
この記事は、
ヤビツ峠について書いています。
←吉野宿ふじやの縁側から相模湖を眺める。
今日のブログの「スポット」もココです。連日ですが。はやいところこの場所関連の記事を書き終えて、この「相模」のカテゴリーも、少し別の「場所」に移動しましょう笑。
この吉野宿ふじやは、街道側からはあんまりわからないんですが、庭側、縁側からは相模湖を望むことができます。
「一面の!」というよりは、ココは少し引っ込んでるので、落ち着いた湖面の雰囲気を除き見ることが出来る、ってカンジでしょうか。
で、
このカテゴリーで、
「甲州街道」は、伝統的に、少し特殊な形状なのです。
その「特殊形状」が故に、つづら折れの箇所が発生しやすい。
「この旧吉野宿近辺が、江戸時代と変わっていない」というのが、
実は、
「特殊」なのです。
「一般的な形」ならば、「江戸時代の道はダム(相模湖)の底!今の道はダムが出来てからの道なのよーん」
なはず。
そう。
この旧吉野宿近辺で、
相模湖を、
ダムのベースとなったV字谷を見下ろすように街道が通っている、
しかもそのルートがずーーーーっと続いている、
このことが「特殊」なのです。
こんなふうに書きました。
それはその通りで、
「甲州街道」は、かなり多くの区間が、河岸段丘の上を通っているのです。
この「傾向」は、中央本線でも、中央自動車道でも持っているのです。
特に、諏訪・松本方面に走っていると、左手が広い谷で、それを見下ろす形で走っていることが多いです。
今でこそ、こういう街道形状は普通でしょうよ。
しかし、昔、こういう街道形状では、水の調達に苦労してしまいます。
そのため、
昔の山間の集落は、「谷津集落」と言って、川とあまり高さの違わないところにあることが多かったのです。
故に、一般的な街道は、「谷底」や「川に沿って」設けられることが多かったということです。
こういう「一般的な形状」を持っているのが、「宮が瀬レイクライン」の「裏ヤビツ」です。
(このブログの「宮が瀬」のカテゴリーにも少し出てきました。)
しかし、「甲州街道」は、そうはなっていません。
谷川を見下ろすように、河岸段丘の上を走っているのです。
そのため、未だに、「他の通りと高さが合わない」「県道と高さを合わせなければならない」という「都合」が発生します。
要は、慢性的に、「つづら折れ」の形状が発生しやすいのです。
でも、水については、少し苦労していたかもしれませんね。
沢の水を引いてくるしかないように思います。
まあ、ボーリング工法(上総掘り)普及以降は川水面よりも下まで掘り抜くことが可能になったと思われるので、問題にはならなかったでしょうけれども。
とはいえ、川までは、汲みに行くのは不可能なんじゃないかな?と。
少なくとも、日本では、それはしない、
水が調達できない場所では集落はつくらない、
というのが基本だったかな、と。
そういう意味で「ユーザの苦労」がもっとも大きかったのが、「まいまいず井戸」かな?と思います。(「まいまいず井戸」は「463」のカテゴリーで書いたと思います)
それにしても、渓谷の谷底、川に沿ったルートにならなかった、
ということは、この相模川は、相当な暴れ川だったからかもしれません。
あと、
「甲州街道四十四次」のカテゴリー、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16685330/
にて、
「甲州街道の変遷」として、
中長期的に、甲州街道には北から南へ、だんだんとルートが移動していく傾向があるらしい、と語ったこと、
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/16695861/
で、
大垂水の本線は廃れている。
大垂水峠にあったドライブインも今は廃れている。
代わって、国道412号(三ヶ木までは413号)の方が今は栄えていると思う。
それは無理もない。
国道412号は相模湖で20号と合流しているのだから。
恐らく現在は、例えば一般道で甲府に向かおうとする車とかでは、
20号のまま(大垂水本線)で走る車よりも、
412・413号(津久井湖経由)を通る車の方が多いのではなかろうか?
という話を含めて、
吉野宿ふじやから、あと一回、お伝えしようと思います 笑。
Posted at 2010/05/14 00:06:06 | |
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相模 | 日記