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猛走峠のブログ一覧

2009年11月20日 イイね!

man of man

man of man昨日のブログで、ワインに関しては、ブログ主にとって「関係ない」と言い切ってみたが、ただ、スパークリングに関しては、将来の私のカリスマ性を強調するのに不可欠な道具であろう。
「ル・マン方式」は、「男らしさ」「男の中の男」という要素を強調したスタイルである。
だから、スタート方法も、マシンに乗り込むところからである。
同様に、表彰台は、観客席を見下ろす位置にある。あの形式でのシャンパン・ファイトは、締めくくりに、眼下の観客に、
「そ~ら~、愚民ども~。シャンパンだー」
と言いながら、
眼下の観客に向けて、シャンパンの雨を降らすのである。

眼下の数千の愚民ども(観客)は、神々しい勝者の手から撒かれた、シャンパンの飛沫を口に入れようと、皆、口をあけて上を向いている。

口々に私の名を様づけで叫びながら、餌を求める池のコイの如く、各々、私の爪の垢が微量に配合されたシャンパンの雫を求めて、精一杯口を開けるのだ。
彼らの頭上に虹が現れたとき、私のカリスマ性も極大化するのである。

それはそうと、以下の「R伝説」も「男の中の男」「ル・マン」をメインとした話なのだが、「男の中の男」、自らをそう思っている男、それを目指している男の家庭生活は、現代においては即、崩壊するのが普通である。
彼にとって、
高高速モーターとの「出会い」は喜劇的なものだったが、
高高速モーターとの「再会」は、極めて悲劇的なものだった。


さて、
いつも通りの朝がやってきた最後の日、
青梅街道をトロトロ走る、通勤用のランエボの中には重い空気が漂っていた。


彼女の人生において、母親は比較的早くに亡くなっていたせいか、父親に対する精神の依存度・父性の絶対性は、「洗脳的」に本能に刷り込まれていたらしい。だから、私を見たとき、「自分の父親よりもさらに男らしい男がいる」と思ったらしく、究極の魅力を私に感じたらしいのだった。

しかし、それは、東京での家庭生活において、大きな齟齬を来たしていった。
特に、私が、家庭内外で、
特に家庭内でえばり散らす様は、
私が彼女を全く愛していないと思ったらしかった。

しかし、それは、違う。
ぜんぜん違う。
これが、「愛し方」「接し方」なのだ。
私も、お前の父さんも。

私は構わず、リヤシートで赤ワインを飲み続けた。

まだ、
彼女の父さんが、
長年の過度の飲酒が祟って、
心筋梗塞で急逝する前のことを思い出し続けていた。

彼女の実家・・・はっきりいえば彼女の父さんとは、尋常ではないくらい仲がよかった。だから、彼女の実家のガレージには、フロントマスクがエボⅨのものに交換された、エボⅦとエボⅧMRを一台ずつの計2台、置かせてもらっていた。

これらのスペックの詳細をいえば、エボⅦはフロント駆動をカットし、後輪駆動とされていた。ドリフト仕様というわけである。
一方、エボⅧMRの方は、NOSシステムを搭載していた。この車のNOSシステムは、以前保有していたGT-Rから移植したものだ。

東京の方では、
今、通勤用に新しい型のランエボに乗っている。

が、その前、たしか結婚より前だったか、そのときはGT-Rに入門してみたりもした。
「諸先輩方」から呪文を習い、
プシィー 俺のGT―Rは
プシィー 最強のGT―Rだ
プシィー だからして
プシィー 負けることなんて
プシィー ありえねぇんだよ
プシィー!
と、数え切れない程唱えたものだった。
しかし、NOSシステムを導入して、
その暴発的な加速によって脳髄がずれたとき、
呪文は一瞬にして消し飛んでいた。

ここで一気に高高速ステージへの道が開け、最速の道を爆進していたのだが、
NOSシステムの過剰使用によって、RB26エンジンはついにブローし、完全にオシャカになった。
そう、RB26エンジンがオシャカになって、高高速ステージから降りざるを得なくなっていたとき、速度によって狭まった視野が少し広がっていたとき、妻と出会い、結婚した。

そこから、彼女の実家・・・
彼女のお母さんは既に死んでいたから、
彼女の父さん、
「チェイサー」であった彼女の父さんと人間関係が構築されるまで、
相当な「努力」を要したが、しかし多くの期間は掛からなかった。
必要な期間は、一冬だった。

彼は、「チェイサー」「狩人」だった。
だから、あまり慣れないよそ者と仲良くすることを嫌っていた。

彼は「猟師」でもあったし、
触媒を取っ払った、黒いチェイサーを、「ブン回し用」として、ガレージの手前にポジショニングさせていた。

彼のチェイサーが立てる爆音は極めて魅力的だった。
そして、雪煙を豪快に蹴立てるスノードリフトには迫力があった。
このドリフトは普通のものとは違っていた。
「削れるもの」が正反対であり、これほど、迫力と気迫があるドリフトは、東京にはなかった。

それには、ロシア製のスタッド付きタイヤが関係していた。

このとき、私が彼のチェイサーを追走するために用いていたCT系のエボも、彼のチェイサー同様にクラシックカーの仲間入りをしていたが、走りのスペックにおいて彼のチェイサーより上であるはずだった。
しかし、当初私は、彼のドリフトに追走することが出来なかったので、原因を考えていた。
必死に考えた結果、彼との違いは、タイヤにあるかも、と思うようになった。
私は、スタッドレスタイヤを履いていた。
ひょっとすると、これではだめなのではないか?
だから、彼と同じ、ロシア製のスタッド付きタイヤを使用し、ドリフトを試みた。

その読みは当たっていた。
タイヤから生えた鋲が、氷をかき割り、アスファルトを砕いていく。
ロシア製のスタッド付きタイヤの効能は凄かった。
これを使いこなすと、アスファルトが露出した部分が、まるで、某アニメの
「溝落とし」
のような効能まで発揮するのだった。

タイヤを削るのではなく、根雪を氷を舗装を削る。
これが、究極の雪国ドリフトであることを悟った。

ロシア製のスタッド付きタイヤの使い方をマスターしたことで、
ようやく、彼のチェイサーに追走し、
その懐に、ベタベタに喰らいつき続けることに成功した。

彼のチェイサーに追走し、その懐に、ベタベタに喰らいつき続けることができるようになってとき、人間関係もこれと同様のものとなった。

それだけではなかった。
このときはまだ自覚していなかったが、自分の車両制御能力についても格段に向上していた。具体的には、NOSシステムによる加速でも、もうバランスを崩さなくなっていた。GT-Rで高高速域そのものを追い求めていたとき、何でずっと身につかなかったのだろう。あのときは、毎回、怖かった。死の恐怖と闘い続けた加速だった。この後は、全く危なげなく、強烈な加速を引き出すことが出来るようになっていた。
そして、ここの地元の誰よりも、雪道を速く、上手く走ることが出来るようになっていた。
加えて、ロシア製のスタッド付きタイヤを使いこなし、彼のように豪快にドリフトできるようになっていた。ここの地域の基準において、男の中の男となった。

しかし、そんな私の自己満足感とは裏腹に、彼女の父さんが死んで、家庭内の関係はギクシャクし出した。
私は、天蓋が外れたかのように、
いや、
彼の分を吸収したかの如くに、傲慢な人間になっていった。

それこそが、「男の中の男」であり、
妻にとって「夫が男の中の男」=「この以上の幸せはない」と、
私は信じて疑わなかった。

しかし、実際には違ったのである。
妻は、彼女の故郷の「男の中の男」、
そういう価値観が描き出すキャラクターが、
つまり、
その象徴となった「私」が、
成長した彼女「個人」としては「大嫌い」だったのである。
多くの時間を費やしている、東京での生活の中で、それはなおさらだった。
言葉で言われる必要なく、もうこのときには、それがもうありありと伝わりきっていた。
Posted at 2009/11/21 07:05:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月19日 イイね!

ホジョレヌーボー解禁日+酔拳の破綻(環八)

ホジョレヌーボー解禁日+酔拳の破綻(環八)かつて、私は、ワインが大好きだった。

今日はホジョレヌーボー解禁日である。
巷では、人々は、グラスを天高く掲げ、顔を赤らめ、美味そうに酔っぱらっている。
こういう話は、今「禁酒中」である「今の私」には、関係ない。
しかし、「彼」には、
いま語られている「R伝説」の「彼」には、関係大有りだと思う。
「彼」が、ミニ四駆を踏み潰されなければ、「ヤバいモーター」に出会っていなかったことと同様、ワインに堕ちていた状態による「悲劇」がなければ、
その「悲劇」による「普通の幸せからの脱落」がなければ、
「彼」が高高速モーターと「再会」することはなかったのではなかろうか。
「彼」の高高速モーターとの「再会」は、実に悲劇的なものだった。


さて、
(以下は、完全にフィクションですので、実在の人物・団体などとは一切の関係を有するものではありません。)

だいたい、俺を含めて、その人生を左右する程に重要なもの、
しかもその重要なものがとてつもないポテンシャルを持っていた場合には、
「理解不能」になるのだ。
ひとことでいえば、「意味不明」だ。
「意味不明」・・・そう感じるものに、本能的に刺激を感じるものだし、それが、魂の内部と、意外とシンクロしていたりする。
まさに、高高速モーターに対する私のインプレッションは、子供のときも、大人になってからも、「意味不明」だった。とはいえ、私はこの種の高高速モーターが「好き」だった。
「好き」+「魂内部とのシンクロ」だった。

「意味不明な速さ」。モーターは・・・、それで、「意味不明」でいい・・・。
それが家庭人としての生活でも、「魂内部とのシンクロ」+「好き」であるならば問題はない。
しかし、「魂内部とのシンクロ」+「嫌い」というのならばどうであろう?
それは家庭の不幸以外の何者でもないのではなかろうか。

妻は・・・、
彼女は私のことを「理解出来ない!」と叫んだ。私は妻から理解されることはなかったし、妻が今後、私を理解出来る可能性は極端に低下してしまった。
しかし、私が、妻から理解されていて、
かつ、ずっとささやかな幸せが、普通に家庭生活が続いていたなら、
理解不能な、
「意味がわからない」と感じるほどの高高速モーターとは出会ってはいない。
だから、結局のところ不幸な境遇に陥ったこと、妻をあのような状態にしたことに対して、何の後悔もしていない。


まだ、ほんの数年も経っていないというのに、遠い昔のように思われる・・・。

かつて俺はワインが大好きだったが、今は禁酒状態下にある。
走りと生活のために、好物を絶たざるを得なかったのである。
だから、そんな巷の状況は、今の俺には関係ない。
巷の奴らが、美味そうに、ヘラヘラ笑いながら酔っぱらっている様子は、以前の俺の姿そのものだ。
そんな以前の俺のような姿を見ると、ブッ殺してやりたくなる。
だから、そういう様子を見ない方がいい。

こうなった直接の引き金は・・・いつもの通りの朝だった。
思えば、この日が、いつも通りの朝がやってきた最後の日だったか。
たしか、次の日から大型連休が始まるとかいう、そういう日だった。

いつも通りに、仕事場に行く時間になると妻を呼びつけて、言った。

「送れっ!運っ転っんしろっ!」

妻が、ワインレッドメタリックのランエボの運転席に座り、私はリヤシートに座り込んだ。
リヤシートセンター部のアームレストを引っ張り出す。
カップホルダーにカップを立てた。
左手に持ったブルゴーニュスタイルの瓶のコルクを抜く。
私はいつもの通り、
カップに赤ワインを注ぎ込み、仕事場までの移動の時間、
体内に、
仕事の効率が最大になり、
かつ、
私の機嫌が最高になるくらいのアルコールと、ポリフェノールを補給する。

「酔拳(すいけん)」。

朝っぱらから酒を飲むことは日本には珍しかったため、他の奴らはそう呼んでいたが、あれほど事理弁識能力を欠いているものではなかった。
むしろ、あれくらい酔っていた方が、事理弁識能力を失ったくらいの「ただのアル中」の方が、つまり「本物の酔拳」でなかったならば、少し別の様相があったかもしれない。
だがそれは、それこそ何の価値もない結果を導き出した可能性の方が大きいだろう。

この日、妻の運転は荒れていた。
ワインの液面に、波乱が生じていた。
バックミラーにわずかに映った顔からでも、もう厭だ・・・、という様子がありありと見て取れた。

妻は、いわゆる「秋田出身の女」で、「それらしい顔かたち」をしていた。
対して私は、東京の人間で、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」、「闘争心(・・・つまるところ暴力・・・と、密接に結びついた江戸っ子意識)」を持った私は、
彼女の父親の性格のうちの「オトコギ」と「傲慢さ」を極大化させたような人間だったのだ。
つまり、「(偏見と妄想によって固められた)江戸っ子意識」を持った私は、
彼女の故郷の価値観が理想とする「男らしい男」そのものだったのである。
それは、彼女が洗脳的に持っていたと思われるアイデンティティから言えば、彼女は私の妻になる以外になかったのである。

勿論、私はこの妻を心底愛しているし、それが今更になって明らかになっているし、当時から、この妻の外見に関しても何の不満もなかった。

むしろ、好みのど真ん中というか、二十歳頃には、異性の好みはほぼ定まっていて、それは妻のような容姿の女で、そういう女子を見ると、
まさに、
自らが「亭主関白」になってエバリ散らしたい、
そういう気がして、うずうずしていたものだった。

2000年代になると、「草食系男子」というのがもてはやされており、俺のような趣向(性癖の一種らしいが)の「男気強調野郎」は毛嫌いされていた。しかし当時の俺は、そんな世間の需要に背を向け、自分が男の中の男になること、自分の「理想のナルシスト像」に、自分自身を近づけるために必死であった。そのために、走り屋を志していたり、峠を攻めたりすることに必死であった。

そんな中、俺の前に現れた彼女は、「自分の父親と凄く似た性格」で、そして「父親よりも男らしい性格」だとして、
俺を、
とても慕ってくれた。
もちろん、彼女を愛していたわけだし、プロポーズした・・・、正確に言えば「結婚を命じた」のは俺の方だった。

彼女の実家とも、尋常ではないくらい仲がよかった。

もともと、彼女の実家がある秋田県は、
「DV王国」・・・男の立場から言えば「DV天国」と言われる場所であった。

一つ目、プロポーズの決まり文句といえば、「オマエは俺の妻になれー!!」であった。

二つ目、「北限の海女」といわれる女性たちが活躍していたのはこの辺であったといわれており、何故そうなったのかといえば、かつて、常に酔った漁師の父親が、「伊勢湾とかー、九州とかー、瀬戸内海とかーではー、海に潜って貝とか採るのは、女の仕事なんだからー、ココでもそーゆーのは、女の仕事っしょー」そう言って、娘を寒風吹きすさぶ日本海に飛び込ませたからだ、といわれている。

三つ目、ここの祭りは極めて独特だった。
祭りの日、とーちゃんたちはニヤニヤしながらどこかへ集結するのだった。そして、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、自宅へと襲い掛かるのである。
「悪い子はいねーがーっ!!」
と叫び狂いながら。

このうち、一つ目と三つ目は経験していた。

特に、三つ目は何度も何度も。
彼女のお父さんとはすぐに気が合い、私は毎年のように、鬼のカブリモノを付け、包丁をぶん回しながら、「悪い子はいねーがーっ!!」と叫び狂っていたのである。
そうして子供たちが、えーんえーんと泣く姿の、楽しいこと楽しいこと。

二つ目は・・・まだだったな。
娘は、私の目・口・耳と、妻の額・まゆ・鼻を継承した顔立ちで、両親の双方の特徴である白い肌を極端化させたような、透き通るような白さを持った奴なので、チアノーゼになって海から上がってくる姿は見物だろう。
そろそろ、飛び込ませてみるかな?

彼女の実家とは、尋常ではないくらい仲がよかったので、ガレージにはエボⅦとエボⅧMRを一台ずつの計2台、置かせてもらっていた。フロントマスクは双方ともに、エボⅨのものに交換されていたので、外観はエボⅨと言って差し支えなかった。
この2台の役目は、私が雪道をぶっ飛ばすためのものだった。そのため、双方とも、ロシア製のスタッド付きタイヤを装着していた。

今まで、2台ほど、CT系のエボをオシャカにしながら「雪道ぶっ飛ばし練習」をしていたため、ここの地元の誰よりも、雪道を速く、上手く走ることが出来るようになっていた。
ここで、雪の中を速く走ることが出来るということは、男の中の男であった。

いずれ息子にもやらせよう。
奴は、私に似た迫力のある眉毛が、吊り上っている、迫力のある顔なので、たぶん、空中で車の向きを変えられるようになるはずだ。

そういうことだから、この地域の男たちから、私はリスペクトされていた。
ターボの音と、改造マフラーの爆音が雪原に響き渡ると、皆、私に敬意を表す姿勢をとって挨拶していた。
特に、彼女の父さんは、そんな私を誇りに思ってくれていたし、
私の妻が私を慕っていた本能的な理由は、
私が、
彼女が育った地域の価値観においての、
「男の中の男」、
そうである気配を私が持っていたからだったし、
事実そうなのであろうし、
彼女もそう言っていた。

でも、
彼女の父さんが、
長年の過度の飲酒が祟って、心筋梗塞で急死した一昨年前から、家庭内の関係もギクシャクし出したのだった。
Posted at 2009/11/19 23:07:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月18日 イイね!

ブン!それは意味不明的速さの萌芽(環八)

ブン!それは意味不明的速さの萌芽(環八)今日もまずはブログ主自身の話から。
私のタイヤ経歴については、
まず、(1)新車からずっと装着されていたタイヤ(たしかグッドイヤーだった気がするが)、
(2)ミシュラン・「パイロットExalto」、
(3)ダンロップ・「ディレッツァDZ101」、
(4)(このあいだ導入)ヨコハマタイヤ「アドバン・ネオバAD07」。
と、まあ、これっぽっちの経歴でしかないので、まだエラそうに論評が出来る立場ではない。



さて、
気づいたときには、その児童館にはレーシング集団が出来上がっていた。
走りのシーンにおいては、互いをマシンの車種名等を模したコードネームで呼ぶようになっていた。
僕のコードネームは「エンペラー」だった。

日々、様々なチューンナップパーツとノウハウが、持ち込まれていった。
マシンのチューンナップは日々繰り返された。
そこにあったほとんど全部の個体が、ファイターとなるか、破損したものは部品となっていった。
スタート練習もした。スタートに、無駄が無くなっていった。
そして、「エンペラー」と、このレーシング集団は、この市で「最強」の名を欲しいままにすることとなった。

そんな僕たちに陰りの色が見えてきたのは、周囲の市の集団と対戦するようになって、全く勝てなかったこと。僕たちが住んでいた市は、そして僕たちは、周囲の市の奴らに比べて、体格も頭脳も明らかに劣っていたこと。つまり、僕たちは周囲の市の奴らより、勉強もダメ、スポーツもダメ、性格も・・・、他にも・・・。それを子供ながらに自覚するハメになったときだった。が、そこまで今考える必要はなかろう。

それより、「奴」との闘いにおいて関係のあること・・・。

まだ僕達が、「負け戦」によって視野の狭窄に陥る前、
僕は思ったのだった。

「このミニ四駆が持つ速さの割合って、本物の車に例えるとどのぐらいなんだろう?」

少なくとも、車体10コ分の距離は、瞬きする暇もないくらいで
ブン!
と通過する。

本物の車、
そこの青梅街道を速く走っている車でも、
車体10コ分の長さだと、
どう見てもスウーっとゆっくり通過している。

ブン!
と通過することはあり得ない。

特に、加速していくとき、
特別に気合を入れたようなスポーツカーや、
常にスピード違反を好む傾向の人が乗っている車の急加速をみていても、
ミニ四駆のスイッチを入れたときほど急には動き出していないし、
やっぱり、速度の勢いが違うだろう。



こうした疑問に対する明確な答えを得たのは、この時代から数えると相当後のことだ。
特に、高高速仕様のモーターが搭載されるようになり、それが俺の戦力として使いこなされるようになったのは、ごくごく最近のことだ。

そのときの加速、
それは、
「意味がわからなかった」。

やはり、
「意味がわからなかった」。

「意味不明な速度」に、ようやく再会することが出来たのである。
「意味不明な速度」を醸し出す、動力機関のポテンシャルに、ようやく再会することが出来たのである。
Posted at 2009/11/18 16:02:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月17日 イイね!

ブログ主による本日の愚痴+覚醒せよ!ファイターたち(環八)

ブログ主による本日の愚痴+覚醒せよ!ファイターたち(環八)特に、「自分の好みのパーツを・・・とか、これを求めている・・・とか、この方向性で、とか」こうした意識を介在させると、
メンテナンスに金と時間を食うようになる傾向に拍車がかかるわけで。

これを、チューナーの人にクルマとメモを預けて、
「こういう方向性で願います」
「この方向性でやっておいて下さい」
とか言って預けておくのが、
つまり、技術面以外の意思決定・セレクトについても「委任」するのが、常道であるとは思いますし、そういう「委任」をするのが、時間的にもよいわけでしょう。
しかし、この手の「委任」には、一体どれほどの資金が必要になるのか・・・?

ただ、本来、チューンドカーを目指すには、それくらいの資金を頻繁に使えるようでなくてはならないのかもしれません。
「消耗品を逐一入れ替えていって~いずれ完成」、という現在の自分のやり方では、時間がいくらあっても足りません。
はっきり言って、走りに注げる時間・エネルギーがなくなるわけであって・・・。
そろそろ、
「走りを志す→チューンド志向をやめてノーマルでトレーニング」

「走りを諦める→チューンド志向を“趣味”として大人しくしているか」
選択の時が近づいている気がするのは確かです。
そして、後者を選択することが、
「カーライフにおいて大人しくなること≒大人になること」
ということだという説もあるが、
現在のブログ主には、それが「魂の餓え」、「魂の飢餓」と感じてしまうのはなぜだろう。
それはひょっとすると、今、語られている、環八におけるR伝説の「彼」の幼少期とも関係があるのかもしれない。


さて、
けっきょく、児童館にあったミニ四駆は全て、引っ張り出してみた。
そのなかのどれも、僕のマシンには追いつかなかった。
追いつかないどころか、すぐに相手を周回遅れにしてしまい、たちまちのうちに、後ろから追い立てた。

ただでさえ、いろいろな部品に交換してあった僕のミニ四駆は、
昨日、友達から200円で購入した車体とそこについてきた「赤と黒のあやしいモーター」によって、凄い速さで走るようになっているようだった。
特に、「赤と黒のあやしいモーター」は、「ヤバいモーター」だった。

この日がきっかけとなり、僕は児童館の常連となっていた。
コースの常連である。
そのヤバいモーターは、
僕を、一気にそのコースのエースにしたのだった。
赤と黒のあやしい、ヤバいモーターのイカした効能は、僕にだけ起こったわけではなかった。

「エース」というからには、そこに「戦闘集団」が発生したわけだ。
そのヤバいモーターとそれを搭載したマシンが発する、イカした波動は、
そこにいた少年たちに、
そこに既に、有り余る程に存在していたノーマルマシンたちに、
多大な影響を与えたのだった。

そこには、「暇つぶしのオモチャ」として、
各々の、
あるいはもう卒業した先輩たち家から持ち込んだ、
その児童館の少年たちの人数の、倍くらいのミニ四駆があったのである。

ノーマル車だった。
それ以前は「単なるオモチャ」だった。
しかし、それらは、あの日を境に、
「ファイター」へと生まれ変わっていた。

「単なるオモチャ」、
埃の被った単なるオモチャは、ことごとくオモチャ箱から引っ張り出され、コースの周囲に、車種毎に陳列された。
不思議なことに、それぞれの少年たちの好みが重複することはなかった。
それぞれ、自然に、担当のマシンが決まっていったのである。
恐らくあのマシンたちは、児童館のオモチャ箱の中で、「ファイター」へと生まれ変わる機会を、
自らを「ファイター」へと生まれ変わらせる「主人」を、
傍らにいた「主人」が覚醒するのを、待ち続けていたのではなかろうか。

毎日のようにタイムが計られ、マシンたちは「ファイター」になっていた。
こうなるとフルチューンの仕様に変貌するまでに、そうは年月は掛からなかった。
いつのまにか、ここには「レーシング集団」が出来上がっていた。

そして、必然的に「外の集団」との対決が待ち構えていたのである。
Posted at 2009/11/17 23:48:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記
2009年11月16日 イイね!

暫定整備手帳+コースインと追突

暫定整備手帳+コースインと追突備忘録。
とりあえず思い出す限りに備忘録を。
さしずめ、暫定整備手帳ってとこでしょうか。
11/15 CVTオイル交換。 75,634km。
11/14 エンジンオイル+エレメント交換。75573km。
11/7 (フロントタイヤ)アドバンネオバ 75273km。

あとは、
ブレーキフルード、ブレーキパッド、ローター、
エアクリーナー
・・・。
他にも、記録すべきことがあったと思うが、ぼちぼち資料引っ張り出したり、思い出したりしながら書いていこう。




さて、
すぐに追突した。

児童館にはミニ四駆コースが広げてあった。
グレー色の三列のコースが周回していて、同時に三台まで、レースができる仕様だった。
その三列は実質の一周で、三回クルクルと回ると、同じスタート地点に戻ってくるという構造だった。
しかし、コースは、広げてはあるものの、隅に追いやられ、忘れられがちであるように思えた。
とはいえ、館長から走行許可をもらったので善は急げ。
早速、出来立て・復活したてのミニ四駆を家から持ってきた。

児童館に戻ったとき、さっき学校でミニ四駆のコースがどうの・・・と言っていたやつがいた。
まあ、そうだろう。
たしか学童保育の出身だったから、児童館の常連なのだろう。
軽くあいさつしたけど、こちらのことにはあまり興味なさそうだった。
他の連中も、こっちのことには全く興味なさそうだった。

この瞬間はまだ、僕一人だけがやたらとハイになっていた。
ほんの少し後にココにいた奴らがみんなビックリしてハイになるとは知らずに。

早速スイッチを入れた。
モーターが波動して車輪が回っている。
コースの中に放った。
広い部屋の中一面に、カッシャーン!カッシャーン!というコースの壁が立てる衝撃音がこだました。
コースの中をルーレットの玉のように、
目で追うことが困難な速さで、
僕のミニ四駆が回っていたんだと思う。

この瞬間の感想を率直に言えば、
「意味がわからなかった」。

正直なところそうだった。
何というか、目の前で起こっている現象の理解に、対応できていなかったんだと思う。
だから、比べるモノサシをもっていなかったというか、
「普通の速度」のミニ四駆があって、「それが普通の速さ」「よく目にする速さ」で、
「それより速い」ミニ四駆があって、「そっちの方が速い」と思えて、
「ずば抜けて速い」ミニ四駆があって、それは「ずば抜けて速いんだ」、
そういう段階を追った理解、
そういう段階の全てを吹っ飛ばして、
目の前の僕のマシンは、
目の前のコースで、
何やらヤバい速度で走っているらしい。


目の前の僕のマシンは、
何やらヤバい速度で走っているらしい。
そういうことを理解するのに、
少しだけ、時間とコミュニケーションを要した。

部屋中に響いた、
ひょっとすると児童館中に響いていたのか、
コースの壁が立てる衝撃音を聞きつけたのか、
ぼちぼち他の奴らが集まってきていた。
「へえ~、ミニ四駆か」
そういう社交的な言葉をかける奴は一人もいなかった。
ただ、立って、見ているだけだった。

「カンジの悪い奴ら」

そう見えるかもしれないが、
実はちがった。
実は、こいつらはミニ四駆をやっている奴らだったのであるが、
はじめて見たそのマシンが、
あまりに速かったため、
ボーゼンと立ち尽くす以外のリアクションをとる事ができなかったのだ。

つまり、僕が初めて児童館に持ってきたそのマシンは、かつてそのコースで走ったマシンのどれよりも一番速かったのである。

気が付くと、さっきの、クラスメートが横に立っていた。
そいつは言葉をかけてきた。
「これ、ヤバイんじゃねーの?」
「なにが?」
「ヤバイ速さなんじゃないの? 速すぎる」
「そう?こういうコース、初めてだから、わかんないんだ」

そいつは、横の棚からミニ四駆の箱を持ってきた。
中からミニ四駆を取り出してスイッチを入れる。
僕のマシンが走り去ったすぐ後ろにスタートさせる。
ところが、そいつが放ったマシンは、僕のに追いつくどころか、引き離されていくばかりだった。
それどころか、僕のマシンに追いかけられる形になるまで、あまり時間はかからなかった。
僕のマシンは、すぐにこれに追突した。

二人とも慌ててマシンを回収する。
顔を見合わせ、
「な、オマエの、凄い速さだろ?」
「あ、ああ。速いのかな」
Posted at 2009/11/16 23:52:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 環八(環状) | 日記

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「omnes viae Romam ducunt」
何シテル?   09/26 04:50
今を、近未来を、速く!上手く!美しく!走りたい。どこの歴史上の、どこの伝説の誰よりも。 「数の世界」を愛する者のひとりとして、いつの日にか「私」が「最速」の象...
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