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猛走峠のブログ一覧

2009年09月30日 イイね!

ものさし≒郷土愛?

ものさし≒郷土愛? この「キャッツアイ・ロード」が、相当に客観的なモノサシたる意味を帯びてきたといえよう。
こうして速域を上げてくるうち、対向車確認に関して、一般とは「逆の考え方」に「気づく」、あるいは「逆の考え方」を「好む」ようになる。

そして第4週目、
つまり免許取得から一ヶ月近くが経とうとしていた時期のこと。
多摩湖道を走る時間帯が、昼よりも夜の方が走りやすいと感じるようになっていった。
普通に考えれば、昼間の明るい時間が、より安全であり、より多くのものが見えている。しかしながら、対向車の接近、前走車のテールライトなど、走り屋が最も欲っする情報は、昼間には光の氾濫の中に埋没してしまっている。
対して、夜は、闇は、これらの情報を相当に手前から教えてくれるようになる。この頃から、私の網膜と私の脳が、夜を、闇を求めるようになってきていたのだ。
これは、「走り屋」としての「バイオリズム」が自分の中に出来つつあったような気がしているし、恐らくそうだったのであろう。

それにしてもこの時期はまだ、「走り屋」という自意識が全くなかった、
ということははっきりしている。
形成されたものは、おそらく、「モノサシ」だったのだろうと思う。
そして、この「モノサシ」が、「郷土愛」の一種であるのか、ないのか、
それは未だにわからずにいる。


さて、

ここでこの道が相当に平坦であることに再度触れておきたい。
「道が平坦である」、愛称多摩湖サーキットというこの地形は、「ただそれだけ、ただ平坦であること」ということは出来ない。この道路特性が、私個人のドライビング技術と、それに対する考え方に大きな影響を与えているかもしれないのだ。

 私はこのページで「峠の走り屋」を自称しているが、その技術的意識は、極めて特異なものである。
「峠の走り屋」「峠族」の、ドライビング技術の出し方・考え方を一言で言うなら、
「全力坂」
なのである。
要は、マシンにせよドライバーにせよ、100%の力を出して「坂を駆け上がる」「峠を攻める」のだ。


一方、私の場合、
100%の力というものは極力出さないように心がけるべきであって、
要は100%の力を出すことは「禁じ手」なのであって、
「攻める」ときも70~80%くらいの力で走るべきであり、
残りは万一のときの危険回避に残しておくべきである、と考えている。

技術的向上についていえば、
100%の力を向上させるのではなく、
70~80%の力を向上させ、
70~80%の力で走っても相当に速く走れるようになること。
それが理想だと考えている。

だが、
こうした考え方を峠族の人々に評価させるに、それは、「環状高速などをトバす連中」(「環状族」)の考え方そのものなのだとコメントされることが多い。

このように評価されたとき、正直私は、嫌悪感を覚えた。
指摘されたとき、私は自らを「峠の走り屋」と自覚していたのであるから。

しかし、
多摩湖道の特性、特に勾配のない特性を鑑みるに、自分がこうした「環状族的技術論」を持っていることが、多摩湖道の特性から発生したものであるのなら、むしろ誇るべきことのように思えてきたのである。

これは、一種のパトリオティズム・・・「郷土愛」なのであろうか?
Posted at 2010/03/16 23:34:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 多摩湖道 | 日記
2009年09月29日 イイね!

MAKE MY DAY

MAKE MY DAY更に次の週、免許を取って三週間目には、自らの調子が良いのか、悪いのか、客観的に判断することが出来るようになった。

 簡単にいえば、調子が悪いときは、キャッツアイを頻繁に踏む、その道を何往復してみても一向に改善されない。逆に、調子の良いときは「一発クリア」というわけである。そして、これは、自分のその日の体調と相当の関連を有しているらしかった。
(寝違えをして首が痛かった日の出来は最低で、そのことは今でも記憶に残っている)

ともあれ、これによって、この「キャッツアイ・ロード」が、相当に客観的なモノサシたる意味を帯びてきたといえよう。

ただ、こうして速域を上げてくるうち、対向車確認に関して、一般とは「逆の考え方」に「気づく」、あるいは「逆の考え方」を「好む」ようになる。
その話は、また明日。




さて、

 前のブログで、
「登坂車線」と書いて思い出したが、多摩湖道は、ワインディングロードとしては、極めて珍しい特性を持った道である。
それはこの周回路にはほとんど勾配がない。
地理的経験が豊かな方は、「人造湖を周回する道であるから当然だ」と感じるだろう。しかし、多くの方はわからないと思われるため、詳しく記述しておく。

 そもそも多摩湖は、近現代の人造湖の中では比較的古い方にあたるため、貯水池を形づくる外輪山は小規模な山となっている。これを少し離れた、新青梅街道の瑞穂近辺の平地から見ると、「平べったい山」が盛り上がっているように見える。そして、この平らな山の真ん中部分は凹んでおり、そこに水が溜められているのだ。かくして、多摩湖の周回道路へは、いずれの方向からアクセスするにしても、急勾配を登ることとなる。急勾配を登ると、そこに周回道路が設けられており、これは、ほぼ全域にわたって平坦な構造となっている。
さらに細かくいうなら、周回路の場所には、ダム建造時の大正時代、軽便鉄道が通されていたという。それなら、平坦であることが必要不可欠といえるのであり、もともと平坦な傾向の外輪山の尾根部分を、人為的にさらに平坦にしてしまったというわけだろう。

 だからして、周回路に入ってしまうと、「登坂」というものは、ほぼ存在しない。
そのため、登坂車線はありえない。
ただ、こう考えると、「多摩湖サーキット」というかつての愛称もうなずけるではないか。

 つまり、勾配が無いことが、走りの世界に対して意味するものは、踏み込んでいけばエンジンのポテンシャルの限界まで、速度を上げてゆけることを意味する。

 ただ、ここで、反対側のストッパー要素が介入する。この場所を知っている方は説明するまでもないが、この道はお世辞にも「広い」とはいえない。比較的広い区間であっても、片側一車線ずつなのであるから、ラインが限られる。しかも現況はキャッツアイで両側を締め付けられている。
 仮に、このキャッツアイが無かったとしても道幅と、カーブが殆んどであるという状況には変わりない。すると、ここで速度やタイムを追求するには、恐怖心というものを全く度外視する精神と、それを「単なる自殺行為」から離脱させるものとしての、確かな技術が必要なのである。
Posted at 2010/03/17 09:53:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 多摩湖道 | 日記
2009年09月28日 イイね!

熱狂の時代と、再び山霧に包まれた峠道

熱狂の時代と、再び山霧に包まれた峠道←画像はイメージです。多摩湖道ではありません。宮が瀬、虹の大橋。

多摩湖道でのドライビングトレーニングが二週間目に入ると、
とにかく、
キャッツアイを踏む回数が減ってきた。
また、バックミラーを占拠していた、かのミニバンのような車の姿はもう無くなっていた。

一週間に渡って、1日1回、毎日、多摩湖道に通いつめたお陰か、
一応のところ、
普通のドライバーがこの道において要求するところの速域では、ある程度はきれいに走れるようになってきた、そういう自覚が出始めた。

 とかく、最初の週の惨めさは、私の運動神経の悪さと、初めてのことに対する適応性の悪さを物語っていたが、

それは、二週間目で、どうにかこうにか、「他人より劣る」という姿を露呈せずに済むようになったといえる。



さて、


私は、いわゆる「走り屋全盛期(平成元年頃であろうか)」を経験している人間ではない。
もっと下の世代であり、いわゆる「若者のクルマ離れ」が言われている世代。

そのため、
私の「走り」というものに向き合う精神は、あくまで自己の魂を鍛えていくという意味での、単なる修行行動に他ならない。
このような言い回しをすればカッコ良く感じられるが、
これは詰まるところ、
魂の引きこもり行動に他ならない。

対して、
「走り屋全盛期」を過ごした世代の方々にとっては、「走り」というものは、「社交的行動」に該当していた。

走り屋全盛期のこと。

平成元年頃、大阪。
グッサンは、NISMO仕様のS13シルビアを止めると、「ナンパ」を試みた。
NISMO仕様のエアロやホイールを纏ったグッサンたちには、
最強のナンパのコロシ文句が存在していた。
「ほな、これから環状走りに行かへんかー?」
ナンパは大成功だった。
しかし、このとき、グッサンたちは、この時代の用語で言う「クラゲ」だったのである。
後々、
グッサンたちは、本物の「環状族」となってゆくのだが、このときは、まだ環状族ではなかった。
「環状族である」
「走っている」
というコトを匂わせることが、何よりのステイタスだったのだ。
つまり、当時の大阪では、走り屋は凄くモテた。一番モテたといわれている。
平成元年頃の大阪では、改造マフラーの音を響かせると、それだけで、「モテること」に直結したという説もある。
(ちなみに、2000年代になると状況は一変し、「クルマに熱中している男はモテない」という一般的イメージが出来上がった。現在、改造マフラーのサウンドを響かせようものなら、「なーに、アイツ? キモーッ」語らんばかりの視線を受けることとなると言われている。
 極端に言えば「クルマー? イジッてるー?」→「きもいー」ということ。)

●関連書籍等
南勝久 『ナニワトモアレ』、『なにわ友あれ』 講談社
『週刊ヤングマガジン』にて連載。大阪環状族をテーマにした漫画。


同じく平成元年頃、伊豆。

ブーーーーン。

エンジン音のやまびこが聞こえてくる。
あーアイツが走ってるなー。
オイラも走りにいくかー。

オイラもミラージュターボのエンジンをかけ、今日も峠に繰り出す。
あのサウンドは、R32GT-Rだな。
ほんっと、あのクルマは、響くよなーーー。
ツチヤって兄ちゃんは、まったくすごいぜー。
あの32に、1000万円以上つぎ込んでるしなーーー。
この間なんて、一晩で三回もガソリン満タンにしたんだから。
あの消耗の仕方は、半端ない。

オイラのクルマの油温・水温・ターボブースト圧が適正になってきたとき、
丁度、峠区間に入る。

そこで、あのにーちゃんは、追っかけられていた。
パトカーに・・・。
「コラーーー。ツチヤくーーん。いいかげんにしろーーー。うるさいぞーーーー」



同じく平成元年頃、埼玉県奥武蔵地区。

看板。
「公道でのレース行為は厳禁です。
こうした行為を見かけた場合、
車種・ナンバー・人数などを通報して下さい。」

とある青年が、この看板に笑いながらケリを入れる。
少々ガラの悪い男女の集団が盛り上がる。

盛り上がったところで、
更に、
力自慢の青年が看板を引っこ抜く。
バターーン。
「いぇーーーーい」
「ぴーぴー」
一同は盛り上がった。
「公道でのレース行為は厳禁です・・・」
の文字は見えなくなった。

「いいかぁ?二人ともぉ?」
「おう、いつでもOKだぜぇ」
「こっちもOKーっ!」
「カウントを始めるぜーーー!」
「いぇーーーーぃ」一同、最高潮まで盛り上がる。

ハチロクの運転席に座って、よしのりはアクセルを煽る。
シャコタンと直管マフラーのハチロクが、バリバリと咆哮する。
向こうもだいたい同じような仕様だ。

カウントしているヤツの声は、かすかにしか聞こえない。
「3、2、1―――、ゴーーーー!」
2台のハチロクが正丸峠へと飛び出していく。



そして、
同じく平成元年頃、多摩湖道。
ここでも、ストリートファイターたちが集まり、猛烈なアタックが行われていた。
伝説的な速さで。



当時は、熱かった。
マナーとか、
善悪とか、
ひとまずさておくとしても、
とりあえず、熱気に満ちていた。
いろいろなタイプの人間が、
様々な思いで、
走っていた。


2000年代に入ると、
これらの熱気は、どこかへ行ってしまった。
そして、
峠は、
ワインディングは、
再び、
静けさと山霧が覆う世界へと戻っていった。

そんな中、
再び峠道に入ってゆく者もいた。
そうした霧中の者たちにとって、「走り」というものは、
自己の魂を鍛えていくという意味での単なる修行行動、
詰まるところの、
魂の引きこもり行動に他ならない。
言い換えれば、「反社交的行動」。
しかし、
それで一向に構わない。

峠で、
走りを志す者であることに、
変わりはないからだ。
場合によっては、
ただひたすら、
走りだけを志す者も増えたからだ。
Posted at 2010/03/17 19:17:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 多摩湖道 | 日記
2009年09月27日 イイね!

ハンプとキャッツアイと2000年代の多摩湖道

ハンプとキャッツアイと2000年代の多摩湖道私は、免許を取得した翌々日から、
多摩湖道でトレーニングを始めた。
免許取得後の最初の一週間は、それこそ自分が初心者中の初心者であることを実感するだけのものであった。
まず、キャッツアイを頻繁に踏んだ。
それに加え、ラインに集中するがために走行速度が遅くなる。それがどの程度遅くなっているのかといえば、ミニバンに煽られるほどであった。

バックミラーを見ると、黒いミニバンがミラー一杯に映っており、私の母と同じ年頃の中年女性が運転しているのがわかった。いわゆる「オバチャンに煽られた状態」というやつである。しかしながら、ここに登坂車線のようなものは存在しないため、なす術なくそのまま走行するしかない。

しかも「走り屋意識」なるものも、
形成前であるため、
こうした場合に出すべきサインに関する情報も、頭の中にはなかったのである。
故に、
なす術なくそのまま走行するしかない。


さて、


多摩湖の外周を回る道路が多摩湖道である。
いわずもがな、
この湖の周回道路には「ストリートファイター」と彼らを見ようとする「ギャラリー」たちが終結し、「自然発生型のサーキット」となっていたことはいうまでもない。

ただ、「なっていた」と、過去形で書いている理由は、慧眼な読者やこの場所を知っている方々にはおわかりであろう。
現在の多摩湖道は、ほぼ全線に渡って、ハンプ、キャッツアイ、センターポールといった、いわゆる「走り屋潰し」のグッズが設置されている。
従って、わずかでも、指定されたラインを外すと、キャッツアイを踏んだ衝撃が車体を襲い、速度と足回りのセットによっては、車は相当にバランスを崩す。であるが故に、現在では、「ストリートファイター」の姿を見ることは、ほぼ出来ない。

 しかしながら、こうした「走り屋潰し」のグッズが、免許をとりたてだった、私にとって、対称効果を発生することになる。つまり、これは、指定されたラインを必ず守って走行させるためのものであるがために、センターライン側と路肩側の双方にキャッツアイが設けられている。そのため、左右のどちらにでも、20センチもラインを外そうものなら、必ずキャッツアイを踏むことになるのだ。

 私は、ずっと、「喘息体質では無い子」の中では、足が速かった。
(喘息薬がドーピング的効果を果たしていたように見えたことは、いずれ語る)
速く走ろうとすることが好きだった。
しかし一方で、私は、ずっと、自分の運動神経には自信が無かった。
だから免許をとってすぐのこと、私は自分の感覚神経を何とかして鍛えることを最優先の課題とした。

 その需要にピッタリと応えたのが多摩湖道の「キャッツアイ・ロード」だったのである。ここで私はラインを完全な形でトレースすることに専念した。そうして私は、ラインをトレースしながら、少しずつ速度を上げていくことをしていったのである。

かくして私は、免許を取得した翌々日から、多摩湖道でトレーニングを始めた。
Posted at 2010/03/17 22:01:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 多摩湖道 | 日記
2009年09月26日 イイね!

アルケー

アルケー何よりもまず、私の走りの「根源(アルケー)」を記しておく必要性がある。

このページを読む方々は、「多摩湖道(たまこどう)」をご存知であろうか?

そもそも多摩湖(通称)とは、その正式名称を村山貯水池と言い、大正13年(1924年)に、現在でいうところの東大和市の狭山丘陵渓谷に造られた人造湖である。同じく人造湖の山口貯水池(通称・狭山湖)が隣接しており、この辺一体は水道保安林と呼ばれる森林が保持されている。
専ら現在では、都市化が著しく、貯水池を形づくる外輪山は、住宅地で覆われている。そのため多摩湖道も、「湖面側は湖と森林であるけれども、反対側は住宅がある」という区間が多く、近年にここで自動車を用いた走りを、本格的に追求することは不可能である。

しかしながら、満々と水を湛えたこの湖が、時として、人工美の中で最上級の部類に入る表情を見せることは、約束しておこう。

そして、この湖の外周を回る道路が多摩湖道である。
いわずもがな、この湖の周回道路には「ストリートファイター」と彼らを見ようとする「ギャラリー」たちが終結し、「自然発生型のサーキット」となっていたことは、いうまでもない。

かつての関東圏のストリートファイターたちに
「多摩湖道」と言うと、
こう、
答えが返ってくるであろう。
「多摩湖サーキット」
と。

満々と水を湛えたこの湖が、時として、人工美の中で最上級の部類に入る表情を見せることは、約束しておこう。
かつて、この湖の周回道路も、熱狂していた。
でも、今は違う。
高回転域の咆哮が、響くことはない。
満々と湛えられた水と、森の木々の葉が、再びこの湖岸を、霧に包んだ。
霧の中、
私は模索した。
ひたすら、走ることを。
それを奮闘努力というのか、五里夢中というのか、未だにわからずにいる。

でも、
ひとつだけ確かなことは、
ただひたすらに、走りを必死に志す、
私の走り屋としての魂が発生したことだ。
Posted at 2010/03/18 01:40:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 多摩湖道 | 日記

プロフィール

「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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