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猛走峠のブログ一覧

2009年10月31日 イイね!

ロングツーリングの総まとめとヤビツ峠からの離脱(ヤビツ峠)

ロングツーリングの総まとめとヤビツ峠からの離脱(ヤビツ峠)東京⇔福岡のロングツーリングの総まとめとして言えることで、かつ、ヤビツ峠を駆け抜けることと共通して言えることは、
「体力」である。
現在の自分の、長距離に対する、無理のない「走行体力」は、1日600kmぐらいである。
それが、一番適切であるようだし、これを超過すると、大変な疲労に見舞われることになるようである。

また、ひとこと、忘れずに書いておきたいのは、「未知なる区間」は神戸⇔福岡だけであったということ。神戸までは、今回までに、何度も行っていたわけで、
神戸は、丁度一年くらい前に行ったし、名古屋に至っては、もう何回目だろう、今年に入っては、三回目だった。
しかも、神戸も名古屋も、「泊まったことのあるビジネスホテル」に泊まったわけで、初めて行く場所ではないのだ。
決して、「無謀な作戦」を立てているわけではないし、自分は、そういう、無謀に近いほどの勇猛果敢な人間ではない。しかし、そういうことだから、ここまでにかけたガソリンの値段は、半端じゃないだろうし、「速さ」が「すぐに現れる」という点においては、「有望」ではないだろう。

しかしながら、「人並み外れたしつこい性格」というのが、
たぶん、
「多くの人間には嫌われるけれども、クルマには愛される」
ということは言えると思う。
きっと、私の手にかかれば、クルマは、エンジンやモーターがぶっ壊れることを寸分もためらわず、私に速さを捧げるために、私のために玉砕・散華するために、必死に走り続けるようになる、と思う。

また、「体力」も向上させていくために、その観念があるわけだけれど、
残念ながら、こうした「ロングツーリング」の機会は、しばらくないだろう。
自分は専業の走り屋ではないため。
とはいえ、このツーリングの話も、今度、どこかで、少しだけ「一般論的に」出すかもしれない。
いずれ、東海道における最速追求の歴史や、それに関わる闘争行為についても、語ることを避けて通れないだろうから。

さて、ヤビツ峠については宮が瀬側、しかもドリフトの話の割合が高かったので、すでに、「キミの好きなドリフトが~」などと、激しい誤解を受けている。

しかしながら、自分のヤビツ峠に対する思いは、「走り抜けること」である。

いま秦野側にいる。
これから、宮が瀬北原へと戻っていく。

道の上の電光掲示板には、
「菜の花台から先、ガケ崩れあり注意」と書いてある。

さっき来たとき、がけ崩れなどなかったし、パトロール系の車が入っていったカンジもなかったから、おそらく、単なる注意事項だろう。
まず、表ヤビツを登る。
ハイパワーカーではないので厳しい。
アクセルをすぐに踏み切ってしまうも、あまり速度がのらない。
「すりばち状」カーブのカンジを出そうとして、写真をアップするも、あまり表現できていない。もっとカーブに斜面がついている。しげの師の描画の方がカンジが出ている。
(もっとも、「時間配分」については、未だ、不自然・長すぎな気がするが)

頂上付近では右手に夜景。
見るのもつかの間、すぐに立ち去る。
「Y峠の秦野側の中腹の展望台で車に乗ったまま夜景を眺めていると霊に足を捕まれる。その後、運転手が行方不明になってしまうらしい」
こういう噂があるからだ。

道が細くなっていって、裏ヤビツ。

そうするとそろそろ、先ほどの、シカがいたエリアまで、戻ってくる。
シカは・・・、このカンジはまだいる・・・。
たぶん、まだいる。

ギアをニュートラルにし、空ぶかしをする。
10秒ほど、カーブの向こう側に音を響かせる。

もう一度、ギアを入れ、
ギアを落とし、アクセルをベタ踏み、回転数を上げ、排気音を響かせつつ走る。
カーブに入る前、ブレーキを少し強めに踏み、
カーボンセミメタルがローターを削る音を響かせる。

こちらの接近を予め奴らに教えておく。

古来から、「馬」と「鹿」が衝突すると、大変なことになる。
そう、「馬」と「鹿」はぶつかってはいけないのだ。
だから、「バカ」という言葉には「馬鹿」という漢字を当てたといわれている。

そもそも、「バカ」とは、
「まるで死んだみたいだ」という意味であり、
その根本的な語源は、
死を司る神「バー」と再生を司る神「カー」に由来する。

だから、大昔、「バカ」という語には、今よりもさらに重い意味があり、
「死」(バー)と、
さらにその向こうに「何かわからない再生?のゾーンが始まる?」(カー)
という意味の併せ言葉だった。

これが、わが国の街道用語に取り込まれ、走る道具の「馬」と野生動物の「鹿」とをあわせ、「馬鹿」という漢字を用いて、「事故」とか「衝突」を意味させるようになった。
これが、一般に広まることによって、少し異なる、現在の意味になったのだ。

とはいえ、現在では、街道交通の「主力」が、
「馬(バ)」から、古代、引っ張られる物を意味した「貨(カ)」に変わっている。
正確には、「貨」の中に「馬」が取り込まれてしまったというべきか。
(「馬(バ)」は今で言うと、「トラクター」の意味で、「馬力」という表現はこの名残である。)

それだから、「貨(car)」と「鹿(カ)」の「本質発音」での区別が出来なくて紛らわしい。

「貨(カ)」というのは、ちょうど、「トレーラー」と同じ意味で、これはユーラシア大陸東方での言い方だった。現在の言葉で、「車(シャ)」というのは、この「貨」が引っ張られるために回転する部分を言った。つまり車輪のことだ。

「貨(カ)」という呼び名が、ユーラシア大陸の西方に伝わったとき、「カー」という発音になまって、これがまさにcarという語になっているのだが、
不幸にして、現在の漢字表記では「車」という、本来「車輪」のみを表す語を以って、クルマ全体のことを表すようになってしまった。車全体を表す語は、本来は「貨」なのだ。
というのも、交通の発達がずっとアジア域で起こってきたのに対し、近代の産業革命が、ヨーロッパで起こってしまったということから、こうした「用語のねじれ」が多く見られるのである。


それはそうと、復路では、シカに対する「教育効果」が現れている。

ギアをニュートラルにし、アクセルを10回ほど煽って、空ぶかしをする。
10秒ほど、カーブの向こう側に音を響かせる。

もう一度、ギアを入れ、
ギアを落とし、アクセルをベタ踏み、回転数を上げ、排気音を響かせつつ走る。
カーブに入る前、ブレーキを少し強めに踏み、
カーボンセミメタルがローターを削る音を響かせる。

こちらの接近を予め奴らに教えておく。

身構えたシカたちの姿が見える。
シカたちはこちらの姿を見つけると、横の森の中にサッと身を退けて、こちらに道を譲る。
「教育効果」が現れている。

先を急いで走り続ける。
また噂話。
Y峠の至る所で霊を見ることができる。(目撃者多数)
この種の霊的噂話を書いたサイト
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/1477/miyagase.html

「原因」「起源」「歴史」「伝説」に一切言及していない、この種の霊的な話は、それこそ、「霊の世界に対する冒涜」という気がするのだが、
わかる気がする。

ずっと、至るところ、
霊が立っているような、
特に、あの木の下に誰か立っている、
そういう気がするし、
そういう雰囲気がずっーと漂っているステージなのだ。
いまにも、ライトが幽霊を照らしそうな、独特の雰囲気をもった細い道だ。
とくに、復路、集中力が途切れがちで、疲労が溜まってきている状態では、こういう心理状態になりやすい。
それと、停止寸前のだらだらとした低速の速域が、
そういった低次元な霊・幽霊と、波長が合いやすいのかもしれない。
100キロ域のハイペースな峠では、走っていると、むしろ、神々しさのような、神気の世界と波長が合ってくるものである。


道が広くなってペースを上げる。
かつて、ドリフトのソリスト達が集まったとも言われるエリアを、グリップ走行で駆け抜け、まもなく、宮が瀬北原に到着する。

それにしても、本当に疲れるステージである。
峠走行を「ウップンばらし」と称する方もいるぐらいだが、
そもそも、自分は、峠走行を「単純な快感」とは思えないし、
ヤビツ峠では、逆に、鬱憤は溜まっていく気がしている。
ここを走る動機は、それこそ「修行」でしかない。

ウップンばらし・・・
「あー、今日はイライラするー」
「仕事でヤなことがあったー」
「カノジョに振られちまったぜー」
こういう感情を吹き飛ばすための手段・・・。

ヤビツ峠を駆け抜けることが、これらのウップンを吹き飛ばす手段となるのか?
自分にはわからない。
むしろ、諸先輩方からのコメントを頂きたいところである。

これにて、一ヶ月の節目とタイミングが同じになったので、ヤビツ峠から離れる。
宮が瀬エリアについては、来月も語るけれども、「環状」の話をやりつつ、日によっては宮が瀬、ということになりそうである。
Posted at 2009/11/01 00:34:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月30日 イイね!

ロングツーリングの考察+宮が瀬北原→秦野(ヤビツ峠)

ロングツーリングの考察+宮が瀬北原→秦野(ヤビツ峠)今日もまずは、ツーリングレポートのまとめから入る。

誤謬の訂正(追加)から。高速代金が抜けていた。
15:34 73290km 大竹ICから高速に乗る。
     [自宅から957km、神戸から347km]
18:50 73552km 博多駅東ICを出る。(\6150)
福岡着。[自宅から1219km、神戸から609km]
こうしておいた方がよかろう。

ガソリンについては、9回、177.81ℓ、\22,142を注ぎ込み、往復2499kmの走行をした。
また、高速道路の代金を総計すると、\23,800であった。

ガソリン代(\22,142)+高速代(\23,800)=\45,942
さらにここに、
往路の神戸宿泊と復路の名古屋宿泊を
(計\7900←ビジネスホテルの格安プラン使用なので、まともな宿泊と睡眠を求めるならこれ以上削減不可だと思う)
足し合わせると、
東京⇔福岡の交通費は往復で\53,842ということになる。
片道平均\26,921ということになるので、
たぶん、「節約」にはなっていないと思う。

つまり「自己満足」を求めてロングツーリングに出向いたようなものだ。
まあ、出かける前から、それはわかっていたことではあるのだけれども。


さて、ヤビツ峠について。
宮が瀬北原を出ると、少しだけ道幅の広いところが続く。
オレンジのセンターラインがあり、それなりのカーブが続く。
ここが、
ドリフトのソリスト達がいたのではないか、
落ち葉拾いをしていたのではないか、
とされるエリアだ。

そこからさらに奥にいくと、川沿いの谷の中を通るようになる。
勾配は少ないが、道は細く、路面は荒れている。
すれ違いにも困るほど細いし、60kmも出せば跳ね上がってしまうほどに荒れている。
まさに、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」でなければ走れない。
道は徐々に登り、広くなってゆく。

この辺だと、人家や集落などがまばらにある。
そういうところに限って、シカがよくいる。(今日の画像。)
道端の柔らかい新芽を食べていたり、庭先の果実を食べていたり、場合によっては、道路の真ん中を占拠していたり。
こういう場合、
エンジンを吹かして大音響を立てる、
パッシングする、
クラクションを鳴らす、
などの行為で道から退けるようにするのだが・・・、
ヤビツ峠のシカは、他の峠のシカに比べると、「教育」の「やりがい」がある。
(ココの連中は、子鹿率が高いからか、少し、バカな部類に入るが・・・)
場所によっては、うざったそうに少し退くだけ、とか、そういう、ふてぶてしい態度をとる地域もある。
ここのシカは、煽り立てると「逃げる」習慣がある。
ただ、道の脇にサッと逃げればいいものを、
わざわざ車の進行方向に、こちらに背を向けて走っていく、妙な習慣がある。
なので、ホーンを鳴らしつつ、エンジンを吹かし、ジグザグ走行で追い立てる。
「オラオラー。とっとと道あけやがれー。道あけねーとー轢いちゃうぞー」
そう言いつつ、シカたちのケツにベタ付けして煽りながら、200メートルくらい、追いたて走行する。
シカが道を走るより、車が道を走る速度の方が速い、そう思わせることが重要で、
シカどもはそれに気づいたあたりで、道の横の森に走っていく。
邪魔者が退いたところで、間髪入れず、アクセルを全開まで踏み込む。
上り勾配。

この辺まで来ると、クルマの感触も変わっている。
「パワステが暖まる?」せいか、ハンドルは力を加えずともクルクルと回る。
アクセルも柔らかくなる。
ブレーキも、
タイヤも、
クルマの全てが柔らかくなって、
車の全身がトロける感触になっていることに気づく。
クルマの旋回性能が上がっている?
旋回することを嫌がらないクルマになっている。

ヤビツ峠の頂上に達する。
ここまでが裏ヤビツだ。


そして、ここから先が表ヤビツ。

一瞬、左手に夜景を見る。
坂を駆け下りる。
カーブは180度近い旋回。
まず左回り。
夜景は右手方向に来るが、もう見えない。
神奈川エリアに多いカーブの形だ。
自分は「すり鉢状のカーブ」と呼んでいる。
要は、コーナリングと、斜面が同時にある。

ネジの螺旋というか、
しかもそれが、一定ペースでないからタチが悪い。
たぶん、クルマを「巻き込むようにコーナリングする」のが正解なんだと思うけれども、
ドリフトならば、内側に食いつくようにするんだろうか?
ただ、そうすると、車体アウト側に逆バンクの角度がついてしまう気が。
とにかく、感覚でいうと、「ドン」と落ちるように、
コーナリング+ダウンヒルしているカーブなのだ。

こういうカーブが、神奈川エリアには、とにかく、凄く多い。
誰か、同じ人物が道づくりを企画or施工したのだろうか?

とはいえ、『頭文字D』のコミックで、チーム「246」との対戦が行われたのは、このセクションである。
また、「30分切り」のタイムも、
ここを、あの作品のような速度で駆け下りなければ出せないだろう。
そうはいっても、あの作品で、対戦相手は、
(たしかロードスターだった気がするが、)
どうなっただろう。
たしか、GTウイングが破損したことがきっかけで、車両のバランスが崩れ、スピンアウトしたのではなかったか?

あの作品は、所詮、フィクションである。
とはいえ、しげの氏なりに、このステージの「リスクの高さ」を考えた上での「オチ」だったのではなかろうか。
「すり鉢状カーブ」については、自分が写真をアップしようとも思うが、何より、しげの師のコミックスの、246との戦いの部分の描画が、こうしたカーブの雰囲気が物凄く出ているように思う。

そうこうして、スピードレンジが上がったところで、
市街地区間に入り、デイリーヤマザキがすぐに見えてくる。
ここで、しばし休息する。
Posted at 2009/10/30 01:39:30 | コメント(0) | トラックバック(1) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月29日 イイね!

ロングツーリングレポート+今後の宮が瀬(ヤビツ峠)

ロングツーリングレポート+今後の宮が瀬(ヤビツ峠)今日の出だしは、ロングツーリングレポートなので、一見すると、昨日の話からは関係ないように見える。
しかし、本質的には同じ話が始まる。
「体力」「耐力」「持久力」の話だ。
昨日が短距離走の話なら、今日のロングツーリングレポートは、「長距離走」の話である。
短距離か長距離かという違いだけで、本質的な違いはない。

東京⇔福岡のロングツーリングレポートを、そろそろ総まとめしていこう。
今月も、今日を含めてあと3日なのだから、3日間のうちに総まとめしていこう。

<往路> 東京→福岡
10月14日水曜日。
12:27 72333km 東京の自宅出発
中央高速八王子ICから甲府昭和IC。(\2400)
一般国道20号(甲州街道)を走行。
16:17 72521km 諏訪ICから
17:35 72646km 中津川IC。(\3400)
一般国道19号を走行。
20:00 72720km 名古屋[自宅から387km]
東名阪自動車道に入る。亀山ICまで。(\2050)
一般国道・名阪国道
西名阪道(\800)
阪神高速(\700)
23:00 72943km 神戸着[自宅から610km]

神戸で宿泊。

翌日 10月15日木曜日。
07:17 72944km 神戸出発
一般国道2号(山陽道)をずーっと走行。
尾道、広島、岩国を通過。
15:34 73290km 大竹ICから高速に乗る。[自宅から957km、神戸から347km]
18:50 73552km 博多駅東ICを出る。福岡着。[自宅から1219km、神戸から609km]


<復路> 福岡→東京
10月18日日曜日。
16:43 73591km 福岡発。博多駅東ICから入る。
17:59距離不明。美弥西ICを出る。(\3650)
少し休憩しつつ、一般国道2号を夜通し走り続ける。
日付も変わるが、自分にとっては、まだこの日が終わっていない。
03:00頃、明石西料金所?(\100)
神戸→大阪 阪神高速(\1200)
05:30 西名阪道に入る(\800)
名阪国道
東名阪自動車道。亀山ICから名古屋勝川IC。(\2050)
07:00頃74452km 名古屋着
[福岡から861km]

名古屋のビジネスホテルで睡眠をとる。

10月19日月曜日。14:00頃起床。
14:30 74452km 名古屋出発
岡崎から少しだけ東名に入る(\500)
一般国道1号(東海道)を沼津まで走行。
沼津から246を通って相模原方面に出てくる。
日付変わって10月20日火曜日。
01:35 74832km 帰宅。[名古屋から380km、福岡から1241km]

備忘録を兼ねて、データー・記録を羅列したが、これについての検討は、また明日に譲る。

あと、書いてみてつくづく思うが、このブログは基本的に、「本質的には」ずーっと「同じ話」をしているだけである。
それは、「走りの話」である。
まず、「走り」に関連することばかりだし、
「走り」以外のことがらも、所詮は「走り」から生じた思考に他ならない。
つまり、ずーっと「走り」の話しが、ひたすらひたすら語られているのだ。

それと、ヤビツ峠の話も、あと3日間のうちにまとめよう。
「ヤビツ峠」という「名目」で本当に長々と語ってきた。
宮が瀬エリアのうち、「中心」「周辺」という言い回しでは、ここは「周辺」だろう。
しかし、「周辺こそが中心だったりする」、まさにこのことだ。
だが、「中心」の「周回道路」を語らずして、宮が瀬エリアの話を終わらせるわけにはいかない。だから、来月からは、宮が瀬の「周回道路」の話をしようかとも思った。
が、「環状」というカテゴリーをせっかく設けたので、来月の初頭は、「環状」について語っていこうと思っている。
来月の中旬以降に、また、宮が瀬エリアに戻ってくるか、
あるいはまた、「環状」と「宮が瀬」を交互に語ってゆこうか、今考えている。
ともかく、来月中に宮が瀬エリアについて語り尽くしたいと思っている。

それと、明日と明後日の話を少しだけするなら、「シカ」だ。
「鹿」の方だ。
私の「弱点?」の「歯科」ではない。

ヤビツ峠もまた、関東近辺の峠道と同じように、シカが多い。
明日・明後日のブログは、シカが大好きという人は・・・見ない方がいいかも・・・。
Posted at 2009/10/29 20:24:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月28日 イイね!

短距離走的体力とラリースト的「修行」(ヤビツ峠)

短距離走的体力とラリースト的「修行」(ヤビツ峠)ここまで、長々と、ヤビツ峠における「他人の話」をしてきたが、いくらその他人をリスペクトしていようと、神様扱いしていようと、他人は他人で、経験談としてはあくまで他人の話に他ならない。

ここからは、「私とヤビツ峠」という視点で語っていこう。

「私」がヤビツ峠に対して持っている「姿勢」を語っておこう。
それは、「走り抜ける道」「反対側まで出来るだけ最短時間で走り抜ける道」という「姿勢」で臨んでいる。
実際のところ、こうした「姿勢」は、「単なるステージ荒らし」という指摘を受けないでもない。
しかし、自分には、これを「正当化」する「根拠」がないわけではない。

ラリーストの新井氏のことは、大概の走り好きの方はご存知であると思う。
群馬出身の新井氏が二十代の頃、群馬の林道は「荒れていた」とされている。
この「荒れていた」というのは、「現代でいうところの荒れていた」とは正反対の意味だ。
現代の場合、誰も林道を使わなかった結果として、草に覆われて通行不能の状態になることを指す。
対して、新井氏が二十代の頃の群馬のダート林道は、「過剰使用によって荒れていた」という状態だったとされている。
要は、様々な走り好きが、タイム計測を行って、アタックを毎日のように行った結果、道に深いワダチが出来てしまい、車でのアタックに支障をきたすようになってしまったということだ。
だから新井氏は、林道ではなく峠道、舗装路を走ることで技術を磨いていったとされている。
しかも、特定の「ホームコース」を走りこむのではなく、様々な峠に繰り出していった。
そうした過程で、初めてのコースの、初めてのカーブを一発で「見抜く」センスを養っていった、ということである。

自分も、ヤビツ峠に対する考えは、新井氏のトレーニング法になぞらえたものだ。
ただ、自分には、初めてのコースの、初めてのカーブを一発で「見抜く」までのセンスはまだ養われていないので、何度か走ることにはなるわけだが。

宮が瀬北原の交差点から、反対側の秦野市側まで、約30キロである。
60キロ平均で行けば、約30分で向こう側まで抜けられる計算だ。
しかし、ヤビツ峠のコース全体を見ると、「30分」という時間は、多くのドライバーにとって「机上の空論」に他ならない。
しかし、この「30分切り」という大台を目指して、ここを走る、それを目指す、という姿勢である。

かつての、勇猛果敢なストリートファイターたちは、ここを「全力で」走ったというので、「30分切りなど余裕」だったといわれている。
サーキットトライアルを志す人々に言わせるところ、
「峠でのアタックなんて、死への恐怖と如何に戦って、無謀な運転するかってことだから、あのヤビツ峠、アレを全力でいける奴ってのが、峠で速い奴ってことだよ!」

そういうことであるらしい。

実際のところ、ヤビツ峠は、すれ違いに苦労する箇所が多くあり、かつ、峠道としての通行量も相当にあるため、いつでも、停止・すれ違いを行える体制で走ることしか出来ない。

言い換えれば、いつでも停止・すれ違いを行えるような速域までしかもっていけない、ということなのだ。
上記「峠で速い奴」という人を除外するが。

自分についていえば、当然、「峠で速い奴」ではない。
ヤビツ峠での走りは、いつでも停止・すれ違いを行えるような速域までしかもっていけない。
ただここで、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」というのには、車によって、何より、人によって、個人差がある。
ある人は、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」が20km/hかもしれない。
ある人は、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」は40km/hだったり、
また別の人では「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」は80km/hかもしれないし、
「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」が、100km/hという人もいる。

つまり、この峠を「走り抜ける」ことにおいてのキーポイントは、
「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」なのであり、
ここでいうところの「技術」・「技術の向上」とは、「いつでも停止・すれ違いを行えるような速域」を上げてゆくということを意味する。

とはいえ、この状態を維持して運転していくことは、とてつもなく体力を消耗する。
秦野側に出たら、すぐに折り返して宮が瀬北原に戻りたいところだが、残念ながら、体力上、それが出来ない。
秦野市側、ヤビツ峠に最も近いデイリーヤマザキに寄って休憩をとらざるを得ない。
「短距離走」における最大限に張り詰めた状態での、今の自分の体力・集中力は、一度に30kmがひとつの節目・限度なのかもしれない。

また、この「休憩」が曲者であり、ここで食事をとると、復路はペースダウンしてしまう。
かといって、コーヒーだけで戻ると、それこそ、不愉快なドライブとなって、極度の疲労・空腹を通り越して、不快な状態で帰宅するハメになる。
しかし、それも、走りのパフォーマンスのためには、致し方ないのかもしれない。
Posted at 2009/10/29 00:02:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記
2009年10月27日 イイね!

「悔い改めよ」+伝承・・・神技(しんぎ)と真偽(しんぎ)(ヤビツ峠)

「悔い改めよ」+伝承・・・神技(しんぎ)と真偽(しんぎ)(ヤビツ峠)
10月27日火曜日、夕刻現在。
台風も過ぎ去ってきたのか、天候は回復。先ごろまで、吹いていた強い風は、ようやく、おさまっている。
10月25日日曜日と10月26日月曜日の、自分の「カーライフ」は、かなり荒れた。

この二日間で、「悔い改めよ!」という内容の啓示を何度受けたことであろう。

10月25日日曜日、天候は比較的良かったと思う。
千葉の「中古パーツ店」に出かける。
減っているフロントタイヤをアドバン・ネオバに変えようという試みだったが、ホイールの歪みが酷く、「バランスとれません!!」とのことで、ネオバ購入を断念。
仕方なく、後輪を前に出し、減った+ホイールの歪んだ前輪は後輪に。
(FF車は、こういう「荒療治?」が出来るからいいねえ。←ただのゴマカシという説も)
「こんな・・・ホイール歪んで・・・。何か、思い当たることはありません?」
「・・・・・」(無言)
このとき、自分の脳裏には、09月30日と10月01日のブログの件が浮かんでいた。
しかも、この「歪んだ」ホイールが、ダメージを受けたあからさまな可能性は、実は、このときだけではない。同じホイールの位置で、これ以前にも「キャッツアイにヒット」をやって、タイヤを壊していた。
この日、自分の手間の割には、前後輪を入れ替えてもらった(+ちょっとした検査)だけ。
それと、「備忘録」このときの走行距離74,942km。
(帰りの東京方面は、渋滞が激しかった。全く、このエリアは以前もそうだった気がする。)

10月26日月曜日、天候は雨。
合間の時間に、某ショップへ行く。
ここで主人にエンジンオイル+オイルフィルターの交換を依頼するも・・・、
「雨の日に、オイル交換?」
さらに彼の口からは、「悔い改めよ!!」という趣旨の発言が続いた。

自分「日本の走り屋ならば、アドバン・ネオバを知っておかねばならない!ですよね?」
主人「はあー?? で、ネオバの08?」
自分「07ですよ。08の中古は出てない。」
主人「中古タイヤー?走る気、あるの?走る気あるなら、新品でしょ。そもそも、ノーマルの足にハイグリップタイヤなんて・・・(以下略)」


ともあれ、
前日から私にしきりに発信されたメッセージは全て、
「悔い改めよ」
という内容のものであった。



さて、
画像は良くないが、宮が瀬北原交差点。
「そして、そのシルビア使いは神となる」
いままで、こういう話をしてきた。
こうした話を、
「峠の走り屋」とか、
「シルビア」とか「チェイサー」とか、
「ドリフト」だの「ソリスト」だの、
という表現を用いて言うから、極めてウソ臭く感じるのであって、
現に、多くの山の神社の御神体は、
こうした、「混同」による効果の結果として現れた、
「B」という側が「祭神」とされているのだ。


「神技」が象徴化され、
「神技」が伝承され、
「混同」が生じ、
元来、「信者」であった者が、「神」となる。

これについて、「混同」という観念を捉えた。
さらに、「正当性」ないしは「正統性」をめぐる「橋渡し」問題として、
「神技」の「象徴化」を捉えてきた。「神前の舞いとしてのドリフト」や「極限のダンシングライン」の話だ。
では、最後に、残ったのは「神技」の「伝承」という観念だ。


「神技」を媒介として、「神性」の「伝承」が自然発生的に起こってゆく。
「伝承」とは、読んで字の通り「伝え承る」、
古くからの技術やしきたりを受継いで伝えて行くことなわけで、
当然、「伝える側」と「受継ぐ側」が存在し、この関係を言い換えると、「師弟」となる。

ここで、師弟間の情報の伝え方が、即ち「伝承形式」となるわけだが、
ここには、「完全相伝」と「一子相伝」の二つの種類が存在する。

ここに、少しばかりの問題点も考えられうる。

「伝承形式」が「一子相伝」である場合には、「継承」される者は一人に限られるわけだから、「信者が神になる」ということはないだろうし、信者が神となるということは、「神が死ぬ」という恐ろしいことを意味してしまう。
通常、どこまでいっても「信者は信者、神は神」である。

そもそも、「一子相伝」の具体例は「家元制」で、
特定の力量の継承候補者に情報の全てを伝授するが、そこに「家職」としての限定条件が加わる。
ここにおける「師弟」は、「親子」であり、伝承人数は一人のみ且つゼロ。
つまり、読んで字の如く、一人の子供に相い伝えることだ。


一方で、
「完全相伝」とは、技術やしきたり等の師匠が蓄積した情報の全てを、継承を望む弟子の中からそれに見合った力量の者に伝授する形式を言います。
当然のことだが、弟子全員に伝授されることもあれば、ほんの数人から一人、場合によっては無しということもありえる。
また、伝授された情報を、そのままの形で伝承することを強制されない。
そのため、少し違った形で技が伝承されたりするわけで、伝承そのものの裁量権も与えられる。つまり、全てを継承者に授け任せる形である。

伝承に関する関連サイト
http://www1.odn.ne.jp/~cas30550/chanoyu-j/densyou.html


では、われわれ走り屋の世界、
「山のカミ」の「神技」と、ソリストとしての走り屋が発する「神技」とは、どちらの伝承関係であろうか?

それは「完全相伝」の方である。
「伝統社会」の多くが、その技の伝承を「一子相伝」としているのに対し、
我々、走り屋の世界は、「完全伝承」的な世界なのである。

そのため、「信仰対象としての神技」は、「完全伝承」によって正統に、「継承」・「象徴化」される。
ここに、「ソリストB」を以って、「峠の神A」を表現するに充分な状況が現出した。
また、完全伝承であるから、伝承を受けた者は、「一人のソリスト」だけとは限らない。
それは、「チーム」であったりする場合も多い。
こうした、神として崇められた集団を、昔から、「族」と呼称して敬ってきたのである。
「家族」「民族」「部族」という「族」の字には、こうした意味が込められているのだ。

「完全伝承」と「象徴化」によって「神技」は「継承」され、
「神」と「信者」とは一体化し、
ここに、「混同」の効果が発生する。
即ち、「神」と「信者」という関係が、解消され、
「そして、そのシルビア使いは神となる」


いままで、こういう話をしてきた。

しかしながら、ドライビング技術の観点から、とんでもない突っ込みが入る余地があった。

「ソリスト? 極限の美? ガードレールぎりぎり?
冗談じゃない!
ドリフトの技術が高いか低いかってのは、進入速度!!寄せることじゃありません!」 
とか、
「舞の動線? 究極のダンシングラインを確保? そのために落ち葉拾い?
ドリフト走法に落ち葉拾いは不要ですよーだ!左右タイヤのグリップも滑る度合いも、違うこと前提に滑らすんだから。全部のタイヤ、違ったμの状態で滑らすんだから、落ち葉あろうが無かろうが、そのラインは使えるんですよーだ。ドリフト初級者でなければね!
ドリフト上級者に、落ち葉拾いは必要ない!!」
しかも極めつけは、ステージ要素からの突っ込みどころ、
「エンジンの? 回転数が? 上がり? 官能的な叫びを上げるぅ?
改造マフラーでぇ? 山一面にぃ? 排気音がぁ? こだまするだってぇ? え?
あそこはねー、近くに交番があるでしょー。ちょっとだけ市街地になってるとこ。
そんな排気音をガンガン立てて、その上ドリフトをガンガンやろうモンなら、あそこまで音がガンガン響いて!宮が瀬北原のとこ、パンダに閉鎖されて、臨検受けちゃいますー。違法改造云々って!
だからー、ヤビツ峠の宮が瀬側に、ドリフト族はいませんーっ!!」


私は狼狽した。
しかも、これが、「山岳信仰」の観点からみても、「神前の舞を奉納する者」という話を、実際には聞いたことがなかったからだ。

「実際の祭神」。
「むかしむかし、この街道で馬を走らせることは困難でしたが、彼の、神がかった、飛びぬけた乗馬センスは、この峠をアッという間に通過することを可能としたのでした」
とか、
「彼は、イノシシの背に乗り、いっときでこの峠を越えたのです。
彼が猪年生まれだったからか、そういう因果関係は今となってはよくわかりませんが、彼がイノシシを操る能力は、神がかっていて、彼がイノシシの背にムチをあてると、イノシシたちは走ることを最高の歓びとして、神明を賭して、彼のために走ったのであります」
峠にある神社の御神体・祭神について、調査してみると、こうしたケースばかりである。「木こり」とか「馬使い」「イノシシ使い」、後ろの二者は、「峠最速の神様」といって何ら差し支えない。

実際の祭神は、まさに「峠最速の神様」なのであり、
まさに、「速さの世界」「数の世界」の神様であるといってよいのだった。
「三峰神社奉納ドリフト」のような、走りにおける「美の世界」は、まだ、信仰と神の域、「神域」へは達していないのかもしれない。
「混同」の効果は発生していないのかもしれない。
Posted at 2009/11/25 20:15:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宮ヶ瀬 | 日記

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