2010年08月04日
他ある年の1月1日未明。
缶コーヒーを飲み終わると、俺は叫んだ。
「オラー、環状あがっぞー!気合いれーッ!」
私の掛け声とともに5台のクラウンが一斉にエンジンをスタートさせ、
私に続いて次々と環状線へと入っていった。
そして・・・、
「新春初日の出暴走」・・・いや・・・「新春初日の出ツーリング」に大失敗した我々は、
「族」として、車両を乗りこなす者たちとして、
完全に失格だった。
その大失態の過去を乗り越えるには、栄光の歴史を築き上げるか、
最低でもそれに見合う「技能」の体得が必要不可欠であった。
では、「それ」の体得が、最も必要なのは誰か?
私であることは明明白白だった。
こんな大袈裟な言い方をする必要性などない。
「長い長い、修行が必要!」
そういう烙印を押されただけのことだ。
数か月後、
缶コーヒーを飲み終わると、俺は叫んだ。
「オラー、環状あがっぞー!気合いれーッ!」
今度は、
自分の心の中に。
自分の心の中だけで。
もう、私に付いて走る車両を失ってしまったのだ。
しかし、また、私を慕って走ってくれる者達が、また、集ってくれることを、魂のどこかにまだ持ってはいるような気がする。
坂の上の周回路に上がる前のこと。
ここもやはり坂の上に周回路があるのだ。
都市高速ではない。
ここの周回路は「多摩湖道」と呼ばれている。
この道は相当に平坦だ。
「道が平坦である」、愛称多摩湖サーキットというこの地形。
それは「環状線のような特性 を持つワインディングである」ということにほかならなかった。
技術的向上についていえば、
100%の力を向上させるのではなく、
70~80%の力を向上させ、
70~80%の力で走っても相当に速く走れるようになること。
それが理想。
こういう風に語ることが出来るようになったのは、つい、最近のこと。
それまでは、ただ、走っていた。
多摩湖道、奥多摩湖、宮が瀬・・・。
無意識に同じような特性を持つ道を走り回るようになっていた。
そのときになって、「走り屋」という存在を、明確に意識するようになっていた。
いや・・・カッコつけて言うのはやめよう・・・。
怖くなった。
高速コーナーが怖くなった。
速度を上げていく。
しかしドライ路面での車両限界ってのは意外なほど高い。
タイヤはとっくに鳴いている。3桁台の速度が出ていて、遠心力が掛かり、それでもまだ曲がれる。
吹っ飛ばされるまで、もう少しだけあるのだけれど、
吹っ飛ばされたら、もう、死ぬ。
怖くなったのだ。
そして、高速コーナーに怖くなった私は、低速コーナーの連続域を志すようになる。
「九十九折(つづらおりの道)」
これを、如何なる山の動物よりも、速く、
九十九折の山道を、如何なる動物よりも速くのた打ち回り、
峠(やま)を走りきることに没頭した。
多摩湖エリア、
そして青梅街道を西に。
→奥多摩エリア
→群馬エリア・・・
こうした「あるべき駆け出し」をすることが出来なかった。
高速コーナーに怖気づいた。
九十九折の山道を、極めて素早くマヌーバ(ジムカーナ的機動)し、
如何なる山の動物よりも、速く、峠道を走ること。
私は「峠中毒」となっていた。
ひょっとすると今もまだ、そうなのかもしれない・・・。
Posted at 2011/01/16 22:38:19 | |
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