
この記事は、
イノシシはブタについて書いています。
←主要地方道36号線、「宮戸橋」の風景。
それと、「路線番号」については、秋が瀬橋もココも「40号」かもしれない。
いや・・・いつも「路線番号」はあんまり意識して走ってないんでね。
36号だと思って走っていたら、40号と合流していて、その場所は40号だ、とか、
間違いが多いと思っていただいて結構です。
でも、「橋の名前」などは、正確に書こうと思います。はい。問題の無い範囲でね・・・汗。
で、
なんだか最近、「463」・・・平野の道、の話ばかりで、峠の話をしていない。
気持ちだけでも、「山」の話をしようか。
「俺」にせよ、「私」にせよ、イノシシ年なので、
「イノシシならば山の神。ブタになったら家畜」
「猪の如く峠を速く走れなければならない。デブったら終わりだ」
そう思っている。
「ブタの原種がイノシシ」といわれているが、形状は全く異なっている。
人生???そのものが異なっている。
故に、
「イノシシならば山を速く走れる。が、ブタはフィードロットに押し込められ、デブにされ、ヒトに喰われる」
すなわち、
山の獣であるのが、イノシシの「人生」。
フィードロットに押し込められ、デブにされ、ヒトに喰われるのが、ブタの「人生」。
「ヒト」は、「人間」である以前に、「動物」である。
「動物としての尊厳」を失っては、立派なヒトには絶対になれない。
ヒトとして誇れるものがなくては、人間として、半端な存在となってしまう。
だから、
動物としての尊厳の確保が、必要なのだ。
だから、
「俺」にせよ、「私」にせよ、
峠を走ることが必要なのだ。
峠を走れなければ、ブタになってしまう。
峠を走れるときだけは、イノシシ(山の神)になれる。
エ?
ブタはブタ?
イノシシはイノシシ、って?
えー。えー。
そうですとも。
日本で肥育されてるブタは、ヨーロッパから持ち込まれたもので、
山にいるイノシシとは、遺伝子上のつながりは、皆無といって差し支えないですとも。
はい。
エ?
だから、オマエの話はインチキじゃないかって?
はいはい。すんませんねー怒。
コレ生物論じゃなくて、精神論ですから。
エ?
イノシシがデブってもブタにはならない?
エ?
ブタがダイエットして走ってもイノシシにはならない、って?
あ、はい。痩せたブタの写真、見たことありますよ。はい。
エ?イノシシじゃなかっただろって?
はあ。確かにね。痩せてても、アレはブタでしたよ。
でも、コレ、生物論じゃなくて、精神論ですから。
矛盾点突っ込まないでくださいな汗。
エ?
生物学的にインチキだから、精神論としても論理的に破綻してるって?
・・・・汗。
さて、
俺の育った市の連中は、はっきり言って、人間的にアレだった。
俺には、「学校給食」というものの記憶があんまりない。
なぜって、小学校にしか給食はなかったから、給食を食べることがはるか昔のことでしかない。だから、あんまりよく思い出せないのだ。
エ?と思った人が、多いだろう。
そう。
学校給食法では、義務教育期間を対象として、給食が行われるものとする。
そういう規定だから、中学校に給食がないのはおかしい。
この理由は、
「市がビンボーだからだ」とか、
「市政の連中がサヨクだから、自民党から補助金を妨害されるのさ」とか、
噂されていたが、その理由は全く明らかにされていない。
だが、俺が言いたいことはそんなのではない。
実は「ホントの理由」なんて、どうでもいい。
しかし、「法律の規定を実行しない」のなら、
それなりの大義名分をぶつけることは、出来ないのか?
俺は、学校給食には、賛成なのだが、その立場からも、はっきり言おう。
「学校給食法」は、悪法だ。
1953年に「余剰農産物処理法」がアメリカで出来て、
その同じ年に日本で「学校給食法」が出来る。
ここで、「パンと脱脂粉乳とおかずが日本の給食の定番である」旨が定められた。
そう。
アメリカのゴミを、日本のガキどもに食わせようってわけだ。
だから、学校給食法は、悪法だったのだ。
だから、
実は、学校給食に反対する「大義名分」は、あったのである。
「アメリカのゴミを、日本のガキどもに食わせよう。学校給食法は、悪法だ!だから、ウチの市では、給食は、しないのです!」
そう言えばいいだろうに。
しかし、兎にも角にも、
俺の育った市の連中は、大義名分申し述べることが出来ないのだ。
大義名分ブチあげることが出来ない奴らなんて、
どんな世界だって、のし上がってはいけない。
暴走族の世界だって、大義名分掲げて特攻するわけだし、
やくざの世界だって、嘘だって、「任侠」なる大義名分掲げるのだ。
大義名分掲げることのできない、
建前述べることも出来ない奴らに、一体どれほどの価値があるというのだろう?
ちなみに、
俺は学校給食に賛成の立場だ。だから、そういう考えになるのかもしれない。
が、俺は学校給食には賛成だが、
学校給食法という法律は、悪法だと思う。
いずれにせよ、俺の周囲の連中は、大義名分掲げることそのものに、アレルギーがあるようだ。
でも、それじゃ、一生、何者かの家畜に過ぎないだろう。
それじゃ、いつまでたっても、みんな誰かの家畜だろう。
いつまで経っても、ブタのまま。
いつまで経っても、イノシシ(山の神)にはなれないのだ。
Posted at 2010/05/30 03:47:40 | |
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