
2011年01月10日
skill
私が所帯を持つとすると、子供たちは、とーちゃんである私ではなく、かーちゃんにオンブされたがるだろう。
なぜなら、私はなで肩だからだ。
なで肩の男は、どうしてもその後ろ姿にひ弱さが表れるという。
しかし、それでも私は、自分の後ろ姿がカッコいいと思われたい、と願った。
肩と、その線から印象付けられる後ろ姿がひ弱さを表してしまうというならば・・・、
それは腕を鍛えるしかないだろう。
肩形状は骨格の根本的な設計からくるのだから変更不可能である。
だったら腕っぷしを鍛える他なかろう。
特に、「腕前」を鍛える他なかろう・・・。
↑
なんかワケわかりません^^;
2012年01月03日
蕎麦を食べ終わったので、ちょっとしたカルチャーショックを・・・(笑)
「恩着せがましく、よく言われた笑
度重なる核戦争から、お前たちを護りぬいてやったのは誰だと思ってるッ!?
ってね笑」
「あの人もそれ言うんですか!?」
「親父の 信者 になってココに入ってきたアンタには、意外な話だろ」
「ええ。あの世代には珍しく、たいていニコニコしてるタイプの人だから」
「ニヤニヤ だろ?」
「ですかね?」
「ん。ニヤニヤしないときゃ、人殺すことでも考えてんだろ」
「そんな~~。
でも、あのくらいの世代の日本の人って、でもやっぱりスゴイですよ」
「私は、30歳までに1000年分の人生経験をした!真理を悟った!!
とか、ヘ―ンなこと言うだろ笑 しかもそう言うヤツがこれまた多いし笑」
「あー、それ言えてますね笑
なんてーか、先代くらいの世代、いや、もう少し上くらいかな? そのくらいの人たちには、
度重なる核戦争から、確かに、子どもたちを護りぬいたぞ!! っていう強烈な自信があるんですよね」
「それはある。だから、少しひとをバカ扱いする傾向がある」
↑
・・・ちと、ワケわからん・・・以前の雑文記事を引用して、お茶を濁そうとしてますが・・・^^;
ま、要するに、「この人」、
子どもの手を引っ張ったら、
「俺の背中をみておけ」
くらいにしか思ってないんですよね。
子どもの目線がわかってないし、わかろうとする気もない^^;
・・・いやはや・・・ちょこばセンセに、核心部分をグサっと突き刺された。
この記事は、【疎開なんてまっぴらごめん】多分いろんなガキがいる件【自分が福島住まいだったら】について書いています。
そう・・・。
前回の私のエントリーは、完全に、「「子ども」の視点」ではない。
それどころかハッキリ言っちゃってるじゃん。
国辱だ!!
と。
私が、疎開必要性を主張し続けることの根底部は、
絶対に、「「子ども」の視点」ではありえない。
それは、日本人の尊厳を護れ!!とか、そういうものでしかない。
ハッキリ言ってしまえば、「大人が、親としての尊厳を守りたいから」。
■私が子供時代だったらこう言うかと
「集団疎開・・・ストレスで死んじゃう!!><;」
大体元々活発でもなく、のんびりした人間だったもので
線量の低い大地で集団生活、軍隊生活…
福島で死んだ方がましじゃない?
そう思う子供はいないんでしょうか^^;
↑
いる と思う。
取り敢えず、
石川迪夫先生は、「そう思う子ども」だったようです^^;
ちょこば先生、あなたと同じ? ^^;
http://www.youtube.com/watch?v=G78Tg6VgtkQ
12:00~
「ワタクシは、子どものときに、集団疎開をいたしました。
・・・
させられました。
恥ずかしい話ですけれども、終戦の日に、ワタクシは心の中で、これで家へ帰れると思って喜びました。
日本少年としては非常に恥ずかしいので、これ、生まれてはじめて公表するワケでございますが、
これほど、
親から離れての集団の避難というのは辛かったわけで・・・、
ございます」
ふと、guchiPAPAさんからのコメントへの返答を思い出す。
「(大東亜戦争末期、)
玉砕の、
特攻の、
何だかんだ言っても、「学童疎開」させてたんですけどね(苦笑)。
でも、ひょっとすると、「その当事者(当時、小学生)」の世代には、
「疎開なんて、あんなひもじい思いを!!
あんなことになるなら、死んだり、病気になったり、後年、差別されたりした方がマシだ!!」
というアレルギー?な考えもひょっとしたら、あったりして???
それとも、当時も、あったんだろうか?
「疎開はさせずに、潔く、焼け死に、玉砕した方が、少国民として、あるべき姿だ!!」 という考え方とか???」
「その当事者(当時、小学生)」の世代には、
「疎開なんて、あんなひもじい思いを!!
あんなことになるなら、死んだり、病気になったり、後年、差別されたりした方がマシだ!!」
というアレルギー?な考えもひょっとしたら、あったりして???
↑
石川迪夫先生は・・・それっぽい。
(大東亜戦争末期、)
玉砕の特攻の、何だかんだ言っても、
史実としては、「学童疎開」が閣議決定され、実行されました。
たしかに、学童の生存率は上がったと思います。
でも、
当の本人(当時の子供のうちのお一人)は、
「ワタクシは、子どものときに、集団疎開をいたしました。
・・・
させられました。
恥ずかしい話ですけれども、終戦の日に、ワタクシは心の中で、これで家へ帰れると思って喜びました。
日本少年としては非常に恥ずかしいので、これ、生まれてはじめて公表するワケでございますが、
これほど、
親から離れての集団の避難というのは辛かったわけで・・・、
ございます」
と言っておられます。
「
鬼畜米の爆撃から、親たちが護ってくれた
(だから、いずれ、鬼畜米をうちのめさなければならん!!)」
とは思えないのであります。実際問題。
故に、
石川センセにしてみりゃ、
福島中通地区を対象に、「学童疎開」など、
とんでもない!!
という話になりましょう。
たぶん・・・ちょこばさんも石川センセと似たタイプ??? ^^;
■私が子供時代だったらこう言うかと
「集団疎開・・・ストレスで死んじゃう!!><;」
大体元々活発でもなく、のんびりした人間だったもので
線量の低い大地で集団生活、軍隊生活…
福島で死んだ方がましじゃない?
↑
ホント、子どもの視点からしてみれば、
こんなモンなのだ(苦笑)。
「恩着せがましく、よく言われた笑
度重なる核戦争から、お前たちを護りぬいてやったのは誰だと思ってるッ!?」
結局は、大人目線からの自己満足。
大人目線からの、「日本人としての「尊厳」」:つまるところの自己満足
そういうことだ。
まあ・・・アレな話、
仮に、「ぶっちゃけ予想」をしてみたところで、
まあ・・・、発症率が上がるかも?ってだけだろうし、
それに、
まあ、最っっっ悪な想定をしても、もうちょっと大きくなったときに、全数に、影響が出てくるとしたって、
それだけのことだろ?
チョット身体ヘンになるだけだろ?
私の同級生でも、喘息持ちはずいぶんいたけれども、せいぜい、そういうカンジの、も少ヤバいだけだろ? と。
そのことが、自我が確立されてない「こども」という存在において、
どれほどの精神的意味を持つか?
と問われれば、あんまりないと思う。
ここらへんをめぐる状況で、
ABCCだの、
ICRPだの、
IAEAが介入して来て、日本人の子供をモルモットにしてしまった怒!!
嗚呼、ヤラレタ><
そういうの、ぜ―――――んぶ、
結局は、大人目線からの自己満足。
大人目線からの、「日本人としての「尊厳」」
「大人が、親としての尊厳を守りたいから」。
:つまるところ、私の自己満足。
そういうこと。
子どもの目線からみれば、
いつも通りの生活が満足に送れるのならば、それはそれでいいのだ。
たとえ明日、
B29が飛んできて、
鬼畜米に焼き殺されようが、
ABCCだの、ICRPだの、IAEAだののモルモットにされようが、
仮に、
ホントに放射性物質の害で身体がおかしくなったとしても、
子どもの目線からみれば、
それはそれでよい、
いつも通りの生活が満足に送れるのならば、
それはそれでいい のだ。
子どもとは、
「即時的自我」な存在なのかもしれないから。
極論すれば、
大東亜戦争末期の集団疎開だって、
大人目線からの、「日本人としての「尊厳」」
「大人が、親としての尊厳を守りたいから」。
:つまるところ、大人たちの自己満足
なのだ。
鬼畜米に、
子どもをむやみに殺戮されたくないから。
極論すれば、↑これって、
「大人が、親としての尊厳を守りたいから」。
:つまるところ、大人たちの自己満足
なのだ。
子どもの目線からすれば、
鬼畜米の爆撃によって焼き殺された方が、
「幸せ」だったのだ。
きっと。
疎開して、ひもじい思いをして生き残るよりも、
鬼畜米の爆撃によって、
家が燃えるのと共に、
殺戮された方が「幸せ」なのだ。
「子ども目線」からみると。
極論すれば。
Posted at 2012/04/11 10:54:48 | |
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(多少、)妄想的検証系 | 日記