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猛走峠のブログ一覧

2012年12月30日 イイね!

【武田&副島】猛走峠の補足等【喧嘩対談の意味】

この記事は、【武田&副島】猛走峠さんがえぐり出した原発事故の本質【喧嘩対談の意味】について書いています。

↑お褒めに預かりまして、光栄です。

いや、マジで。


************************

私なりに、再要約すると

副島先生は経済学者として、
日本は全体として安全であるから、復活するんだ、 という経済的事実を
原発の目の前で立つことによって世界に発信したんです。

一方、
武田教授はもと核技術者として、
安全衛生の考えと法治の考え
そして科学者の良心を世界に発信したんです。

お二人共世界を見据えたんですね。

*************************

■このあたりを猛走峠は気づきながら、ちょこばさんの
エントリーをベースにしなきゃ、整理できなかった。
とんだ筆不精です。

**********************

■法律の恣意性 や 統計の真実性 は昨日書かせて頂きました。


(ちょこばさんに寄せられた)
ユーリックさんのコメント

数学は2であり
統計はほぼ2であり
会計はいくつにしましょうか



私、猛走峠も気づいてはおりましたが


武田教授も副島先生も統計はほぼ2であることを気づいた上で


武田教授は科学者として、2を主張し
また、
技術者として、
現代の法の考え方と、
それに基づいた、
現代の会計の「許容範囲(コンプライアンス・良心)」
2は、許容範囲外。
せいぜい1か、0になるよう、対策を発動してみせるべき、ことを発信した。



一方の副島先生は、経済学者として、
最悪でも2、自分の身体なら0だ、と主張し、

あとは、
事象全体が、確率の問題にすぎなくなる、
東日本全体が壊滅するワケではなくなった、
ということを自らの体で実証した。
(福一正門に立ってみせた)

つまり
「こんなものは、
100年前や200年前の法の考え方なら、
会計上0として処理してきた!」
  と大見得をあの時点で切ってみせた。


**********************


でも↑この考え方は、
弘(2型)さんの言う通りで人倫に反してるかな?


現在の人倫に反してる事くらいは分かってます。




被害者や被災者に、
「大丈夫。あなたは運が悪かっただけだ。全体としては、安全だから」って言えるってことでしょうか。

とても言えませんからね。



でも、

昔(前近代)の人は、

その犠牲者の当人となったとき

運命 としてこれを受け入れ、

また、社会全体としても、 運命 として、そのことを許容していた、と思うのです
(妄想。だけど、そうでしょ。これ)。

ダテに、
「運が悪かった」という言葉があるワケではないんですよね(妄想的な考察)。




近代でも、

イギリスの産業革命期とか、

排煙も、触媒無しで排出し放題。

有害物質も、垂れ流し放題。

もちろん、街は真っ黒け。

公害病だって、出たでしょ。


でも、
「全体としては、安全」でやってきた。


これ↑は、
現代の人倫に反しています。

主要国の法律も、今は、このやり方を許容していません。


「人は誰しも安全に健康的に生きる権利を持っているし、それを守るのは当然」

と考えられています。



しかしながら、

「人は誰しも―――」
って、たいていの人が考える・言うようになったこと自体、

その歴史は驚くほど浅いってことですよ。




あんまり表記したくないんですけどね・・・
「間引き」やってた時代も、あるでしょ。


そして・・・
原子力でも・・・アメリカなんて・・・
つい30年くらい前までは、 黒人には線量制限がありませんでした(←根拠:蓮池透(元原発運転員)さんの話)。





https://minkara.carview.co.jp/userid/1345735/blog/28741705/
終結宣言 が出ているので、トラバはしません^^; m(_ _)m



被害者や被災者に、
「大丈夫。全体としては、安全だから。」
と言えないのは、
”現代だから”ではなく
”血の通った人だから” です。




「人は誰しも安全に健康的に生きる権利を持っているし、それを守るのは当然」なのは
”人間の安全保障とかいったような名称・概念”ではなく
”人としてデフォ(初期値)"です。






と、ワタクシはお叱り? (苦笑)を受けてしまいましたが、





「人は誰しも―――」
って、たいていの人が考える・言うようになったこと自体、

その歴史は驚くほど浅いってことです。



人は誰しも安全に健康的に生きる権利を持っているし、それを守るのは当然です。


これ↑は、【恣意】なんです。
これ↑の下↓に、

言論がなされ、
  思考が展開され、
   法律が作られ、
      操業がなされているし、
エラい何かの判断基盤になっているけれども、

私も、その考え方に立っているけれども、

それは、信念? 思想? 信条? 愛(情)? そういったものであって、 

やっぱり、【恣意】なんです。



**********************


で・・・また、あの話に戻ります



例えば、

大規模環境汚染事故(事件)が起こった場合、など・・・



「安全」or「危険」の検討の結果:

「安全」: ⇒■実際の被害や被災の対策を講じなくてよい場合 になってしまう。





わかりにくいですなぁ・・・


要するに、



例えば、 ↓法律が守れなくなった場合

大規模環境汚染事故(事件)が起こった場合、など・・・




そう。ひらたく言えば、


 (現代の、)法律が守れなくなった場合


⇒どうするの?


⇒パターン1:従来の、法律の範囲内に戻るようにする
(非常事態から抜け出して、防護策・回復策を実行する)




⇒パターン2:別に^^;
(特に何もしない。)


(↑これを、「その場合、日本は、汚れた国になる。」と武田教授は表現してた。今になってやっと、深くまで意味がわかった。)







バカ言うなや!

パターン1に決まっとるやんけ―――




トーゼン。



でも、どーなの?







ホントにホントに、
「全体的に、非常に危険な事象」 というのは
水爆  と  巨大隕石  くらいしか、    地球上に、存在してない  

んでしょ?


(まあ、異論はありますけどね。)



水爆  と  巨大隕石  以外は、

如何なる事象が発生しても、

「全体としては、安全」でしょ。

(まあ、異論はありますけど。
そのへんは、年明け・・・1月中ごろ?に、また、書きますかね)




100年、200年前は、それでやってきたんでしょ^^;


今は、

人は誰しも安全に健康的に生きる権利を持っているし、それを守るのは当然です。

と、みんな考えてる。

でも、
これ↑は、【恣意】なんです。
これ↑の下↓に、

言論がなされ、
  思考が展開され、
   法律が作られ、
      操業がなされているし、
エラい何かの判断基盤になっているけれども、

私も、その考え方に立っているけれども、




100年、200年前は、 違った考え方でやってきた んでしょ。


それでも、 「全体としては、安全」 だったんでしょ。




⇒パターン2:別に^^;
(特に何もしない。)






と、そういうことになるワケで。

ってか、相当程度、なったワケで。




大規模環境汚染事故(事件)が起こった場合、など・・・

「安全」or「危険」に主眼を置いて検討することは、

「やっちゃいけないことかもしれない」と。


そういうことです。




このくらい、繰り返して書くと、たいていの方に伝わったのではないかな、とね。
今日は、このへんで筆を置きます。
Posted at 2012/12/30 04:46:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 反即だ! | 日記

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