
いきなり盛り下げる話を書いてしまうことになるが、
正直な話、
「走り屋漫画」にせよ、
「走りの話」にせよ、
「現実に行われる走り屋活動」にせよ、
その多くは・・・、
少なくとも東京圏に関するものについては、
「古典文学の世界」に入りつつある。
走り屋全盛期、それは平成元年頃。
ある者は「峠最速伝説」を追い求めて峠を攻め、
ある者は「究極のダンシングライン」を探求して峠を走り、
ある者は「首都高最速」の座を巡って首都高を廻り、
ある者は「高速湾岸線の帝王」に成らんとして首都高を飛ばした。
またある者は「林道ファイター」となって林道を走り、
またある者は「ドリキン」になろうと埠頭や交差点で舞った。
しかしながら、こうした「ストリート活動」、
それぞれの闘志を全開にした「戦い」の多くは、「古典文学」の世界の出来事となりつつある。
古典文学・・・、
中でも「戦い」を記した古典文学の代表格は『平家物語』である。
しかしながら、このブログ主の「私」は、平家物語は、嫌いだ。
平家物語は、たしかに、「戦い」を描いた物語である。
しかしながら、そこには、「戦いの構成要素」は充分に描きこまれているだろうか?
当時の戦いに必要なものは、
ざっと考えただけでも、
「刀」
「弓、矢」
「馬」
「兵力」などなど。
平家物語に刀の描写があったか?
言っておくが、時代劇などに描かれている刀は、皆、実戦に全く耐えないものである。
時代劇などに描かれている刀は、江戸時代に、刀の実戦力を低下させた状態でつくられたデザインである。
よって、あのデザインの刀は、刺すと二度と抜けなくなる。
刺したとき、これを抜くためには瞬時に肉離れさせてやる必要があるのだ。
だから、刃の背面、ミネの側に溝が存在する。
平家物語の時代につくられた刀には、
皆、
こうした溝が存在する。
平家物語に、
刀の手入れをしている描写があったか?
刀に彫られた溝の話があったか?
他にも、
矢じりの話があったか?
盾の話があったか?
鎧の話があったか?
馬の話があったか?
兵糧の話があったか?
陣形の話があったか?
戦いの物語において、その時代の戦闘技術が具体的に描写されない話は、資料としての価値は著しく低下する。
このブログを書くにおいて、そうした点は、心しておきたい。
「走り屋の活動」、
少なくとも東京圏に関するものについては、
その多くが「古典文学の世界」に入りつつある。
そのような局面であるからこそ、
その時代の汎用技術、
先の時代を予測した先進技術、
あるいは問題となった技術的欠陥、
メカ、
エレクトロニクス、
メカトロニクス、
道具(車両)、
テクニック、
戦術、
資金関連、
経済状況、
法規制とその趨勢、
度量衡、
我々を含めた工業国群勢力の栄枯盛衰、
などなど。
そして・・・、街道。
とにもかくにも、「有形力の限りを尽くした表現」を心がけたい。
度量衡と数値の限りを尽くして、表現しよう。
たとえ、それが文芸的な価値をどれほど落そうとも。
叫ぼう。
有形力の限りを尽くした表現で。
世界の中心で。
日本の、関東という、
世界の「走りの中心」で。
俺たちは、「走り」の中心地にいる。
脈々と走り続ける「走り」の中心地にいる。
俺たちのホームコースこそが、
現代世界における「走りの本場」であると。
叫ぼう。
世界の中心で、走りを叫ぼう。
そして、
あわよくば、
私は「共鳴」を待ち望んでいる。
マフラーの音が山々に木霊するーーー。
あー、アイツが走ってるなー。
よーし、オイラも走りに行くかー♪
というあの時代のような、「共鳴」を。
(↑通常の日本語訳:現在生きてて、このページ見た人は、あんまり身構えたり、覚悟したりせずに、気軽にコメント下さいねー♪)
Posted at 2010/03/09 08:38:07 | |
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