
この「キャッツアイ・ロード」が、相当に客観的なモノサシたる意味を帯びてきたといえよう。
こうして速域を上げてくるうち、対向車確認に関して、一般とは「逆の考え方」に「気づく」、あるいは「逆の考え方」を「好む」ようになる。
そして第4週目、
つまり免許取得から一ヶ月近くが経とうとしていた時期のこと。
多摩湖道を走る時間帯が、昼よりも夜の方が走りやすいと感じるようになっていった。
普通に考えれば、昼間の明るい時間が、より安全であり、より多くのものが見えている。しかしながら、対向車の接近、前走車のテールライトなど、走り屋が最も欲っする情報は、昼間には光の氾濫の中に埋没してしまっている。
対して、夜は、闇は、これらの情報を相当に手前から教えてくれるようになる。この頃から、私の網膜と私の脳が、夜を、闇を求めるようになってきていたのだ。
これは、「走り屋」としての「バイオリズム」が自分の中に出来つつあったような気がしているし、恐らくそうだったのであろう。
それにしてもこの時期はまだ、「走り屋」という自意識が全くなかった、
ということははっきりしている。
形成されたものは、おそらく、「モノサシ」だったのだろうと思う。
そして、この「モノサシ」が、「郷土愛」の一種であるのか、ないのか、
それは未だにわからずにいる。
さて、
ここでこの道が相当に平坦であることに再度触れておきたい。
「道が平坦である」、愛称多摩湖サーキットというこの地形は、「ただそれだけ、ただ平坦であること」ということは出来ない。この道路特性が、私個人のドライビング技術と、それに対する考え方に大きな影響を与えているかもしれないのだ。
私はこのページで「峠の走り屋」を自称しているが、その技術的意識は、極めて特異なものである。
「峠の走り屋」「峠族」の、ドライビング技術の出し方・考え方を一言で言うなら、
「全力坂」
なのである。
要は、マシンにせよドライバーにせよ、100%の力を出して「坂を駆け上がる」「峠を攻める」のだ。
一方、私の場合、
100%の力というものは極力出さないように心がけるべきであって、
要は100%の力を出すことは「禁じ手」なのであって、
「攻める」ときも70~80%くらいの力で走るべきであり、
残りは万一のときの危険回避に残しておくべきである、と考えている。
技術的向上についていえば、
100%の力を向上させるのではなく、
70~80%の力を向上させ、
70~80%の力で走っても相当に速く走れるようになること。
それが理想だと考えている。
だが、
こうした考え方を峠族の人々に評価させるに、それは、「環状高速などをトバす連中」(「環状族」)の考え方そのものなのだとコメントされることが多い。
このように評価されたとき、正直私は、嫌悪感を覚えた。
指摘されたとき、私は自らを「峠の走り屋」と自覚していたのであるから。
しかし、
多摩湖道の特性、特に勾配のない特性を鑑みるに、自分がこうした「環状族的技術論」を持っていることが、多摩湖道の特性から発生したものであるのなら、むしろ誇るべきことのように思えてきたのである。
これは、一種のパトリオティズム・・・「郷土愛」なのであろうか?
Posted at 2010/03/16 23:34:22 | |
トラックバック(0) |
多摩湖道 | 日記