
原発事故の「リスク」に関して、
例えば、
「現実に目を向けれ!w
オマエラの皆様って自動車持ってるよな?
毎年の交通事故死亡者数を知っているのに免許持ってクルマ運転してんのかい?!w
・・・・」
という表現・考え方はよくありますワ(ば、爆笑でタイプ出来なくなる前に他のページみよう笑)。
意外なことに、
個人のリスク≠国家存亡のリスク
ということがあまり意識されてない方々が、
意外と、
いや、
本当に多いので、
このエントリーを書いときます。
この記事は、
【人間誰しも】議論が続いた場合の思考停止と感情的になる国民性
「再稼働反対の動きも
祇園の暴走事故を見て、
とにかく、車を運転しちゃいけないという
変なマインドコントロールを受けている様な物で
車が怖いと思ったとして
車を押す位なら、目的地まで安全運転をして
車が無い生活に対応して、廃車すればいい話で
その間に事故を起こす可能性が
ゼロじゃないから
車は手で押そうとか言っているのが現状で
一緒に押せば何とかなるとか、風や御日様の力で動かすよ
とか言っているのを見るとうんざりします。
廃車する気になったから、車に乗れない
今の再稼働反対論はそんな物です。
逆に再稼働したら怖さを失うようなら、
日本はそれまでの国です」について書いています。
↑
うん。
再稼働したら、怖さを失う^^; 「そういう体制」だと思ってます。
ただ・・・ちとね、
わかりやすくするために、暴言を許して下さい(汗)。
ワタシ・・・祇園の事故、ゼンッゼン触れてなかったでしょ。
何で?
気にならないから。
クルマが、どう暴走して、何人死のうが、何万人死のうが、そんなこと、気にならないから。
わかりやすくするために、暴言・カミングアウトを許して下さい(汗)。
実はですねぇ・・・ワタクシ・・・サウジドリフト動画、
しょっちゅう観る「悪癖」があるんですよ(汗)。
「そういう人」が呈する「苦言」です。
だから・・・、
「 画面を通した、現実世界 で起こっていること」
としては・・・、
言い方悪いんですけど、
私の中では、
クルマの走りで、人が凄惨な死に方をする のは
しょっちゅう・・・毎日のように・・・
日常
ですし、
まあ、もっといえば、
自分の目の前でも、
いっくらでも事故は起こって、傷害が発生し、お亡くなりになった方々はおられますし、
つい先々週も、
軽バンと自転車で衝突事故起になって、自転車の人は大怪我になったようです。
まあ・・・そういうカンジで、
本当に、
「わかりやすくするための、暴言」としては、
「そんなの、20世紀~21世紀初頭の世の中じゃ、しょっちゅうだろ。フツーのことだろ。
20世紀~21世紀初頭の世の中において、
ヒトが、事故で、大怪我したり死んだりすることは、
なにか、悪いことなのか?」と(汗)。
弘(2型)さん:
2012/04/17 00:27:39
「クルマでの事故は多くの生命を奪っています。
航空機事故も悲惨です。
船舶・・・これまた多くの人命が失われますよね。
危険危険危険、止め止め止め・・・と騒がないのが不思議です」
↑
↑
はい・・・気にならないからです。
クルマが、どう暴走して、何人死のうが、何万人死のうが、そんなこと、気にならないから。
当然の、日常の光景だからです。
「・・・
原発を動かす=ギャンブル
実はこの表現には違和感があったりします。
人間が生きるということは、それ即ち全てギャンブルだから。
普通に生きていても、津波に飲み込まれてしまう。
あるいは、ただ歩いているだけなのに、暴走したクルマに撥ねられてしまう。
原発が動いていなくたって、人間はリスクと背中合わせ」。
↑
・・・ヒトにとってのリスク と、
国家にとってのリスク との区別がついていません。
原発のリスクは、
国家にとってのリスクです。
そもそも、個人にとってのリスクとは違います。
なぜ、それを、弘(2型)先生も、
あえて無視している?
のでしょうか?
この間も、自転車とクルマとがぶつかって、
自転車乗りは重症を負っていました。
彼女は、半身不随になるかもしれません。
ウチの近くでも、死亡事故現場、たくさんありますし、
そういうところも、どちらかといえば、日常的にみてますよ。
交通事故で死ぬなんて、日常的です。
なにか?
で・・・、
交通事故で大量に死んだからといって、それで国家が分断されたりするのですか?
ここんトコ、
ちょこば先生も、わかっておられないのか、あるいは、意図的に無視しておられる。
まあ(元来の、このブログ的に書きますけど)、
例えばだ、
「私」が、新東名レースでの「決闘」の最中に…あ、いや…これはわかりやすいけど、設定として問題と矛盾がアリだな。
えっと、
例えばだ、
「私」が、アウトバーンでの「決闘」の最中に…あ、コレも連盟の掟には反するが^^;
まあいいや。
「私」が、アウトバーンでの「決闘」の最中に、大事故って死んだとする。
で、
それで、「国家が滅亡するのか?」といったら、それはないでしょ、と。
何故かここんトコ、
サーキット愛好家の弘(2型)先生も、
元バイクライダーのちょこば先生も、
おわかりでないのか・・・それはわかりかねますが・・・。
あるいはまた、
ちょっと・・・「我々」は、「自分が凄惨な事故死をすること」と、「かなり身近な精神的存在」なので・・・、
すいませんが・・・、
「わかった上で、あえて無視して誤魔化してるのだろうな・・・」と、若干、穿った見方をしてしまっているのですが・・・^^;
ちょっと・・・「先生方」^^; にも苦言を呈するようでアレなんですが、
■原発事故でのリスク と、
■交通事故でのリスクや決闘時に生ずる命のやりとり、とが同一であることは、絶対にありえないワケで。
そもそも、
リスクの主体・客体が違うし、
リスクの性質・結果も異なる。
今日も引用した「最悪シナリオ」の記事、見れば、一目瞭然なのですが・・・。
交通事故で大量に死んだ、
サウジドリフトで大量に死んだ、
それで国家が分断されたりするのですか?
ありえないでしょ? と。
ここんトコ、
非常~~に、多くの人が、
しかも、「国防論」とかまで叫んじゃってる人々まで、
まー―――――ったく直視してない。
ってか、
「その件(原発事故)が持つリスク」
の核心部から、目を逸らして、
枝葉の問題のリスクの方に目を向けている、と。
そりゃ~~、目につくのは、
・ヒトが何人死んだ、
・「生けるロボット」たちが壮絶な死に方をした、
とか・・・そういう話なのですが・・・、
でも、
それって、「現在の世界の運行」においては、枝葉の問題。
原発事故(核災害)の持つリスクとは、
「最悪シナリオ」の記事に出ているような、
「国家分断力・国家破壊力」。
皆、そこんトコ、逸らして、
死ぬことが・死亡率がどうの~~~とやっている。
実はそれ、
「原発事故(核災害)の持つリスク」の根幹部ではない。
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でも・・・(以下は、半ばお笑いか?)
「原発事故(核災害)の持つリスクを、
死ぬことが・死亡率がどうの~~~と、
日常の、交通事故とかと、同様の性質にする考え方」
は・・・あります・・・。
■稲クリアランス
「826ミリシーベルト/年までは、人体には悪い影響は何一つなかった!!」
を採用し、
■トーマスラッキー博士説のクリアランスレベル

「100ミリシーベルト/年被曝することが、健康に良い」
を設定することで、
■メルトダウンしても危険ではない となる。

→チェルノブイリの閉鎖区域も、
福一近辺の帰還困難区域も、
存在しなくなる
=原発事故のリスク、
「国家分断力・国家破壊力」。
が否定されることになるから、
死ぬことが・死亡率がどうの~~~、
交通事故、サウジドリフト~、凄惨な死に方~~~、
とか、
つまるところの「通常のリスク」と同様の性質のものとなる。
Posted at 2012/04/18 02:32:43 | |
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