2012年03月04日 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』のつづきです。
「原発とて(住民がのぞまぬなら)もうダメだ。
その覚悟は我々もしようではないか。
電力に頼り切った近代合理主義を、そろそろ脱するときがきた」
2012年03月04日 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』
に寄せられたコメント(ちょこばさん):
「いやー馬鹿ウケしました^^爆笑でした。
心の狭さでは定評がありますので、牛のように大事に育てて、ドナドナのように研究施設へ手を振って見送ろうとしたのですが・・・虐待なんでしょうか。追い出して飢え死にするよりも、思いっきりストレスなくおなか一杯ご飯を食べてもらう方が、愛情一杯だと思うんですけど(苦笑)
そういえば鹿は御尻向けて逃げますよね、殺気を出すとよけてくれるので、
心の中で「コロす」と「鹿ステーキを思い浮かべて」強く念じるとよけてくれます。
車にマシンガンとかがセットされてないからできるんですけど^^;あの殺気を感じる能力には惚れ惚れします。
動物愛護の人達は、どうやっても動物虐待しか言わないですからね・・・そんなに愛護なら裸の人間を山に放てば愛護なのかなとかよく皮肉を思うんですけど。レイプも動物愛護的にはきっと自然なんですし、さる山だってそういう意味じゃ十分虐待に近いですよね・・・
どこまでが自然で、どこまでが愛護かって凄く難しい問題な気がします^^追い出された鹿や狸が飢え死にしたらきっと動物愛護団体が、虐待だーって叫ぶと思います」
↑
返答を兼ねまして・・・^^;
爆笑頂き、ありがとうございます^^
牛を囲って、ドナドナして、食べても「動物虐待!!」と叫ぶ「団体」は、たしかに、「少ない」。
しかし、ヒンズー教にとってみれば、それは「神のお使い様」への冒涜。
また、
ひとたび海に目を転じれば、
クジラを狩りすると、
海賊旗を揚げた船が攻撃してくる。
動物に人に近いくらいの待遇を、というなら、
「被曝は、少ないほどよい」
「核物質の摂取量は、少なければ少ないほど良い!!」
「核物質の摂取量は、少ない方が、人道的である!!」
となる。
「クマやイノシシ(シカも、タヌキも)、被曝しますよね、これじゃぁ・・・(><)
なんかもう目も当てられませんね・・・(ふにゃこさん)」
⇒救済すべきだ!!
⇒ 第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』
これが最も人道的・動物愛護的だ、となる(前の記事)。
でも、
第2次・『平成タヌキ合戦ポンポコ』をやると、
その行為に対して、「自称・動物愛護団体」が「虐待だ―――ッ」って叫びまくるであろう。
では、
そのままにしておこうか。
⇒「クマやイノシシ(シカも、タヌキも)、被曝しますよね、これじゃぁ・・・(><)
なんかもう目も当てられませんね・・・」
↑
動物を被曝させまくっている。虐待だ!!^^;
被曝は、少ない方がイイ。
あるいは、
「野生動物には、牛さんと同じく生体濃縮のおいしい材料になって頂きます。」
↑
動物虐待だッ!!
核物質の摂取量は、少ない方が、人道的である!!
どこまでが自然で、どこまでが愛護かって、ホントに、凄く難しい問題な気がします^^;
きっと解決策は、
人間が文明生活を放棄し、
素っ裸で森の中で暮らすことなのでしょう。
↑
大袈裟にいえば、
原発事故以降の日本人の思考は、
コレもんになってます(苦笑)
「
原発とて(住民がのぞまぬなら)
もうダメだ。
その覚悟は我々もしようではないか。
電力に頼り切った近代合理主義を、そろそろ脱するときがきた」
↑
原発がダメになると、即、電力がダメだ!!
というところまでぶっ飛ぶのです。
こういう論調の論者は、今、日本に溢れかえっています。
むしろ、小林よしのりなんて、「そのぶっ飛び方」はおとなしい方で^^;
もっと過激なのになると、
「これから迎えようとする新しい社会。
今の物質文明は滅び、淘汰された後、人間としてどう生きていけばいいのか」
とまでおっしゃっている方もおられます。
こういう論調の論者の方が、今、日本には溢れかえっています。
ちょっと・・・このブログの目線(日本の、「走り屋」)から、
改めて、皮肉を言わせてもらいます。
だったら、
文明生活を放棄して、
素っ裸で森の中で暮らしやがれ!!
↑
↑
いや、言い放ってみたものの、ヤメてほしい。
峠道とかで、絶っっっっ対に遭遇したくないから。
Posted at 2012/03/06 00:53:28 | |
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