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猛走峠のブログ一覧

2012年12月27日 イイね!

結局は、「リスク」と「デインジャー」の話。 Part・・・忘れた(笑)

結局は、「リスク」と「デインジャー」の話。 Part・・・忘れた(笑)この記事は、


私には、まったくもって理解できませんでした。

この方のブログには、何が書いてあるのでしょうねぇ?

だったら絡まなければいいのに、怖いもの見たさで、、、。



公害でも、放射能でも、同じ場所で生活していても
被害を受ける人と受けない人がいる、、、そうです。

たとえば、5%の人が被害を受けて
95%の人が、被害無しなら、、

それは「安全」だということ?
  


いやー、もっと賢くなりたいと思う今日この頃。


もしかして、私は大恥をさらしているのかもしれません。
そのときは、このブログは削除します。(もし、見てくれた人がいたらご了承くだされ)





私には、、不可解である。


この記事は、現代において、「危険認定」されている事象の大半が、「全体としては、安全」。について書いています。

不可解の理由は、私に教養がないことであろう。

原発事故を統計学で処理しようとしているのか、、、、、、、?

それとも、原発普及の、、、プロパガンダなのだろうか?
とすれば、当該ブログはアジテーションなの?


自動車は事故を起こしてしばしば死に至らしめる
飛行機はたまーに落ちて、乗員は死亡する

それは確率として避けられないこと。

だからといって、自動車や飛行機をゼロにするという運動はおこらない。

えっ?

原発も

同じ論理なんですか?

イタイイタイ病も
水俣病も
煤煙による喘息等も、

統計学的には安全であるということ?


じゃぁさぁ、戦争だって、原発ではなく原爆だって
「あんぜん」なんだろうか?




あーーーーーーーー不可解

頭が悪いということはいかんともしがたい。



理解できないバカ丸出しパートⅡです
大恥をかいた後は、削除することもあります。
について書いています。




いや、風さまは、
バカなんじゃなくて、まともなんです(笑)。

風さまの「お考え?」・「感情?」・「感性?」が、
まとも なんです(笑)。


  まともだから、理解できない  のです。

だって、
20世紀後半期~2012年現在 は、「その↑考え方」ですもん。


たぶん、すごーく、イライラしておられるかもしれません。
ハラワタ煮えくり返っておられるかもしれません。
(1年くらい前の私が、そういう感性でしたから^^;)

だって、
「水俣病も、全体としては、安全である」なんて、

今現在(かなり前から。20世紀後半期~2012年現在)、
そんな話、社会的・倫理的に、通用しないじゃないですか。


でも、イギリスの産業革命期(近代)とか、
19世紀なんて、
「水銀中毒(水俣病)も、全体としては、安全である」
 なノリで、やってきたでしょ^^;


排煙も、触媒無しで排出し放題。

有害物質も、垂れ流し放題。

もちろん、街は真っ黒け。

公害病だって、出たでしょ。


でも、

じゃあ、

マンチェスターが壊滅したのか?
リヴァプールが壊滅したのか?

といえば、それは違うワケで。
一部の個体が、「発症」したワケですね。



「公害でも、放射能でも、同じ場所で生活していても
被害を受ける人と受けない人がいる、、、そうです。

たとえば、5%の人が被害を受けて
95%の人が、被害無しなら、、

それは「安全」だということ?」


19世紀は、そういう考え方でやってきたでしょ(苦笑)。




すなわち、
「(発症しない個体の方が多いので、)
全体としては、安全である。」


↑ 近代(・19世紀)なんて、
↑この考え方でやってきたでしょ。


こんなん、 まともな考え方なワケないでしょ^^;




現代(20世紀後半~21世紀初頭)の価値観では、

ありえん!! 
って怒り出すような考え方ですよ。




だから、

今、生きてる世代で、

特に日本人で、 そんな考え方を理解できる  という方が異常だと思います。

風さまがまともだから、理解できない  のです(笑)。






じゃあ、ここまで来たら、

もう、徹底的に~~書いちゃいましょう(笑)。





■飛行機はたまーに落ちて、乗員は死亡する 


はい。
でも、統計上の発生率としては、全体としては超安全ですね。







■水俣病も 統計学的には安全であるということ?


はい。
「全体としては 安全」 です。

 水俣市が壊滅した訳じゃありません。
(このへんは、判例みたことある方、多数いるかと思いますが、
「認定」されていたのは、数十人、数百人(+数匹)のレベルでした)





■イタイイタイ病も 統計学的には安全であるということ?


はい。
「全体としては 安全」 です。







■煤煙による喘息等も、 統計学的には安全であるということ?


はい。
「全体としては 安全」 です。

例えば、四日市市が壊滅したワケじゃありません。






■自動車は事故を起こしてしばしば死に至らしめる


はい。
でも、「全体としては 安全」ですね。




それどころか、
街中で、半端ない暴走運転をする暴走族が、多数いる国
(サウジアラビア)でさえ、


人身事故発生件数は、

人口10万人当たり、1,305件 ですので、

全体としては、充分、安全 です。





■小学校で、銃を乱射してたくさんの人が死んでも
全体から見たら、安全?なのでしょうか?



「全体から見たら、安全」の代表的事例でしょうね。




■関東大震災は、全体からみたら、安全?


ですね。




■東日本大震災では、2万人ほどの人が、亡くなりましたが、それも・・・


勿論。 全体としては、安全 です。
日本は、安全な国 です。




じゃぁさぁ、
■戦争だって、 「あんぜん」なんだろうか?


もちろん。
「全体としては、安全」 に決まってるじゃないですか。


それどころか、
戦争の域を踏み外して、「虐殺」だって、なかなか「滅びる」までは難しいようですよ。






■原爆だって 「あんぜん」なんだろうか?!


ええ。

少なくとも、
広島型や長崎型までは、ね。


広島市は、壊滅的打撃を受けました。
でも、広島県全体としては、どうです?


長崎市は、壊滅的打撃を受けました。
でも、長崎県全体としては、どうです?


少なくとも、
広島型や長崎型までは、↑こういうカンジなので、
「全体としては、あんぜん」でしょうね。


勿論、恫喝力としては、とんでもないものでしたが。

広島型や長崎型くらいまでは、「全体としては、安全」の範疇でしょうね。









ただし、

現在の、

水爆 は、「全体として安全」とは言えません。

爆殺力が・・・





それと、

隕石。








統計的に考えると、

どうも、


「全体として、安全とは言えない事例」
「全体的に、非常に危険」 というのは、



水爆  と  隕石(デカいヤツ)  くらいしかない かもしれません。








これが、

統計の真実?


のようなのですね。







**********


しかし、 ↑この 真実? が、



社会的に受け入れられるのか?

といえば、今現在、それは ダメ だし、


倫理的に受け入れ可能なのか?

といえば、それは ダメ だと思うのです。






被害者や被災者に、
「大丈夫。あなたは運が悪かっただけだ。全体としては、安全だから」って言えるってことでしょうか。

自分にはとても言えませんね。


学校で自分の子がイジメられても、
「他の大半の子はイジメられてないから大丈夫」って言えるってことでしょうか。

もちろん、
自分には、絶対に言えませんね。







統計的真実 が、



社会的に受け入れ可能なのか?

といえば、今現在、それは ダメ だし、


倫理的に受け入れ可能なのか?

といえば、それは ダメ だし、


ましては、当事者の目線・立場で、受け入れることは、

現在の価値観では、ありえんと思うのです。


**********



しかしながら、

「現在、危険認定されている事象」であっても、

「統計的真実」としては、
「全体として、安全」という事実(真実)は、存在しているから、

これがタチが悪いのです。




例えば、

「深刻な」環境汚染事故が起こったとき。




「ただちに被害軽減策を執らねばならない!!」
ハズです。


もちろん。





ところが、 

「統計的真実」として、



 現代において、「危険認定」されている事象の大半が、「全体としては、安全」ですので、




「その事故の結果が、
安全か? 危険か?」ということを検討すると、
「全体としては安全」
≒「安全」という答えが出てしまうのです。


すると、

まず、懸念されることは、

「ただちに被害軽減策を執らねばならない!!」のだけれども、


(極端に言えば)↑
     それは、要らなくなってしまう のです^^;

「全体としては安全」だから^^;



この「真実?」に、「悪乗り」すれば、


「あー、今後は、有害物質も捨て放題だよね―――」なんてことも出来るのです。



だから、



現代法の下での世界に於いて、

例えば、大規模環境汚染事故(事件)が起こった場合、
「安全か?」「危険か?」という議論は、
現代法の立場では、 「やっちゃいけないこと」かもしれない


ってことです。



現代法の、思想基盤そのものが、破綻するから。


これについて、
香川さんが、うまくコメを書いて下さったようですm(_ _)m


**********




香川英行

2012/12/26 22:16:13

> 公害でも、放射能でも、同じ場所で生活していても
> 被害を受ける人と受けない人がいる、、、そうです。

> たとえば、5%の人が被害を受けて
> 95%の人が、被害無しなら、、

> それは「安全」だということ?

社会 【全体】 としては「安全」であったとするということだと思います
言い換えれば、タテマエとして「安全」と言っているだけ
不幸の宝くじを引いた人は最悪の場合、社会全体の利益として切り捨てられるかもしれません
不幸の宝くじを引いた人からすれば、たまったものではないと思います

ちょこばさんは、この不幸の宝くじを本当に引いてしまった人を助けるためには、
当たってもいないのに当たったと言い張る「ゴネ屋さん」たちは邪魔であるというスタンスが強い
猛走峠さんや私は、この不幸の宝くじを当てる人を少しでも減らすために何とかしようというスタンスが強いと思っています




そう。

現代の、法律だの、社会的な考え方は、





「不幸の宝くじを引いた人からすれば、たまったものではない ので、

不幸の宝くじを当てる人を少しでも減らすために何とかしようというスタンス」





なんですよね。
まあ、そこんトコは、自分の考え方も、それに準ずるようにしてます(目線は、少し、ズラしたりしますが)。

一般的な言葉では、
【予防原則】とか、
【人間の安全保障】とか呼ぶのだと思います。








ところが(また、繰り返し)、



いざ、大規模環境汚染事故が起きたとき、



「安全か?危険か?」という論争を主眼にしてしまうと、

不幸の宝くじ

宝くじ

しょせんが、宝くじw

という方向にいってしまう・・・のです。




と・・・ここまでは、「リスク」という性質のお話でした。


**********




■水俣病も 統計学的には安全

■イタイイタイ病も 統計学的には安全

■煤煙による喘息等も、 統計学的には安全

■自動車は事故を起こしてしばしば死に至らしめる。
でも、「全体としては 安全」

街中で、半端ない暴走運転をする暴走族が、多数いる国でさえ、
全体としては、充分、安全

■小学校で、銃を乱射してたくさんの人が死んでも
全体から見たら、安全。

■地下鉄サリン事件も。(書き加えた)

■関東大震災も。

■東日本大震災も。

■戦争だって

■原爆だって
広島型や長崎型くらいまでは・・・




統計的真実ッ






原発事故を統計学で処理しようとしているのか、、、、、、、?


それとも、原発普及の、、、プロパガンダなのだろうか?
とすれば、当該ブログはアジテーションなの?


えっ?

原発も

同じ論理なんですか?





違います。


「リスク」だけなら、そういう↑ことになりますが、原発事故は、違います。



原発事故は、「デインジャー」という性質を持っています。







原発から半径170キロ圏内で、土壌中の放射性セシウムが1平方メート目あたり148万㏃以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算。東京都のほぼ全域や横浜市まで含めた同250キロの範囲が、避難が必要な程度に汚染されると仮定した。

菅氏は9月、毎日新聞の取材に「放射性物質が放出される事態に手をこまねいていれば、(原発から)100キロ、200キロ、300キロの範囲から全部(住民が)出なければならなくなる」と述べており、・・・



原発事故は、

■「リスク」 

に加えて、

■「デインジャー」 

という性質を

持たせてあります。








「リスク」に限定して言えば、
原発事故(チェルノブイリ事故)も、


■例えばチェルノブイリ@ナロジチ。

体の中のセシウム等、核物質の濃度が上がってゆく。
では、全員が疾病を発症したのか?!

⇒しなかったのです。

「条件」に合致した、ごく一部の個体が、「発症」したのです。

ナロジチ地区が壊滅した訳じゃありません。

⇒「全体としては、危なくない」。


しかし、原発事故は、

■「リスク」  に加えて、

■「デインジャー」  という性質を



も た せ て あ る








土壌中の放射性セシウムが1平方メート目あたり148万㏃以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると

全部(住民が)出なければならなくなる













1平方メート目あたり148万㏃以上に達すると

全部(住民が)出なければならなくなる









ここで、 ゲームオーバー。




こういうのを、内田樹(たつる)教授は、
「デインジャー」と呼ぶようですが。
「ゲームオーバー」と呼んだ方がよいですかね(苦笑)。



えっ?

原発も

同じ論理なんですか?




違うのです。


原発事故は、違うのです。




今現在、IAEAによって、

「デインジャー」(ゲームオーバー)が設定されています。







ちなみに、
私(猛走峠)は、原発@日本は、反対な立場です(苦笑)。
Posted at 2012/12/27 02:56:56 | コメント(3) | トラックバック(2) | 暴走峠w | 日記

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