
本日も、昨日に引き続き「英子先生」とお会いする。
昨日は鎌倉だったが、今日は埼玉県某市の英子先生の自宅へ、弟分を引き連れて二人で。
私の弟分は、「英子先生」の「弟子」である。その「習い事」を彼が集中的に特訓されるわけである。今日においての私役割は、「雑用係」である。「英子社長」の客ではない。そのため、灯篭運び等もせねばならない。(写真)。
とはいえ、弟子+αのあるべき姿としては、明け方から参上しなければならないのだろうが、着いたのは、AM9:30過ぎ。だから、実質「お客さん」と思われているかもしれない。
それにしても、「R伝説」の「彼」が、深夜の四面道で「奴」を待つ間、缶コーヒーを飲みながら思い出していることについて・・・、
「彼」が思い起こしている記憶のここから先、
「彼」と「彼の妻」に「いつも通りの朝」がやってきた最後の日、
井荻トンネルで運転席の妻から、離婚を切り出されて、それを無視したまま、このランエボは彼の事務所に着くわけだけれども・・・、
そこから先、ここから先の200時間余りの間に、「彼」と「高高速モーター」の再会が生ずるわけだけれども、それを詳細に書くことは、極めて問題が大きい。
ブログ主の頭の中には、「こういう人物(彼)なら、こういうふうに振舞うんだろうな~」という、確固たる「彼」の「振舞い方」が、存在しているのだけれど、それを明々白々に記述すると、あまりにバイオレンスの要素が強調されるため、残念ながらそれを避けざるを得ません。
さしずめ、「彼」自身の自己防衛本能から、この200時間については、ぼやけたように思い出す癖があるとでもしておきましょうか。まあ、実のところ、「彼」は、「死体遺棄」を計画し、それを遂行しかけたことの方を、暴力行為以上に恥じていることからもわかるように、そういう「ゴマカシ」を凄く嫌う癖があるのですが。しかも、残念ながら、彼が「恥じた計画・未遂」が高高速モーターとの「再会」の「引き金」であったのだから、なおタチが悪い。
さて、
夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかる。
「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。
無論、法はそうした遺棄行為を禁じている。しかし、相互扶助義務というものも、こうした局面においては相当程度空文化している。
一方で、私と妻との関係においては、刑法が空文化していた。少なくとも、私の究極的な意思決定の中に刑法が介入する程度は、通常人に比べて相当に低い。
対外的には勿論、空文化することなどありえないわけで、殺人行為が成立しそれが発覚していたなら、俺は殺人罪に問われていたろうし、妻の今の状態の発生原因だって、傷害罪の構成要件を充足している。ただ、首を絞めた傷痕はもう消えてしまって、今となっては、脳溢血などと区別が付かなくなってしまっている。そのため、単に私が刑事上の訴追を免れているだけだ。
だが、心肺停止状態が続いたことによる酸素不足で、脳は相当酷いダメージを受けていた。妻は廃人となってしまった。言い換えれば、私は妻を廃人にしてしまった。私は一生、この廃人と共に生きていかねばならない。
「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。
昔、
私と丁度同じ歳の俳優だったか、
重度の進行性の病気を抱えた歌姫を妻にした者がいた。
こういうケースでは、妻が意思表示不能の状態に・・・、廃人に陥って生き続けたパターンにおいて、夫の「愛」の在否が表出してしまう。通常、「愛」が問題となる局面は、実のところ、極端に少ない。特に、あまり感情論を重視しない我々、男にとってはなおのことだ。
彼は、どうしただろう?
いまとなっては、もうわからない。
わからないし、わかる必要性がない。
自分の問題となったから。
彼らの人生のありようを実験データーのようなものとして、注目する必要性が、どこにも無くなったからだ。
夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかるのだ。
愛がなければ、こう言って棄妻するだろう。
「こんな廃人意味ねーよ!」
現実には、こっちが多数派だ。
ごく少数、夫は妻を愛玩し続ける。
私と丁度同じ歳の俳優は、進んで、その可能性を選び取ったのだから、私と同じ年頃の男たちは、皆、彼の度胸に驚嘆かつ、彼らに、実験結果を楽しみに待つが如き、興味深い視線を向けていた。
一方、私は、自らの手で、妻を廃人化してしまった。
傍若無人な男は、刑事訴追の可能性が希薄化した時点で、喜んで棄妻するだろう。
しかし、私の魂がそれを許さなかった。国家権力ではなく、たぶん一般用語で言うところの「神」が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑していた。
私が持つ愛が、
私に対する神からの刑罰の媒介物、
つまり「手錠」となってしまった。
いつも通りの朝がやってきた最後の日、
環八の井荻トンネルに入ったとき、妻から離婚を切り出された。
そのあと、妻の言葉を黙殺したまま、私の事務所に到着したが、その日の夜には、妻の署名がしてある離婚届を提示され、私は書名を求められた。
このあと、200時間くらいに渡って起こったことを、私の頭の中でも、思い出すことそれ自体が有害だろう。
しかし、この後の200時間くらいの中で、この高高速モーター搭載型のGT-Rと、思いがけない「出会い」をした。
しかし、その出会いの「動機」は、極めて不純なものだった。
触媒の取っ払われた、改造マフラー搭載型の、ハイパワーターボ車で、バリバリと存在感を誇示することが、極めて不都合だったから。
しかも、私は彼女を捨てようとした。
私の頭の中には民法770条の如きものはなかった。というより、離婚による姻族関係の終了に関する規定は、完全に頭の中で空文化していたし、それに伴って、刑法199条の如きものも、頭の中で完全に空文化していた。・・・しているはずだった。
つまり、私は妻をぶっ殺すほど愛していたのだ。
正々堂々と捕まって、その上で、「ぶっ殺すほど愛していた」と言えばいいのに、
私は妻の肉体を捨てようとした。
高高速モーターとの「再会」のきっかけとなった「動機」は、本当に不純で保身に満ちた、下劣なものだった。
妻の肉体を捨てるために、存在感を誇示しない動力機関を連れてきた。
それが、「再会」のきっかけだった。
しかし、妻は、息を吹き返した。
私が妻を捨てることは、なかった。
捨てることにならなくて、本当によかった。
その点は・・・、よかった。
そして、その後、自分が、愛のある夫だったと、
数少ない、「愛のある夫」の一員であったと、自覚することができた・・・
自覚するハメになった。
はっきり言って、それは、単に私の殺害技術が未熟であったことによる結果に過ぎないし、
見方を変えれば、国家権力ではなく、
神が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑することになったに他ならない。
際限なく大きな代償を負ったことの裏返しと、それによる自己満足でしかない。
刑罰のあり方を「医療モデル」などというが、まさに・・・医療だ・・・苦痛だ。
「治る為に治療を受ける」という、目標に向かう自己満足感、加えて、大きな肉体的・精神的苦痛・・・。