この記事は、
【出航すべき】ちょこば版、洞爺丸台風の真実?【ギャンブラー】
■このブログは、実はこの4つが加わって
一つの方向性が出る様にできています。
1.ちょこば(私)の強い偏向姿勢
2.猛走峠さんサイドのポイントをついた本質性
3.弘(2型)さんの冷静な意見
4.渦様の突込み
深い意味はないのですがそうなってます…
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2012年10月23日
【洞爺丸台風】風の特異点と、時速100km、気象図の関係
の中で本音が出だしているのは分かるでしょうか?
その1
>「天気図」と呼ばれる艦長の
「裏の裏の裏をかく」この要素が
出航できない青函連絡船の船長を
「危険な賭け」に駆り出させました。
その2
>ここは猛走峠さんも指摘した点ですが、
洞爺丸を過信していたなら
実は湾内に停泊せずに、青森を目指した筈です。
そうすれば沈没しない可能性があった。
洞爺丸船長は、
洞爺丸を過信すべきでした
過信せずに、台風の通過を見込んで、
待機したのが命取りでした…
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一言でいえば
人の理(リスクマネジメント)を無視すれば、
洞爺丸はより早く出航すべきだった
について書いています。
いやはや・・・凄すぎる。
さすがはギャンブラーちょこば。
「歴史の真実」を浮き彫りにしました^^;
これは・・・「ギャンブラー」でないと、ココまでバシッとは書くことは出来ない、と思います^^;
では、↓こうしたことを踏まえて・・・
☆キーワード
・「テケミ」:天候警戒運行見合わせ
・「湛航能力」:法律用語。船が(航海などに)堪える能力。
≒復元力(この場合の、工学的かつ厳密な概念)
☆条件
・青函連絡船の湛航能力(空船状態) < 洞爺丸台風(マリー)の函館近辺での波浪
:設計想定はオーバーしていて、浸水も、故障も起こるものの、乗務員の奮闘努力により、九死に一生をえる、くらい
・青函連絡船の湛航能力(列車搭載状態) <<<<< 洞爺丸台風(マリー)の函館近辺での波浪
:絶望的で、結果も全滅
「洞爺丸(列車搭載状態&旅客満員)、
生存への道」 (←歴史の真実探究!!)
を浮き彫りにすべく、
まとめてみましょう。
パターン1:函館港内・桟橋(岸壁)でテケミ
予測される結果→係留索がぶっちぎれて、暴走事故が始まる(←ここまでは、ほぼ確実)
→結局、港外に出るハメになり、沈没した可能性大。
パターン2:函館港外・湾内(錨泊)でテケミ
史実→列車搭載船は全滅全没。洞爺丸もこれに含まれた。必ず沈没。
パターン3:青森行きを強行
停電がなく可動橋が上がっていたら無事に青森に到着していたであろうといわれている
(ウィキの記述にもある)
なんとまあ!
パターン3:青森行きを強行 とかって、
アブナイ橋を渡ることだけが、
もっとも高い生存可能性のある道だった!! ということ。
これ↑を、ギャンブラーちょこば(笑)の言葉で表現すると、
「洞爺丸船長は、
洞爺丸を過信すべきでした」とかいうふうになります(苦笑)。
平たい言葉で言うなら、
函館は「地獄の海」となったので、
港の外にいようが、中にいようが、
生存可能性が著しく低くなった
特に、列車を搭載した(洞爺丸はこれ)船の生存可能性は、絶望的に近くなった、
故に、
台風のピークが来ない夕方のうちに、
青森行きを強行すべきだった ということです。
以下では、
■歴史の真実は、
何故出航したかではなく
何故出航し無かったかを、
海難審判で問うべきであった。
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■何故出航しなかったか??
何故出航できなかったのか?(停電)
何故青函船は小さいのか?(喫水が浅く超大型フェリーには不利)
本質はそこでした。
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■結局気象技術の未熟や周囲の段取りの悪さ
それらを無視する為に、
船長に全責任を押し付ける為に
「何故出航したか」に話をすり替えた
その事の証明?には、
函館にいる限り沈んだんじゃないの?
猛走峠さん…テケミだと多分沈んだ。
弘(2型)さん…鉄道積んでたんだから、無理ゲー?では
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■そう、ギャンブルの残酷さは、最後2択になると言う残酷さです。
賭けに負けりゃ何がどうであろうとも
「馬鹿船長」(洞爺丸)
「馬鹿先生」(大川小学校)
「馬鹿スタッフ」(福島第一)
後出しな私達素人にボロカス言われて
中国の尖閣デモの様にボロクソにされてしまいます。
唯一偉いのは毛沢東でありスターリンと言う訳ですね^^;
2012年09月23日
【10m津波から5分】津波警報的無理ゲー【気象庁の責任】
■結局は死人に口なし
ではあるのですが、私はそれは嫌だなあと思います。
但し、マスコミの論調を見ていると
日本は、現場を知らない、
ニート(的)生活保護、最強な様に
責任システムができてる訳です
その現実の一つを浮き彫りに出来ていればいいなと思います。
について書きます。
船長に全責任を押し付ける為に
「何故出航したか」に話をすり替えた
↑
はい。
あの海難審判などは、 意図的に それをやっている と思っています。
事故の法理として
(この文句は、 何度も何度も何度も何度も 出てきます^^;)、
■刑事
■民事
■行政
の3分野がございますが・・・
■刑事 の話は、このあいだ、ちょろっと書きました。
それに加えて、
■民事
の分野でも、・・・どうやら・・・
当時の民法理論では、
(法学用語)
「無過失責任主義ではなかった」
「過失責任主義が厳格であった」
「厳格な過失責任主義が用いられていた」
「過失責任主義の修正が行なわれていなかった」
=
過失が無ければ、補償が行なわれない
と・・・いう・・・
現在では、
切符に含まれた保険料が、
事故の過失の云々に関わらず、保険として払い出されますが・・・
当時は、
過失責任主義で、
過失がある
=賠償責任がある
=死んだ客が、補償を受ける権利を認められる
=国鉄の中のだれかに 過失(失敗) を認めないと、補償がされなくなる
という・・・現在からは、
考え難いような法理・社会状態・責任システムだった・・・と、思うのですよ。
(でも、こういうことだから、過失責任主義が修正された、らしく・・・
これは、法学上 「過失責任主義の修正」の沿革 のひとつなのではないかな? と自分はみています。)
自分が考察するに。
だから、
あの海難審判などは、 意図的に
それ(=船長に全責任を押し付ける為に
「何故出航したか」に話をすり替えた)
をやっている と思っています。
でも、
私には、納得ゆかない・不愉快なことがあります。
海難審判などが、
それ
(=船長に全責任を押し付ける為に
「何故出航したか」に話をすり替えた)
をやっていたとしても、
後から検証するマスコミなど、
後出しな私達素人、
後から書く個人など・・・
こういう存在の者達まで、
結局、海難審判と同じ認定に落ち着く^^; 必要は無いワケで。
後出しな私達素人までが、
あの海難審判などと同じことをやる必要は、皆目無いワケで。
調べ上げた内容の列挙から、
歴史の真実だ と思うことを書きゃ―イイ ワケで。
海難審判の結論と同じことを書く必要なんか――どこにもないワケです。
しかも、
ワタシら(ちょこばさんも^^;)は、
そういったサイトの記述を引用しただけであり――――
自分で独自資料を作成したワケではないのであり(当然)―――――
裏をかえせば、
現象が、
キッチリ書かれているんです。
ところが――――
後出しな私達素人なのに――――、
後だしなクセに――――
なぜか、結論部を思考するトコでは、
思考停止になって、
海難審判の結論を引用して結んでいたりするんです。
後だしなんだから、
歴史の真実 をキッチリと書けよ!!
と思うワケで。
これが、
私が、
納得ゆかない・不愉快なことだったんです。
何というか―――
「後だしなんだから――― わかってやれよ―――――」
という――――ね。
そういうカンジです。
また、これは くどくど 書きそうな予感です。
Posted at 2012/10/26 01:36:59 | |
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欧亜車道は未開通。 | 日記