この記事は、
広島市長は鹿児島のあのヘンな市長よりも頭がおかしいについて書いています。
今日の話は、「変人論」なんで、あらかじめ書いときます。小泉首相は関係ないです。
「変人」というと、
「私は、永田町の変人です!」とか言ってた人がいましたけど、
小泉首相の話じゃありません。はい。
(ってゆーか、いまだに不可解なのが、
「私は、永田町の変人です!」
「わーーーー(ファンファーレ)」
って、
何で、「私は変人です」っつっただけで、ファンファーレが出てたのか?
まったく、わからない。あのファンファーレのタイミングは・・・)
首相「核抑止力は必要」 秋葉市長発言を牽制
8月6日15時16分配信
菅直人首相は6日午前、広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)出席のため訪れた同市内のホテルで記者会見し、秋葉忠利広島市長が「核の傘」からの離脱を求めたことに対して北朝鮮の核開発を念頭に、「国際社会では核抑止力は必要だ」と述べた。
[フォト]北朝鮮が発射したミサイルの映像 ICBM完成まであと3年?
就任後初めて参列した菅首相は式典で「具体的な核軍縮・不拡散の措置を積極的に提案し、国際社会の合意形成に貢献していく決意がある」と述べた。
しかし会見では北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議について「哨戒艦事件に北朝鮮が関与したことが明らかになっており、何事もなかったように再開するのはなかなか難しい状況だ」と指摘。
その上で、「国際社会では大規模な軍事力が存在し、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散もある。不確実な要素が存在する中では核抑止力は引き続き必要と考えている」と強調した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100806-00000122-san-pol
私のブログでは、基本的に、「戦い」の話を古代の価値観と戦闘意識に拠っている。
だが、実のところ、コレには、忸怩たる思いがある。
それこそ、「哲学として、現代的でない」という非難が全くもって当てはまるものである。
それと、
↓秋葉市長のコレは、様々なところで非難されており、みんカラでも、非難されている。
「核廃絶へ絶好機」 広島市が平和宣言の骨子を発表
”広島市の秋葉忠利市長は2日、「原爆の日」の6日に平和記念式典で読み上げる「平和宣言」の骨子を発表した。原爆犠牲者に哀悼の意を表するとともに、今年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成果などに言及。「核兵器廃絶の絶好の機会」が訪れているとしており、日本政府に対し、非核三原則の法制化や「核の傘からの離脱」を求める。”
勿論、私も、「思想という立場的」には非難するのだが、
実のところ、「添削」を加えた上でなら、一定の「評価」は出来るのだ。
「支持」ではなく、「評価」。
上から目線での。
それだけ、秋葉市長の「構想」は、
「人民を不用意に虐殺の脅威に晒す」という幼稚性を持っている。
しかし、
「頭がおかしい」という者でなければ、「日本の地位向上」と「未来の開拓」はできないとも思う。
要は、如何に、
「物理的・理科的・科学的・筋道的には狂っていない。
しかし・・・考えていることはキチガイだ」
そうなれるか、ということではなかろうか。
秋葉市長の「構想」は、
アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮etc
これらの核保有国の、国そのものを、すべてぶっ壊してしまう、
これらの国々を、すべて日本の支配下としてしまえ、
というぶっ飛んだ構想とセットになっているなら・・・正しい。
日本・日本人が、世界統一してしまうというなら、その後は、核の脅威・敵の脅威は消えているわけだから、それは正しいであろう。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
日本に、こうしたイカレ方をした首長は、今のところ、いない。
「日本による世界統一」→「核の無い世界の形成」というなら、
物理的には、
なーんにもおかしいところはない。
論理的には、なーんにもおかしいところはないのだ。
「被爆国であり、生命の尊さと正義と礼節を知るわが国が、世界統一するでしょう。
しかる後に、核のない平和な世界がやってきます。
ついては、
中期計画として・・・、短期達成目標として来年には・・・、
また、その発信地としての広島として・・・」
↑
こんなことを言い出す市長は、相当いかれている。
しかし、物理的には、
なーんにもおかしいところはない。
論理的には、なーんにもおかしいところはないのだ。
ただ、
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こんなことを言おうもんなら、
その考え方自体が、破廉恥だと、非難されることだろう。
私も、そんな考えを聞いたら、
「その考え方自体が、破廉恥だ」と内心では感じてしまうに違いない。
しかし、それこそが、
そのある種の羞恥心こそが、
私にとって、もっとも恥ずべきことである。
「そのある種の羞恥心」が、心の中心部に鎮座している限り、
以下の魂の声は、単なる寝言の類へと成り下がることになる。
「今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。
「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象徴となり、さらにいつの日にか「悟りを開いた私」が「数の世界の象徴」となり、そして結果的には、「私」と「数の神」との混同が生ずることを望んでいる。
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい」
そう・・・私は、
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こういうイカレ方をした人を笑う立場にはない。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こんな人が、わが国の中にいたら、その人に大いに共感しなければならないのである。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
この考えそれ自体に、何ら非難すべきところはない。
ただ、検討すべきは、
「プランはあるか」
「筋道はきちんと立っているか」
「実現への具体的なプロセスに矛盾はないか」
という物理的な要素のみであろう。
しかし・・・どうだ?
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こんなこという人・・・長らく会ったことがない。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
少なくとも、
菅首相は違うし、
秋葉市長はもっと違う。
まあ・・・はっきりいえば、もっと強大なる外国権力の僕なのだろう。
私の、いままでの人生に思いを転じたとき、
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こう言った人はいたか???
特に、私は、違うな。
絶対に。
こういうこと言うのを、凄く恥じる人だった。
しかし・・・その「恥」がある限り、「夢」は達成されないだろう。
その「恥」を、「リミッター」というのか?
それは、違う。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
私は、日本に育って、こういうセリフを、ついぞ、聞いた覚えがない。
だが、聞いたことがないはずなのに、どうしてこういう単語を知ってるのだろう?
たぶん・・・「悪の大王」とかのセリフとして、
幼少期に、「禁止事項」として洗脳教育が為されていたからではないのか???
だが、考えてみろ。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
この考えは、即ち、「悪」か?
≒「悪」の関係には陥りやすい。
しかし、
=「悪」ではないはずだ。
「今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。
「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象徴となり、さらにいつの日にか「悟りを開いた私」が「数の世界の象徴」となり、そして結果的には、「私」と「数の神」との混同が生ずることを望んでいる。
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい」
そう・・・私は、
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こういうイカレ方をした人を笑う立場にはない。
「世界統一してくれるぅー!」
「世界征服するのだー!」
こんな人が、わが国の中にいたら、その人に大いに共感しなければならないのである。