
この記事は、
武田邦彦(中部大学教授)のHPよりについて書いています。
「俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
⇒「俺の車が陸運局の言うとおりに整備して、検査を受けて、その状態で、交通警察に整備不良で捕まったら、それは陸運局の責任である」
「設計が悪ければ保安院の責任。
施工が悪ければ建設会社の責任。
運転が悪ければ東電の責任」
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「じゃあ、俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
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こういう突っ込みがあり得る(実際に目にした)。
ひとつ、このブログ(2010年11月2日)に出てきたことで、物凄く関係することが・・・ある。
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https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/20245240/
夢をみた。
私は、「整備不良」で捕まった。
夢をみた。
渋滞した合流車線から、やはり渋滞した本線へと合流しようとするとき、
交通機動隊に制止された。
専門の検査官が、マフラーを詳しくチェックする。
結果、私が装着しているマフラーが、不適合状態なものだという。
「必要なパーツが足りてない」
とのことだった。しかし、その指摘は、理不尽だ。
「いや!ちょっと待った。車検適合品であるとの証書ならここにある!」
私は書類を提示し、抗議した。
「でも確かに、現況としては部品が足りていない」
「しかしこの状態で、車検もパスしているんですよ?」
「しかし現況として、これは整備不良に該当するんです!」
こういったやりとりが続き、キップ(青)に署名するよう要求されるが、
そこで署名してしまっては、「整備不良」の警察官現認を認めることとなるため、それを拒否した。
「では、異議があるなら、署の方に来てください。署名する気になったら、それに署名して、ここに送るように」
として、キップと、そこに、指定場所の紙を受け取った。
指定場所(警察署???)にワープする???
取締官の上司???も、やはり、ハンで押したように言ってきた。
整備不良に関しては、警察官現認の時点での、つまり「結果」に対しての取り締まりだ、と。故意であるか、過失であるか、は関係ないのだ、と。
そこで私は抗議した。
「私は、このマフラーを、車検適合品との表記(車検適合品である旨の認定書類)を信じて購入して、これを取りつけたんです。
私の目から見て、車検適合品とのこと、車検適合品である旨の認定書類がある、
それがあって販売されていたら、それを信じるしかないじゃないですか!」
それでもやはり、ハンで押したように言ってきた。
整備不良に関しては、警察官現認の時点での、つまり「結果」に対しての取り締まりだ、と。故意であるか、過失であるか、は関係ないのだ、
と。
だが、どうしても納得するわけにはいかなかった。
「たしかに、現況として、(交機の)警察官現認(検査)で車両法不適合かもしれませんよ?でも、私には、それを確かめるチャンスがないんですよ。
マフラーが販売されている、
そこには、車検適合品との表記がある、認定書類が付いている、って、
そうしたら誰だって、信じるしかないじゃないですか。
その品物が、車両法違反の現況になっている、
必要なパーツが欠品しているってのを見抜けるのは、それこそ、マフラーの構造を熟知した人・・・つまり、取り締まりに当たっていた、交機が手配したさっきの検査官の人くらいじゃないですか?」
「しかしその状態は、車検不適合だ。今日現在の現況として、あなたは、車検不適合の不正改造車を乗り回しているのだ。結果として、自分がそれをしていることは、理解できるだろう?」
「でも、あのマフラーで車検場も行って、車検も、パスしているんですよ?車検場の検査官も、マフラーのパーツが欠品しているなんて、そんな指摘はしませんでしたよ?」
「車検場の検査官が指摘しなかったことと、警察官の現認との間には、何の関係もない。警察官の現認は、そこに、車両法違反の不正改造車があり、あなたがそれを運転している、という事実を現認する、それ以外のものではない。車検場の検査官が指摘しなかったことと、警察官の現認との間には、何の関係もない」
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「車検場の検査官が指摘しなかったことと、警察官の現認との間には、何の関係もない」
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これではダメなのだ(これは私の睡眠中の夢の話なので、現実ではないのだが)。
「俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
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それはどうだか。
ただ、車検を通ったそのままの姿で(後になって電球が切れた、とかいうのは除く)「整備不良として摘発される」というのでは、筋は通らない。
「俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
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それはどうだか。
だが、
俺の車が陸運局の言うとおりに整備して、検査を受けて、その状態で、交通警察に整備不良で捕まったら、それは陸運局の責任である。
そして、
「設計が悪ければ保安院の責任。
施工が悪ければ建設会社の責任。
運転が悪ければ東電の責任」
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「俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
ということについては、
「陸運局の車検と、保安院の検査とが、似たような状況か?」という話にもなる。
それについては、武田教授は凄いことを言っている。
(今日のトラバ元の人が紹介する、『たかじんのそこまで言って委員会』発言された逸話です。
https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21832923/
でトラバさせてもらいました人、
https://minkara.carview.co.jp/userid/567026/blog/21830527/
が動画アップしてましたが、既にその動画は削除されてます。
http://etc8.blog83.fc2.com/?tag=%C9%F0%C5%C4%CB%AE%C9%A7
からテキストを引用させていただきました)
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「私(武田教授)が「ウラン濃縮研究所所長」だった時に、配管を改造して国に申請して認めてくれた半年後、一つだけ間違いがあったのに気がついた。
それは万が一の事故の時にウランが海に流れ出る配管があることが発覚した。
それで連絡して「この配管があると万が一の時に海に流れて迷惑かけるから、これを撤去したい」と言ったら、なんと言ったか。
「認可したものだから取れません」
それで「私のミスだから、私が謝りますから取らせてください」と言ったら、
「いや、国が認めたことだから正しいんだ」と・・・。
それで結局、間に立った人に、こっそり聞いたら、
「あなたが自分でやりなさい」ということだとのこと。
法を犯して勝手に改造しなさい、ということで、「役所はしらないよ」と、
もし事故が起こらなければ「あれは所長が勝手にやったからクビを切れ」というんでしょう。
また万が一事故が起これば、「運転がいかん」となる。
こういう体質なんですよ。これは現実におこった話なんです。
役人はウランが海に流れ出るなんてことには、まったく関心が無い。
国民の健康を守ろうとは全然思ってないんです。
ようするに、自分の責任を問われないために、そんなの改造されちゃこまる。
もし僕が申請書を出すと、国の審査が間違っているということになるから、改造を認めると設計ミスに気付かなかった役人たちの責任になってしまう。
自分たちの責任と国民の安全を比較すると、自分達の身を守るほうが大切だという実例です」と。
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これでは
「俺の車が壊れたら、車検を通した陸運局の責任なのか?」
という指摘は妥当しない。
「国の審査が間違っているということになるから、改造を認めると設計ミスに気付かなかった役人たちの責任になってしまう」
⇒「万が一の事故の時にウランが海に流れ出る配管」←審査に合格しているので、これの存在は正しい。
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この状況では、もはや、審査する者=設計に関する責任を持つ者となっている状態である。
よって、
「俺の車が陸運局の言うとおりに整備して、検査を受けて、その状態で、交通警察に整備不良で捕まったら、それは陸運局の責任である」というのと同様に、
「国(保安院)の言う通りに設計して、審査を受けて、その状態で、ウランが海に流れてしまったら、それは保安院の責任である」という論理が成り立つ。
つまり、
武田教授の、
「設計が悪ければ保安院の責任」という論理は、
もはや、事業者に「設計の自由・善処」の能力が与えられていない、という状態から来ているのだ。