国風の日本、2)に行ってもらい、私は伝統的な日本、1)に入りたい。
原発事故が起こってから、良く
「何を信じたらよいか判らない」
と言う人がいる。中国風日本で何かを信じようとすること自体が無理である.
信じて生きたい人は1)に、誰も信じることができず自分で判断したい人は2)に移動すると迷いも無くなるだろう.