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2012年03月09日 イイね!

落書き的な引用。 正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6

落書き的な引用。 正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6この記事は、
正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6について書いています。


ちょっと・・・最近の記事では、
「ルソーのリソー」でつか~
野獣が何とやら~~
な話をしてきていて・・・ちょっと今日、とある記事を引用・落書きします。
(実は、先日の記事でリンク張ってるんですけどね)
なんとも、意識が連想しちゃうというのかね、そういうカンジです。
↓この記事は、私は、もう、連想なしには読めません(苦笑)。





正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6

野獣(野生動物)・ルソーの理想人間

理想の人間像を荒野の野獣(野生動物)に見出す、あるいは人間の本性に関する哲学的思惟を野獣との比較を通じて追及した哲学者は、人類史にルソーしかいない。これがルソーの『人間不平等起源論』の核心でありすべてである。あのヴォルテールですら、「いまだかつて人間をけだものにみせようとして、こんなに才智が用いられたことはありません。

今あなたの著作を読むと、人は四つ足で歩きたくなります」(1755年8月30日)

<↑連想:「あなたの著作を読むと、人はフ●チンで歩きたくなります」と言う方が、より、正しいのではないか?>


と率直な読後感を吐露している。ルソーはまた。人間の平等を主張するにも、動物を基準(モノサシ)にして論じている。

ルソーが「自然に帰れ」と絶叫するのは、その理想とする人間像として、野生動物と差異のほとんどない(自然人)(未開人)を描くからである。この「自然人」なるものは、野生の動物と同じく「自己保存」の原理で生きているとする。そして「自然人」しか存在しない、仮構上の人類のあの原始段階をもって「自然状態」と定義する。つまり、迷信の仮構(ミュトス)に過ぎない(自然状態)とは、人間でありながら人間が人間的関係・社会的関係がまったく成立していない状態のことを指しており、これをもってルソーは人間にとって地上の理想郷(ユートピア)と思弁した。

人間的関係もない社会的関係もない人間とは、

現実には人間は動物ではないから人間のなかにそれを捜すとすれば、浮浪児あるいは流浪のならず者のこととなる。

<↑連想:甘い!!
「野獣」になるためにすっぽんぽんに!!山に、裸族となって住むことは可能である!!>


そのとおりであって、
<↑連想:そのとおり ではない!!
「裸族」になれやwww  「野獣」になれやwww
「野獣」になるには、まず、「裸族」にならねばならないッ!!>



実はルソーの「自然人」とは具体的にはこれらをイメージしているのである。少年ルソーは、野生動物に等しい浮浪児であった。またジュネーブからパリに流浪するならず者、それがルソーであった。十代の少年期の自分の特殊例外的な生きざまをもって人間のあるべき理想、理想の人間と狂的妄想しての追求の究極のその表現が、「自然人」「自然状態」の奇怪な概念の理論化となったのである。

ルソーが過去の自分自身をもって至高の神のごとき人間だと自らを理想像としたのは、
<↑連想:誰かさんのつくるページのコンセプトにそっくりだ

単なる妄想にすぎないのであるが、しかしルソーは天才でもあって、この妄想を体系的に理論家すれば文明の政治社会が一瞬にして破壊されてしまい凄絶な暗黒の社会に転化できることを知っていた。なぜなら、「自然状態」とは「現在の政治制度」「文明の政治制度」と対極であり、これらがゼロになった状態を意味する。だから、(自然状態)を最高・最善のものとルソーの妄想のままに軽信すれば、「現在の政治制度」「文明の政治社会」は唾棄すべきほどに最低・最悪のものに見えてくる。つまり、ルソーは読者をして、「現在の政治制度(政治社会)を嫌悪しそのすべてを破壊する運動にひきずり込むその目的をもって、「自然人」「自然状態」を理想とし美化する高度な洗脳力の高い政治宣伝のロジックを展開したのである。
↑ヴォルテールは、「四つ足で歩きたく」なっただけで、フル■ンで歩いてはいないんだけどね


「野獣(野生動物)」が「自然人」という名の理想の人間であるとすれば、野獣には私有物はなく私有の格差もないのは当たり前だから、
<↑連想:ココんトコ、突っ込みどころ満載のような気がするんですが、それはムツゴロウ博士とかの分野でしょうから、私は素通りしときます^^;>

この「自然人」の相互間では富において、完全な「平等」が天与に存在する。このことは意味深長で、裏返せば、社会的「平等」とは、人間が人間であることをやめ、野獣(野生動物)になることと同義語だということである。


さらに、人間が人間であることを放棄して野獣(野生動物)並みになるべきとするルソー的「平等」の社会が実現すれば、必然的に人間の尊厳とか知性とか徳(仁徳)・・・)とかいうものはすべて存在しえない。
<↑連想:
「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか(by富士山ニ■ギ)」
「↑だったら、文明生活を放棄して、素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!=「 野獣 になれやwww」
↑如何に、デタラメで不誠実な回答か(爆笑)>



さて、ルソーが理想的人間を論じるに動物を範とするのは『エミール』においても人間の教育を、「人間も乗馬のように調教しなければならない」『上巻、23頁』と、馬の訓練と同一視している。



<ここで思い出すのが、#4で紹介したkoreyjpさんの次のコメントである。

「数学の天才であった岡先生は、デカルトの真理にキラリと光るものを見たのでせう。

『方法序説』には、デカルトが「我思ふ、故に我あり」」の真理を発見した前後のことが書いてあります。デカルトは軍人として北ドイツに進駐し、夜営して焚き火を見てゐるときに、この真理を思ひつくのです。人間には原始時代の記憶が潜在意識の中に残ってゐます。だからこの文章を、美しいと思ふのです」

岡潔は真理に到達するのに、原始時代の記憶(潜在意識)が重要な働きをすると考えた。岡が抱いた原始時代の記憶というものと、ルソーの「自然人」とを混同してはいけない。岡を代表とする日本人と一般的な西洋人の自然の掴み方がまったく違う。日本人の自然観は、自然は時には荒れ狂う台風や地震というような天災をもたらすが、人間が自然に感謝さえすれば豊かな食べ物や癒しの環境を与えてくれると思っている。そこには人間と自然が一体化するものがある。それに対して西洋人の自然観は、人間と対極に存在するものが自然であり、人間と自然との間に対立の関係がある。

だから、ルソーがたとえ自然の状態を理想と思弁したとしても、彼は恐らく自然の代表を象徴する動物に、日本人が抱くような、木庵が抱くような親密さをもっていなかっただろう。ただ現実の自己の惨めさを動物や自然の中に逃避し、それを妄想にも「理想の世界」であると、中川の言葉を借りれば仮構したのである。西洋のものの見方、対立法、対極法からすると、ルソーの自己の存在が惨めであり苦痛を伴うもの、その原因は現行の政治体制に問題があり、またそれを強調するために、その対極のものを理想のものと仮構しなければならなかった。このあたりのルソーの発想は狂っている。しかし天才であるルソーの論理の精密さは、仮構をより際立だたせ、読者を麻薬に侵されたように、朦朧とさせてしまう。


ヴォルテールでさえ、「四つ足で歩きたく」なったぐらいであるから、その筆力は並たいていのものではない。
<↑連想:並たいていのものではないし、ルソーは天才だろうが、まだまだ!!(笑)
ヴォルテールはフ●チンで歩いてはいないッ!!>



明治以前の日本には哲学が存在しなかったという。西洋哲学の二分法(対立法)は、物事を分析するのに、明確で都合がよい。善悪、美醜、聖邪の二律背反を論理化、浮彫にするのが西洋哲学の特徴である。それに対して日本において西洋流の哲学が生まれなかったのは、この二律背反の、ものごとをはっきりした対極に置く分析法をしない自然観を日本人がもっていたからである。それは自然と自己の存在を同じに見る、また善悪、美醜、聖邪を対立に見るのではなく、「即」の思想で同一に見る、善のなかに悪を、美の中に醜を、聖なる世界に邪をみる、つまり、明治以前に西洋哲学的発想がなかったということである。この日本の即の考え方は、西洋人にとって実に不快で理解に苦しむ自然観、考え方なのである。

日本的「即」の考え方の方が西洋的対立の考え方より円熟しているのであるが、明治以降の物質文明として入ってきた西洋文明に目がくらみ、

即の考えをないがしろにする傾向になってきた。

↑2011~2012年の日本では、違う!!!!!!!
「人間から遠いって所に置くって 自然サイクルのわがままじゃないかね。
生きていれば怪我もするし死にもする」と!!!!
即の考え方は大切にされまくっている!!!! 




岡潔はフランスに留学し、西洋の文化の中には何ら日本文化を凌駕するものはないとして、日本に帰り、日本の風土の中で沈思することにより、逆に世界的な数学の発見をするという皮肉なことをなした。岡が到達した数学的な世界だけでなく、日本への文化観には、世界が羨望する自然と人間が溶け合う、即の考えが潜んでいる。そのことを岡は訴えたかったのではないか。

岡が抱いていた自然観は、まさしくルソーのそのものではなく、たとえデカルトとの自然観とも違うように思う。

木庵はアメリカに長く滞在しているが、アメリカ人の頭の中が日本人とは全然違うように思う。その最大の理由が自然観の違いである。ただ言えることは、アメリカ人に日本人の自然観を言ったところで絶対に分らないということ。彼らの多くはヨーロッパに祖先をもち、西洋的自然観で生きてきている。




日本人的な自然と人間を同一にする「即」の生き方などすれば、過酷な自然、過酷な社会から押しつぶされてしまう。自然とは闘うもの、社会とは闘い造り上げていくものという、対立的なものの見方を堅持している。そうしなければ生きていけない苛酷な環境なのである。

⇒私の言葉:「「原子力大事故」ったときに
それないだろう・・・と。
ちょっとこれは・・・、
現象をありのままにみて、
それを科学技術力で戦おう・科学技術力で抑え込もう、
それが、現代戦争云々、という価値観(※)だと思うし、・・・・」
言いたいこと:
「原子力大事故や、重金属汚染のような大規模環境汚染事故の局面で、
日本人的な自然と人間を同一にする「即」の生き方などすれば、人体が過酷な汚染物質から押しつぶされてしまう。自然とは闘うもの、社会とは闘い造り上げていくものという、対立的なものの見方を堅持すべきである。そうしなければ生きていけない苛酷な環境となる。
それが、
原子力大事故や、大規模環境汚染の局面である」






日本の近代の政治思想なるものは西洋からの輸入であり、現実に動いている日本の政治体制にはこの西洋的政治思想が影響を与えている。ところが日本は昔からある儒教に代表される人間学としての政治の考え方がある。ただ強烈な刺激を伴ってやってきたルソーの政治思想にしてもマルクスの政治思想にしても、あまりにも強烈で、日本が本来もっている暖かくも豊かな政治の考え方を、いとも簡単に崩してしまったところがある。




今日本に問われているのは、この西洋の対立思想、分析思想、合理主義をいかに、日本の土壌で利用、包含するかということだろう。


↑「■原発とは結局ギャンブルの要素が一部あって
今までは大丈夫と言われて、
リスクを見てみぬ振りをして
ギャンブルをしていて大損したと、
後は、ちゃんと分かってギャンブルするか?
損切りしてやめるか?
大王製紙の御曹司って事です。
カジノで大損こいた彼と
日本人は実はあんまり差はないのです(汗)」


「今回の震災で、水力も地熱も外部電源喪失で停止すると知って唖然としました。(タービンは動くけれど電気が送れない・・・)送る為の電気であって、受入電気は外部なんですから、エエッーって感じです。
ホント発電所には電気がなかったんです・・・。」





私は、
「北斗神拳」の探求者ではありませんから。
私は、
「峠の走り屋」ですから。
「現代文明の利器」を使いこなして(・乗りこなして)走ろう、
と志す者ですから。

「今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」

とか言われちゃうと、
最大レベルのイヤミ(※)を述べざるをえないのであります






中川のこの本での役割は、西洋からやってきたルソーやマルクス主義の悪魔性を暴露し、日本の風土にあったよき政治思想を創り上げるための土台を造ろうとしているように思う。

林田氏(陽明学左派の発掘者であると同時に実践家)などが目指している、陽明学左派の人間学が、実は日本の風土に一番あった政治学への道を示唆していると思う。そこで、木庵は中川の政治学と林田の人間学を結びつけたいと思っている。そして、今後この方面の探索を行なっていこうとも考えている。木庵>



と、いう具合に、
少しだけ落書き?しつつ引用してみました。
正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6より。
Posted at 2012/03/09 07:32:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | やけっぱち系提言 | 日記
2012年03月08日 イイね!

『北斗の拳』な世界の真実。~「今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」 ←なぜ、これを「過激主張認定」しているのか~

『北斗の拳』な世界の真実。~「今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」 ←なぜ、これを「過激主張認定」しているのか~この記事は、
2012年03月07日「あなたの著作を読むと、人はフ●チンで歩きたくなります」と言う方が、より、正しいのではないか?などについて書いています。

(先日来の記事のつづき)
過激なのになると、

「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」


とまでおっしゃっている方もおられます。

こういう論調の論者の方が、今、日本には溢れかえっています。



ちょっと・・・このブログの目線(日本の、「走り屋」)から、
改めて、皮肉を言わせてもらいます。


だったら、
文明生活を放棄して、
素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!



いや、言い放ってみたものの、ヤメてほしい。
峠道とかで、絶っっっっ対に遭遇したくないから。
(ここまでは、前の記事に同じ)


何だって、コイツ(私)はこんなにイヤミ言いまくってるのか?

何で怒りっぽくなってるのか?

よくわからない、

? ? ?


なカンジだと思うんですよね。



「過激なのになると、

「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」

とまでおっしゃっている方もおられます」



何で、コレを「過激な主張 認定」しちゃってるのよ?
ワケわからん、と。



だってね、
「今の物質文明は滅び、淘汰された後」
なんてスゴイこと主張されてるじゃん。

「今の物質文明は滅び、淘汰され」

ですからね。

その「今の物質文明」とやらが、
どういうモノを抱えているか?

ということをまったくすっ飛ばしてます
からね。

だから、
「過激な主張 認定」
をせざるをえない。

こんな↑書き方ではワカラン、と?
今日の画像を参照してください。
「使用済み核燃料」。
これ、どうしておかなきゃならないんでしたっけ?
相当期間、継続冷却しなきゃいけないんでしょ?

途絶えるとどうなるんでしたっけ?


はい、
↓これモンですね。



ってか、
「もっとすごくなる」んでしたよね。
日本全体がコレの「赤い部分」になりますか?(苦笑)
(いわゆる「最悪シナリオ」に書いてある)


あ!!
「今の物質文明は滅び、淘汰され」
とまでおっしゃっているから、世界中ですか(苦笑)。



「世界は、核の炎に包まれた」なんてね(笑)。





☆まんま『北斗の拳』やねん



「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」

⇒イヤミっぽく回答(パターン1):
「だったら、文明生活を放棄して、素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!」

⇒かなり誠実に回答(パターン2):
「なるほど。『北斗の拳』で設定されているような世界でしょうか。富士山ナントカ大先生(←あ、しまった。言いかけてしまった)の仰る通り、
「徳」を重視するような考え方や精神論が大切である、ということになるでしょうし、
それこそ、真性の「北斗神拳」の探求であるかと思います。


ですか・・・、
ひとつ、
私が思うところがございましてね。


物質文明が滅びる、というなら、
そのとき、
前世紀(20世紀)に構築してきた文明の利器が、横暴の限りを尽くす、ということは避けられない
でしょうからね。

どう考えても、
日本全体、
世界全体が、

コレの「赤い部分」になると思うんですけどね。

↑この局面(「赤い部分」とそこにいた「生体」について)に関することで、
取り敢えず、



現在までの推移でかなりわかったコト
(東北大モデル(牛)のポイント。と内向きカリウムチャネルの重要性)

としては、



セシウムと言うに核生成物質について言えば、
「血中濃度:30㏃/kgが一つの区切り」=「セシウムの安全値の限界」



みたいですよ。

ええ。


「物質文明が滅びた後」、というなら、
そのときには概ね、自分たちはセシウム漬けになっているであろう、
ということは、肝に銘じておくべきか、と思います。





私は、
「北斗神拳」の探求者ではありませんから。
私は、
「峠の走り屋」ですから。
「現代文明の利器」を使いこなして(・乗りこなして)走ろう、
と志す者ですから。


「今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」

とか言われちゃうと、
最大レベルのイヤミ(※)を述べざるをえないのであります。



※「最大レベルのイヤミ」

■パターン1:かなりキレて、イイカゲンに怒り散らす

「だったら、文明生活を放棄して、素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!」

(コレ↑は「人間」ではない。「ルソーのリソー」
=「野獣」
    ↑
「人」じゃね――よ―――(笑)
「人間」じゃね――よ――(笑)
「ヒトではあるけれど、
人でもないし、人間でもない」(笑)

如何にインチキな罵倒しまくってるか(爆笑)

「人間としてどう生きていけばいいのか」とか言ってる問いかけに、

「 野獣 になれやwww」とかカマしてるんだもん(笑)



■パターン2:冷静にツッコミどころを探って書き散らす

「今の物質文明は滅び
↑必須な段階・過程:前世紀(20世紀)に構築してきた文明の利器が、横暴の限りを尽くす
⇒生体はセシウム漬けになっているぞッ^^;!!

使用済み燃料体、盛大放出^^/ 
除染も出来ないッ^^;
食材測定による防護も出来ないッ^^;
物質文明が滅びてるから





故に、

「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」

こうした主張は、
「過激な主張 認定」
せざるをえないわけであります。



堅苦しい語調ですね。

ま、絵的には、
雪上でドリフトしながら(←自動車拳法???)

(@運転席)
「な~にが 物質文明滅亡後 だ!! べらぼーめぇ――

みーーんな セシウム 漬けじゃね―――か―――

ふざけんなやw

わっちゃちゃちゃちゃ!!!  オマエは もう 死んでいる」

とかほざいてると思っておいて下さい。



ホントは↓こっちのクルマが「それらしくて」よかったんですけどね~~

バックファイアも出すことだし(笑)。




道の上だとあまり拳法っぽい動きにはならなくてね~~(笑)
Posted at 2012/03/08 04:47:29 | コメント(0) | トラックバック(1) | やけっぱち系提言 | 日記
2012年03月07日 イイね!

「あなたの著作を読むと、人はフ●チンで歩きたくなります」と言う方が、より、正しいのではないか?/ ひょっとして、脳の中、見られてるんじゃないの?

ココ、「やけっぱち系提言」のカテゴリーでは、

(やけっぱちになって提言)「××しやがれ!!」
例文:「文明生活を放棄して、 素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!」

という具合に、「構文統一?」をしたいトコなんですがね…今日はちょっと、それとは違う話です。
語はオモシロおかしくするんですけど、視点はかなり冷めてます(汗)。


昨日の記事、


2012年03月06日
「ヌーディストハイキングのすゝめ」←ではありませんッ!!誤解しないでください!!!



のつづきです。


過激なのになると、

「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか


とまでおっしゃっている方もおられます。

こういう論調の論者の方が、今、日本には溢れかえっています。



ちょっと・・・このブログの目線(日本の、「走り屋」)から、
改めて、皮肉を言わせてもらいます。


だったら、
文明生活を放棄して、
素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!




いや、言い放ってみたものの、ヤメてほしい。
峠道とかで、絶っっっっ対に遭遇したくないから。



Jawayさんより:
「ルソーのリソーでつか。」


上手いっっっっ!!!
座布団10枚くらいですっ!!!(笑)



「自然に帰れ」
「野獣」ッッッッ。
(byルソー)



それを読んだヴォルテールは、
「いまだかつて人間をけだものにみせようとして、こんなに才智が用いられたことはありません。あなたの著作を読むと、人は四つ足で歩きたくなります」(1755年8月30日)
と。

正統の哲学、異端の思想【野獣(野生動物)・ルソーの理想人間】#6
http://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/37440465.html



より。ってか、眺めながら。


あ~~、
ヴォルテール先生は、そんなことを(笑)。

あ、ちなみに、ヴォルテールっていう名前で憶えていたのは

「宝くじ事件」
金儲けの天才ヴォルテール

だったんですけど(笑)。
その人が出てくるとは思わなかった(笑)。
ここは雑談(笑)。




「あなたの著作を読むと、人は四つ足で歩きたくなります」
なるほどね。

ちなみにですね~~、
ワタシは、峠道では、四つ足で走っていますね。「輸送用機械」に乗ってますけどね。
それって、「乗馬」の一種だと思うんですけどね(笑)。




ソコんトコ踏まえると、


「自然に帰った状態」の「野獣」な、ヒト(byルソー)ってのは、

四つ足歩行

しているワケではないと思います。

二本足で歩いてると思います。


フル●ンで。

だから、
「あなたの著作を読むと、人はフ●チンで歩きたくなります」と言う方が、
より、正しいのではないか?


と、思っています。

頭の中には何故か、
2011年12月17日
【収束】HENTAI国家とHENTAI首相【終息】


が横切っています。



さてさて、 この↑記事の執筆論者、
ちょこば(旧chocovanilla)さんのコメント:
「こんばんは、ちょっと行き過ぎてしまったみたいで、申し訳ない事したなー(相当な苦労したんでしょうね)と思いながらのこちらにも顔を出しました。タイプでパタパタ打っていきますので、ちょっと言いすぎじゃないのと言うことがあれば遠慮なく仰ってください。



さて、確かに一気。に終末論に走ってますよね。

でも・・・意外と大丈夫な予感もするんですよね^^;
そして必ず
近代合理主義からの脱却、

でもこれって阪神大震災のときにもあったような気がします。
確か中心人物は宮台さん・・・。
オウムや、宅間容疑者みたいなのがこういうときは意味なく湧いてくるので要注意なのかもしれません。

立入禁止区域が若干できるだけで、もしかしてこの国は何もなかったように生活して、将来若者がたまにばたばた倒れる、もしかしたらそんな国になってしまうのでしょうか。

でも山に裸族のいる国はちょっと嫌です。
神隠しがあった所を見ると昔は住んでいた様な気もしますが、仰るとおりドライブ楽しめなくなってしまいます。景色を楽しんで車に戻ったら裸族に囲まれるなんて悪夢そのものですね^^;」





ちょっと、いくつか、(こちらで扱うテーマ上?の)話題に区切って段落づけさせて貰いました(勝手に^^;)。

全部分が、このブログでも扱う属性なんですけど^^;
それを一気に書いていると、ものすごく長くなっちゃうので、取り敢えず、
今日はこちら↓についてだけ^^;


「こんばんは、ちょっと行き過ぎてしまったみたいで、申し訳ない事したなー(相当な苦労したんでしょうね)と思いながらのこちらにも顔を出しました。タイプでパタパタ打っていきますので、ちょっと言いすぎじゃないのと言うことがあれば遠慮なく仰ってください。」


あなたは私の何を知っているのですか?(←コレのコトでしょう^^;)



私から言わせていただくに、


あなたは私のことなど、知るはずもないのに、
何で、私の脳内に出ていた絵図が、
画面上に登場しているのですか?

(↓コレのこと)」 と(笑)。




「高濃度汚染地帯の周囲を、
スエズだか、パナマだかの大運河つくるような要領で掘削して、」
とは、確かに書きました。

でも、この絵図は、
(フレコンバック画像などとは違い、)
脳内に登場しただけで、私は出さなかった。
でも、ちょこばの原子力ブログには出てきている(笑)。

そういう、
ひょっとして、脳の中、見られてるんじゃないの?
みたいなコワさ(=凄さ)があります(笑)。


【水質保全ダム】除染ダムと言う発想【既にある思想】に登場した図について書いています。


あ、
でも、ゼンゼンOKです。

書きすぎだ!!(怒)

とか思っているわけではありません(笑)。

ゼンゼンOKです(笑)。
むしろ、言いたいことが300%くらい書いてあることが多いので、ゼンゼンOKです(笑)。

何といいましょうか、
そこまでは書いていない。
でも、思ってないとは言わないし、
たしかに、それは考えてた、
という感じでしょうか(笑)
Posted at 2012/03/07 03:48:58 | コメント(1) | トラックバック(1) | やけっぱち系提言 | 日記
2012年03月06日 イイね!

「ヌーディストハイキングのすゝめ」←ではありませんッ!!誤解しないでください!!!

「ヌーディストハイキングのすゝめ」←ではありませんッ!!誤解しないでください!!!2012年03月04日 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』のつづきです。

「原発とて(住民がのぞまぬなら)もうダメだ。
その覚悟は我々もしようではないか。
電力に頼り切った近代合理主義を、そろそろ脱するときがきた」


2012年03月04日 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』
に寄せられたコメント(ちょこばさん):
「いやー馬鹿ウケしました^^爆笑でした。
心の狭さでは定評がありますので、牛のように大事に育てて、ドナドナのように研究施設へ手を振って見送ろうとしたのですが・・・虐待なんでしょうか。追い出して飢え死にするよりも、思いっきりストレスなくおなか一杯ご飯を食べてもらう方が、愛情一杯だと思うんですけど(苦笑)

そういえば鹿は御尻向けて逃げますよね、殺気を出すとよけてくれるので、
心の中で「コロす」と「鹿ステーキを思い浮かべて」強く念じるとよけてくれます。
車にマシンガンとかがセットされてないからできるんですけど^^;あの殺気を感じる能力には惚れ惚れします。
動物愛護の人達は、どうやっても動物虐待しか言わないですからね・・・そんなに愛護なら裸の人間を山に放てば愛護なのかなとかよく皮肉を思うんですけど。レイプも動物愛護的にはきっと自然なんですし、さる山だってそういう意味じゃ十分虐待に近いですよね・・・

どこまでが自然で、どこまでが愛護かって凄く難しい問題な気がします^^追い出された鹿や狸が飢え死にしたらきっと動物愛護団体が、虐待だーって叫ぶと思います」


返答を兼ねまして・・・^^;


爆笑頂き、ありがとうございます^^

牛を囲って、ドナドナして、食べても「動物虐待!!」と叫ぶ「団体」は、たしかに、「少ない」。

しかし、ヒンズー教にとってみれば、それは「神のお使い様」への冒涜。


また、
ひとたび海に目を転じれば、
クジラを狩りすると、
海賊旗を揚げた船が攻撃してくる。



動物に人に近いくらいの待遇を、というなら、
「被曝は、少ないほどよい」
「核物質の摂取量は、少なければ少ないほど良い!!」
「核物質の摂取量は、少ない方が、人道的である!!」
となる。

「クマやイノシシ(シカも、タヌキも)、被曝しますよね、これじゃぁ・・・(><)
なんかもう目も当てられませんね・・・(ふにゃこさん)」

⇒救済すべきだ!!
⇒ 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』
これが最も人道的・動物愛護的だ、となる(前の記事)。


でも、
第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』をやると、
その行為に対して、「自称・動物愛護団体」が「虐待だ―――ッ」って叫びまくるであろう。

では、
そのままにしておこうか。
⇒「クマやイノシシ(シカも、タヌキも)、被曝しますよね、これじゃぁ・・・(><)
なんかもう目も当てられませんね・・・」

動物を被曝させまくっている。虐待だ!!^^;
被曝は、少ない方がイイ。


あるいは、
「野生動物には、牛さんと同じく生体濃縮のおいしい材料になって頂きます。」

動物虐待だッ!! 
核物質の摂取量は、少ない方が、人道的である!!


どこまでが自然で、どこまでが愛護かって、ホントに、凄く難しい問題な気がします^^;


きっと解決策は、
人間が文明生活を放棄し、
素っ裸で森の中で暮らすことなのでしょう。



大袈裟にいえば、
原発事故以降の日本人の思考は、
コレもんになってます(苦笑)





原発とて(住民がのぞまぬなら)もうダメだ
その覚悟は我々もしようではないか。
電力に頼り切った近代合理主義を、そろそろ脱するときがきた



原発がダメになると、即、電力がダメだ!!

というところまでぶっ飛ぶのです。

こういう論調の論者は、今、日本に溢れかえっています。
むしろ、小林よしのりなんて、「そのぶっ飛び方」はおとなしい方で^^;


もっと過激なのになると、

「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」



とまでおっしゃっている方もおられます。

こういう論調の論者の方が、今、日本には溢れかえっています。



ちょっと・・・このブログの目線(日本の、「走り屋」)から、
改めて、皮肉を言わせてもらいます。


だったら、
文明生活を放棄して、
素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!




いや、言い放ってみたものの、ヤメてほしい。
峠道とかで、絶っっっっ対に遭遇したくないから。
Posted at 2012/03/06 00:53:28 | コメント(2) | トラックバック(2) | やけっぱち系提言 | 日記
2012年03月05日 イイね!

悟り? を開かれた方は、是非とも!!

悟り? を開かれた方は、是非とも!!【汚染は凝縮される】
セシウム循環社会を招かないために【栄養塩汚染】




とは言っても、もう、一部では、「再飛散&循環コース」が出来上がってしまったようですね><
(私も、「再飛散(=循環)が、何気に、いちばんヤバい>< 避けられねば!!」と言っていたけれども・・・)

どうやら、
武田教授も、ついに、

「この問題の危険性は上の図に示したように、「3月、4月の一撃だけ」から「あちこちから来る放射性物質で、100年間繰り返し被曝する」という状態へと変わったことを示しています。つまり、放射性物質は100年は無くならないし、人の体を何回も通り過ぎてもその量は変わりません

と言い始めてしまいましたわ><

セシウム・・・再飛散の恐ろしさ(瓦礫と同じ新しい危険)について書いています。




ま、でも、↓こういう考え方も出来るワケでしてね。


炭酸水飲んで口ではじける此れが核分裂としたら温度が上がると活発。薄まると口の中は痛くない。
 放射線を浴びると細胞が傷つくそれが多いと再生不良起こして死ぬ。自分の中を抜ける または排泄されたらいいのじゃないかね。
 
 ヨウ素 って 半減期8日 だよね。その間に取り込まなけりゃ良い?

 人間から遠いって所に置くって 自然サイクルのわがままじゃないかね。
生きていれば怪我もするし死にもする。「風評被害」ってこのように怖がらせるのが原因だとおもう。

2012年02月20日
「人間から遠いって所に置くって 自然サイクルのわがままじゃないかね」←聞いて思い浮かんだのは、草生した庵。それって原子力をやる社会に馴染むのか?

の引用文の再掲。


あの・・・くれぐれも言っておきますけど、
元々の文章を書いた人を誹謗しているワケでもなくて、
むしろ今、こういう、考え方の意見表明する人、
増加してきてるみたいなんですよ。

特に、名古屋以西に在住の方に多いような気がするんだけれど。
なんとなく。
勘違いか?



あの・・・「この考え方」も今では、多少の語句の変更が必要ですね。

炭酸水飲んで口ではじける此れが核分裂としたら温度が上がると活発。薄まると口の中は痛くない。
 放射線を浴びると細胞が傷つくそれが多いと再生不良起こして死ぬ。自分の中を抜ける または排泄されたらいいのじゃないかね。

 セシウム って 半減期30年 だよね。その間に取り込まなけりゃ良い?

人間から遠いって所に置くって 自然サイクルのわがままじゃないかね。
生きていれば怪我もするし死にもする。「風評被害」ってこのように怖がらせるのが原因だとおもう。



ま、いーんじゃないっすか?

そう思う方は。

ヨウ素の半減期は8日。だいたい消滅するまでに3ケ月・100日程度。

セシウムの半減期は30年。かなり減るまでに100年。

生命の歴史45億年だか、46億年だかに比べれば、ただの一瞬。
誤差の範囲内ですわ。

いいんじゃないですか。

そういう考え方の人は。

どこだかの偉大な市長さんは、

10と100とは同じ という偉大な価値観をお持ちでおられるようなんでネ ^^;



「院長の独り言」2012年02月16日 静岡-島田市のガレキ試験受け入れとその背景

について書いています。




セシウム の 半減期は30年。かなり減るまでに100年。

生命の歴史45億年だか、46億年だかに比べれば、ただの一瞬。
誤差の範囲内。


どうせヒトなんて、長くて100年しか生きられない。皆、風の前の塵に同じ。


その間に取り込まなけりゃ良い?

人間から遠いって所に置くって 自然サイクルのわがままじゃないかね。
生きていれば怪我もするし死にもする。




このように、

悟り? を開かれた方は、

是非とも、セシウム再循環しまくりの環境下に移住して下さい。




※はて、
過日の記事

2012年03月03日
南相馬半島化計画 ~リアル版【風の谷のナウシカ市】を防ぐために~

でのコメント欄の返信:
「(※でも、そうなると、今の県庁のある福島市(中通の盆地)の衰退・滅亡?は不可避でしょうね。
工業・商業の中核は浜通り・常磐道側の南相馬にもってゆかれ、
オマケにそもそもの、土地の汚染度合が厳しいから、健康上のリスクが格段に高くなる、
対して、・・・」
というのをフォローしたつもりなのだろうか?

自分でも不明(汗)。
Posted at 2012/03/05 01:34:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | やけっぱち系提言 | 日記

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