
画像は、甲州日野バイパス・石田大橋。
このブログについて、よく言われること。
「うおー、コレ、クルマの話じゃねぇ~」
私、このブログを、クルマの話だって書いたこと、ありましたっけ?
とりあえず、このブログは、「走りの話」です。
但し、このブログで言うところの「走り」は、「クルマでの走り」ですので、クルマは、「必要不可欠な道具」として、
必然的に、最も頻繁に出てくる存在となります。
あと、
「さて、」以下では、昨日付けのブログで「永田師の最高速烈伝」を書いていたので、その続きを、と思っていたのですが、
「鉄道の走り」において、峠は、百害あって一利なし。
とか、そういう、ある種、敵意を煽るような言い方をしているため、それに関する話を完結させなければなりません。
とりあえず、このブログで、何故に「峠=害悪」として語られるのか、
(しかもそう語る当人は、「俺の魂は峠の走り屋だ」と自称している)
そのことについて、極めて詳しく記さなければなりません。
永田師と最高速に関する話の続きは、その後で。
さて、
「鉄道の走り」において、峠は、百害あって一利なし。
その存在自体が害悪。
このあいだはこの端的事例を紹介した。(貨物列車のブレーキ容量オーバーの話)
また、
漫画『鉄子の旅』では、
スイッチバックやループが「鉄道ファン御用達」として紹介されていた。
が、これらは「鉄道の走り」という観点のみからすれば「害悪」である。
もっと端的に、そもそも論をいえば、
「スイッチバック(九十九曲がり)」「ループ」は「峠の構成要素」であり、
「鉄道の走り」において、「峠は、百害あって一利なし」となれば、
必然的にこれらも、走りにおいては「害悪」となる。
但し、
「鉄道の走り」といったが、
ここでいう「鉄道」とは「○○本線」「新幹線」といったような、文字通り「本線」としての役目を果たしている路線のことだと思ってもらいたい。
「峠の存在」は、
本線の輸送力を低下させるし、
場合によっては昨日の事例のような事故も頻発させるのである。
「峠」というものは、「なくなっていくもの」なのだ。
すくなくとも、「本線」からは放逐されていくべきものなのである。
「線形改良」によって、
「ルート変更する」
「トンネルをブチ通す」などの方法によって、本線から外していくのである。
そうしてこれは、「街道」においても、同じ。
「峠」というものは、「なくなっていくもの」なのだ。
「線形改良」によって、
「ルート変更する」
「トンネルをブチ通す」などの方法によって、街道本線から外していくのである。
クルマの世界においても同じ。
こうした「線形改良」の究極の形として、
鉄道界には新幹線が君臨し、
自動車界には高速道路が君臨するのだ。
ってゆーか、
「峠は害悪」と称して、こうした「峠ファン」は、ムカっとくるだろう。
それは、私も「峠ファン」という括りに該当するような人間だから、
無自覚に発言しているわけではない。
はっきり言って、「峠」は、一般人・一般社会にとっては、たしかに、害悪でしかない。
「峠ファン」としての私見も、これに同じ。
これに関する話の続きは、文化人類学的見地まで突っ込むハメになるので、明日以降。
Posted at 2010/03/06 01:06:17 | |
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甲州街道Ⅲ(中央高速烈伝) | 日記