
この記事は、
将棋界の神!について書いています。
えー、加藤一二三名人と猫のことです(しつこいですねー私も。まあ長考しましたので、どうかお許し下さい)
↓改めて、論点がわかりやすく書かれた記事の引用です。
将棋の元名人、加藤一二三(ひふみ)・九段=東京都三鷹市=が、自宅の集合住宅で野良猫に餌をやり続けたため悪臭などの苦痛を受けたとして、近隣住民らが、加藤さんに住宅敷地内での餌やりの中止や慰謝料など約640万円の支払いを求めた訴訟の判決が13日、東京地裁立川支部であった。市川正巳裁判長は、原告住民側の訴えを認め、加藤さんに集合住宅敷地内での餌やりの中止と慰謝料204万円の支払いを命じた。
加藤さんは「猫に長く生きてもらいたいと思ってした行動なのに、理解できない」として控訴する方針。
原告住民と加藤さんは、三鷹市内の同じ庭付き高級テラスハウスに居住。裁判では、「動物愛護」の精神による餌やり行為が、集合住宅における他の居住者の「人格権」を侵害するかどうかが焦点となっていた。
判決によると、加藤さんは1993年ごろから野良猫に餌をやり始め、周辺に現れる猫が18匹になった。2002年には庭で生まれた子猫6匹について、餌をやったり、猫が凍死しないように玄関前などに段ボールやバスタオルを置いたりした。不妊去勢手術をしたため、現在は4匹にまで減ったが、原告住民らは、猫のフンの始末を余儀なくされたほか、洗濯物ににおいがついたり、車に傷をつけられたりした。
市川裁判長は判決の中で、「猫には、餌やりだけでなく、段ボールを用意してすみかを提供しているのだから、『飼育している』と認めるべきだ。猫は原告住民に様々な被害を及ぼしており、『迷惑を及ぼす恐れのある動物を飼育しないこと』と定めた管理組合の条項に違反し、住民らの人格権を侵害する」と慰謝料の支払いを命じた。
加藤さんの「猫は『迷惑を及ぼす恐れのある動物』にあたらない」との主張には、「小鳥や金魚は含まれても、小型犬や猫は含まれない」と判断。そのうえで「動物は家族の一員、人生のパートナーとしてますます重要になっているが、集合住宅にはアレルギーの人もおり、人と動物との共通感染症への配慮も必要。犬や猫の飼育を認めるようにするには、集合住宅の規約の改正を通じて行われるべきだ」との考えを示した。
判決について原告の管理組合の島谷清理事長(85)は「率直にうれしい。動物愛護だからといって、ルールを無視して個人の意思を押しつけることはいけない」と述べた。
一方、加藤さんは「命あるものを大切にする私の信念は変わらず、餌やりも住宅の敷地外で今まで通り続けたい」と話した。(杉浦幹治、三浦英之)
http://www.asahi.com/national/update/0513/TKY201005130260.html
より引用。
で、意見のまとめも兼ねて、少し長く語ります。
このブログで「私」は「多摩ナンバー」を頂く、東京多摩地区の住人でありまして、管轄裁判所は東京地裁立川支部だと思います。
そんな「私」の、ブログにおける「走り屋意識」の根底は、「妄想と偏見によって塗り固められた」「江戸っ子意識」であり(そりゃそうです。「江戸っ子」の圏内に走り屋など皆無です)、
その「江戸っ子意識」の論理に従うに、
「裁判やるカネと暇があったら、ネコの里親を探してあげっとか、そーゆー方向に回しやがれってんだ!」
ということになりましょう。コレが個人的な考え・正義感。
しかし、この場所の「掟」もまた、
「猫は外には出せません。猫にとっては、寂しいことなんですが、それがルール」。
それが妥当。
上記「江戸っ子意識」に従って近隣住民も猫の里親探しに携わる、
というのは、はっきり言えば、
加藤センセの家族関係に割って入ることまで当然♪
おせっかい焼きがココの文化ってもんよ♪
そんな土壌でなければなりません。
そんな土壌であったら、地域にとって「猫」は「共有財産」。
しかし、
現在の東京多摩地区の住宅街の現状は、ろくな準備もないまま、
ニューヨーク顔負けの国際色豊かな状況になってしまい、
かつ、
治安は窃盗団が跋扈するという有様。
その上、古来の住民の連帯意識・族意識が崩壊し、
万人が精神の貧困に蝕まれており、私権の維持に躍起。
このような状況で、「東京と猫」に限定して語ると、
「現在の東京圏の住宅街のおおかたの居住者は、ヒトという動物として、自らが生きるのに精一杯なのであり、
人として・・・、猫という自由な動物の生き死に手を差し伸べること、関わることに充分なだけの精神的・経済的余力は、正直言って、ない」
「現在の東京の貧弱な都市環境・住宅事情を鑑みるに、今の東京圏に、ネコなどという自由な生き物は馴染まない。それが現実」
という有様。
つまり、
家の縁側を開けっ放し、開放的な家屋。
近所同士は一連托生・家族同然、皆、知り合い。
知らん者が入ってくれば、すぐに睨まれる。
猫も住民のうちで、自由に空間を行き来する、
そういう猫と共存できる都市空間は、失われている。
現実の東京の住宅街は、
住宅という空間をオープンにしておこうものなら、途端に、窃盗団にヤラれます。
義理も人情も崩壊しており、企業もプアビジネスで「下流喰い」。
窃盗団のような犯罪集団も、弱い者を弱い者をつけ狙う「下流喰い」。
(実際問題、東京の貧困には半端ないものがある)
こうした状況は、
三鷹の高級テラス型の集合住宅にも当てはまるかもしれないし、
ひょっとしたら六本木ヒルズ族にも、
政治家の方々にも、当てはまるかもしれない。
そういうわけなので、
残念ながら、
今の東京では、私権の維持が大切。
そういうことだから、多くの地域には、「猫」そのものが馴染まない。
従って、東京地裁立川支部の判決は、妥当。
そう判断せざるを得ない。
法律の話とは少し離れても、「現実論」として「妥当」と考えざるを得ない。
わかりやすくいえば、
私の家は、
かつて猫を飼っていた「経験者」でもあるし(場合によっては加害者か???)、
後に、他人の猫や野良猫に害を与えられた「被害者」でもある、
そういう、
両方の考え方を天秤にかけて、
長考して、
結果として、「東京地裁立川支部」の判決としては、妥当、と思います。
繰返しますが、
私と私の家族の思想的には、東京地裁立川支部の判決は、頂けないものもある。
場合によっては、こころよく思ってない、不愉快に思っているかもしれない。
しかし、
それでも、「東京地裁立川支部」の判決としては、妥当なんです。
でも、
そんな「現実」は何とかしてゆかねばならないのは勿論です。
「カネを得たので、島一個買って、日本中の捨て猫(捨て犬)を全部引き取って、猫(犬)天国創ってみっか~♪」
そういうふうに、「創造力の貧困」から脱して傾向が現れなくては、
「下流喰い」が永遠に続いてゆき、東京も日本も、いずれ滅亡してゆくだろう、
「だから皆で何とかしてゆこう」という精神を表現したい、
というのが、このブログの精神構造でもあります・・・汗。(生意気ですが)
でもまあ、それにしても、
「ちょっと行動がアレですが、いえかなりアレですが、・・・」
https://minkara.carview.co.jp/userid/323987/blog/6737478/
という「指摘」もあるぐらいで・・・笑。
ええ、アレです。加藤さんの行動はかなりアレです笑。←笑い事じゃないですね、すみません汗。
要は、
加藤氏の行動は一理あれども、「場をわきまえていない」「住宅事情をぜんっぜん考慮していない」という話です。はい。
それと、このブログの今後の「方向」として、
そんな土壌であったら、地域にとって「猫」は「共有財産」。
↑コレは、「峠」の地域の話へと投影していこうと思ってるんで、そのことだけは、予告しておきます。少し、長期的な予告です。
とまあ、加藤一二三九段と猫の話は、ひとまず、終わりにしましょうか、ね。
ひとまず。また進展があったら触れるかもしれません。
さて、
たまたま誰もいなくなった、とある昼下がり。
俺は楕円軌道をひたすら繰返した。
猫ども、
せいぜい観るがいい。
俺様の訓練風景を見るがいい。
そして、俺様のこの機動を観ることができたという幸運に、感謝するがいい。
この機動は、普通、人間には、見せないものなのだからな!
俺の機動を、
俺のクルマの機動を目に焼き付けておくがいい!
と、
また別の日、
今度は俺のコルトとは別のコルトに乗って、そこにやってきた。
再び、誰もいなくなった、とある昼下がり。
俺は楕円機動を繰返す。
そこで大きな「違い」に、はっきりと気づくことになった。
同じ車種であっても、
個体ごと、制作年代ごとによってクルマの動き方がぜんっぜん違うということを。