「わが社のクルマを購入するような者は、バカである」
byエンツォ・フェラーリ
ブログ主は鉄道の世界に対して「浦島太郎状態」・・・、
「月日が経つのも夢のうち~♪」であるわけだが、
そういえば最近、鉄道に乗っている夢をよく見る。
しかも現実の世界では鉄道を一切利用していないので、夢が、現実の知識を浸食しつつある。
だから、頭の中の、東京の路線図は、相当おかしく変わっているかもしれない。
具体的には・・・、
西武新宿線、
アレ、上りの終点は、西武新宿だけですよね・・・?
上り方向は直通運転や分岐など無く、「西武新宿」オンリーなはずなのに、
私の夢では、
池袋線が地下鉄有楽町線に乗り入れているのと同様、営団地下鉄に乗り入れている。
だから、分岐している。
たぶん、南北線あたりか・・・?
これ・・・、夢でいいんですよね?
鉄道のことに関しては、夢が現実の記憶を浸食しつつある。
夢で経験した行き先・路線図の記憶が、現実の経験が記憶した路線図を、書き換えつつある。
(っとゆーか、今、「営団地下鉄」と書いたが、現在の名称は「東京メトロ」だった気がする。)
さて、
(これ以下は完全にフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません)
「男の中の男になる儀式」そういった活動を行い、
確実に、妻の父さんを越えようというわけだが、
彼は、「チェイサー」「狩人」だったから、親しい者にも、自らの全ての部分を見せないのだ。
特に、私に対して、
車での走りに関して、隠していることがある。
はっきり言って、あの走りには、
ドリフトをしない状態でのあの人の走り方には、既視感があった。
つまり、私は、彼の「義理の息子」となる以前に、彼を見たことがあるらしいのだ。
彼は、暫くの間、東京で活動していたことがあるという。
それ以上のことを彼は言わなかった。
はっきり言って、私は彼が、
以前、
「高速湾岸線の帝王」と呼ばれた人物なのではないかと睨んでいる。
しかし、彼の口からそれを聴くことがないままに、
彼はあの世へいってしまったので、
もう今となってはわからない。
だが、決定的な証拠が、妻の実家にあったはずだ。
黒いチェイサーを、「ブン回し用」として、ガレージの手前にポジショニングさせていた。
しかし、その後ろには、別のドイツ車が控えていた。
あの人は俺がいるとき、その車を乗り回すことは絶対になかった。
しかし、あれだけ状態がよく、
かつ、
問題なく動く雰囲気は、絶対に、俺が来ていないときに乗っていたのだ。
つまり、「自らの正体」を俺に対して隠していたのだ。
あの車は、いま、東京の方に持ってきたんだっけか。
妻はあの状態となっているので、秋田の家は、また別の人間に貸し出したわけだから、
あの家には、大型ガレージが二つあったが、
両方のガレージ内の車は、全車引き払わざるを得なかった。
家事に用いるSUVは真っ先に売却したし、
俺のCT系ランエボは、二台とも廃車にした。
あの父さんの「遺品」となった車は、
知人の陸送屋に頼んで、こっちに持ってきたはずだった。
あのマシンたちがこっちに来たら、よくよく観察して、彼の真の人となりを観察するつもりだったが、このところずっと、日常でこなすことが多すぎて、自分の家のガレージにも目が行き届いていなかった。
あの父さんが死んだときから、かなり家の中はバタバタしていたし、
それが一段落した刹那、私は妻をああいう状態にしてしまい、
また、「職業」の方も、一段落させる必要性があった。
そうして、それらの全てが一段落して、ゆっくりとした時間が流れ始めたのが、一昨日くらいのことだ。
それでも、今の私の「脳内の視線」は、あのような妻と、このGT-Rに行ってしまい、家の中の他の物が見えにくくなっていた。
自分の家の中のものでさえ、その全体が見えていない。
それは視野の狭窄であり、私のこの間までの「職業」の価値観で言えば、「リスクの増大」に該当する。
しかし、こういう視野になったとき、
高高速セクションでのスピードレンジが跳ね上がるのである。
皮肉だ。
皮肉にも、高高速域での視野の狭窄と、その他生活での視野の狭窄とが密接に関係しているのだ。
Posted at 2009/11/27 08:47:57 | |
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