この記事は、
いつまで謝罪するの?について書いています。
「管談話」を聞いて、思うこと・・・、
「暴力とは・・・実に強いものだ・・・」。
教科書の価値観をベースとしている方々には、理解できるかどうか、わからない話。
どこから、話しましょうか・・・、
まず、「韓半島は大日本帝國の植民地」ですか?
なら、イギリスの北アイルランドは、もろに「イングランドの植民地」ですね。
イギリスにとっての植民地といったら、インドですね。
つまり、
「韓半島は大日本帝國そのもの」であって、「植民地」ではありません!
ただ、
もう、今、私は、そういう話がしたいんじゃありません。
このへんの「村山談話路線」に対する「非難」は、言論的には、「やり尽くされている」感があるんです。
それでもなお、「村山談話を踏襲する形での管談話」という、「国家権力による声明」が出されるというのは、
もはや、
「軍事大国による、ちからワザ」
いってみれば「物量作戦」である。
つまり・・・韓半島分断の背後にいる、
ロシア、中華人民共和国、
そして、アメリカ。
事実、韓半島は、こうした軍事大国の分断下にある。
それを、正当化し、日本のせいにすることで、今なおある軍事大国どもは、理論的にも安泰となる。
そもそもどうか?
「植民地支配」といえば、何を連想する?
「日本による朝鮮半島植民地化」?
「日本による台湾の植民地化」?
↑コレが真っ先に頭に出る人は、いまなお健在の軍事大国に完全洗脳されているといえる。
「植民地支配」といえば、何を連想する?
「欧米列強による植民地化」
「欧米列強によるアフリカの植民地化」
「奴隷貿易」
「欧米列強によるアジア侵略」
↑コレだろう!
コレが事実だろう!
近代化した日本は、これらに対抗してゆくというのが、近代日本の基本的立場であった。
しかし、いま、日本人の脳内はどうか?
「植民地支配」「植民地化」
「それは、日本がはじめたことである」
かのように刷り込まれている!
本来、それらと戦い、玉砕を繰り返してきた我らが日本が、
何ゆえか、
「植民地支配の主犯格」といわれている。
しかも、国家権力がこう言っている。
軍事大国どもの傀儡と化した、日本の国家権力が、こういっている。
本来、植民地支配と戦い、玉砕を繰り返してきた我らが日本が、
何ゆえか、
「植民地支配の主犯格」といわれている。
それは何ゆえか?
それは、
近代の欧米列強、
そして、いまなお続く、中華人民共和国、ロシア、アメリカによる侵略。
これらから目をそらさせること、
いまなお続く軍事大国が、これからも侵略を継続することを安泰化するための手段である!
それは、日本の国家権力を使い、今現在の侵略行為から世論を切り離すことを意味し・・・、
つまり「管談話」は、
「軍事大国の意図によって作り出された、軍事作戦の一部」
つまり、
管談話そのものが、
中華人民共和国、ロシア、
アメリカ、
その他軍事大国の侵略を進めるための軍事作戦そのものである。
本来、植民地支配と戦い、玉砕を繰り返してきた我らが日本が、
何ゆえか、
「植民地支配の主犯格」といわれている。
それは、「いま、侵略を行っている軍事大国群の意図による」
ただ、
ここまでは、
色々な人が言っている、事実に関する話。
私の、
今の心境は、
ここから、述べたい。
ここからが、私が、言いたいこと。
何より、湧き上がっている感情が・・・、
「暴力とは、こんなにも強いものか」。
本来、植民地支配と戦い、玉砕を繰り返してきた我らが日本が、
何ゆえか、
「植民地支配の主犯格」といわれている。
それは、「いま、侵略を行っている軍事大国群の意図による」
こうした問題は、
暴力の発生源たる、
現存の軍事大国を全て崩壊させねば、解決しない。
だから、
現存の軍事大国を全てツブすこと、
そのための手段を、
私も、考えているけれども、
いま、湧き上がっている感情が・・・、
「暴力とは、こんなにも強いものか」。
そうでしょう?
暴力の発生源である軍事大国の力が、「反戦平和団体」にも及んでいるんですよ?
日本では、
「反戦平和団体の価値観」が、
「暴力の発生源である軍事大国の論理」に依拠して、
「暴力の発生源である軍事大国を安泰化させる活動」に従事しているんですから・・・。
そして、
「日本政府という国家権力の歴史認識」も、
「反戦平和団体の価値観」とほぼ同じで、
それは、
「暴力の発生源である軍事大国の論理」に依拠して、
「暴力の発生源である軍事大国を安泰化させる活動」に従事している・・・。
現存の軍事大国を全て崩壊させること、そのための手段を、私は、模索しているけれども、
その思考過程で、暴力について、四六時中考えていたことがあるけれども・・・
その中で「村山談話」が出てきていて。
つまり私の脳にとって、
「村山談話」は、上記のように、
「現存の軍事大国が、暴力を正当化するための道具」
ということなので、
「管談話」も、これに同じ。
それで今・・・つくづく、本当に湧き上がっている感情が・・・、
「暴力とは、これほどまでに、強いものか・・・」
「暴力」・・・それは、
「走りの魂」という「正当性の構築」ばかりを考えている私の人生観に、大きく立ちはだかる障壁なのだけれども、
コレが、あまりに、強大で、考えれば考えるほど、私の脳内を絶望させる、極めて厄介なものである・・・。
今・・・つくづく、本当に湧き上がっている感情が・・・、
「暴力とは、これほどまでに、強いものか・・・」
Posted at 2010/08/10 23:43:20 | |
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