
この記事は、
野良猫の餌付け判決。ちょっとなあ〜。について書いています。
先日から記事を引用して紹介している「加藤九段」は、
「ま、言ってみれば、(猫は)友達のようなものですから」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00177221.html
と表記されていたが、
インタビューには、
「(猫は)家族ですから」と答えていたような気が。
コレについては、
「家族>近所」
というのが一般論ですので、
極論すれば、
「猫>近隣住民」
というのが、あの方の価値観の根底にはあるのではないかな、と。
それでそれで、
「江戸っ子魂」的な考え方をとるならば、きっとこういう考え方になるだろう、と。
↓
「裁判やるカネと暇があったら、ネコの里親を探してあげるとか、そういう方向に回しやがれ!」
しかし、それを近隣住民が行おうというのならば、
「(猫は)家族ですから」という、
「加藤氏の家族&猫」という、
「家族」
「家庭の問題」に介入しなければならない、
「他人の家庭に介入する」という「精神的環境・風土」が、
はっきりいえばおせっかいまでもが、
当然のこととして存在していなければならない、ということになりましょう。
はっきり言って、
三鷹市内の集合住宅(庭付き高級テラスハウス)において、
そのような、
「家族関係にも近いような近所関係」があったとは、思えない。
東京圏全体の現象としては、「無縁社会」と言われているような状態でありまして。
そういう状態で、
他人の家の意思決定に介入してゆくことは出来ないのが現状ですから、
この集合住宅内における、加藤氏の行為は、
「猫には、餌やりだけでなく、段ボールを用意してすみかを提供しているのだから、『飼育している』と認めるべきだ。猫は原告住民に様々な被害を及ぼしており、『迷惑を及ぼす恐れのある動物を飼育しないこと』と定めた管理組合の条項に違反し、住民らの人格権を侵害する」というものとなるわけですな。
だから結論としては、加藤九段の「持論」は正しいとしても、
この「場所」の「現状」を考えると、
結果としてそれは、
間違っている。
もし「持論」を実行したいのならば、
「それに相応しい場所」に移転しなくてはならない、
むしろ、
世の中は、そうした形で彼の「持論」が「あるべき形で」実現されることを期待している。
しかし、「場所の現状」に照らしたとき、
その場所にこだわるのなら、
まさに・・・「郷に入るは郷(の掟)に従え」。
うーーーむ。
この話について、随分しつこく書いてますが、
実のところ、私の家族は、猫を飼っていた経験者であり、猫を再び飼いたがっているのです。
なので、三鷹でのあの件については、何時間も話をしました。
(実は今回の判決が出る前、あの問題が報道されたときから)
その「結論」として紡ぎだされた「答え」は、
人として、
東京圏の住人として、
あまりにも悲しすぎる・情けなさすぎるものであった。
できれば、言語化したくはないけれども(このブログでも、少し洩らしましたが)、
それが「現実」。
「現実」を認識した上で、
如何にして皆でそこから這い上がるか?
如何にして皆で、常識で考えたら達成不可能な非常識に突入してゆけるか?
それを考えてゆく上で「現実」を正面から飲み込み、
「現実」を如何にして打破してゆくか、
それを考えるために、言語化しましょう。
(続きはまた明日以降。)
(ちなみに「私」は、「クルマ以外の動物」を「飼う」ことに大反対している。
↑えーーーー、「オマエにとってクルマって動物なのかーーーーー!!!???」って、そりゃー、そうでしょう。「動」く「物」なんですから笑)
さて、
「463」沿線の「走りの、伝説的な、有名スポット」といったら、何と言っても「秋が瀬」ということで、秋が瀬公園駐車場を舞台にぼちぼち回想してきた。
その続き。
「ローリング分派」
速く走るとは高い技術を持つことであると考える分派。このため、技術を要求される峠道を礼拝の場とする。一部の信者は礼拝の場をレースへと移しているが、多くの信者は夜の峠道を神聖な場所であると信じ、それを守り続けている。彼らは非信者との交流を「穢れ」と考えており、礼拝する姿を非信者に見られることを嫌っている。カーブをよろよろ走ることから命名された分派。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%B5%B0%E3%82%8A%E5%B1%8B
より。
こんな「アンサイクロぺディア」なる怪しげなページの言うことはさておくとして、
確かに俺も「訓練」する姿を他人に見られたくない、
ということだけは当たっているかもしれない。
しかし、俺の今日の「訓練」には「観客」がいた。
練習を始めると「観客」が集まってきた。
1匹、
また1匹。
結局10匹あまりの猫どもが、
俺のマシンの旋回運動の、
俺様の走りの「観客」となった。
全力で加速。
ブレーキでターンイン。
旋回。タイヤのスキール音。
アクセルを開け、
タイヤのスキール音を響かせつつ立ち上がる。
全開加速。
また旋回。
猫ども、
せいぜい観るがいい。
俺様の訓練風景を見るがいい。
そして、俺様のこの機動を観ることができたという幸運に、感謝するがいい。
この機動は、普通、人間には、見せないものなのだからな!
Posted at 2010/05/20 03:07:28 | |
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