
この記事は、
お願いします。について書いています。
前回の記事で、「原子力災害非常事態宣言」が出ていたことを指摘しました。
3.11 18:00くらい(もっと前でしたっけ?)
そう・・・自分・・・情けないながら、改めて告白します。後世のために。
「原子力災害非常事態宣言」が出ていたこと、これ、「頭の隅」にしかありませんでした。
「頭の真ん中」にはありませんでした。
すなわち「非常事態宣言」が出ていたんですね。
「非常事態宣言」といえば、わかりやすいですね。
独裁国家とか、軍事政権とかで出っ放しになってるやつ(笑←不謹慎ながら)ですね。
はい。私は、「平和ボケ」ですね。「有事の法律学」がテンでわかってないんですね。まあ・・・大学とかでも教えないでしょうからね。当然ですけど。
(↓正直、弁護士や法学者の先生方には、論文や記事、山ほど出していって欲しいテーマですが、)
この、「非常事態宣言」が、「財産法に及ぼす効果」として、
休業補償(機会費用の補償)のような法益(経済的法益)が失われているということは、
「避難したせいで、商談がダメになったじゃないか!」
「留守にしたせいで、水槽の熱帯魚が死んじまった!」
などなど・・・・、「↑これらの法益は失われている。それが非常事態宣言が出るということだ」と、前回の記事で指摘しました。
そのとき、
首相:「原子力災害非常事態宣言」
官房長官の会見:「大丈夫です。安全です。万が一の話ですので」
ということになってたのですが、
勿論、両方とも、政府発表なので、「政府発表としての重み」があります。
(危険認識において、「正反対の内容」となっているのが最大の問題なのですが)
しかし、「法的効果」を持つのがどちらか?
といえば、
首相の「原子力災害非常事態宣言」の方。
「原子力災害非常事態宣言」という「法的効果を持つもの」が発表されていて、これこそが現実。
(実際はあやしくなったにせよ、形の上ではまだ、日本は法治国家。)法定手続きに基づいて出された宣言の方に、「効力」があるのだ。
「原子力災害非常事態宣言」 が発令されていて、それが確たる事実。法に基づいた首相の宣言。
「大丈夫です。安全です。万が一の話ですので」
などと、正反対の、 余計な戯れ言 が垂れ流されていたのだ!!
今(5月)になってやっとわかった。情けない。
これ・・・官邸で六法全書をみていた秘書官たち、最初からわかってたんだろうか?
(がぁーーー!!!! にしてもその時気づかけなかったのが悔しいなーーーーーー!!!!!
一生に何度もお目にはかかれない、
「究極の法学の問題」に、そのとき解答出来なかったみたいでーーーーーー!!!!)
少なくとも私は、「非常時の法に関する思考」が、できてなかったので、
いわゆる、「「安全厨」と呼ばれるようになる連中」の唱える「空論」をバッサリと阻却する「具体的根拠」を「ただちに見抜くこと」ができなかった。
「空論性」には気づいていたのだが、できなかった。
何となくは気づいていたのだが。
(↑地震で、東京以北、滅茶苦茶になってるってのに、今さら、仕事が・商談が・・・とか言ってるのもおかしいだろ。いま、ココだって、本が床に散乱してて、ウチも歪んじまったし、もう既に「こんなありさま」なのに、その状況に対して、「避難しろ!」って叫ぶことに対して、何で非難する奴らがこんなにいるわけ?と)
(また、 山さんたちが何か「罪を犯している」 という思いに駆られていることに対しては、「構成要件が見当たらない」と思って書いているものの、
まさか、 「「原子力災害非常事態宣言」に忠実な言論を発表していた」 とまでは思わなかった!
単に官房長官の会見、首相の会見の類が、「原子力災害非常事態宣言」に反する内容を大量に羅列していただけだったのだ!)
ここで、トラバ元の人の記事に寄せられたコメントに触れないわけにはいきません。このコメントの指摘が、「物凄い価値」を帯びているのです。
↓
↓
↓
「肯定否定。どっちもエキサイトしているけどさ。
肯定側(主(←山さん)含む)は、自分の主張が当たったとか、危険が高いと言うのもいいけど、それが風評や余計な混乱を新たに生み出す可能性のあることはきちんと自覚してほしい。
「とにかく逃げろ」とか言っている人もいるけど、実際私の住んでいる地域では、漏れると非常に汚染度の高い物質を扱っている工場がいくつかある。
そこの保安要員すら、その「逃げてしまう」ことで確保が難しくなっている。
確かに最悪の事態になれば、どんな化学物質が漏れようが放射能よりはるかにましだから関係ないかもしれないが、今命をかけて最悪の事態を防ごうとしている人たちの努力が報われた時、その危険を過剰(?)に煽ったがために、その土地が今度は化学物質や火災によって壊滅している可能性は考えてほしい。実際、本人は逃げたくても、周辺住民を自分が逃げたことで危険にさらせないからと残っている人もたくさんいる。
そういう人が欲しいのは、もはや伏字とか「あいつ」とか「それはかけません」「そう考えると・・・」みたいな発言ではなく、「私の考えでは」とか「あくまで想定ですが」と未確定であることを前提でもよいから、そういうあいまいな表現ではなく、何がどうなるからどうだという「明確な」内容の話。
「未確定だから」と言われて書かれる具体的内容の方が、「あいつ」みたいなあいまいな表現(どうとでもどれる)よりはるかにまし。
実際に今も、半径30キロから離れているが、不安を抱えている人はたくさんいる。
そして、逃げ出したくても逃げるわけにいかない人もたくさんいる。
実際に私の周囲に住んでいる人も
「会社の保安を守らないと、周辺住民の安全が確保できない」
「夫が電力会社に勤めているから、私たちが逃げたら周囲の不安をあおる」
等の理由で、逃げていない人だっている。
肯定する人も、否定する人も、そういう現地の人が欲しいのは何か。
それは「あいまいな情報ではなく、とらえ方で内容が変わらない明確な情報」
です。
情報の取捨選択は本人の責任でしょう。
しかし、情報を「どう解釈するか」のあいまいさまで責任を取れないのが事実です。
現地の人もここを見てていることを考えてくれるとありがたいです」
↑
↑
↑
このコメントは、いわゆる「安全厨」ではありません。
まあ・・・一言でいえば、「日本の無政府状態」「無責任状態」のあらわれとも言える悲しい実態ともいえるのですが・・・、
悲しいながらも、このコメ、凄い価値があります。
「「とにかく逃げろ」とか言っている人もいるけど、実際私の住んでいる地域では、漏れると非常に汚染度の高い物質を扱っている工場がいくつかある。
そこの保安要員すら、その「逃げてしまう」ことで確保が難しくなっている。
確かに最悪の事態になれば、どんな化学物質が漏れようが放射能よりはるかにましだから関係ないかもしれないが、今命をかけて最悪の事態を防ごうとしている人たちの努力が報われた時、その危険を過剰(?)に煽ったがために、その土地が今度は化学物質や火災によって壊滅している可能性は考えてほしい。実際、本人は逃げたくても、周辺住民を自分が逃げたことで危険にさらせないからと残っている人もたくさんいる」
↑
あの・・・書いておられる方も、書きながら何となくわかったと思うんですけど、
「この工場」、「原発と同じ」です。まったく。同じ。
それこそ、武田邦彦教授が、大学教授になる前、所長をやっていた「ウラン濃縮研究所」とかと、全く同じ。
それこそ、武田教授の言い方を借りるんなら、
( https://minkara.carview.co.jp/userid/607203/blog/21832923/ で紹介した、)
「「万機公論に決すべし」という立場に立てる人じゃないとだめ。
サラリーマンじゃダメ。軍隊の教育受けた貴族(の精神の人)でないとダメ」
という話。
「そういう工場」は、「原発と同じ」です。
厳しい言い方だと、その方たちは、
「保安を守らないと、周辺住民の安全が確保できない」
=「自分たちが玉砕してでも、地域住民の安全を守る」
という、「企業の社会的責任」を負っておられます。
「肯定する人も、否定する人も、そういう現地の人が欲しいのは何か。
それは「あいまいな情報ではなく、とらえ方で内容が変わらない明確な情報」
です。情報の取捨選択は本人の責任でしょう」
↑
↑
最もであるように思えるのですが、全く違います(くれぐれも勘違いしないで欲しいのは、このコメントには、私はむしろ好意を持っています)。
要するに、「保安を守らないと、周辺住民の安全が確保できない」という人は、
避難勧告が出ても避難してはいけない。
退避令が出ても避難してはいけないんです。
文字通り、「一所懸命」なんです。その方たちの犠牲に、「企業の社会的責任」が掛かっているのです。
そう・・・3.11以降、福島第一の件も含めて、
「私の住んでいる地域では、漏れると非常に汚染度の高い物質を扱っている工場がいくつかある」
という人たちには、一つの「課題」が浮き彫りになりました。
「その工場」は「究極の企業の社会的責任」を果たすことは出来るのか?
職員全滅してでも、周辺に対する汚染を喰いとめなければならない。
また、それでも止められない場合がありうる。
「そういう場合」に備えて、周辺住民を避難させる用意をしておかねばならない。
なので、
槍が降ろうが、被曝しようが、逃げてはいけない、のです。
また、「夫が電力会社に勤めているから、私たちが逃げたら周囲の不安をあおる」
等の理由で、逃げていない人だっている。
↑
これはよくない!!
これはよくない!!
でも・・・「それ」は、
「住民を避難させる手段をつくっておかなかった」という、
「電力会社が犯した企業の社会的責任違反」を、最も残酷な方法で贖っておられる、
のです。
でもこれは「役員の家族」だけで充分ですよ。現場で、被曝しながら原発を止めようとする現場職員の家族に「残酷な贖罪もさせる」というのはあんまりです。
「そういう現地の人が欲しいのは何か。
それは「あいまいな情報ではなく、とらえ方で内容が変わらない明確な情報」
です」
↑
いいえ。
残念ながら違います。
被曝死するまでその工場の保安をし続けることが、その工場を守ることであり、社会的責任です。
もっといえば、それが、「危険物を扱う」ということなのです。
こう考えると、「企業の社会的責任論」って恐ろしいな。
「戦陣訓」そのものか、それ以上だな。
でも、それが「危険物を扱う」ということです。
しかし、ここ、「みんカラ」では、私は、「脱出路」を残しておく。
そう。「ヨウ素剤とオートバイ!」。
確かに、死ぬ覚悟で守らねばならない。
だが、本当に汚染が来た!!場合、
そのときこそ、
こういう人にこそ、
「ヨウ素剤とオートバイ!」。
(本当に高濃度の汚染が来て、その土地を防衛することがほぼ無意味になることが確定したとき、逃げる。当然、被曝はするが、逃げ延びて生きることができる)