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猛走峠のブログ一覧

2009年11月25日 イイね!

チューニングとは~+美しき人形(環八)

チューニングとは~+美しき人形(環八)「男として生まれたからには
勝負しない人生なんて
死んでいるのと同じなんだ・・・」(by大宮智史)
しげの秀一『頭文字D』34巻 2007年 講談社



今朝、ブログ主は夢をみたのだが、
それはこのブログで語られている環八のR伝説と、凄く関係の深い夢であったのだけれど、
この「夢」の話はまた明日。


そんなことより、本日、このブログに対する初の「重大苦情」が。
(ようやくこのブログも影響力が出てきたか♪←突っ込みどころ:「不謹慎な!っんなわけないでしょ!っバカっタレがっ!」)
まあ・・・、こういう具合に、自分で言うのも何ですが、
ホンっト、毒の強いブログだこと。
フグ料理のような魅力は・・・出ているだろうか?出てないだろう。
(突っ込みどころ:「冗談言うな!アレは毒を取り除いてあんだよ!」)
(蛇足:フグの毒ってアレ、「死んだ!」と思っても生き返ることがあるんでしたっけ?!)

そこで、ブログの「チューニング?」「バランスとり?」をすることに。
とりあえず、「毒」の部分については、マイナス効果を発生させる部分を消す「チューニング」を繰り返しつつ、ブログの熟成を行うとして、
結果として、最終的には「円熟のパッケージング」が出来上がれば、
そして、ブログ主自身のカーライフとドライビング技術が、滑らかで、完成度の高いものへと昇華出来れば、万々歳である。

しかし、
今更ながら新たな発見!
このみんカラの機能は、過去のブログ内容の書き換えが容易なんですね。
(きっと多いんだな。「インチキた~くさん書きよるの~ぉ!オラそんなこと言ってねーべー!!」とか。)

言いたいのはそういうことではなく、
時間が経って後から巧妙に扮装することが可能だということ。
と・・・いうことは・・・、たぶん、数年後には、「走り」や「多摩湖道」の内容は、多くが書き換わっている!
それこそブログ主は、多摩湖道→奥多摩→群馬と純粋進化した、「走り屋の中の走り屋」だ!
というように、
巧妙に美化・扮装が為される可能性が高いのである。
(いつまで加筆可能なんだろう?)

・・・ブログ主の最近の生活は、とんでもなく慌しく、「仕事を複数抱えた状態」に近いものがあるため(残念ながら、専業の走り屋ではない)、そういう熟成・美化・脚色・改ざん!をする余裕はあまり無いので、無理だとは思うが。




さて、
(これ以下は、完全なるフィクションであり、登場する人物・団体などは、実在のものとは一切の関係を持ちません。)

子供は、私の母に預けて、日本に置いて行くとして、
では、あの別荘に妻を連れて行くか・・・?

まったく・・・、あの別荘の目的も随分変わってしまった。
もともとは、純粋に別荘だった。
森の中の別荘だった。
だが、あれは「基地」に目的が変わった。

「人形」となった妻については、腕を組んだり車椅子に載せたりして、連れてゆけるとのこと。ただ、マシンと一緒に、我々も、少しばかり時間を掛けて船でゆくことも、選択肢のうちではある。

そうこうして、
ようやく、私は、男の中の男になるための、イニシエーションに、
自らの心に刻まれた劣等感を克服するためのイニシエーションに、
今更ながら、挑むことが出来るのである。

それが達成されたとき、僕たちが「奴ら」を倒すことが出来たとき、僕は君の父さんを確実に越えることが出来るのである。

しかし、もう、際限なく大きな代償を負っていた。

自分が男の中の男となった時、
最高にかっこいい男になったとき、
眠り姫は目を覚ます。
残念ながらこれは、ファンタジーの中だけで成立する話である。
現実にはそう上手くいかない。
現実は、悲惨だ。

いま、妻の容姿は、日本人形そのものだ。
生きた人形だ。

茶色だった髪は、完全に黒に入れ替わり、
紫外線に殆んど当たらない、肌は透明感を増し、ニキビ一つ無い。
実年齢の30代には到底見えないし、また、実際の20歳前後は脂肪がつきやすいため、これほど細々しいラインはあまりないだろう。
家で車椅子に座るその姿は、いままでのどの日本人形でも、確実にこれに追いつかない。

しかし、
そのグレーの瞳が、
彼女が父から継承していたグレー色の瞳が私を見つめることは、もうない。
意思表示不能の状態に陥り、ヒトとしての高度な機能・・・つまり言語を失っている。
幸いだったのは、トイレというものを忘れていなかったこと。
箸の使い方も忘れてしまったから、食事については・・・、犬である。


自分が男の中の男となった時、最高にかっこいい男になったとき、
この女を抱くことは出来ない。
年齢的に、露出の高い過激なドレスアップが最も似合う時期だし、実際、以前はそういう格好が凄く似合っていた。今は、恐らく、着物が最高に似合う容姿であるけれども、そういう色っぽいシュチュエーションは俺たちの間にはもう来ない。

こうなってみてわかったのが、とかく男女の関係は、「ヒトとしての醜さ」を多少包含したところにあること。
今の妻は、さしずめ「ヒトの美しい容姿をした、イヌ?」であろうし・・・、
でも・・・それは・・・、
美しい。
半端じゃなく美しい。

しかし、気持ち悪い。
半端じゃなく気持ち悪い!

男の中には、
人形を相手に行為に及ぶことが出来る人間が、相当数いるという。
単に、
美しさを言えばアレも相当つくり込まれていると言われているが、
人形としての美しさは、
「生きた人形」となった私の妻には、遠く及ばない。

しかし、人間としての要素を失い、
ひたすら人の形をした者の「美」に、
その純粋な「美」に、「性」が介在する余地がない。

こんなことだから・・・、
当たり前ながら・・・、
私は40代にして、早くも妻との性関係を完全に失った。


「こんな廃人意味ねーよ!」
そう言い出す奴の気持ちも・・・、俺にはわかる。
Posted at 2009/11/26 07:31:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月24日 イイね!

確認事項とホームスクール(環八)

確認事項とホームスクール(環八)ブログ主が、「英子先生」の家での灯篭運びは、現実のことです。
一方、R伝説の「彼」は、そもそも、現実の人ではありませんし、
また、「彼」が妻の「墓堀り」をすることに関しては、未遂だったのです。

夢と現実、物語と現実との区別は、明確につけておく必要性があります。
この点についての逸話に、明日分以降のブログで触れることになります。

ここから、再び環状のカテゴリーに話を戻すことになるが、「彼」が、高高速モーターに「再会」するときの200時間程のことを克明に記すことは、良くないと思われる。
「彼」は、その時間内に生じたことを恥じているのであるから、その部分を克明に記すことは、彼に対する冒涜という見方もできよう。
そのような冒涜は、ブログ主には出来ない。
なぜなら、ブログ主は、「彼」のことを相当リスペクトしているからであって、リスペクトしている人を貶めることは断じて出来ない。

あと、言い方を変えれば、「DV天国」などというものの、
彼は結局、DV行為を恥じており、
その行為を行ってしまい、家庭崩壊させているが故に、
彼も、彼の妻の父親もろとも「男として失格」という判断をしているわけである。

そりゃそうだろう。
家族に暴力を振るう男が、男として一流なはずない。
しかし、
(明治時代に多かったが)「俺りゃ神様だー!!」というのが口癖のタイプの男なのだから、神様になるための儀式に挑むことが、必然的に求められるのである。
彼は今のところ、もう少しグレードダウンした、「男の中の男」という言い回しをしているが。いずれにせよ、神様になるための儀式に挑むことが、必然的に求められるのである。

また、四面道でコーヒーを飲みつつ、待機する「彼」の回想は、以下の内容は、200時間よりも、随分後の時点に飛んでいる。もう、彼のGT-Rが四面道にいる時点よりも、いくらも前ではないと思う。

あと、以下で「さて、」と言ってることについて、今更ながら確認すると、
「さて、」以降は、現実ではないと考えて差し支えないです。
少なくとも、環八での逸話に関しては、現実ではないです。
それこそ、このエリアでの取り締まり活動の盛んさ・凄さと言ったらもう・・・。

さて、

私は、事務所の全権を、最も信頼の置ける部下に任せた。

子供たちは私の母に預けた。
とりあえず、そうしようと思っている。

遠征先の国がアメリカであるなら、この子供たちも連れて行って、家事手伝い人以外に、家庭教師の類を雇いつつ、ホームスクールにすると思う。

正直、私は、
アメリカや中国の傀儡である日本政府・国家権力が、学校教育を通じて、子供たちの日本人意識と誇りを解体する日本の現状を許せないと思っているし、どこの国に移住するのであれ、政府の歴史観等が子供に流入することが嫌いなのである。

一方、中国やイスラエル等は、都市住民に対しては、親と子供を引き離して、親の歴史観が子供に流入することを防止・禁止している。
アメリカの「保守層」は、政府の存在そのものが「絶対悪」「必要悪」であるため、子供に対してはホームスクール状態として、初等教育課程の通学はさせないのが一般的とされている。
日本の保守層は明治期の価値観をベースとしていたので、21世紀初頭までは学校教育に国家形成の基盤を見出していた。だから、学校に子供を通わせることに大賛成だったのだ。しかし、21世紀のグローバル化と歴史的な再検証も進んできて、明治期の感性というのは、相当にリベラルなものであったことがわかり、
私のように、保守層でも最も過激派とされる、国粋主義者としては、
子供を学校に通わせないようにするのが、理想的な姿であるとされている。

だから、私も、息子には立派な日本男児になって欲しいし、娘には素敵なやまとなでしこになって欲しい。だから、小中学校には行かせないようにするのが希望なのだが・・・。

あいにく、
日本にせよ、遠征先のドイツにせよ、
義務教育の「義務」を、刑罰つきの、親の「絶対服従義務」としていた。
だから、ホームスクール権の行使は、禁じられている。私としては疎ましいが、現代国家としては、致し方ないだろう。ホームスクール権の行使の類を、公然と認めていては、それこそ、経済は世界一なのに貧困や餓死も世界有数とかいう、アメリカのようなヘンテコレンな国ができ上がってしまうだろう。

だから、私の選択肢も、二者択一状態となるわけだ。
そうすると、一般論として、遠征地の「基地」に連れて行くのは、危険行為に該当するという意識が浮かんでくる。
勿論、その地が、アメリカではないから、
私は自分を、「走り屋」という技術的カテゴリーの中に留めておける。
遠征先がアメリカのハイウェイであったなら、私は暴走族を結成し、暴走族活動を行うことになっただろう。
環状族仕様のシビックをブン回して、私をヘッドにそうした活動をしていた時期もあったが、
だが、この度は幸い、走り屋としての活動であるため、「基地」に武装した襲撃部隊が襲ってくる可能性は殆んどない。ただ、自分の状況としては、毎日のように遺書を更新していく状態であることに変わりはないので、遠征地の「基地」に子供を連れて行くのは、タブーであろう。
だから、子供たちは日本の学校に通わせることが、必然的に選択されるのである。
Posted at 2009/11/25 22:13:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月23日 イイね!

甲州街道四十四次

甲州街道四十四次 甲州街道は江戸を起点とする五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一つで、他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという。
しかし約120年後、幕府の直轄地である甲府に甲州金の金座が置かれ、貨幣の鋳造が行われるようになると、街道は経済上、軍事上、重要な交通路となる。
この街道の道程は江戸日本橋から武蔵国(東京都)相模国(神奈川県)甲斐国(山梨県)信濃国(長野県)を通り、下諏訪で中山道に合流する44次、約56里(約219km)であった。
参考サイト
https://gnl.cplaza.ne.jp/walking/info0005.html


この街道のレゾンデートル(存在理由)は、
江戸時代以降、常に「国家の非常事態」という「想定」と密接に結びついたものであった。
現実論として、「その想定」が、「その想定に従って甲州街道が使用された」という事実はなかったが、いずれにせよ、近世以降のわが国の歴史の意識下において、「非常事態との密接な結びつき」を持っていた。

しかしながら一方で、
「究極の技」「最速の技」を我が物とする、
そして、
それを我が物とした者は、控え目に言うケースでは、「一人前になるイニシエーションを突破した」
また、より、
現実論的な言い方として、「峠最速の神業をマスターした」ということになる。
国家の非常事態にせよ、
峠最速の神業にせよ、
こうした、「究極の世界」と密接に結びついた街道なのである。
(ひょっとすると、「やおよろずの神」という日本神話と関係があるのもしれない)

だが、「究極の世界」と密接に結びつくことは、
実のところ、「街道の形状」に起因しているところが大きい。

先に、
「他の四街道に比べ当初は、道筋の整備がなされていなかったという」
との文言が出てきた。
言い換えるところこれは、
「線形改良が為されていない」ということであり、
「九十九曲がり」のような街道形状であったということ。

当然、時代を経るに従って、線形改良が徐々に進み、
場合によってはルート変更も発生した。
そして、そのような「変化」は、現代に至るまで、尚、続いている。

具体例を挙げれば、
笹子峠は、新笹子隧道(ずいどう)の完成によって、国道20号は、峠そのものを通らなくなった。
また、小仏峠は、大垂水峠へと抜本的なルート変更が行われた。
さらに、この大垂水峠のルートは現在廃れつつあり、国道413号線経由の「相模湖ルート」がメインになりつつある。この変化は、今日、今現在、「現在進行形」で起こっている変化である。

このような、
「進化」と「変化」、
「普遍性」と「不変性」、
そうした意味で「究極性」を持った歴史ある街道として、「甲州街道」を挙げることが出来る。

さあ、今日から語ってゆこう。
甲州街道四十四次。
Posted at 2010/02/23 22:07:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 甲州街道四十四次 | 日記
2009年11月22日 イイね!

灯篭運びと「医療モデル」(たぶん極悪人ではない犯罪者の視点から)(環八)

灯篭運びと「医療モデル」(たぶん極悪人ではない犯罪者の視点から)(環八)本日も、昨日に引き続き「英子先生」とお会いする。
昨日は鎌倉だったが、今日は埼玉県某市の英子先生の自宅へ、弟分を引き連れて二人で。

私の弟分は、「英子先生」の「弟子」である。その「習い事」を彼が集中的に特訓されるわけである。今日においての私役割は、「雑用係」である。「英子社長」の客ではない。そのため、灯篭運び等もせねばならない。(写真)。
とはいえ、弟子+αのあるべき姿としては、明け方から参上しなければならないのだろうが、着いたのは、AM9:30過ぎ。だから、実質「お客さん」と思われているかもしれない。

それにしても、「R伝説」の「彼」が、深夜の四面道で「奴」を待つ間、缶コーヒーを飲みながら思い出していることについて・・・、
「彼」が思い起こしている記憶のここから先、
「彼」と「彼の妻」に「いつも通りの朝」がやってきた最後の日、
井荻トンネルで運転席の妻から、離婚を切り出されて、それを無視したまま、このランエボは彼の事務所に着くわけだけれども・・・、

そこから先、ここから先の200時間余りの間に、「彼」と「高高速モーター」の再会が生ずるわけだけれども、それを詳細に書くことは、極めて問題が大きい。

ブログ主の頭の中には、「こういう人物(彼)なら、こういうふうに振舞うんだろうな~」という、確固たる「彼」の「振舞い方」が、存在しているのだけれど、それを明々白々に記述すると、あまりにバイオレンスの要素が強調されるため、残念ながらそれを避けざるを得ません。
さしずめ、「彼」自身の自己防衛本能から、この200時間については、ぼやけたように思い出す癖があるとでもしておきましょうか。まあ、実のところ、「彼」は、「死体遺棄」を計画し、それを遂行しかけたことの方を、暴力行為以上に恥じていることからもわかるように、そういう「ゴマカシ」を凄く嫌う癖があるのですが。しかも、残念ながら、彼が「恥じた計画・未遂」が高高速モーターとの「再会」の「引き金」であったのだから、なおタチが悪い。



さて、

夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかる。

「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。

無論、法はそうした遺棄行為を禁じている。しかし、相互扶助義務というものも、こうした局面においては相当程度空文化している。

一方で、私と妻との関係においては、刑法が空文化していた。少なくとも、私の究極的な意思決定の中に刑法が介入する程度は、通常人に比べて相当に低い。
対外的には勿論、空文化することなどありえないわけで、殺人行為が成立しそれが発覚していたなら、俺は殺人罪に問われていたろうし、妻の今の状態の発生原因だって、傷害罪の構成要件を充足している。ただ、首を絞めた傷痕はもう消えてしまって、今となっては、脳溢血などと区別が付かなくなってしまっている。そのため、単に私が刑事上の訴追を免れているだけだ。
だが、心肺停止状態が続いたことによる酸素不足で、脳は相当酷いダメージを受けていた。妻は廃人となってしまった。言い換えれば、私は妻を廃人にしてしまった。私は一生、この廃人と共に生きていかねばならない。

「こんな廃人、意味ねーよ!」
多くの夫は、妻が意思表示不能状態になったら、こう言って棄妻するのが現実だ。
昔、
私と丁度同じ歳の俳優だったか、
重度の進行性の病気を抱えた歌姫を妻にした者がいた。
こういうケースでは、妻が意思表示不能の状態に・・・、廃人に陥って生き続けたパターンにおいて、夫の「愛」の在否が表出してしまう。通常、「愛」が問題となる局面は、実のところ、極端に少ない。特に、あまり感情論を重視しない我々、男にとってはなおのことだ。

彼は、どうしただろう?
いまとなっては、もうわからない。
わからないし、わかる必要性がない。
自分の問題となったから。
彼らの人生のありようを実験データーのようなものとして、注目する必要性が、どこにも無くなったからだ。

夫に愛があるか、無いか?
それは、妻が廃人になって生き続けたとき、わかるのだ。

愛がなければ、こう言って棄妻するだろう。
「こんな廃人意味ねーよ!」
現実には、こっちが多数派だ。
ごく少数、夫は妻を愛玩し続ける。

私と丁度同じ歳の俳優は、進んで、その可能性を選び取ったのだから、私と同じ年頃の男たちは、皆、彼の度胸に驚嘆かつ、彼らに、実験結果を楽しみに待つが如き、興味深い視線を向けていた。

一方、私は、自らの手で、妻を廃人化してしまった。
傍若無人な男は、刑事訴追の可能性が希薄化した時点で、喜んで棄妻するだろう。
しかし、私の魂がそれを許さなかった。国家権力ではなく、たぶん一般用語で言うところの「神」が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑していた。
私が持つ愛が、
私に対する神からの刑罰の媒介物、
つまり「手錠」となってしまった。

いつも通りの朝がやってきた最後の日、
環八の井荻トンネルに入ったとき、妻から離婚を切り出された。
そのあと、妻の言葉を黙殺したまま、私の事務所に到着したが、その日の夜には、妻の署名がしてある離婚届を提示され、私は書名を求められた。

このあと、200時間くらいに渡って起こったことを、私の頭の中でも、思い出すことそれ自体が有害だろう。

しかし、この後の200時間くらいの中で、この高高速モーター搭載型のGT-Rと、思いがけない「出会い」をした。

しかし、その出会いの「動機」は、極めて不純なものだった。
触媒の取っ払われた、改造マフラー搭載型の、ハイパワーターボ車で、バリバリと存在感を誇示することが、極めて不都合だったから。
しかも、私は彼女を捨てようとした。
私の頭の中には民法770条の如きものはなかった。というより、離婚による姻族関係の終了に関する規定は、完全に頭の中で空文化していたし、それに伴って、刑法199条の如きものも、頭の中で完全に空文化していた。・・・しているはずだった。

つまり、私は妻をぶっ殺すほど愛していたのだ。
正々堂々と捕まって、その上で、「ぶっ殺すほど愛していた」と言えばいいのに、
私は妻の肉体を捨てようとした。
高高速モーターとの「再会」のきっかけとなった「動機」は、本当に不純で保身に満ちた、下劣なものだった。
妻の肉体を捨てるために、存在感を誇示しない動力機関を連れてきた。
それが、「再会」のきっかけだった。

しかし、妻は、息を吹き返した。
私が妻を捨てることは、なかった。
捨てることにならなくて、本当によかった。
その点は・・・、よかった。

そして、その後、自分が、愛のある夫だったと、
数少ない、「愛のある夫」の一員であったと、自覚することができた・・・
自覚するハメになった。
はっきり言って、それは、単に私の殺害技術が未熟であったことによる結果に過ぎないし、
見方を変えれば、国家権力ではなく、
神が、私の肉体・精神・魂を、容赦なく処刑することになったに他ならない。
際限なく大きな代償を負ったことの裏返しと、それによる自己満足でしかない。

刑罰のあり方を「医療モデル」などというが、まさに・・・医療だ・・・苦痛だ。
「治る為に治療を受ける」という、目標に向かう自己満足感、加えて、大きな肉体的・精神的苦痛・・・。
Posted at 2009/11/23 16:45:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月21日 イイね!

いざ鎌倉+(普通なら)「今日、妻と離婚します」(環八)

いざ鎌倉+(普通なら)「今日、妻と離婚します」(環八)本日、用事あって鎌倉へ行ってきた。
「英子先生」と自動車以外の用件で、ちょっとした清掃作業をすることになっていた。
AM8:00に家を出て、
東名川崎インターから入り、
(東名高速)
横浜町田インター
(保土ヶ谷バイパス)
(横浜横須賀道路)
朝比奈インターで出る、という経路を選択したが、
いざ、東名川崎インターから合流すると、
「!」
本線がぎっしり。
なんでも、朝、厚木で乗用車2台が横転して、
[事故渋滞+交通集中による渋滞]が40km。
30分以上だろうか?
東名川崎→横浜青葉。
耐えかねて、横浜青葉で降りる。
一般道を使って、保土ヶ谷バイパスに入るも、ココもかなり渋滞。
朝比奈の出口もかなり渋滞。
10:00にみんなで集合→作業開始のはずが、
到着時刻は11:30過ぎ。
[疲れたー+かなり遅れたー+やべーなー]
と思っていると、
「コンコン!」
窓を叩く人。
「英子先生」が只今到着。
「あっ!おはよーございまーす、師匠」
何やら、用事をこなしていたようなので、着くタイミングは一緒だった。

それにしても、「平日ではなく休みの日だけ」「高速無料化」というのは、同義的な面から見て、少し考えものであるし、加えて、「休日にしかプライベートがない」という、「常にラッシュアワー生活をしなければならない」僕ら日本人、特に関東人の惨めさを思い知ってしまう。(むしろ平日の方がいいのでは?)

まあ、そういう社会哲学的な面は置いとくとしても、第二東名が必要なのは、沼津より東京寄りの方だったのでは・・・?
という疑問も。


さて、

青梅街道をトロトロ走る、通勤用のランエボの中には重い空気が漂っていた。
四面道交差点を左折して環八に入ると、朝でも、流れは幾分よくなる。そのとき、堰を切り裂くように妻が切り出す。

「・・・、もう、私の実家に置いてあるエボⅨ(ナイン)2台、引き上げて欲しいんだ」

理解していない。
やっぱり理解していない。
あれはエボⅨではない。
同様に私のことも理解していないのだ。

「邪魔ってことか?でも、あのガレージ、むしろあと2台分あっただろ?」

少し、はぐらかしたが、妻はバックミラーに映った私を睨みつけた。
彼女から出る次の言葉を私はもう、わかりきっていた。
残念ながら、それがわからなくなるほど酔っちゃいない。

「そういうことじゃない。」

言い出す、時期的なタイミングとしては極めて合理的だろう。

まず、私は運転中に危害を加えることはない。

次に、「私の実家」とは言うものの、この時点であれは、「私の家」と言うのが適切だった。
彼女の父さんが死んで、しばらくバタバタとしていたが、
半年ほど前に、遺品の整理が済んで遺産分割の協議書が完成した。
五ヶ月前に現金預金や有価証券等の資産配分が終わった。彼は、博打にめっぽう強かったので、多額の預金を持っていた。
四ヶ月前に所得税の準確定申告が済んだ。
つい先日、法務局への登記を済ませて、権利関係の承継が全て終わった。
彼女の兄弟姉妹はみな関東や大阪に出ていたけれど、それらの家庭の中で、彼女の父さんと濃厚な関係にあったのはうちだけだった。
だから、彼が住んでいた屋敷と所有する賃貸物件、貸し出している農地など、向こうのものは全て彼女のものとなることが、協議書で決定されていた。

この時点で、ようやく「落ち着いた」という感じがあった。

しかしそのとき、彼女が、子供たちを、向こうの小学校に入れる手続きをしていたことを、私は察知していた。このとき実は、彼女一人でも、二人の子供を育てることが可能なだけの資本家になっていたのだった。末の娘であるはずの彼女が、「手っ取り早い現金類」ではなく、「キャッシュインをするための資産」を選択したことは、要注意だったのだ。
言い換えれば、彼女は、私とは別の生活基盤を確保しようとしていたのだ。

一説には、「秋田女は、ロマンチックな顔立ちで美しいが、極めて、現実的で、下賤である」とも言われる。私は、彼女が下賤であるとは思わない。母親として、生活を軸として考えるのは最もだろう。
しかし、それが、私との関係を終了させて行われるということが、我慢ならない。

気づいた時点で、彼女をブチのめしていれば、ひょっとすると事態は変わっただろうか?

いや、ないだろう。

それは絶対にしなかっただろう。
このような重大局面での私は、妙に冷静だったりする。

妻に対して暴力を振るうのは、もっと下らない問題が起こったときだった。
それに、今まで、彼女の顔をブン殴ったことは、一度も無かった。
このときの問題に対して暴力を噴出させるとするなら、顔をぶん殴ることが適切だった。
だから、それは、私の暴力の趣向からすると、ありえない。

私なら、どうしただろう?
首を絞めただろう。でも、まだ、それをやるには時期尚早だった。
最終通告を受けてから、それは行使される必要性があった。

彼女の父さんなら、どうしただろう?
頭をぶっ叩いたんだ。
そして、たぶん、
いや、刑事司法機関が介入していなかっただけで、
彼女の母親は、その三ヵ月後に、脳出血で亡くなっている。
たぶん、この推察は正しい。
なにせ当時から、これにいくばくかの「共感」を以って推察したのだから。

私も彼も、男として、「失格」なのだ。
男として失格だから、それに「合格」しようとして、男の中の男としての自信を得るための「イニシエーション」に挑もうとして、勇猛果敢になろうとする。
結果としてその姿が、周りからは男らしく見える、
「彼は男の中の男だ」
と誤解する。
家族でも誤解する。
私の妻は、自分の父親と、自分の夫の双方に対して、誤解をしていたのだ。

いずれにせよ、
彼女の「今日の状態」は変わっていないと思う。
彼女の母親と「似た」運命を、辿ることは必然だったのだ。

四面道交差点を左折して、環八に入って流れがよくなって、
「もう・・・、終わりにして欲しい。」と言った。
井荻トンネルに入って車内が轟音に包まれたとき、私の妻はその言葉を口にした。
「離婚・・・してほしい」
トンネルの騒音の中でも、
私はその言葉を、はっきりと聞き取ることができていた。
Posted at 2009/11/22 07:47:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

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「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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