
この記事は、
スマートICについて書いています。
カテゴリーを「299」と「463」に分けることになり、そのことについて、重複になるけれども、「確認」を。
「299」は「奥武蔵・秩父を越えて、長野へと向かう峠道」という位置づけです。
一方、「463」は「平野の道」。
峠ではない、平野である、だから、「走り」の話がないかといえば、あります。
充分すぎるほどに。
真っ先に挙がるのは、「秋が瀬!」しかしそれは、次回以降のこのカテゴリーにて。
で、ここから「463」に纏わる話、
「走り」の「魂」の話を少しだけしたい。
「東京圏」において、
「わしは東京、好きだよ。今のわしがあるのは東京のおかげだし」
「僕は東京ってもんに、あんまり愛着は持てないんだよね。仮の住まいっていうかね」
「俺りゃ、ここの人間じゃねーよ」
と、
地方から出てきて東京圏に住んで活動している方々の「態度」には「温度差」がある。
「現在、東京において勤めており、居住していて、生活実態は東京圏にある」、
そういった人々の中に「温度差」がある。
ちなみに、
現在の東京での就労年層で、↑この種の人々の割合が8割。
東京都内で生まれたり、育ったりした人の割合が2割程度、
東京都内で生まれた人の割合は5%程度と言われている。
8割方は、「大学以降に東京に出てきた」というのが、テレビによる情報である。
なるほど、「私」は5%程度の少数派なのだな・・・汗。
その5%程度の「少数派」の「私」を含めて、
東京で生まれ育った者のほとんども、
やっぱり、
何世代か前にやってきた人間。
それで、
さっき、
「わしは東京、好きだよ。今のわしがあるのは東京のおかげだし」
「僕は東京ってもんに、あんまり愛着は持てないんだよね。仮の住まいっていうかね」
「俺りゃ、ここの人間じゃねーよ」
という「温度差」の話に戻るわけだけれども、
この「温度差」は、何なんだ?????
という話。
「性格の問題」。
「アツい性格の奴は、やたらと今の住処に愛着を持つし、
冷めた奴は、仮の住まいとか、突き放した見方になるのさ」
こういう見方もできようか。
でも、実は、私は、もっと物理的な見方をしている。
まず、
「本籍地」だろうか。東京に住んでいる人々でも、戸籍上はどこかの地方である場合が多いという。
なるほど。戸籍という書類上は、東京の人ではないから、「東京は仮住まい」ということになろうか。
しかし、
私は、
これでもまだ、
「そんな紙切れごときの問題が、精神に影響するとは思えない」
本音ではそう思っている。
もっと物質的な見方をしている。
・・・墓。
死んで、どこの墓に入りますか?
実のところは、この一点に尽きると思っている。
「現在、東京において勤めており、居住していて、生活実態は東京圏にある」
こういう人々が、今の東京の「大人」の8割を占める。
その中で、
東京に墓を買った人、
こういう人の、東京に対する「愛郷心?」はある種、
東京生まれ・東京育ちの5%の人々のものを越えている気もする。
で、
私がどこの墓に入るかって?
確率的に多いのは、「463」近くにある某霊園。
あれ、東京都じゃない???!!!!
そう。
東京圏にはあるけれども、東京都ではない。
さて、
このGT―Rも、アレキサンダー大王と全く同じで、「多摩ナンバー」を付けていた。
そのドライバーが喋る言葉も、
勿論、上品な山の手言葉でもなければ、
イキのいい下町言葉でもない。いわゆる「生粋の江戸っ子」ではない。
ドライバーは、まったく普通に標準語を話しているらしいんだけれども、その喋り方は、いわゆる「関東なまり」といわれる、「東京の田舎」といわれる地域独特の発音であるらしかった。
関東以外の地方に行くと、「関東言葉」と言って、都会者扱い?場合によってはヘンな目を向けてくれたが、
東京の中心部で年配の人々と話すと、「関東訛り」と呼ばれてたちどころに「田舎者扱い」された。
しかし、このドライバーの持つ「江戸っ子意識」のようなものは、
「生粋の江戸っ子」といわれる連中の追随を決して許さなかった。
「田舎者」の彼が強固に持った、
「偏見と妄想によって固められた江戸っ子意識」は、
「闘争心・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識」となっており、
彼の魂の核を形成しており、
彼の魂の最上位に位置づけられているらしかった。
そして、それは同時代の東京中心部に住む誰よりも強かった。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/15613221/
より。
それにしても、
俺も、
死んだのなら、「国道463号線近く」の某霊園に骨が納められることとなろうか。
東京圏にはあるけれども、東京都ではない。
それにしても俺の先祖は皆、東京まで、
事実上、片道切符でやってきて、
事実上、皆、東京に骨を埋めることになっている。
それは、貧富を問わずしてそうであった。
俺の先祖のある者は、
貧しさから開放されようと、片道切符で汽車に乗り、
鹿児島から出てきて、銀座で仕事をしていた。
銀座に店を持って多くの資金を稼ぐも、
貧しさから開放された安心感と、身体に現れた麻痺によって店を放棄した。
それからずいぶん経って、今は環八羽田近くの寺院の墓に埋葬されている。
また、
ある者は、
長野県の諏訪から中央線の汽車で東京に出てきて帝國大学を出て、
気象庁の官僚になり、長官になった。
結局、
帰郷せず、今は東八道路沿いの多磨霊園に骨を埋めている。
事実上、片道切符でやってきて、東京に骨を埋めることになったのだ。
ちなみに、
俺が入ると思われる墓は、
「国道463号線近く」なのだから、東京圏にはあるけれども、東京都ではない。
20世紀末にはすでに、東京都も埼玉県も神奈川県も、実際には「境目」がなくなり、住宅地が連続して続いていた。
また、「23区内」の住民も減っていた。23区内ではそれこそ「クルマ離れ」「クルマ嫌い」が著しく進んでいた。
それもそうだった。
23区内に留まらず、日本の資本主義は礼節を失っていた。明治期に「社会に貢献するために実業せよ」などと説かれたことは、もうこの時代には忘れ去られていた。
そういうことと関係があるかどうかは不明だが、
20世紀末になったとき、
都内の霊園付近の駐車場は、墓参りシーズンに合わせて、こぞって高い駐車料金を設定していた。
墓参りのしやすさからすれば、埼玉県の郊外の霊園が、お得だった。駐車場は付いているし、駐車料金は無かった。
この「463」近辺の台地は、元来、乾燥した、広大な台地と、乾いた畑が多かった。
砂埃がもの凄いところだった。
今は、どんどん市街地化していって、
コンビニもある、
ホームセンターもある。
植えられた木々も大きくなっている。これから、この墓の周りは、どうなっていくだろう?
そんなこんなで、
事実上、「東京圏」という形で生活をしていたのだが、
そこでの人間の「内訳」は、
「大学以降に東京に出てきた」というのが8割、
東京都内で生まれたり、育ったりした人の割合が2割程度、
東京都内で生まれた人の割合は5%程度と言われていた。
そのためか、
著しく「連帯感」に欠けていた。
特に、
他人のために何かやる、
全員が、全員のために、命を張って突撃する、
というような「連帯感」に著しく欠けていた。
しかし、
このような中でも、
「江戸っ子意識」のようなものは、
一部では「健在」だった。
いや、「過激化」して、今まさに立ち上がるのだ。
「生粋の江戸っ子」といわれる連中の追随を決して許さない連中が、たしかにいる。
「偏見と妄想によって固められた江戸っ子意識」は、
「闘争心・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識」となって、
俺たちの魂の核を形成しており、
俺たちの魂の最上位に位置づけられているのだ。
そして、
これは同時代の、東京中心部に住む誰よりも強いのだ。